第12話 甲斐性なしの男
「……回復薬は重傷者に使い切っちまったな。もう怪我はできねえぞ。……お前ら爬虫類人族は回復薬を体内で生成できないのか ? 」
「無理っす。俺達が作れるのは基本的に毒なんすから。病気に効く薬を作れる者もいますけど、それは毒で病気の元を殺してるだけっす」
キャスとサンドロがそんなことを話しなしながら、戦うことのできない爬虫類人族達を薄い壁の向こうへと集めた。
そして、その男は無警戒に入ってくる。
この群島特有の日焼けした黒い肌は、その下に搭載された筋肉によって破裂しそうなほどに張り詰め、太い血管が腕を這っている。
どこか人好きのする顔の上には、これまたこの群島特有の銀髪を短く刈り込んだ頭がある。
それはこの街の警備隊部隊長、トレイであった。
「……こりゃあ一体何事だ ? 」
十人ほどの人間の首から下が生き埋めとなった光景は、恐るべき数のジャンルを網羅する日本の AV 作品でもなかなか見られないシーンであった。
もちろん珍しいだけで、あることはあるのだが。
そんな稀有な場面に遭遇したトレイは、彼にとって警戒すべき事態にもかかわらず、どこか惚けたような声をあげたのだ。
「……トレイ部隊長」
奇襲を狙うためか、キャス達は爬虫類人族とともに薄い壁の向こうに潜み、サンドロだけがその場でトレイに対峙する。
「……お前は……確かルチアナ様のパーティーのサンドロだったな。一体何があったんだ ? 」
「シャロンさんの捜索でここに辿りついたんすよ。そして彼女を拘束していた奴らをぶちのめした。ただそれだけの単純な話っすよ」
サンドロは軽く肩をすくめて笑ってみせた。
反対にトレイの顔は徐々に険しいものとなっていく。
「どういうことだ ? ひょっとして隷属の首輪が外れて人間の姿に……」
「いえいえ、俺が牢屋へ行った時はちゃんと隷属の首輪は機能してましたよ」
「なんだと…… !? ならばどうして爬虫類人族ハーフのあいつを助けた !? ……まさか……お前も…… !? 」
トレイは彼の剛腕に合わせた分厚い剛剣を重たい音とともに抜き放つ。
「それは想像にお任せするっすよ。それよりも教えちゃくれませんか ? なんであんたをあれだけ慕っていたシャロンさんをあんな目に遭わせたのかを…… ! 」
薄い壁の向こうから屋内の温度がいくらか下がったような気がして、ドナは少しだけ身震いする。
「いいだろう…… ! 冥土の土産に教えてやる」
メイド喫茶の可愛らしさを賃金へと変換させているメイドさんから退店時に貰えるメイドの土産とは違い、筋骨隆々の男が言う冥土の土産は、もらった後に死が確定している危険物である。
それなのにサンドロは少しも怯むことなく、トレイと向き合ったままだ。
「俺はな……半年ほど前に『百年戦争』が終わって……ミシュリティー様が主神の座から下りて……人間が授かった恩寵が弱くなって……絶望したんだ……」
トレイは身を引き裂かれるような苦痛に苛まれるような歪んだ顔で吐き出した。
「あれだけ鍛えに鍛えて手に入れた力を喪失するなんて俺には受け入れがたいことだった……。以前は簡単に倒せてたモンスターにまで苦戦するようになっちまって……。俺は……警備隊部隊長として、この街の皆を護るために強くなけりゃあならないってのによ……」
この世界の十二ヶ月の女神の中で主神となった女神は、その主神の座によって強大な力を得ることができる。
そしてその力で、自らの眷属に与える恩寵であるスキルをより強く、より多くの者に授けることが可能であった。
人間の女神であるミシュリティーが半年ほど前にその主神の座を失ったことにより、スキルを保有する純粋な人間は、スキルの弱体化を経験していた。
地球で言えば、超一流企業の CEO が裏でテロ組織とつながっているどころか洗脳されていたことが明るみに出て、その会社の株が大暴落し、それを保有している者が大損害を被ったというところであろうか。
株価が下がるということはそれを保有している者の資産が減るということなのだから。
「……そんな中、俺に救いの手が差し伸べられた。商人ってのはすごいもんだな。こんな人間全体の苦境も商機と考えるんだから。クラムスキー商会の奴らは失った力の代償として人間の痛覚を取り除き、筋力を爆発的に上げる強化薬を増産するのに協力してくれたら、市場に卸すのとは比べ物にならないくらい高品質の強化薬を提供してくれるって言うんだ。……だから俺は……その手を掴んだ」
「それが……その強化薬とやらを作ってるのがここってわけっすか。爬虫類人族から無理やり搾り取った毒を材料として……」
