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Feマン  作者: 馬宮茂
2/9

第2話 「自分を求めて」

ここは『めぞん三石』の一室。


壁には有名なグラビアアイドルが水着姿で艶めかしいポーズを取ったポスターがぶら下がっている。

6畳の室内の真ん中に据えられた膝までの高さしかない机がある。その机の上に大量に置いてあるスーパーの袋の中には、キャベツなどの野菜、豚肉や牛肉鶏肉、また魚など数多の食材が入っている。

その机に向かって、東側にドアがある。北に小さなベランダがあり、南西に備え付けられた箱型のテレビが静かに鎮座している。それで、西側に、鈍色のぎざぎざとした髪の左右対称の整った顔の少年がズボンに2本の線が入ったジャージ姿で腰掛けている。

そしてキッチンでがさごそ動き回る180cm程の頑健な男が白色がくすんだ色の冷蔵庫の扉をバタンと閉じた。上に『山人』と黒字でプリントされたTシャツ、下にボロボロのジーンズを穿いている。


「喉渇いてねぇか?麦茶飲むだろ?」


この男の名前を、須見すみという。


「……麦茶」


何かにつけて全てが平均といったような顔の、淡い緑色の瞳の少年がポツリと呟いた。


「まさか、知らないわけ無いだろ」


精悍な顔立ちのがっちりとした顔つきで彼はにっと笑っている。

須見は小脇に工具箱を抱え、机まで持ち出してきた。

そのまま机の前に腰掛けると、机上の袋を端に寄せて向かい側の少年に見えるようにその工具箱の中を開いてみせた。

その中にはごろごろと黒色の金属片が転がっている。


「何だ」

「何って、鉄だよ。金属の」


工具箱は上げ底になっていて、中身は工具箱の容積ほども無い。


「とりあえずぼろ鉄だけど…」

「……」

「わかるか?食ってみろよ」

「……」

「うーん、やっぱりレバーとかの方がいいのかな」

「…食べてみる」


少年は言われたまま手を伸ばし、ボロボロの鉄片を口に運んだ。


ボリボリッボリガリゴリ


想像が及ばないだろうが、鉄を噛み切る音が聞こえる。


「…悪い、なんか不気味だ」

「……」

「Feマンの主食なんだと。聞いた話だが」

「……」

「美味いか?」


彼は静かに首を横に振った。


「そりゃそうだな。よし、次はこれだ」


頓着する様子もなく須見は続いての作業に取り掛かった。

次に鈍色の髪の少年の前に差し出されたのは、ほかほかと湯気を立てたお持ち帰り用の牛丼だった。

少年はちらりと須見の目を見て、それに須見がうなずく。

箸を手に取り、少年は牛肉でご飯を包み口に運ぶ。


「美味い?」

「…うん」

「よしよし、人間と同じだ」


嬉しそうに笑った須見はリモコンを手にするとテレビの電源を点けた。


「まぁ、ゆっくりしろよ。漫画読むか?あ、小説もあるけどどっちがいいかな。それとも映画にするか?」

「…あなたは俺を知っているのか」

「まあ、な。知りたいか?」

「……」

「そりゃ知りたいよな。よし、質問があるなら答えるぜ」


言いながら、須見の目線はテレビ番組に注がれている。人気コメンテーターが得意げに話すのを呆けた表情で見ていた。


「俺の…名前は?」

「名前。えーっとな、テツ…だ。てつ」

「……テツ」


少年、今後テツと表すが、彼にはまるで実感の無い名前だった。記憶の抜け落ちた感覚は一般人にはとても理解できるものではない。与えられた名前が自分のものとなるには赤ん坊から物心付くまでの年齢が必要なのだ。


