第三部 やがて神へ至る獣 第1話 レジスタンス
「いい天気ね」
穏やかな海のエメラルドグリーンをその舳先で白く割って、ウッドリッジ群島の五つの島をつなぐ運搬船が行く。
その甲板の重厚な欄干は細身の女の重みをいとも簡単に支えていた。
「……いい天気すぎる」
この群島の民の日焼けした肌よりもさらに黒い肌の上に、黒い毛が服のように生え、その黒髪からはぴょこんと二つのとんがった犬耳が飛び出した女が、息も絶え絶えに返す。
「この前、錬金術師に特注した冷感アイテムはどうしたの ? 」
「……あれはほとんど攻撃アイテムよ。装着者自体への。出力調整がおかしくて、私の身体が凍り付きそうになったから……」
人狼族の女は顔をしかめた。
「ハイラムがいれば……すぐにあなたがこの群島でも快適に過ごせるようなアイテムをつくってくれたでしょうね……」
プラチナブロンドの髪の女は水平線の彼方に目をやりながら、呟いた。
「やめて…… ! あんな男の名を出すのは…… ! 人間族が『百年戦争』に負けてもあなたの兄を助命すると言ってあなたを利用した男の名を…… ! 」
人狼族の女の、レイフの顔はさらに渋いものとなる。
「……そうね」
どこか寂しげなネリーの顔が、さらにレイフの胸を掻きむしった。
彼女がネリーをそんな表情にさせている男に追加の口撃を加えようとした時、後ろから声が聞こえた。
「そろそろ着きそうか ? 」
振り向いた二人の視線の先には、随分と付き合いの深くなった戦士風の男と小さな金髪の少女がいた。
「ええ、もう港もはっきりと見えているわ。……この島の領主は協力してくれるかしら」
ネリーが不安げに言った。
巨大種が航路を塞ぐ前にこの群島に渡航していた彼女達は、既に五つの島の内、四つまでは色よい返事をもらえていなかった。
「きっと大丈夫ですよ ! さっき船員さんに良い話を聞いたんです ! 今向かってる島に十月の女神様の御使いが降臨されたんですって ! その方にお願いすれば、領主様を説得してくれますよ ! 」
土妖精の少女ドナが明るく笑んだ。
「え ? まさか……ということは十月の女神様の封印が解けたの !? あのハイラムの剣に封印されていた女神ミシュリティー様が…… !? 」
ネリーはその灰色の瞳を丸くする。
「でも……ミシュリティー様を解放することは当然彼らにとっては不利になる。あのハイラムがそんな失態を犯すかしら ? 」
「今は少しでも良い方に考えましょうよ ! 希望がなきゃやってられませんよ ! それにもしその御使いが偽物でも……本物として認められているんなら利用しちゃえばいいんですよ ! 」
ドナは逞しく微笑む。
「ふふ、そうね」
ネリーとレイフもつられて笑顔となる。
(強くなったもんだな……)
キャスはそんなドナを横目に、紙巻煙草を取り出すと魔法具で火をつけた。
「あっ ! キャスさん ! 煙草は一日五本までの約束ですよ ! 」
「……これは五本目だ」
「何言ってるんですか ! 船に乗る前に物陰で一本吸ってたのをちゃんと見てましたよ ! 」
「……わかったよ」
キャスは欄干で煙草の火を押し消すと、名残惜しそうに懐に仕舞いこんだ。
(……強くなりすぎだな)
そんなことを思いながら。
土妖精のドナは本来ならば、四月の女神の代理人であるハイラムの勝利を支えた英雄の一人として妖精族による支配構造の中核に迎え入れられるはずであった。
だがハイラムが彼に協力した者をも含めて人間を絶滅させることを前提とした支配を目論んでいることを知った彼女は、あっさりとその座を捨ててレジスタンスに加わることとなった。
その原因となった無骨な顔の男は改めて彼女を見つめた。
(心も逞しくなったし、戦闘も強くなった。だが……それでもこいつは俺が守らなきゃな。それが俺の責任だ)
やがて船は大きな桟橋にゆっくりと着岸した。
