第5話 「やり直し」
漣家の居候になったテツはタリウムと名乗る金属人間の襲撃を受けたが、これを撃破。一方後悔に沈む辿子は協会のある人に懺悔をすることになったが…
タリウムと名乗る男がテツの手で殺される、10分ほど前の話。
街灯の明かりに群がる小さな虫が確認された。5月であり虫の季節とは言い難いが、確かに虫の姿がある。閑静な住宅街の一軒、漣家から10メートルほど離れた、T字路の街灯の下。
二人の男が夜の暗闇を照らし出す街灯の下で、なにやら話をしている。少しだけ耳を傾けてみよう。
「そろそろかな。じゃ、行ってくるぜ」
「用心しろよ。まだ生まれたてで力を操れないとはいえ、それでも金属人間なんだ」
「わかってるよ」
軽い口調の男が口に咥えていた煙草をぷっと吐き出し、路面に落ちた煙草を足でもみ消した。
たったこれだけの短い会話が終わった途端、一人が漣家の庭にふわりと飛び込んだ。
残された男は黒いコートを深く羽織りこみ、ポケットからタバコ一箱を取り出すと、一本の煙草を口に咥えた。
「あれ、ライター何処にやったかな…」
男がポケットをまさぐる前に、街灯の明かりの外、暗がりからふらりと現れた一人の男がライターの炎を差し出した。彼は裾を余らせた衣服を捲くり、浅い青色のジーンズを履いていた。
「おお…何だ、お前か。悪いな」
黒コートの男は差し出された炎に自ら首を近づけた。
煙草の先がじりじりと焼かれている。
黒コートの男はこのライターを差し出した、背の高く、顔、体のやせ細り、釣りあがった目の男に見覚えがあった。
「生きてたんだな。向こうの連中に仕留められたって聞いたぜ」
「へへ…何とか逃げおおせてきましたよ」
「まぁ何よりさ」
下衆た笑みを浮かべる男に、黒コートの男は微かに不快感を覚えた。もともとこういう顔をする奴だったが、今日は露骨過ぎる。そう思ったのだ。
そんな気持ちを知らずか、痩せた男は一歩、黒コートの男ににじり寄った。
「ところで…旦那。今旦那と一緒にいらっしゃったのが…」
「ああ、タリウムだよ。あの野郎は手柄を焦り過ぎるな」
「まったく…」
黒コートの男は嘲る様な笑い声をあげた。その笑い声を聞いたら、心の極小な痩せた男は、かつてはむきになって反論してきたものだったが、彼は下衆た笑みを崩さなかった。
「へ、言うようになったな。以前はタリウムに頭が上がらなかったじゃねえか」
「……」
「…お前、何か変だな。背が高すぎる…」
記憶の中の彼との食い違いに、黒コートの男が表情を消した。そして次に浮かんだ表情が…
「お、お前は…炭素…」
ぽろり、と黒コートの男の口から煙草が零れ落ちる。
瞬時、彼の腕が黒コートの男の胸を貫いていた。
うねうねと伸びた腕の先が鋭敏に尖り、瞬く間に黒コートの男の息の根を止めた。
その瞬間、黒コートの男の咥えていた煙草が地面に跳ねた。
「もうちょっと情報を聞きだせりゃよかったんだけどな…さて」
声が一転、柔らかで良く通るものになったかと思うと痩せた男の顔が一度、強烈に膨らんだ。ボール状になった顔がしぼんでいくにつれ、この痩せた男の顔はまったくの別人へと変貌していった。
「あいつなら心配ないが…ま、見ておくか」
変貌を遂げた男の顔は、須見という男そのものだった。
Feマン 第5話 「やり直し」
同時刻、草木も眠る夜の時間。
ある教会の部屋の中、一室の真ん中を木製のベニヤ板で間じきられている。その壁に向かうように古ぼけた机と椅子が備え付けられている。その机の真ん中に一つのベルが置かれている。壁には丁度辿子が腰掛けたときの目線の高さぐらいに30cm×30cm程度の正方形の隙間が開いていて、その隙間はくすんだ色の赤い布かカーテンのようなもので仕切られ、向こう側の様子は知ることが出来ない。
「さぁ、楽にして」
その赤い布の向こう側から、低い男性の声が聞こえてくる。
修道女の服に身を包んだ辿子がその両手を硬く閉じ、膝の上に乗せて椅子に腰掛けていた。幽かに唇も震えている。辿子の後ろに、修道女の衣装にシスター帽を被ったコバルが腕を組んでその様子を見守っている。辿子の背中に注ぐ視線はどこか物憂げであり、また悲しげでもある。
赤いカーテンに遮られた向こう側に、かすかに浮かぶ人影から発せられる声は深く沈むが暖かい。
「迷える子羊…という言い方は良くないな。すまない」
