それは風呂から始まり
僕は何故生まれたのだろう。
入浴中、僕はそんなことを疑問に思った。とりあえず、うーん、と唸ってみるが分からない。気づくと桶で湯をすくっては、ばしゃばしゃと音をたてながら浴槽に戻すのを繰り返していた。
ひょっとすると、ある日誰かが僕に教えてくれるのかもしれない。それなら楽でいいな。だけどそれはないだろう、自分で思ったことを即座に否定した。お父さんが昔言っていた、「人生はとっても厳しいものだ。」と。だから、そんな都合のいい話はないはずだ。
また唸っていると、ある偉人が頭に浮かんだ。有名な音楽家であるベートーベンだ。 彼は耳が機能しないのにも関わらず、作曲し続けた偉大な人物と小学校で習った。まさに、彼が生まれた理由とは、名曲を作るためであったと言ってもおかしくはないだろう。じゃあ、僕の理由は一体なんだろう。作曲とかできないし、運動神経は普通、成績も人並み、将来の夢は特にない。この現状だと僕には生まれた理由なんて無いのかもしれない。無いとすれば、僕が今まで十四年間の歳月を過ごしてきた意味はないとうことだ。そう考えると、酷くもの寂しくなってきた、お笑い番組でも見て、スカッと一笑いしたい気分だ。
学校の昼休みのことである。
今僕と向かい合って座っているのは僕の友人“ともきくん”だ。僕にはそんなに友達がいないので、数少ない友達の中の一人だ。僕には貴重な存在なので、彼とは上手くやっていきたいと常日頃、思っている。
ところで、ともきくんは己の生まれた理由を把握しているのだろうか。さっきまで弁当の具材を口に運んでいた箸がぴたりと止まった。
そして途端に、ともきくんの生まれた理由を知りたいという衝動に駆られた。理由だけじゃなく、その理由はどこから提供されたものなのか、はたまた自然とわき出てきた物なのか、是非とも参考にしたい。
しかし、そういう理由を聞き出すのはプライバシー侵害なんじゃないか。つい最近覚えた言葉を思い出す僕。もし、ともきくんが知られたくないような理由だとしたら、僕の問いに対して不快に感じるかもしれない、そして僕のことをあんまり良く思わないかもしれない。それは避けるべきだ。彼とは良好な関係を築いてきたと思っているので、それを崩しにかかるような真似は禁物だ。僕は胸の中でむずむずと動く何かを鎮めた。
「さっきから、飯進んでないぞ、どうしたんだ?」
はっ、と我に返った。ともきくんが特に何の表情も読み取れない顔でこちらを見つめている。どうやら理由を聞こうか聞かないか迷って、物思いにふけていた僕を見て不思議に感じたらしい。僕もそんな自分を変に思う程だから仕方ない。
時計を見ると、昼休みはあと十五分で終わってしまう時刻を指していた。今日どんな授業を受けたのかが、あまり思い出せない。ずっと理由について考えていたからだろう。
いつまで僕はこのことで悩み続けるのだろうか。
帰り道のことである。
僕は帰宅部だ。だから放課後になれば特にすることもないので帰宅する。
帰宅して一番目にすることは宿題を片づけること、それが終われば、その日や気分によって異なるが、ゲームしたりパソコンで掲示板を見て書き込んだりする。僕にはそれぐらいしかやることがない。
そして何もしてない時に考えてしまうことがある。
時間を無駄にしている・・・。
ゲームやパソコンに触れるのはとっても楽しい、これらの娯楽は今の自分を支えていると言っても過言ではない、しかし何かが欠けているように思えるのだ。
帰路をとぼとぼ歩いていると、野球部員と思われる「さぁこーい」という声が、学校の敷地を超えて、僕の耳に入ってきた。
部活か・・・。
今は帰宅部だが、小学校の時は水泳を四年間ぐらい習い事としてやっていた、それのおかげか授業での水泳は苦痛に感じない、そしてすらすらと泳ぎきると、面と向かって喋ったことのないクラスメイトに、「結構はやいなぁ」と言われるのだ、いかにも意外と言わんばかりの顔で。