「私、タオさんとサラを呼んできますね ! 」
ドナは元気よく船内へと駆けていく。
「……ダメね。一番年下のあの子に励まされているようじゃ……『勇者』失格よ。頑張らなきゃ ! 」
「そうね…… ! 」
まるで白と黒の対のような色合いの二人は顔を見合わせて笑った。
幼い頃のように。
(……あの「百年戦争」はただただ悪魔の策略を受けた人間族の支配を壊しただけじゃない……。色々と紡がれたものもある)
キャスはドナが船内に入ったのをしっかりと見届けてから、再び懐から煙草を出し咥えた。
(ハイラム……お前だって俺達と友誼を結び……妖精族以外の女達とも想いを交わしたはずだ……。なのにどうしてお前は……)
ゆっくりと吐き出した紫煙の向こうに、現在、人間はもちろん妖精族以外の種族とも疎遠になった光妖精の姿を思い浮かべるキャス。
その記憶が偽りのものであると、彼はまだ知らない。
だが女神の恩寵である「直感」によって、レイフは今から上陸する島に何か感じ取ったようだ。
「……どうかした ? 」
「感じたの…… ! 」
「『直感』が発動したのね。良いこと、それとも…… 」
「……微妙ね。こんなの初めて。私にとってはあまり良くない、でもみんなにとっては良いことがある気がする……。どういうことかしら ? 」
レイフは首をかしげた。
「……そうだな。協力者を得ることができるが……そいつがレイフに一目惚れして言い寄ってくるとか ? 」
煙草を吸い終えたキャスが面白そうに言う。
その言葉にネリーは苦笑するが、レイフは逆に眉間に皺を寄せる。
そして一行は、島に上陸した。
「おっとと……」
揺れない安定した桟橋の上であるはずなのに、波の揺れに慣れた身体はしばらく不安定となる。
「大丈夫ですか ? タオさん」
ドナが心配そうに声をかけた。
「ええ、私は大丈夫ですよ。サラちゃんの具合が良くないのに私が倒れるわけにはいきませんからね」
この亜熱帯の気候にまるで向いていない体形の男は、無理に笑ってみせる。
大陸からこの群島までの長い船旅、そしてここでは植生がまるで違うことから、栄養源である良質な花蜜が入手しづらく、妖精のサラは体長不良に陥り、タオのローブのフードに仕込まれた妖精用の居住空間に籠り勝ちになっており、彼もその心配による心労がたたってか、あまり調子が良くなかった。
そして一行はまず拠点となる宿を確保し、余計な荷物を置いて、早速領主の館に向かう。
日に焼けた肌を持つこの群島出身者とは違う大陸生まれ、さらに人狼族や土妖精までいるパーティーを物珍しげに見る視線は他の島と変わらない。
「あれ……女神像か ? 」
恐らく商会のお偉いさんの家であろう豪邸の前に 1 メートルほどの女神像が銀色に輝いていた。
「すごい……まるで生きてるみたい……」
ネリーはその造形の素晴らしさに溜息をもらす。
石像に銀箔を張り付けたであろうその像の容貌は勇ましく、今にも突撃しだしそうに剣を右手に掲げていた。
「あ、あそこにもありますよ ! 」
いかにも貴族が住んでそうな豪奢な邸宅の門の前には銅色で盾を左手に抱えて、悲痛な顔の女神像。
それらは領主の館が近くなるにつれて、即ち地位の高い者が住まう場所になるほど、多くなっていく。
「……戦意高揚の……ためですかね……」
津波がこない高台にある領主の屋敷への道のりはなかなかにしんどく、タオは既に息を切らせていた。
「もしそうなら、この島はかなり期待できるわ。十月の女神様への信仰が篤ければ篤いほど、大陸の惨状を許してはおけないでしょうから……レジスタンスに援軍を出してくれるかも…… ! 」
ネリーは力を込めて呟いた。
そして一行を領主の館の門前で出迎えたのは黄金に輝く 2 メートルほどの女神像。
彼女は小麦を一束、赤子のように抱え、全てを包み込むような優しげな微笑みを浮かべていた。