「い、いえ」
「はは…さぁ、君の悩みは…」
「……」
声を出さなければという意識が口を開くが、辿子の声は空気を震わさなかった。沈黙が場を包み込む。
「ゆっくりで構わない。少しずつ、少しずつ…」
向こう側の人影は少しもたじろいでいない。
辿子は優しく、柔らかな物言いに警戒心が薄れていくのを感じた。
「……わたし、おさななじみを、ころしました」
核心を突いた答え。
「ああ、聞いている。それから?」
「…………それだけです」
指先が熱くなる。それと反比例して心は冷えていく。
辿子は今の言葉で精一杯だった。頭の中に浮かぶ轍の姿と自分の存在を照らし合わせて、感情が暴れようとすることを収める事が彼女の限界だった。
「きみはその罪…どうするつもりだい?」
「えっ……」
「償うのか?それとも抱えるのか?置いておくのか?」
「償いたい…です」
落ち着かない頭の中、辿子の導き出した答えに赤カーテンの向こう側の男はこう答えた。
「償うというのなら、私はとても良い方法を知っている。君の心に正しい道を、光を照らす方法だ。君がもし私の言うことを信じ、その方法を実践してくれるというのなら」
そこまで一息に語り、彼は一つ息を吐いた。
「君の目前に置かれた『ベル』があるだろう?」
女神を象った木製の取っ手の先に、鈍く金色に輝く金属製のベルがついている。
「ベル…はい、あります」
「『ベル』、それを続けて2回鳴らして欲しい。私を信用してくれなければそれでもいい。そのときはベルを一回鳴らしてしばらく待ちなさい。選ぶのは君だ」
辿子は体が動かないと実感した。
見守るコバルの眉間に皺が寄る。
「神は、行動を良しとする。それは世界が証明している。君の心を支配するのは君だ。幼馴染の死に報いることを君が君自身に強いることが出来るか?神は見守っている」
男の声が辿子の躊躇いを少しだけ退けた。辿子の指が伸びる。
震える指先で掴み取ったものは、女神を象ったベルの取っ手。
チリーン
ピカピカに磨かれたベルの音が静かに鳴り響く。一度。
チリーン
赤カーテンの向こう側、聖書を携えた深遠の黒色の服に体を包んだ男の口元が歪んだ。
「決断はかくも美しい」
気配は確実に近づいてくる。
階段からひょっこり顔を出した須見の姿に、テツは全身から漲らせていた殺気を消した。
「須見」
「よっ、テツ。なんだ、ライオンでも居るのかと思ったよ。あっはっは」
明るく笑った須見の笑顔に、テツは警戒心を解かぬままだった。須見は壊れた人形のように壁に背中をついたままのタリウムに近づき、しゃがみこんでその顔を覗いた。
テツは須見の姿をよく見た。
「…下に居たのは須見か?」
「下に居たのは、まぁ俺だろうな。何人だ?」
視線を変えぬままの須見の声にテツが答える。
「一人…須見ならばいい」
「そっか。あれ、陽子さん達は?」
「ベランダからカガクの部屋へ逃げた。まだそこに居るはずだ」
須見が足をカガクの部屋の方向へ進めようとしたのをテツの声が止める。
「こいつは何だ?あなたはこの人が来ることを知っていたのではないか?」
振り向いた須見はにかりと笑った。
「馬鹿言えよ、お前がここに来たのは陽子さんが呼んだからだろ?」
「そうだ」
「ならいいじゃないか。ほら、さっさと着いて来い」
(…心音が聞こえない。振動は伝わるんだが…)
テツは須見の心音を探ろうとしていたが、それは聞こえない。テツは振り返って、うな垂れたような格好のタリウムの心音が微かも聞こえないことを確認した後、須見の後を追った。
窓は開いたまま外気を通して、カーテンを揺らす。
「陽子さん、須見です。開けますよ」
言い置いてからカガクの部屋の戸を須見が静かに開ける。微かに金属の軋む音を立て、木製の褐色の扉が開く。
「須見君、テツ君は…」
「ここにいますよ。ほら」
部屋の明かりが照らし出すものは、陽子の無事な姿だった。
「よかった、須見君だったのね」
「怖がらせちゃって、すみませんでした。カガクは…」
「心配ないわ。気を失っているだけよ」
テツが遅れて室内に足を踏み入れる。普段からそうなのか、こざっぱりとして綺麗な部屋のベッドにカガクが横たわっている。陽子は心配ないと言ったが、顔色は青白く傍目からも悪く見える。
「これ、お前がやったんじゃないだろうな」
「ああ…止めをさすのに邪魔だったから突き飛ばしたな」