「Feマン、って」

「…全身を、材料の鉄で覆われた人間のこと…らしい。俺も詳しいところは知らないんだけどな」

「俺がそうなのか」

「そうだな、例えば」


言うや、須見の右手に握られた銀製のスプーンがテツの右手を強かに打ち据えた。

響いたのは人間の皮膚をたたいたときの打撲音ではなく、金属音である。


「痛いか?」

「……」


また静かに首を横に振るテツに須見もまたうなずいた。

机上に適当にスプーンを放ると、木のテーブルとスプーンがけたたましい音を立てた。


「外見はわからないようになってるが、中身は鉄なんだ」

「…俺は普通とは違うのか?」

「そうだな」


テツは視線を落とした。今は、食いさしの牛丼から湯気は上がっていない。


「今日はちょっと付き合ってくれ。俺と一緒に『博士』のところへ行く」

「博士?」

「そうだ。お前の作り方を知ってる人だ。上手く聞ければ…難しいけど、教えてもらえるぞ色々と」


言葉を濁した須見に視線を向け、テツは一つだけうなずいた。


「俺はもっと、いろんなことを知りたい」

「だろーな。じゃ、行くか?」

「ああ」

「その前に、腹ごしらえしてからだ。ほれ食っちまえ」

「……」

「飯が美味いと嬉しくならぁな」


窓から見える青色の小さな鯉のぼりがはためいている。









Feマン 第2話 「自分を求めて」









深青の学生服を着た三人組の女子高生が駅に続く道を歩いている。

話の起点は何処だったか定かではないが、とにかくも彼女たちのうちの一人がこんなことを呟いたことから始まっているのだろうか。


「そういえば、あの男って何処行ったんだろうね」

「そーそー、あの角にいつも座ってたよね?気持ち悪かった」

「なんか怖いのよね」

「……」

「でもさ、もう死んじゃったんでしょ?だったらもう怖くないな」

「行方不明じゃなかった?どっちにしてもまぁ、居なくなってくれてよかったって思うよ。殺人者と一緒におんなじ街に住めないもんね」

「止めようよ、そんな話」


この三人の中の一人、カガクが苛立たしげに二人を制した。

そんな話をするのも嫌だと言わんばかりだ。


「でも…確かこの辺にいつも座ってたよね?ここ通る度に怖かったんだよ」

「そうそう、でも、もういないんじゃそんな心配すること…」


三人がコンビニの角に差し掛かったとき。


「あっ」

「……」


そこに腰掛けていたのは彼女たちが噂していた人物ではなかった。なかったが、それにしてもその人物は異様を極めていた。

鈍色のがちがちの髪の毛、淡い緑色の瞳が異常だ。右手で電車の切符をつまむ様に持っている。

彼は上目遣いの眼差しを微動だにさせず、彼はカガク達を見つめている。


「何か用なの」


無垢な瞳に見つめられていた中、カガクが突然、前に踏み出した。


「……」


丸々とした目が、カガクの見下ろした冷ややかな瞳を見つめ返している。


「ね、ねえカガク。止めようよ…」

「なんか怖いよこの人…」


口々に言いながら、カガクの服の袖を少女たちが引っ張る。


「ごめんなさい」


先に頭を下げたのは、意外と言うべきか、男のほうだった。再び顔を上げた彼の顔には何の表情も浮かんでいない。

呆気にとられたカガクが何も言い出せないで居たとき…


「悪い悪い、待たせたな、行くぞテツ。ん、何だ?」


手に薄茶色の買い物袋をぶら下げた須見から声がかかった。

眉をひそめて須見がカガク達を見やる。須見がその時、はっとした表情になった、一瞬後にテツが腰を上げた。


「いこう」

「ああ……ま、いいか。切符無くしてないな?」

「ああ」


一人は真っ直ぐに、一人は何度か振り返りながら、改札の向こうに遠ざかっていく二人の背中を、三人の女子高生が呆然と見送った。


「何あれ…」

「変なの」

「……」







電車の中。


「まぁ、何なのあの髪の色」

「酷いわねえ、道徳なんてあったものじゃないわ」


テツがそちらを振り向いた。


「まぁ、外国の人よ」

「でも最近からーこんたくとってあるじゃない?」

「まぁ、嫌だわ」

「テツ、ほっとけ」

「髪の毛、この色は不自然なのか」

「まぁ、そだな。普通日本人は黒色だ」

「黒…」

「言っとくが、お前のは成分的に鉄に近い。染まらんぞ」

「……そうか」

「ま、海苔でも食えばどうかな」

「のり?」

「焼き海苔知ってるだろ?味付け海苔でもいいぞ」

「…………」







事務机の向こうに、豪華そうな肘掛の無い椅子に腰掛けた、目が糸のように細く痩せ顔の白髪の老人が長年着込んだ所為か黄色にくすんだ白衣を身にまとい、考え事をしているようだった。

