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作者: 白い秋

 俺は一人、家の縁側で晩酌に暮れていた。

 目の端には洗濯物を干すものさし竿があり、そこに届かない程度の高さではあるが、手入れもしていない草むらが少々生い茂っている。あまり広くは無いものの、そこまでが俺の家の庭だ。

 そして正面を見ると、俺が今いる場所がどういう場所であるか象徴する光景が広がっている。

 田風景。

 頑張ってこの光景を説明しようとしたが、困った。この三文字で事足りてしまった。

 目の前に広がる、延々と続く湿地。トラクターを運転して植えていった稲が、その湿地の領主といわんばかりに青々と茂っている。その植えたばかりで小さい背丈に似合わない存在感に、逞しさすら感じる。

 水平線にまで続くのではないかとすら思えるこの光景のうち、十分の一程度は自分のものなのだからいまいち実感がわかない。まあ、田植えをしたのは自分なのだから実感もクソもないのだが。

 余談だが、トラクターを運転していて一番楽しいのはカーブのときだと思う。ハンドルをガッシャガッシャやって方向を変えてまた進んでいく事をスムーズに出来るようになったときは、何気にドヤ顔をしたくなるものだ。

 閑話休題。

 田を見ながら、軽く酒を煽る。夜の冷たい風が体をすり抜ける。田んぼのおかげでここら一体は気化熱で風が冷えてくれる為、夏は電気代が浮いてとても助かる。

 飲んでいる最中、舌触りにかすかな違和感があった。いつも飲んでいる酒とは違う、そう味覚からの信号があった。

 銘柄はなんだったかな……。

 グラスを片手に、横においてあるビンの日本酒を持ち、思い出すようにラベルを見る。日本酒らしくない、どちらかというワインのビンに近いその形状に、少し違和感を覚える。そんな俺の目に飛び込んでくる文字は……。

 『じゃんぱん』

 ……ああ、あれだ。銘柄を見て大笑いしてから恐いもの見たさで買った奴だ。

 銘柄を確認した後、何故か軽く飲むことに抵抗感を覚えた。ネーミングのセンスに驚嘆を憶えているのだと……思いたい。

 ああ、そういえばコルク抜きで栓あけたなぁ、などと過去を懐かしむ。軽くうなだれて後悔に苛まれる。その後、グラスに自棄気味に並々と注ぎ、一気に煽る。酒が舌の上を我が物顔で歩き、喉元を滑り降りていく。

 ……飛騨地酒蔵、良い仕事するな。

 意外に美味かった。

 鼻からさわやかな炭酸が抜けていく。白ワインを髣髴とさせる甘みのある優しい口当たりと、そこに混じる純米酒独特の酸味。保守的な人間からはバッシングを受けそうな物ではあったが、これはこれで良いものだと思った。アルコール度数も見たところ低めであり、狙っている層は広めだろう。カジュアル性らから考えると、若者がメインターゲットだろうか?若者の〇〇離れは深刻だ。

 そんなことを思いつつ、喉にそれを流し込む。

 田仕事で疲れた体を、冷えた酒が冷やしていく。このために生きているなぁと仕事をしている男の定型句を思いつつ、リラックスしている俺の耳に、とある音が耳に入る。

 ゲコゲコと低音ともいえない高音ともいえない声が、広大な緑の中に響いていた。

 そうか、もう蛙が鳴く時期か。

 考えるまでもなく、田植えをしたのだから当然といえるが、どこか感傷的なものを感じる。……決して『じゃんぱん』のせいではないと思いたい。

 年齢を重ねていくたびに、この蛙の声に別の感情が混じる。感傷ともいえる、情感ともいえる、このなんともいえない感情の動き。むず痒いが、どこか心地良い。

 ゲコゲコと単純な音の繰り返しは、次第にその密度を増していき、最終的には辺り一体が輪唱で包まれた。あちらで鳴けばこちらで鳴き、あちらが静まればこちらが騒々しくなる。加速度的に増していく大騒ぎは、夜の静けさを良い意味でぶち壊しにしてくれた。都会の排気ガスや車の走行音などとは違う。スイカなどに塩を振るような、それを強調させる為の要素だ。

 月見酒に興じる夜も良いものだが、こうして居酒屋のような騒々しさの中で飲むのも良いものだ。

 蛙を誘ってみるか?などと自分で自分の変な考えに苦笑しながら、そんなことが思い浮かぶ。いよいよ良いが回ってきた模様だ。いかに度数は低いとはいえ、飲めば量になる。

 いや、誘ったところで駄目か。すぐ潰れるな、下戸だから。

「……蛙だけに」

 自分でぼそっと呟き、自分で大笑いする。いよいよ重症である。

 笑いのハードルと下らなさが反比例するのは、酔っ払いの常識である。

 自分の笑いが蛙の大合唱に混じる。家に反響し、田んぼにまで至る自分のそれは、騒々しさの増加に一役買ったように思われる。笑いがやんでもなお、響く笑いは少しだけ耳元に残る。

 そんな俺を露知らず、梅雨時の定例開催と化しているオーケストラは、終わりの様子を見せない。

 それをBGMに、再度酒を煽る。少し気持ちよく酔えて来た。ここら辺が一番酒を飲んでいて楽しい瞬間だと思う。

 天にまで届けといわんばかりに蛙は吼えるかのように鳴き、天はそれに答えたのか知らぬ存ぜぬか、三日月が煌々と照っていた。

「……月が綺麗ですね」

 蛙がそうですね、と答えるわけも無く、その呟きは声にかき消された。苦笑しつつ、月を軽く仰ぐ。

 姿は見えないのに、声だけはする。人間の悪口のようなそれが、蛙に取って代わるとあら不思議。とても心地良い物へと変貌を遂げる。風流だな、としみじみと思う。

 長い夜は尚も続く。俺にとっては子守唄のようなそれに身を任せ、全身の力が抜け、酒を口元に持っていかせる。至高の時間だ。

 ……素直に大吟醸にするんだった……。

 日本的名前でありながらな日本的な感傷を許さないそれを飲み干しながら、軽くない後悔に苛まれた。

 

お読み頂き、有難うございます

『じゃんぱん』のステマじゃないよ、ほんとだよ

蛙の鳴き声は、好きです

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