「お前なぁ…」
「須見君、いいのよ。でも、テツ君。これから家族になるんだから、もう少し大切にしてあげて欲しいの」
テツの目線は陽子の真っ直ぐな瞳から外れ、もう一度カガクの寝顔に注がれていた。その顔に後悔も不安も、気遣いも無い。ただそれ以外の表情も見えない。
「今、襲撃をかけてきた男は始末した。もう心配はない」
「そう……」
「でもな、テツ。お前はもうここに居ちゃ駄目だ」
須見を見たテツ。
「言いにくいんだが、お前はここに居ると迷惑がかかるんだ」
須見は真顔でそう言った。テツもその言葉をすぐに理解した。
「俺が狙われることで漣家に迷惑がかかるということだな」
「そうだ」
「そうか。それならば仕方ない」
「私としては、居てくれても全然構わないんだけど…」
「陽子さん。カガクもそうですけど、あなただって心配なんすよ」
「今更心配しても仕方ないでしょう?カガクも無事だったわけだし、テツ君ぐらいのボディガードが居てくれたほうがねぇ。今の世の中怖い人も一杯居るわけだから、女二人じゃ何かと不安で、カガク一人で留守番させるのも最近不安で不安で」
「な、長いっす…」
「…ならば俺が居たほうが良いのか?」
「ええ。出来ることなら君に家族になってほしい」
「え〜……なんか、でも、いいのかなぁ。なぁ、テツ」
「……もしものときは、須見がどうにかしてくれないのか」
「俺かよ!?…しょうがないな、責任持てませんよ」
「ええ、ありがとう」
常軌を逸した会話だと考える人も居るのではないか。
彼らの、須見と陽子の考えが明らかになるのはもう少し後の話である。
「ところでお前が戦ったタリウムって奴、他に何か言ってたか?」
「…俺のような人間を増やしたいらしい」
須見はしばらく思案顔で、黙り込んでいた。
「止めを刺したのか?」
「ああ…この、鳩尾を殴った」
テツは自らの胸元に拳を当てた。
「よし、そんじゃもう一度確認に行くから、お前もついて来い。じゃ、陽子さん。片付けてきます」
「お願いね…」
テツは一瞬、陽子の目が陰ったのを見逃さなかった。
部屋を後にする須見に腕を引かれ、テツも後に従わざるを得なかったが、テツは彼女に問いかけてみたかった。
何故そんな目をするのか?
先刻確かに二人はタリウムの死体を確認している。
しかし再び見たその部屋にタリウムのそれは存在していなかった。
「いないぞ」
「?いや、居た。血の跡は残っている」
テツの指差した先には、タリウムのものであろう吐血の跡が残っていた。
「お、本当だ。殺し損ねたんで逃げたのか?そうでなけりゃ、誰かが死体を持ち去ったのか…」
「この近くには居ないようだが…もう自信は無い」
「随分と弱気だな」
「俺は来たのが須見だと思ったからな」
テツはそういいながら、タリウムの侵入してきた窓の外を眺めた。家に挟まれた暗闇の路地が街灯の明かりに浮かび上がっている。
特別彼が感じるものは無く、何の気配も無い。
「とりあえずしょうがないからさ、今からちょっと博士のところまで行ってくれねぇか?」
「報告ということか」
「そ。今あったことをそのまま話してくれりゃあいいからさ」
「わかった」
「あ、おい!ちゃんと玄関から…」
テツは窓枠に足をかけると、一跳びで路地に飛び降りた。靴も履いていない。
体感として震度2ぐらいの揺れが須見の居る場所まで響いた。
テツは振り返り見上げ、須見に声をかけた。
「じゃあ、行ってくる」
「おまえなぁ」
須見のあきれ声が頭上から飛んできたが、テツは気にする様子も無く暗闇の道を走っていった。
「……やっぱり自我が残ってるのか?聞いてたより人間臭いな」
須見が呟いた。
漣博士の研究所にテツが訪れたとき、迎え入れた30代ほどの取り立てて特徴の無い男が、テツを漣博士の部屋まで導いた。
扉が開いた瞬間、テツは傍若無人にずかずかと部屋内に飛び込んだ。
「漣博士」
「どうした。無駄な用ではないのだろうな」
「無駄かどうか判断するのはあなただ」
「ふん」
須見に言われたまま、テツは起こったことをそのままそっくり話していた。
タリウムが部屋に侵入したところまで話したとき、テツはある種の違った質問を博士にぶつけた。
「博士。金属人間とは俺のようなもののことか?」
いいながらテツは博士の黒々とした目を真っ直ぐに見た。