何故水泳を中学校でも続けないのか、中学校に上がった当時、数人に言われた。そのわけは単純だ、面倒だからだ。実際、あの頃はいやいや通わされていたようなものだ。水泳なんかで時間を潰すのなら、ゲームに浸るほうが良いと心の中で毒づいていた。
そして今はその願望が叶っている、宿題をやるのは億劫だが、部活する者に比べてたっぷりと自由時間を設けられる。
最初は自分の時間が増えてテンションが上がっていた。しかしそれが長期間に渡って続くとなると、ゲームをしている時間さえも無駄に思えてきたのだ。自分がゲームに飽きたからなのかは、はっきりしていない。ただ一人で黙々と何かをするのが寂しく感じてきたのだ。
「やっぱり部活に入ったほうが良かったのかもしれない」
最近このことばかり考えている気がする。そして昨日と今日は生まれた理由について考えている・・・。
僕は考えてばかりだ。ひょっとすると僕は何かを考えに考えて、悩みに悩んで疲れ果てるために生まれてきたのかもしれない。そんな人生は絶対つまらないだろう。考えるだけで何もしなければ、当然何も起こらない。何か起きるから人生が楽しいはずだ。 だが今の僕は考えているだけで何も分かってないし出来てない、ともき君に理由を聞けなかったのはその証だ。僕には自律と自立の両方が出来てないのだ。ダメ人間と呼ばれるのは時間の問題だろう。
「・ゃん!・・ひとちゃん!」
突発的に側で大声が飛び出したものだから、音源の位置から遠ざかるように、思わず飛び跳ねた。そして声の主を確認するため、おそるおそる視線を移した、(ヤンキーとかだったらどうしよう)という言葉が頭をよぎる。僕はどうしようもない恐がり屋さんなのだ。
主を見た僕は胸をなでおろした。
「なんだ、よっちゃんか」
「さっきからずっと声かけていたのに、全然振り向いてくれないから大声出しちゃったよ」
そう言うと、よっちゃんはペロッと舌を出した。その癖は僕と出会って以来変わっていない。よっちゃんである証拠と言っても過言ではないだろう。
「何か考え事でもしていたの?」
続けて彼女は言う。その問いにどう返せばいいのか、しばし悩んだ。僕の生まれた理由を考えていたなんて、彼女はどう思うのだろう。だがあまり嘘は付きたくないものだ、ここは正直に言おうかな。いや、けどなぁ・・・。
「よ、夜ご飯のこと考えていたんだよ、ははっは」
愛想笑いが思いの外上手くできなかった。
「えー!なんか怪しいなぁ!」
彼女はぼくに対してじーっと目を凝らした、しかし何も検討がつかなかったのか、彼女の顔から怪しい目つきは消えた。そして安心する自分。
「あ、そういえば部活は?」
ふと思ったことを口走った。彼女は美術部に所属している、活動は土日以外毎日あると言っていたが、今日は僕と同じ時間帯に帰っている・・・。
「ん~、サボりってやつをやってみたかったんだよ、うん」
それを聞いて少し驚いた、彼女は今までは何事もルール通りに動く生徒だったのだ。けれども、今は違う、彼女は自ずと部活に行かない決意をしているのだ。人は変わると良く聞くけどこういうことだったのか、ちょっと考えすぎかもしれないけど、少し悲しく思えた。
「それに絵なら家でも描けるからね」
彼女は付け足すように言った。なるほどね、と無意識に返した。そして会話が一区切りついて静寂が訪れた。僅かだが、両者の足音がリズムのとれないメトロノームのように聞こえる。何か話題を考えていると、彼女はまた口を開いた。
「そういえばひとちゃんは彼女いないの?」
「ええっ」
思わず彼女を見ると、にやにやと笑みを浮かべる顔がそこにあった。彼女からはそういう質問を受けたくはなかった。
「いるわけないよ!」
不意に大声で言ってしまった。「えー」という言葉が彼女の顔に出ていた。そして気のせいかさっきより自分の歩幅が少し大きくなっているのを感じた、このままでは独走してしまいそうになるので、彼女の歩幅に合わせるよう調節して、斜め下に目を向けた。もうすぐ二人が分かれる地点だ。
「じゃあ、好きな子とかいないの?」
