異世界無人島生活 第42話 熟しすぎた女達
地面の凹凸は全て氷に覆われて平面となり、そこからいかにも南国産の木や草花が場違いに生えていた。
そしてその中を震えながら歩くいかにも南国生まれの二人と、大陸生まれの一人。
全てがちぐはぐでおかしな光景だった。
肩を組んで歩く南国生まれの二人の内、片方が盛大にくしゃみをした。
「うわ !? くしゃみをするなら、こっちを向かないでくださいよ ! 至近距離から鼻水や唾液……色々飛んできたじゃないすか ! 」
「うるせえ ! 文句あるなら一人で歩け ! 」
魔素をほとんど使い切り、立つだけでもやっとのサンドロに肩を貸していたフィリッポは、当然の抗議に対して今現在の彼の優位性を全面に出すことでそれを封じ込めようと試み、そしてそれをさらに確定的なものとするため続けて言う。
「だいたいお前の魔法のせいで、こんなに寒い思いをしてるんじゃねえか ! 」
「何言ってるんすか ! 確かにこの魔法のせいでフィリッポさんの『戦闘狂』の演技を見てる時並みに寒い思いをしてますけど、これを使わなかったらやられてかもしれないんすよ ! 」
「なんだと !? 」
肩を組み、つるつるの氷面をそろそろと歩きながら喧嘩を始める二人。
「静かにしろ…… ! 」
二人の先を行くロレットの制止も、少々遅かったようで、今夜幾度聞いたかわからない大きな羽の音がバサバサと空から近づいてくる。
爬虫類タイプのモンスターはこの群島において自然には存在したことのない氷がどうも苦手なようで、遭遇しても木の上で警戒するだけで襲っては来なかったが、空中を自在に行くジャイアントバットにはそれほど影響がないようだ。
「……昇天斬」
魂が生み出した魔素が運動エネルギーへと変換され、ロレットの脚はそれによって氷を軽やかに蹴り、宙を舞う。
その舞い上がる力に加えて「切断力」へと変換された魔素を帯びた剣によって音も無く二つに切り裂かれた蝙蝠の化け物が落ちていく。
その両断された死骸を尻目に、もう少しだけ上昇したロレットはやがて重力とつり合い、一瞬だけ空中で静止して、下りてくる。
細身の身体、女性と見紛うばかりの容貌、まるで踊り子のように、舞踊を舞っているかのように嫋やかに。
「……よく滑らずに『スキル』を使えるっすね」
感心したようにサンドロが言った。
「フッ……。氷の上で動くのにはコツがあるんだ。ヒステリックな女とベッドを共にするように、慎重に慎重に……そして時には大胆に踏み込むんだ…… ! フィリッポみたいなガサツな男には難しいだろうがな」
剣を一閃して、纏わせた血を振り払い、ロレットはニヤリと笑う。
「何を気取ってやがるんだ ! どうせ大陸で雪中の戦闘に慣れてただけだろうが ! 」
怒鳴るフィリッポを無視して、ロレットは再び前を向く。
「フィリッポさん ! とにかく行きましょう。もう少しで氷もなくなりますし、早くベースキャンプに戻ってあの腐肉のドラゴンの対策を立てないと ! あいつがベースキャンプを襲ったらルチアナ様も危険に晒されるんすよ ? 」
「確かにそうだ ! 早く行くぞ ! ルチアナ様をお護りせねば ! 」
先ほどまで対峙していた腐竜のことを思い出し、フィリッポは足を速めた。
「……見つけた腕と脚もあの化け物にやられたんだろうな」
ロレットが誰に言うでもなく、呟いた。
「ええ、腕は恐らく『魔法使い』の女の子で、脚は『剣士』か『戦士』の男っすね。戻ってきてない『鈍色の槍』と『金鱗の人魚』のどっちかのメンバーっすね」
「そうか……」
大陸から流れてきた冒険者のロレットはこの群島の若い冒険者を思って、少しだけ深く溜息をついた。
三人がしばらく無言で進むと、ようやく氷から地面へと変わる境目に辿り着く。
彼らが倒してきたジャイアントバットの死骸が『ヘンゼルとグレーテル』において落としてきたパン屑のように帰り道が正しいことを示していた。