「そうだ。肉体を金属に変化することや体内に蓄積しておいた金属を自らの意思において操ることも出来る」
「何故そんなことが出来る」
「不思議がることは無い。ほんの少し生物として特別なだけだ」
博士はしわだらけの手を握り、目を伏せた。
「金属人間は人間の一種だ。…少なくとも私はそう思う」
「人間というにはあまりに化け物じみていないか?タリウムという男が何も握っていない手のひらから金属片を出したように。俺がそいつを素手で殴り殺したように…」
握って見せたテツの拳は、外見は人のそれとまるで変わらないが、素肌の裏には人間ぐらい破壊しうるものが詰まっている。
「常識外れとは言えるな。ただしそれは世間一般の話だ」
テツが目を丸くしたのを、博士は顔を上げてちらと見た。
「金属人間というのは、闘争の歴史だ。人間に操られてきた金属人間は見世物として、労働用具として。良い様に使われるうち、金属人間は知識を持ち始めた」
「知識?」
「人間が自分たちより劣っているという事実を肯定したことだ。そして子飼いにされていた彼らは人間に反抗した」
ふぅ、と一息吐いた博士が二の句を継いだ。
「金属人間が長生きするためには自らの存在を自覚し、そのように振舞うことだ。人間と争っても勝ち目は無い」
「何故そんな人間の敵が生まれた?」
「言う気になれん」
「…仕方ないな」
テツの表情は変わらないが、納得していないことはわかる。ただ彼はこれ以上の追及に意味が無いことを悟っていた。
「…そうだ、あなたの孫、カガクが気を失っている」
「何?」
「命に別状は無いようだが。明日病院に連れて行くらしい」
なにやら口中をもごもごとさせた博士が一つうなずいて、それからもう一つうなずいた。
「うむ…そうか。もういい、しばらくは陽子たちと生活してもらう。いいな」
「わかった…それから」
「どうした」
「須見、彼も金属人間なのか?」
「…そうだ」
カガクのぼんやりした視界がようやくに戻ってきたのは、日が顔を出してから2時間も後の事である。
「はっ」
「気がついた?」
目を開いたカガクの前髪が汗でおでこに張り付いている。
上半身を起こしたカガクのおでこから、水で湿った布巾が落ちた。
「ここは、家?」
「は〜い、何本に見える?」
カガクは急に眼前に突き出された指にぎょっと気おされたが、
「……さ、3本」
「正解。うん、大丈夫そうね」
傍らに座っていた陽子は笑って、掛け布団の上に落ちた濡れ布巾を手に取った。
それを心あらずに見届けていたカガクの頭がだんだん冷えてくる。陽子ののほほんとした顔もくっきりと見えてくる。
同時に鮮明に蘇る、昨夜の記憶。
「そうだ、あいつ…あいつは!?私、昨日…?なんか、変な男に」
「落ち着いて、カガク。その人ならテツ君が倒してくれたから」
「テツ……!そうだ、あいつ…」
カガクの脳裏によみがえる映像の、そのテツは氷のような瞳に能面のように感情の無い顔が色の無い熱の無い声でカガク自身に呼びかけている姿だった。
そのことを思うと背中に湿った感覚が際立つ。
今ではカガクの頭にはっきり残っている。
『あなたが俺にとって何か価値があるのなら』
真っ白な顔から放たれたその言葉の熱の篭らなさが。
「あいつ、その…滅茶苦茶怖い。とにかく怖いの」
「何かあったの?」
一連のカガクの説明は寝起きのためか的を射ないことが多かったが、彼女の伝えたい真意は伝わったようだ。
「ね、異常でしょ?お母さん、もう止めようよ。あんなのと一緒に住みたくないよ」
「…カガク、テツ君はあなたを助けてくれたのよ」
「お母さん…!だって、あいつは助ける気なんか無かったから!」
「カガク…」
カガクはこの理不尽な状況に多大な怒りを覚えたが、何故か陽子がテツのことを庇う。そのことでさらに心の混乱と葛藤と、それから憤怒が沸き立ってきた。
「もういい!お母さんが言わないのなら、私が言ってやる!」
叫ぶように言うなり、カガクはベッドから跳ね起きると部屋を飛び出そうとした。
「カガク!駄目よ、まだ安静にしてなきゃ」
言い終わるかのうちに、カガクの荒い足音が階段のほうから聞こえてきた。陽子はすぐさま後を追うわけでもなく、手に握り締めたままの濡れ布巾を眺めた。
そして。
それを。
壁に叩き付けた。
遅くなりましたが、第5話です。
カガク、ついに動くか?