事務机の上にはノートパソコンや膨大な数の資料が山積みになっている。見渡せば戸棚にも様々な科学書、分厚いファイルが収められている。それらが部屋の圧迫感をただならぬものにしていた。


「よぉ、来たぜ」


須見が重厚な場の雰囲気に似つかわしくない軽い挨拶をする。


「そいつが報告の」

「テツってんだ。な」


テツが頷いたが、


「名前…お前が決めたのか。どうでもよいことだ」


きつく言い放して、


「お前の原料は何だ」


テツに高圧的に言葉を飛ばす。


「……」

「口がきけんのか?」

「あーいや、鉄だよ。そのまんま」

「ふん…名前で判明するのは得策ではないな」


呻くようなくぐもった独り言はテツの耳によく届いていた。


「じゃあそろそろいいか。とりあえずこいつ生まれたてだから何にもわかんないんだよ」

「須見。しっかりと見張れ」

「わぁーってるよ。テツ、あんま気にすんなよ。こういう偏屈爺さんなんだ」

「ああ」

「待機させておけ。何かの役には立つだろう」

「あーそうかい。それじゃあな。いくぞ、テツ」


テツが一つだけ頷いた。


「…待て、私の娘の家に行け。男手が足りんと零しておったわ」


それを見咎めたのか二人の背後から重苦しく苦々しい声が飛ぶ。

須見は振り向かず、手をばたばたと振って部屋を出て行った。

テツだけが振り向いた。


「あなたは俺が何なのか知っているのか」

「答えは自分で探せ」


間髪入れず飛んできたその言葉に、テツは何も言えず部屋を後にするしかなかった。

再び研究室に静寂が戻った。






ため息を吐きながら先を歩く須見の背中へ、テツが言葉を飛ばす。


「今度は何処へ?さっきの博士の娘の家か?」

「そうだ。待機なら俺の家でもよかったんだけどな、爺さんの命令じゃしょうがねえよ」


テツは須見の隣へ足を進めた。


「あの博士は何者だ」

「あれはお前のような体の人間を作った人だ」

「俺のような」

「そ。この世界、お前と同じ様な体の人たちはたくさん居るぞ」


須見のその言葉を聞いたテツが顔を上げた。


「本当か」

「お、嬉しそうだな?」


須見が楽しげに聞き返すと、テツは視線を真っ直ぐ前に向けた。


「……不安、というのか。こんな気持ちは」

「ん?」

「…俺は独りだ……そう思っている」


テツの胸中に根ざすものは、言いようの知れない孤独感。記憶がごっそり抜け落ちているのだから無理も無いと言える。

須見はそんなテツを見やり、少しの苦笑を浮かべた後、にこりと笑ってテツの頭を優しげに叩いた。


「だぁほ、とりあえずは俺が居るだろ〜」

「…そうか、とりあえずは…」

「とりあえずとか止めろ!」


傍から見れば兄弟のような二人の姿だった。


「ほれ、見ろ」


不意に立ち止まった須見が一軒の家を見上げた。

テツと須見、二人が見上げている建物は庭付きの一戸建て、特別広いわけではないが2世帯住宅といっても差し支えないほどの大きさを持った、壁が白塗りで黒色の屋根が夕日に赤く染まっている。


「よ〜し、着いたぞテツ」

「ここが博士の娘の家か」

「そうなんだが…説明くさいなぁ」

「?」

「ま、いいだろ。とりあえずしゃんとしてれば気に入ってくれると思うぜ」


そこまで言った須見は、何かを思い出したように大口を開けた。


「あ、でも…う〜ん、なんか…」

「どうした、須見」

「ん、気にするな」


言いながら、須見はテツを見やる。

淡い緑色の瞳が須見を見つめ返している。


(気にしてもしょうがない。ここはこいつの真っ直ぐさに賭けてみよう)


