8 鉄路の旅人:上
今回は掃除はお休みです。代わりに姉側、鉄路の旅人からの話となります。ブランクがある為に前話と雰囲気が違うかもしれません。
「で、お姉ちゃんはどうしてここに来たの?」
幽霊列車車両基地に留置された車両をかき集め、生活空間にした少女の家の中……正確には客車の中で、彼女の鈴の音のような声が響く。
場所は変わり……ここは焦げ茶色の車体に黄土色と白いラインの入った少女の家の5号車。そこは彼女が興味本位で拾ってきたお座敷列車の車両だった。そして今は家に例えるならば、居間として使用している。
お座敷列車というのは、一般車両へ改造を加え主に団体客用に作られたジョイフルトレインと呼ばれる部類のうちの一つである。昔ながらの和を基調とした内装が特徴なこの車両は、車両基地に留置された他の車両とは一線を画していた。
素足で上がれるように作られた段差とその上に敷かれた車両の横幅の大半を占める、二畳分の銀白色の畳が縦に連なる床の間。しかも丁寧にテーブルまでもが等間隔に置かれている。それだけに留まらず、奥にはなんとテレビがあるのだ。無論、この世界に電波が飛んでいる筈もなく……真っ暗に沈黙しているが。
前置きが長くなってしまったが……とにかく今、両者はそんな車両の畳の上でお互いに膝をついて向かい合い、テーブルを挟んで会話をしている状態だった。
「どうしてって……決まってるじゃない。貴方が元気そうか気になって来たのよ♪」
黒髪の少女は白銀髪の彼女に向かって笑みを向けながら、脱いだ麦ワラ帽子を指でくるくると回す。すると帽子に付けられた白く長い紐が軽く靡いた。
「わざわざ幽霊列車で来なくてもいいのに……。嬉しいけど」
清掃員である少女はそう言いながら、テーブルに置いた黒い陶製のヤカンを片手に持ち、自分と姉の湯飲みにお茶を注ぐ。因みに湯飲みは、魚の名前がびっしりと書かれた寿司屋にありそうな代物を使っている。そしてこれらは、列車にあった忘れ物コレクションの一角だった。
「来れるときに来ないと、回送列車に乗る機会を逃すからね」
鉄路の旅人は疲れ切ったように大きな溜め息をつくと、帽子を畳の上に置いて出されたお茶を啜る。少女も喉が渇いていたので、続いて頂いた。余談だが、二人が口にしているお茶は麦茶である。車内の冷房は一応効いているものの、入ったばかりで暑いのだから。
「お姉ちゃんは今回、何処に行ってきたの?どんな景色が見れた?」
しばしの沈黙があった後、少女は彼女に訊ねる。この車両基地から出たことのない少女にとって、直に見た外の情報は……列車の忘れ物よりも貴重なものだった。
「投影で毎回外の世界を見れるじゃないの……」
「投影した車両の記憶はみんな古いわ。だから“今”を見てるお姉ちゃんの話が聞きたいの」
少女は頼み込むように彼女に言う。何故なら廃車になりここに回送されるのは、決まって古い車両だけだから。従って持っている記憶も“今”ではない。更に投影しても大抵、その車両が現役時代だったときがよく映される。だから鉄路の今を知る術を、少女は実質的に……持っていない。
「そうね……。でも話せば長いから、印象が強かったものだけよ」
彼女はそうして湯飲みをテーブルの上に置き、手元の腕時計を確認する。旅人として移動している以上内容は長く、全てを話すと少女の掃除する時間を奪ってしまう。その為に土産話はごく一部しか明かされない。でもここにずっといる少女には十分な楽しみであった。
「それでもいい。だって外の世界のことだもん。短くても私にとっては貴重なの」
そうして本人の同意を得た彼女は、息を整えると何処か遠いものを見るようにゆったりとした口調で話し始めた。少女は旅人の話を聞こうと静かに耳を傾ける。列車のクーラーも何故か同時に動きを止め、部屋の中に静寂をもたらした。
「なら幽霊急行、風季波に乗っていたときのことを話そうかしら。客車は貴方が掃除した旧型客車で構成されたものよ」