「ああ、そうだ。街で人間に変化している爬虫類人族を見つければ捕まえてここに運んだし、時には爬虫類人族どもの集落まで攫いに行ったさ。いろいろ工夫もしたんだぜ ? 一度は部下に襲わせた爬虫類人族を俺が助けて、信用させて街にあるアジトの位置を探ったりとかな。この印があれば奴らの信頼を得るのは容易いことだからな」
そう言ってトレイは右手首の刻印を誇らしげに掲げてみせた。
かつてコウがリンを救った時、もう少し遅れていればトレイが突入して彼女を救出し、そして仲間を一網打尽としていたのであろう。
「爬虫類人族が他種族に与える友誼の印をそんな風に悪用するなんて……あんたに友情を感じた爬虫類人族に恥ずかしくないんすか !? 」
「何言ってやがる。なんで俺が蜥蜴野郎に友達にならなきゃならねえんだよ。たまたまポイズンドラゴンとの戦闘に居合わせただけだし、勝手にこの印をつけてきやがったんだ。ま、これを持つ者は毒への耐性が強くなるっていうから、蜥蜴野郎が生臭せえ口を手首につけて印を刻むのを我慢したけどよ」
その時のことを思い出したのか、先ほどとは打って変わって何か汚れでも見るように手首の印を見るトレイ。
勝手なもんすね、とサンドロが心の中で呆れた時、舞台袖から一人の女がこの舞台にふらふらと歩み出る。
牢屋のあるスペースと彼らがいる作業場との間を隔てているカーテンをゆっくりと払いのけて。
「……トレイ部隊長……」
「シャロン……」
いつものインラン・ピンクの髪ではなく、異種族ハーフの茶色い髪、顔立ちは以前のままだが両頬には緑の鱗が白い肌の上に生えている。
そして理性的な灰色の瞳はどこか野性的な金色に。
彼女はその爬虫類人族の瞳でトレイをじっと見つめた。
「けっ ! 長い間よくも俺を騙してくれたな。好い様だぜ ! 」
ボロボロのシャロンにトレイは吐き捨てる。
「……騙すつもりはなかったんですがね。隠しているつもりではありましたが。私こそ騙されましたよ。男気があって、誰にでも気さくで、爬虫類人族とも友誼を結ぶ器の大きい男だと思っていたんですがね。だから私は……私の本当の姿を……あなたに見せて……それから……あなたに……想いを伝えたのに…… ! コウと……リンみたいに……なれると……思ってたのに……」
声は徐々に涙声となっていく。
それは拷問でも泣かなかった女が、この場で初めて流す涙だった。
「何言ってやがる。俺はこの群島で爬虫類人族と知って、その異性と関係をもった人間をたくさん見て来た。そいつらはみんな相手を愛してなんかいやしない。鱗まみれで醜くく、文化も低レベルで、そのうえ生臭せえ爬虫類人族を愛せる自分に酔ってるだけだ。だからそいつらはちょっとでも自分の思い通りに行かなかったり、苦境に陥ると平気で爬虫類人族を捨てちまう。お前らの父親か母親もそうだったろ ? 今頃コウもそうしてるはずだ」
思い当たるところがあったのか、シャロンは俯く。
サンドロも彼が産まれてから母を捨てた人間の父を思い浮かべたが、それよりもひっかかかる言葉があった。
「コウさんも…… ? どういうことっすか !? 」
「数日前、リンを捕らえて王島へ送った。今日のためにな。偽物の御使いの人質とするために」
ニヤリとトレイは口角をいやらしくあげた。
「あんたって人は……どれだけ爬虫類人族を食い物にすれば気が済むんすか !? 」
怒りを溜めに溜めたダムがとうとう決壊した。
サンドロは詠唱を口にしながら、杖を掲げる。
しかしそんな彼らの間に、さらに舞台袖から一人の女が現れ、割って入った。
「なんだお前は ? 」
「私は『勇者』ネリー・アルクイン。因縁があるみたいだから、ここは二人に任せようかと思ったんだけど……どうにも我慢がきかなくなったの。あなたみたいな甲斐性なしの男が女性を泣かせていることにね ! 」
空気が炸裂して、稲妻が迸る。
それは攻撃ではなく、彼女の感情がそのまま表れたものであった。
「『勇者』だと !? おもしろい ! 相手になってやる ! だが俺を甲斐性なし呼ばわりするのは気に入らねえな ! これでも数人の女を囲えるくらいには稼いでるんだぜ !? 」
張り詰めた筋肉をさらに膨張させて、トレイは自らの力を試すには最高の相手の思わぬ登場を歓迎する。
「……経済力なんて関係ないわ。あなたはとても貧しく、ケチな人間よ。他者に捧げる心がこれっぽっちもないんだもの ! あなたが想うのは自分だけ ! 自分さえ良ければいいのよ ! だからシャロンは泣いている ! ここに捕らえられた爬虫類人族は苦悶の声をあげている ! 私はそんな周りの者を助けるどころか苦しめる甲斐性なしの男が大嫌いなの ! 」
ネリーが抜いた剣は、彼女の身体と同じように稲妻を纏う。
そして彼女の背後から、キャス達も舞台へ上がった。
そんな彼らを見て、トレイは圧倒的戦力差からの降伏を選ぶでもなく、再びニヤリと片頬を上げると、小さな瓶を取り出し、呷った。