須見も腹を決めた。


「とりあえず人間関係は初めの印象だ。ここがしっかりしてれば後はどうとでもなる」

「初めの印象だけで全部決まるのか」

「…そういうもんなんだ。で、挨拶の仕方は分かってるか?」

「…分からない」

「ん、誰でも最初はそうだ。いいか、初めましてってちゃんと言うんだぞ」


須見がテツに念を押した後、家のインターホンの呼び出しボタンを押した。

カラーン、と楽観的な音が聞こえたしばらく後、磨りガラスの向こうにうごめく人影が見えた。


「はーい、はいはいはい」


扉が開いて、中から姿を見せたのは、口元にわずかなしわが見える大きな眼の40代の女性だった。

眉がきりり、としているが表情はじつにおっとりとしている。可愛い、という形容がしっくりくるのではないか。

須見が軽く頭を下げると、彼女は明るい笑顔で小走りに駆け寄ってきた。


「お久しぶりね、須見君。何年ぶりかしら」

「そうっすね。ここんとこ忙しくて」

「元気そうなら大丈夫よ。まったく、お父さんは何にも教えてくれないし」

「あはははは…あ、それはそうと。こいつが電話でお話した奴です」

「まぁ、その子が?」

「はい、しばらくお願いします。ほれ」


須見に背中を叩かれたテツがその拍子に一歩前に出た。

テツはじっと女性を見つめる。


「…初めまして」

「いえいえ、こちらこそ。えーっと、何君、かしら」


テツの人間のものではない瞳をじぃっと黒の瞳が覗き込む。


「テツ」


物怖じすることはなく、テツははっきりと告げた。


「あら、テツ君ね。私はさざなみよ、漣 陽子ようこ。よろしくね」

「……」

「それじゃ、後よろしくお願いします」

「はい、お気をつけて」

「テツ、迷惑かけんなよ」

「わかった」


須見は軽く手を上げると、大きく欠伸をしながら漣家を後にした。


「不安?」

「ああ」

「まぁ、素直ね」

「ああ」


並んで立つ二人、中肉中背のテツより少しだけ背の低い、陽子は微笑ましげに笑った。







「ここを自分の家だと思って、ゆっくりしていってね」

「……」


テツは黙ってうなずいた。

玄関の左手にリビングに続く扉が、右手には開いた襖の奥に仏壇が鎮座している。


「この家にはね、私の娘も一緒に住んでるの。仲良くしてあげてね」


陽子がなぜか、困ったような笑顔を浮かべた。


「どうしてそんな顔をする」


陽子はすこし、目を丸くした。それから笑顔でテツにうなずいた。


「あの子……あなたのような人、嫌っているから」

「俺のような?」


不意に、玄関の扉が開いた。


「ただいまー」

「……」

「ぇ…………」


背中にテニスバッグを背負った深い青色の制服の、眉のきりりとした少女が唖然とした顔でテツを見つめる。

テツもその視線を外さず、じいと少女を見る。


「あら、お帰り。今日は遅かったのね」

「う、うん。部活…なんだけど」

「そうだったわね、いつものことだった」

「……お母さん」

「ん?」

「だ、誰?」


少女がうろたえながら、テツを指差す。

あぁ、と納得して、陽子はテツに笑いかけた。


「自己紹介してあげて」

「…テツ」

「…もういいの?ほら、自分はどこが魅力的だとか、どこから来たのかとか…」

「それはわからない」

「そう。でも挨拶ぐらいはしてあげてね」

「……」

「……」

「…初めまして、テツだ」


言いなれていない所為か口から漏れたような言葉だったが、少女の止まった時間を進めるには十分だった。


「あ、こちらこそ!さ、漣 カガク…です」


名乗った名前、カガクは慌てて頭を下げた。すぐに彼女が顔を上げると、陽子が楽しげに胸の前で手を打ち鳴らした。


「はい初めまして。さ、そろそろご飯だからね。カガク、早いとこ着替えてらっしゃいな」

「ちょっと、待ってよ」


その場を離れようとした陽子の腕をカガクが引きとめた。


「誰?何で家に居るの?」

「今日から新しい家族になるのよ。仲良くしなさいね」


陽子の言葉の途端、カガクは戸惑いの表情を一転、眉根を寄せて歯を噛んだ。


「……また、あいつなの」

「あいつって言わないの。おじいさんでしょ」

「また私たちの都合なんて無視して!面倒ごとはこっちに押し付けるのよ!」

「カガク…その都合にテツ君は関係ないのよ」

「大有りよ」