「急行……風季波。1ヶ月前に掃除した列車ね」
幽霊急行。それはこの車両基地から発車していった列車を、彼女が現役列車と区別する為に独自で呼ぶ種別名である。勿論清掃員である少女はそんな呼び名を使わない。
因みに少女は毎日出発していく列車達を、一度でも忘れたことはない。どれも愛着があるのだ。その為に列車名をなければ独自で付けたり、反復して覚えているのだから。
補足として、掃除した当時の列車の記録簿の一部を見てみよう。
本車両の詳細
形式:スハ43系客車
車両数:6両
管理編成番号:No.272
WSランク:C
走行区間記録:(読者の想像にお任せします)
走行予定区間:771系統区間 刻渡線
列車種別:寝台急行
改列車名:風季波
停車駅:(読者の想像にお任せします)
列車運行簿認証コード:Ex5774レ
発行:冥督府 幽霊列車専用軌道 奏橋運転所
備考:復帰時には荷物車2両と寝台車3両、グリーン車1両を増結し12両で回送すること。牽引機はef58。
スハ43系。第一話にも登場したが、かつて戦前から長きに渡り使用された客車だ。簡単にイメージするならば、蒸気機関車の後ろに付く車両がこれに当たる。また普通列車や急行列車、あるときは集団就職列車など広い用途をこなしてきた縁の下の力持ちと言うべき存在だった車両でもある。
EF58については第5話で登場している為に、特徴は省略する。
「771系統の刻渡線、朝露ノ星駅を出たときだったわ。トンネルを出た後、ちょっと珍しい景色を見れたの」
彼女は路線の名前を挙げて話を進める。だが当然、清掃員である少女に路線の知識などない。知るのはここに留置されている車両のみ。なのでそこはスルーする。
「どんな景色なの?」
直ぐに少女は食いつく。幾つもの鉄道路線を旅してきた彼女だ。普通の車窓では先ず話を持ち出さない。例えそれが初見の路線だとしても。その彼女に「珍しい」と言わせる景色。非常に気になってしまう。
「流星群が見えたのよ。しかも鉄橋の上で」
「鉄橋の上で流星群!?嘘でしょ!?」
その答えに少女は驚く。何故ならそんなタイミングの良いときに、しかもトンネルを出た直後に掛かる鉄橋の上で流星群に出くわすなど……奇跡としか言い様がない。旅人たる彼女とて、幽霊だとしても流れる時間は人間のそれと何ら変わらないのだから。
「証拠に私の投影映像があるわ。そこの窓を借りるけど、観てみる?」
彼女はそう言いながら、お座敷列車の障子窓を開けて本物の窓を出す。窓の向こうには朽ちた廃車車両の広がる少女の仕事場が見えた。朽ちて赤銅色の錆びに覆われた車両が並ぶ寂れた風景。役目を終えた衰退という二文字が支配する世界。
「変わりゆく記憶、投影せよ」
やや茶色く汚れた窓に手を添え、少女とはまた違う言葉を彼女は呟く。すると指に嵌めた、夕日の如く緋色の光沢を放つ指輪が徐々に強く輝き始める。その色は少女の持つ、透き通るような青色の指輪とは対照的だった。
清掃員たる少女は、車両の記憶“のみ”しか引き出せない。だが鉄路の旅人である彼女は、これまでに乗った列車に移った車窓を記憶しそれを投影する能力を持っていた。つまり自身の記憶でもあるのだ。
晩年の汚れを纏う窓が徐々に鮮明なものへと時間を遡る。次にはノイズらしきものが入り景色に砂嵐が掛かった。砂嵐は見えるもの全てを歪ませ、しまいには黒一色へと染めてしまう。
だがしばらくすると窓の黒が薄くなり、代わりに明るい色彩が所々から滲むように溢れ出していく。初めは塗り潰された絵に近く何の景色か判らないが、レンズのピント合わせるが如く更に細かい色が追加され、段々とはっきりとしたものに修正されていった。
そうして出来た車窓は、彼女が見てきた記憶そのものを少女に向けて映し出す。
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鉄路の旅人:下 へ続きます。投稿時間はこの話が投稿された一時間後です。