やがて神へ至る獣 第2話 領主の娘との謁見
「おい ! 訪問者が来るぞ ! ぼうっとしてるんじゃない ! 」
門番の警備兵の片割れが女神像を見上げている警備兵を叱責する。
「す、すまねえ ! ……だけどよ。なんだかこの女神様の像を見てると……死んだ母ちゃんを思い出して……おかしい話だけどよ。母ちゃんはこんな美人じゃなかったのに……なんでだろ…… ? 」
慌てて正面に向き直った警備兵は、軽く首を振りながら言った。
「……十月の女神ミシュリティー様は俺達人間族を生んだって話だからな。俺達みんなの母親みたいなもんだ。だからその母性みたいなもんを感じたんじゃないのか ? 」
「そうかもな……。最近はミシュリティー様が主神の座から落ちて、恩寵も弱くなって……信仰が揺らいでる奴も多いけど……母ちゃんから貰える小遣いが減ったからって母ちゃんのことを好きじゃなくなるなんて変だよな」
「どんな喩えだ…… ! 信仰がただの家庭問題になるだろ ! 」
全く、と溜息をついた警備兵も改めて女神像を見やる。
城壁まではいかなくとも、堅牢な白い壁に囲まれた領主の館の大きな両開きの門の前に立つ黄金の女神像。
その微笑みは、彼の胸もどこか温かくするものであった。
「領主様の館に如何なる用で参った ? 」
彼の片割れが歩いてきたこの群島出身ではないのが一目でわかる一行に問う。
「私は『勇者』ネリー・アルクイン。領主様に謁見を願いたい」
プラチナブロンドの長い髪を潮風に揺らし、白を基調とした革の鎧を纏った女はまるで天からの遣いのようであった。
「ゆ、勇者様 !? 」
「しょ、少々お待ちください ! 」
警備兵の片割れが、弾かれたように館の中へと走り去る。
少しして、いかにも事務官といった風の中年男性が入れ替わりで走り出て来た。
「お待たせしました。勇者様、どうぞ控えの間へ……」
「ありがとう。……私が勇者である証明はしなくて良いのかしら ? 」
「ええ、お噂は耳に入っておりますので……」
そう言って事務官は恭しく頭を下げて、一行を館へと迎え入れる。
(そう……ここまではいつもスムーズなのよ。「勇者」の肩書で……。問題はこれから……)
ネリーの顔は自然と厳しいものとなる。
今までこの群島のそれぞれの領主は、「勇者」である彼女と会ってはくれた。
だが実際に大陸の人間を救うために軍を出すとなると、途端に渋い顔となるのだ。
大陸と交易関係は有っても、交流はそれほどなく、また大陸の人間も大陸に比べて少しだけ風貌の違うこの群島の人間を少々侮っていたこと、そして遠い大陸での参事が平和なこの群島ではどこか他人事であったことが原因であった。
それでも十月の女神の託宣がこの群島の聖女に下りれば、状況は違っていたかもしれない。
だが半年以上前から、託宣を聞く聖女は誰もいなかった。
「……それでは少々お待ちください」
重たい音がして、ドアが閉められた。
「……涼しい…… ! 」
途端に黒い蛇革の張られた少々この島の気候においては暑苦しいソファーに座ったはずのレイフからそんな声が飛び出る。
「……室温を調整する魔法具だな。他の領主の館にもあったが、こいつはかなりの高機能だな」
キャスは部屋の隅で涼しげな青い光を放つ箱を見やる。
「助かりますね……」
先ほどまで溶けてしまいそうなほどに汗を流していたタオもホッとした顔だ。
「それにしてもあの十月の女神像……。銀色と銅色のも素晴らしい出来だったけど……この領主の館の黄金色のは別格ね……。私も分霊様の声を聞いたことあるけど、お姿までを見ることはなかった。でもきっとあんなお姿をされているのだろうと思わせる何かがあるわ」
ネリーが大きな窓から門の方に顔をむけた。
「あの門番達も像に心を奪われているようだったし……一体誰が作ったんでしょうね」
ドナが小さく首をかしげる。
極彩色を好むこの群島らしい色使いの壁画をなんとなく眺めながら、一行はしばしここに来るまでの脚の疲れを癒す。
不意に、ドタドタと軽いけれども姦しい足音が廊下から聞こえて、大きな音を立ててドアが開いた。
「どなたが勇者様 !? 」
「……私です。ネリー・アルクインと申します。あなたは……」
「私はルチアナ・カタルディ・バルダート、領主の娘です ! ああ、夢みたい ! 本物の勇者様に出会えるなんて…… ! 」
勢いよく飛び込んできた少女は、この亜熱帯の天気に似合うオレンジ色のワンピースを纏い、ヒマワリのように顔を喜びでほころばせた。
「ルチアナ様 ! いきなりあなた自身が部屋に駆け込むなんて……領主様のご息女としての立場というものが……」
次いで至極まっとうなことを言いながら部屋に入ってきたのは、少し変わった鎧を装備した近衛兵と思しき男。
「ああ !? そうねフィリッポ。私ったら、つい興奮してしまって……勇者様、失礼しました。父は今多忙を極めていて、お会いすることはできません。ですが私で良かったら、どのような用件かうかがいます ! 」
少女は行儀よくソファーに腰かけ、その後ろに大きな斧を持った近衛兵が立つ。
「……感謝いたします。それでは早速ですが……『百年戦争』以降、大陸で妖精族に虐げられている同胞を救うために……武力を貸していただきたいのです」
ネリーの率直な懇願に、ルチアナはその黒い瞳を大きく開く。
そして笑った。
その後ろの男は、あからさまに「余計なことを ! 」という顔をする。
「ええ、ええ是非とも ! 私も自ら剣を持って大陸まで随行します ! 私の命令が及ぶ限りの者を連れて行きますし、お父様にも改めて陳情します ! それから義勇兵も募集して島民も…… ! 」
どこか陶酔したようにルチアナは捲し立てる。
その勢いに唖然とする一行を横目にフィリッポが窘めるように言う。
「ルチアナ様…… ! 御使い様は、この群島の人間を……兵を用いることをはっきりと断られたではありませんか。その代わりに軍資金と当家が所有する魔法具や魂石を提供するという話で領主様も納得済みのはずです」
「あの人は……コウは優しいから遠慮しているのよ ! 十月の女神様の威信を回復するため……大陸の人間を救うために、たとえどれだけ犠牲が出ても進軍すべきよ ! 崇高な使命のために…… ! 」
十月の女神とその御使いに命を救われ、長きにわたる病苦とその原因となったモノを処分できた彼女にとって、いつの間にか彼らは盲目的に献身すべき対象へと昇華されていた。
そんなルチアナをネリー達は複雑な思いで見る。
その陶酔しきった瞳は、戦争が佳境に入った時の妖精族の瞳によく似ていたからだ。
(……あの時は純血の光妖精が人間と妖精族との間に生まれたハーフを捨て石にして、その命を四月の女神様に捧げさせよう、と言い出したんだっけ……。ハイラムはそれを必死に抑えて……あれ ? でも今のハイラムはハーフを冷遇してる…… ? )
「……ともかく、軍を出さないとしても私はやっぱり大陸へ行くから ! コウもそれを望んでいるはずよ ! 」
少しだけ昔を思い出していたネリーは少女の大きな声で現実へと引き戻される。
そこには笑顔で彼女を見つめる少女と、これ以上なく恨みがましい顔で彼女を見つめる男の顔があった。