荒ぶる気持ちを抑えられないまま、カガクは二人の様子を見つめていたテツの眼前に足を運び、一部始終を微動だにせず見ていたテツを睨み付けた。


「早いうちに出て行って。あいつに、ふざけるなって言っといて」

「カガク」

「ふん…きゃっ」


わざとテツに肩をぶつけるようにして進もうとしたカガクは、予想以上の反発に壁にぶつかった。


「……な、何よ」


カガクは慌てながら、テツが力を入れたものと思い、強情に突き飛ばそうと手を伸ばした。


みしっ


「いっ……」


その伸ばした手から軋むような音が響いたかと思うと、カガクは再び壁に背を打っていた。


「なっ、何…!?」

「カガク、いい加減になさい」

「っ、ふん」


腕をさすりながら、カガクは走り去るように2階へと駆け上っていった。


「……」

「気にしないで。あの子、おじいちゃんを嫌っていてね…」

「おじいちゃん…博士」

「そうよ。漣博士…あなたのこと、電話してきたのよ」

「俺のことを?」

「ええ。あなたのようなタイプは知らないことが多いだろうから世話をしてやれって」

「タイプ…」


陽子は一つため息を吐くと、なぜか悲しげに微笑んだ。


「…もうやめましょうか、こんな話。しばらく自由に家を探検してくれてもいいわよ。晩御飯が出来たら呼ぶからね」

「わかった」

「うん」


リビングへの扉へ消えていく陽子の背中を見送った後、テツは改めて周囲を見回した。

玄関の隅のボロボロのダンボールに、野球のバットやグラブ、ボール、またテニスラケットや、綺麗に磨かれてはいるが微細な傷の目立つサッカーボールなども乱雑に詰め込まれている。

壁が窪んだ所には小物を置けるように作られた木の台が備え付けられている。そこに置かれた黒縁の写真入れに入れられた、一枚の写真。


「…知ってる。これは写真だ…」


テツは呟くと、その写真入れに手を伸ばした。


「陽子…と、誰だ」


写真に写る、満面の笑顔の若い頃の陽子の姿。そして、長身の、口元に僅かに微笑を浮かべた男、その男と陽子の間で、黒髪の、こちらもきりりとした眉の女の子が笑っていた。

バックに写った桜の木が何とも美しい。

テツにとって印象的だったのは、そこにいる人、陽子の過去の姿。

直感的にそう悟ったテツは、無言でその写真入れを元に戻した。


「……俺は……」


昔があるんだろうか。


夕暮れの太陽は山の向こうに沈んでしまった。

















日も山の向こうに沈んだ、春の夜は未だ冷たい風が吹く。


(…てつ……てつ…!)


足取り重く、背中まである黒髪もぼさぼさの、深い青色の制服に身を包んだ少女が視線を足元に落としたまま歩いていく。弱弱しい少女は何処を目的としているわけではなく、ただ道の進む先に足を合わせるだけだ。

少女の頭の中は…幼馴染の、最期の姿のみ。


『てん』


あの声が、少女の脳裏にこびり付いて離れようとしない。

どうして自分はあのボタンを押したのか。どうしてあんなことになったのか。考えれば考えるほど、少女の表情は悲痛に、苦痛に歪んでいく。


(信じて、あげられなかったから…私が轍を…私だけだったのに…)


冷静な考えなど今の彼女に出来るわけもなく。

いよいよ足取りがおぼつかなくなってきた少女、辿子の身体がふらりと崩れ落ちようとしたとき…


「よいしょ」


前からやってきた、シスターの格好をした女性が辿子の身体を支えた。


「どうしたの?大丈夫?」


優しい声が辿子の頭上に降り注ぐ。

辿子が女性の胸の中で顔を上げると、優しげな笑顔で女性が辿子に微笑みかけた。


「い、いえ。何でも……ない……」


辿子の潤みきった双眸から、涙が零れた。一瞬、はっとした女性は、頭のシスター帽を脱ぎ去った。外の空気に零れた、黒に近い灰色の髪。


「辛いことがあったのね…神はあなたの全ての罪を聞き届けますよ」

「……かみさま…?」

「ええ。あなたに反省の心があるのなら、神はあなたを許すでしょう」


微笑んで、細くなった目の奥に、深赤色の瞳が輝く。


「う、うう…ぅ、うあああ」


顔をくしゃくしゃに歪めた辿子の身体を抱きしめた女性は、優しく背中を撫で続けた。

悲しみの笑顔を隠そうともせずに…。




はい、第2話です。いよいよ登場人物も増えに増えてきましたが、なんとか動かせるようにがんばります。

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