そして童話では鳥についばまれてしまっていたパン屑であったが、三人の視線の先のジャイアントバットも、果たして何者かに食らいつかれている。
「……静かに。食事に夢中でこっちにはまだ気づいてないみたいっす。もう俺達も限界っすから、このままそっと通り過ぎるっす……」
サンドロが小声で言った。
「おいロレット。お前、熟女もいけるんだろ ? なんとかしろ」
慣れない氷の行軍が終わったからか、精神的余裕を取り戻したフィリッポが揶揄うようにロレットを見た。
「……物を知らんお前に教えてやる。熟女の魅力ってのはな、瑞々しい葡萄が醸造されて芳醇なワインになるように、熟成されて醸し出されるものだ。あれはもう……腐ってるだろうが…… ! 」
顔を盛大に顰めるロレット。
「……さっきのドラゴンもそうっすけど……この群島にアンデッドが出現するなんて珍しいっすね……。嫌な予感がするっす」
二体のジャイアントバットの死骸に貪りつく二体のゾンビ。
彼女達がそれを食い尽くして、別の獲物に興味が向く前にこの場を去らねばならなかった。
サンドロほどではなくとも、フィリッポとロレットも先ほどの腐竜との戦闘で魔素を盛大に消費していた。
負傷は回復薬で治療することができても、「スキル」の発動に必要不可欠な魔素は十分な休息をとらないと回復しない。
(「剣技スキル」を発動できるのは……あと二回ってとこか。フィリッポも似たようなもんだろう。さっきのアンデッドのドラゴンとの戦闘でわかったが、アンデッドってのは耐久力が高い。ここは不意打ちに賭けるよりも、確実に回避して……)
などとロレットが少しばかり思考を巡らした時、それは来た。
フィリッポのやかましい声が耳に届いた瞬間、ロレットは振り向きざまに剣を振る。
空気だけを切り裂く手応えと引き換えに鋭い痛みが剣を握っていない左腕に走った。
この暑い島では鎧も通気性を重視したものとなる。
戦闘中に熱中症にでもなればいくら防御力が高い鎧を纏っていても意味がないからだ。
ロレットも前腕部分は青い籠手を装備していたが、肘より上の二の腕は無防備で、ちょうどそこから溢れるように血が流れだしていた。
ブン。
後ろから投じられた手斧が再び飛び掛かろうとしていた襲撃者の体勢を崩す。
その隙に発動された「剣術スキル」によってロレットは一条の槍と化し、そいつを突く。
ひらり、と音がしたかのように華麗に黒い身体をひねってそれを難なく躱した襲撃者は後ろに音も立てずに飛んで、距離をとった。
それは3 メートルを超える巨大な猫科のモンスター。
「ブラックジャガー」だった。
さらに最悪が、むくりと起き上がった。
今までジャイアントバットの死骸に覆いかぶさるように食らいついていた二体のゾンビが立ち上がったのだ。
そしてゆっくりと歩み始める。
ロレットに向かって。
その長い銀髪はところどころ抜け落ち、灰色に腐った頭皮を隠し切れず、眼窩は黒い穴だけ。
柔らかい唇はなく、赤い血で彩られた歯が直に見えていた。
身体は全体的に灰色で、所々赤く、骨が露出している箇所もある。
纏っているボロ布がかつてワンピースであったと推測できることだけが、彼女達が女性である証だった。
「……音に反応した ? それとも新鮮な血の臭いに…… ? 」
フィリッポの肩の支えを失ったサンドロはペタリと地面に座り込みながら呟く間に、ご腐人達は、両腕を振り子のように前後に激しく振りながら、走り出した。
フィリッポは、しばらく杖のように使っていた巨大な斧をようやく本来の用途に使用する。
うなりをあげて振るわれた斧が、動く腐乱死体を吹き飛ばした。
「クソッ ! 」
上半身と下半身を両断するつもりで放った一撃は、ゾンビ達を数メートル吹き飛ばし、転倒させるという戦果をあげた。
(……せっかくさっきのアンデッドドラゴンから逃げきったと思ったのに……。ここから逃げきる方法は……もし奴らが新鮮な血の臭いにより強く反応するなら……)
