第13話 人を超えるもの
亜熱帯の密林に似つかわしくない、拳大の雹が凄まじい勢いで無数に降り注いだ。
日本でこのような雹が降り注げば、露天駐車の車は廃車となり、保険会社は車両保険の支払いに右往左往することが確実であろうと思われるほどの威力であった。
急ごしらえで安普請の薄い壁を全てぶち抜き、半壊して外の密林が良く見えるようにリフォームされた部分を背に、トレイは仁王立ちのまま。
サンドロが放った中級氷魔法「アイス・ガトリング」はトレイの肉体の中心に近い場所には穴を穿ち、輪郭の辺りを抉ってその破れた屋根から降り注ぐ陽光を背にしたシルエットを歪に変化させた。
ボコボコとそんな痛々しいトレイの足元の地面が数か所、隆起したかと思うと、その先端は人間のような手となり、彼の脚にすがるように掴みかかる。
地面に両手をつけたドナが大地の精霊魔法の一つを発動させたのだ。
相手の攻撃を躱すのに重要なのは足さばきである。
それを封じられた憐れな大男に人狼族の素早い攻撃を避けることなど、到底できるはずもない。
レイフが彼の横を風のように通り過ぎ、その首を刈り取るように「変化」の恩寵によって五本のナイフのようになった爪を振るう。
緑の密林にその対極の色相である赤が舞う。
「……あの世で鍛えなおしてきなさい。身体じゃなくて心をね…… ! 」
ネリーがトレイに向けた剣の切先から青い雷が走り、空気を震わせ、彼に落ちる。
しばらく空気を弾くような音が響き、雷光が皆の目を眩ませ、それが止むと妙な静けさとともに、まるで黒い炭のように焼け焦げ煙を上げる大きな人型が立っているばかり。
肉が焦げた嫌な臭いが漂う中、崩れ落ちたのはシャロンだった。
回復薬が尽き、怪我を負うことができない。
後ろに動くことのできない爬虫類人族達を庇っている上、相手の増援がさらに来る可能性もある。。
それに小瓶を呷ったトレイから発せられる圧力は並み大抵のものではなかった。
手加減して彼を生きたまま捕縛するために負うリスクを考えれば、速やかに彼を始末するのも仕方がない。
そんなことは彼女にも良くわかっていた。
それでも、彼女を裏切り、心と身体に酷い傷を負わせた相手の惨状に、彼女は嗚咽する。
彼女がその姿を偽って彼と過ごした日々が、どうしてか鮮明に蘇って。
「……トレイ部隊長……」
膝をついて絞り出した声に応える者がいた。
「……なんだ ? 」
皆が一斉にその発声源の方を向く。
それは黒い人型の消し炭で、先ほどとは違って目が開いていた。
黒焦げの人肉に対比されて、白目がはっきりと見えるそれは、不気味としか言いようがない。
パキパキと乾いた音がして、炭化した肉が剥がれ落ちると、その下には真新しい皮膚。
「……さっきあいつが飲んでた小瓶の中味の効果か…… ? あんな消し炭みたいな状態から回復するとは…… 」
「……もしかしたら人間の『錬金術師』が爬虫類人族の毒に何か手を加えたのかもしれないっす ! 本来爬虫類人族に回復薬は作れないのに…… ! 」
焦ったようなキャスとサンドロの会話を愉快そうに眺めて、トレイは片頬を上げる。
「これは回復じゃあねえよ。成長だ ! 知らないのか ? 筋肉というのは負荷をかければかけるほど強く成長するってことを…… ! 」
そんな地球で筋肉を生業とする者でさえ一笑に伏すような妄言を吐いて、トレイは卵の殻を割るように自らの炭化した身体を脱ぎ捨てた。
明らかに一回り大きくなったトレイの肉体を見たキャスは絶句する。
「……ゴーレム」
ドナの呟きとともに 3 メートルほど地面が隆起して、それは人型に成形されていく。
そして土の巨人はまるでトレイを抱きしめるように両腕を広げて、重い足音を立てて彼に突進する。
「ぐっ !? 」
トレイは両手でゴーレムの両腕が閉じないように抑えるが、ゴーレムの両腕は止まらない。
じりじりと彼を拘束するために閉じていく。
ドナが作るゴーレムはグリーンドラゴンを簡単に抑え込めるほどのパワーを有している。
人間が膂力で勝てる道理はない。
「うおおおぉぉぉぉぉぉおおおお !! 」
トレイの咆哮が響いた。
彼の丸太のような両腕は限界まで張り詰めていたが、それでもゴーレムには及ばない。
そして彼の肉体は思ってもみない方法で足りないパワーを追加することを決めたようであった。
ぽっこりと彼の両脇の下が膨れたかと思うと、それは徐々に伸びていく。
「なにあれ…… ? 」
それは腕であった。
脇の下から新たに生えた両腕は元からあった両腕に助力して、ゴーレムの腕を押し返す。
それだけではない。
下半身にも変化が表れた。
腰の辺りから大きな肉の突起が現れ、新たな脚となっていく。
それが四本脚の獣の下半身、腕が四本ある人間の上半身という歪なシルエットになった時、ゴーレムは押し返される。
「押さえきれません ! 攻撃して !! 」
ドナの言葉に応じて、背後からレイフが再びトレイの極太の首元を切り裂くが、その爪は通らない。
「な…… !? 」
ニヤリと笑った彼の顔は、次の瞬間、炎に包まれる。
サラが炎の精霊魔法を発動させたのだ。
轟轟と瞬時に燃え上がる炎。
だがトレイは倒れない。
(ひひひ……素晴らしい。トレイさんは人間を超えた…… ! )
いつの間にか意識を取り戻したモレーノが首から下を地中に埋められているという全く笑えない状況なのに、満面の笑みを浮かべていた。
(数日前に捕らえた爬虫類人族の王族に連なる女……。王族の一員だけあってとても強い恩寵を持っていた……。あいつが生成する強力な毒を加えることでついに完成した。定められた人間の限界を殺す毒を…… ! 人が人を超えて神に近づく薬を…… ! 今はまだトレイさん以外服用することはできないが……さらに改良して全ての人間がこれを服用できれば……もはや女神など必要ない…… ! )
調合した毒を服用させた試験体の人間がトレイを除いて全て巨大な肉塊となり、それを苦労して運んで密林の奥に不法投棄してきたことをモレーノが懐かしく思った時、空気が再び炸裂した。
ゴーレムの背を駆けあがり、その肩に乗ったネリーが炎を耐えきったトレイの右の瞳に剣を突き刺し、稲妻をスパークさせたのだ。
それでもトレイは倒れない。
潰れた右目の代わりに、髪が燃え落ちた頭の一面に、いくつもの瞳が開いてネリーを見つめる。
いわば癌細胞のように細胞分裂の限界を無くした彼の肉体は、どこまでも外部からの負荷に対応するために強くなる。
その有様は確かにモレーノが思うように人を超えてはいたが、とても神々しいものとは思えないどころか、禍々しい、ばけものにしか見えなかった。
人を超えるために、人の心と形を捨てた化け物に。