やっぱりそうきたか、予測通りの質問がきたのだ、こうきたらこうかえすと、この話が始まった頃から決めていた。
「興味ないんだよ」
また嘘をつくのは逡巡したが、これ以上追求されたくはなかった、特に彼女には。
「本当に?クラスで気になる人とかいないの?」
ないと言っているのにも関わらずしつこく聞いてくるので、また歩行のスピードがあがる。
「だからいないんだよ、恋愛とかしない人間なんだよ」
と、もう一度杭を刺すかのように話を終わらしにかかった。相手は不満そうだ、道端の石をこつーんと蹴っている。
候補はいるんだけどな・・・。
心の中で呟いて彼女を見た。すると、彼女は蹴っている石を僕の進行方向に蹴った。僕もまたその石を蹴り返す、僕と彼女のラリーが三回目に入った時、石を強く蹴ってしまい、彼女が蹴り返す暇もなくどこかへ行ってしまった。直ぐに「あっごめん」と詫びた。
大体、何故他人の恋愛事情など気になるのだろう。僕にはあまり理解出来なかった。
気づけば別れの場所に着いていた。彼女は「バイバイ、じゃあね」と言い残して僕の帰路とは反対方向の道を歩いていった、しばらく見送ってから、体を90度左に回転させて我が家を目指した。いつも一人の時は考え事をしながら歩くのだが、今日は何も思わずに無心で足を動かした。
家でのことである。
ピンポーン。
何万回と耳にしたインターホンの音。毎度帰ってきたという事実を強く認識させてくれる。
ドアの前に立っていると、Fix窓のすりガラスにシルエットが写り、ガチャッという解錠音と共にドアが開いた。
開いた途端に頭部を抱え込まれ圧力をかけられる。いきなりなものだから「うっ!」という気の抜けた声が出る。
「おかえり~」
やっぱり、この自分を離すまいと抱きしめてくるのは、何を隠そう自分の母親だった、ましてやこんなことをしでかすのは、世界に一人だけだ。
母は毎日抱きついてくる。それを愛情表現ということは理解しているものの、自分も大人に近づいてきているせいか、そういう行動に応じるのは気が引ける。親離れの序章といったところか。
もしかすると、別に我が家に限った事ではなく、他の家庭の母親も毎日こんな風に愛情を子にぶつけているのかもしれない。最近はそう考えて羞恥心を引っ込めさせようと努力している。
「今夜はカレーよ。さぁ、座って座って。」
そう言った後、手を招いて席へと誘導してくる。そして馴染み深い匂いがこちらへと漂ってきた。
テーブルには既に夕ご飯が揃えられており、準備万端だと一目で分かった。
「いただきます」
そう機械的に言葉が出た。後にスプーンを手に取り、米とカレールー目測で適度にすくって口に運んだ。すると、その様子を見ていたのか、母が
「どう?おいしい?」
と聞いてきた、予想通りである。そして
「うん」
と素っ気ない返事をすると、母は「よかった」と言って微笑むのだ。果たしてこのやり取りは何回目になるのだろうか。
子供が出来るということは生活に一体どのような影響を与えるんだろう。自分も母のように我が子を愛せるのか。またもや答えが見つかりそうもない疑問が座礁した。
出来心で聞いてみる。
「お母さん」
「なあに?」
「お母さんは自分の生まれた理由はなんだと思う?」
「そりゃ、ひとくんを育てるために決まってるじゃない」
即答だった。自分はこの問題の解にずっと悩まされているというのに。母と自分の違いは何か・・・。それは人を愛しているということだ。あっ、もしかすると人を愛することで理由が見つかるのかもしれないぞ。新しい解決策に胸が躍る。しかし、愛するってどういうことだろう、僕にとっては抽象的だなぁ。とりあえず好きな人を思い浮かべてみよう。
「ひとちゃん!」
自分の名を呼ぶよっちゃんの顔がふと浮かんだ。だがすぐ振り払った、思い続けているとどこか苦しい気分に見舞われるのだ。僕はよっちゃんに恋しているのか・・。恋とか愛とか人生とかこの世には難解な物が多すぎるんじゃないか、改めてそう思った。