ロレットは座り込んで動けないサンドロを思い浮かべた。
(……利用される奴が間抜けなんだ……いくら困ってる奴を助けたって……逆に自分達が窮地に陥ってる時に救ってくれる奴なんて……いやしないんだ……)
焼けるように熱い左腕と対照的に冷えていく身体、そして朦朧とする頭でブラックジャガーと対峙するロレット。
ふと、まだ一時間も経っていない腐竜との戦闘の一場面を思い出す。
動けない自分を救おうと必死で走るフィリッポの間抜けな顔だ。
(クソ……ここで自分だけ逃げたら、あのバカ以下の存在になっちまう……そんなことは許されん……考えろ……ここから全員無事で切り抜けられる方法を……)
軽く頭を振ると、それに伴って兜から放たれている明かりも揺れた。
(……そう言えば……この兜をくれた「錬金術師」が……注意するように言ってたな……そうだ…… ! )
「おいフィリッポ……」
「なんだ !? 」
「『斧術スキル』はまだ発動できるか…… ? 」
「ああ ! あと一回くらいはな ! それで打ち止めだ ! 」
「そうか……じゃあ、その一回で……もう一度ゾンビどもを吹き飛ばしてくれ……」
「あ !? なんでお前の指示を受けなきゃならねえんだ !? 」
「……考えがあるんだ……頼む…… ! 」
「クソ ! 何を素直に頭を下げてんだ ! わかったよ ! だが上手くいかなかったら承知しねえからな ! 」
用心深く様子を窺ってくれているブラックジャガーとは裏腹に理性など一かけらもない様子のゾンビ達は、のろりと起き上がると再び大きく腕を振りながら走り出す。
そしてまるで先ほどの再現VTRでも見ているかのように、同じようにフィリッポに吹き飛ばされた。
違ったのは、そのすぐ後、真っ暗闇となったことだ。
「うおっ !? なんだ !? 」
この場において唯一の光源であったロレットの兜に備え付けられた照明が消えたのだ。
しかしブラックジャガーにその帳は、さして影響はない。
明かりが無くなった瞬間、猫科特有の縦長の大きな瞳孔が満月のように丸くなり、星の光を存分に取り込んで、獲物の姿を変わりなく捕らえ、そしてこれを逆に好機として音も無く飛び掛かる。
三人には元から黒い毛皮の化け物が闇に紛れて、まるで見えてなかった。
大型ナイフに等しい長さの四本の爪を生やした前脚が目を閉じて立つロレットの頭を吹き飛ばそうと動き出し、到達するまで一秒にも満たない瞬間、ロレットの心の中にあったのは謝罪だった。
(すまない……きっとお前は猫好きなんだろうな。もしかしたらこんな化け猫も可愛いと思うのかもしれない。だからあんなことまで知っていて……そうならないために注意したんだろう ? だが……今はそうさせてもらう…… ! )
暗闇が消えた。
昼間の太陽をこえた、稲妻の如き閃光だった。
そして絶叫。
人間のものではない。
転げまわる巨大な獣のだ。
「うおおぉぉぉぉぉおおおおお ! ! ! ! 」
ロレットは最後の力を振り絞って、剣を苦悶するそいつの腹に突き立てた。
「な、何が起こったんすか !? 」
「目、目がぁ !? 見えねえ !? 」
周囲は再び暗闇に覆われていた。
「……猫ってのは人間以上に夜目が効く。夜、そんな猫にこの兜の照明機能を最大にして照らしたら目を傷つける可能性があるから注意しろって言われてたんだ……。猫好きの『錬金術師』にな……」
そう言って、ロレットは倒れた。
兜の照明を最大以上に機能させ、それからブラックジャガーに突き刺した剣に纏わせた魔素で、全てを使い切ったのだ。
そして、そんな目くらましには一切動じない、すでに目が機能していないゾンビだけが動いていた。
腹から大量の血を流すブラックジャガーに向かって。
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