異世界無人島生活 第60話 第七章エピローグ
密林の中、朝日がさす前にその気配を察した鳥どもが可愛くもない太い鬨の声を上げ始めた。
それによって夢の中から意識を強引に引き戻された者もいたが、眠る必要のない魔法人形にはもとより関係のない話だ。
彼女は自分の天蓋の中で上半身を起こすと、コウの体温が移って温くなった自らの身体をそっと抱きしめて、やかましい鳥どもの声にもかかわらず、隣でまだ軽い寝息を立てている男を見やる。
やがて天蓋の防水布ごしにさしこみ始めた白い陽光が男の身体を照らし始めた。
そこに刻まれた多くの傷も。
「……なるほど。そういうことね……」
誰に聞かせるでもなく独り言ちたソフィアは、その一つ一つじっくりと観察していく。
「この肩の噛み痕は……サイズからして人狼……。この爪痕は……竜人。……この雷に撃たれた痕みたいなのは……まさかね……こんな場所につけてるし……」
コウが創り出す回復薬の効果を考えれば、本来傷痕など残るはずもない。
それがこのように痕跡を残しているのは、それが凄まじい情念とともに刻まれたからだ。
そんな傷は回復できても痕を消せない。
どうしてかそれがこの世界の理であった。
そしてその傷痕をつけた者の、その女達の目論みを彼女は今、まさしく体感していた。
「……コウを独り占めすることはできない……ってところね。それに……」
ソフィアはゆっくりと上を向いた。
別に天蓋の天井を見ようと思ったわけではない。
そのはるか上、見ることもできない魂が昇っていく天上を思ったのだ。
「……私にもできるだろうか……。魂の無い魔法人形の私が……」
人間ソフィアの記憶を転写した魂石が彼女の自我である。
そんな仮初のものが、それだけの強い想いをもって傷痕を穿つことができるのであろうか。
この傷痕たちはコウの意思とは関係なく、それができない者への拒絶を示していた。
「私が……人間ソフィアのままだったら……」
そう呟いてから、彼女をそっと頭を横にふる。
たった今、口にしたことを否定するように。
それは彼女が何十回、何百回と自問自答して、いつも同じ答えに辿り着くものだったから。
「ちがう……そうじゃない……。人間のソフィアのままでもない……。エミリオに作られた魔法人形のままでもない……。私は……今の私だから……コウを想ってるんだ……」
意を決したように彼女はもう一度、男を見つめて、それから脱ぎ捨てた黒い革製のワンピースを手繰り寄せる。
そしてそこに仕込まれた簡易的なアイテムボックスから回復薬の瓶を取り出した。
それは段々と明るくなっていく陽光を受けて瓶の中の小さな青い水面をキラキラと輝かせている。
「ん……」
不意にコウが太陽に背を向けるように仰向けから横に体勢を変えた。
眩しさから逃げて、もう少し夢のまどろみを享受したかったのであろう。
「……ちょうどいいね」
ソフィアは横たわるコウの背中を見て、それに寄り添うように身を倒し、後ろから彼をそっと抱きしめた。
そして首に回した片手をコウの口に当てがい、これから彼があげるであろう大声が外に漏れないようにする。
もう一方の手で瓶の蓋を開けて、これで準備は整った。
ソフィアはコウの背中の肩あたりに口を寄せる。
次の瞬間、くぐもった悲鳴が天蓋内に響く。
そして流れ出た熱い赤色を冷たい青色がさらに流れ落し、その下の肌を再び露出させた。
ソフィアはしばしそれを眺め、やがて真紅となった唇の両端をゆっくりとあげる。
「よかった……。私の……今の私の想いは……本当だった……本物だった…… ! 」
心地よい眠りから背中を噛みちぎられるという凄まじい目覚ましによって起こされた男は涙目でソフィアを睨むが、怒ってはいなかった。
それは複数の女を本気で愛してしまった男と、そんな男に本気で応えてしまった女達から彼が受けなくてはならない報いの一つであったからだ。
自らの光の下でそんな狂気的なことが行われているとは微塵も知らない太陽が上っていき、天蓋の中も明るくなっていく。
そして二人は再び重なっていった。




