7 名前は違えど……
更新が遅くなってすいません。
ここは現世で廃車となった鉄道車両が留置され、静かに復活の時を待つ幽霊列車車両基地。そしてその車両基地には少女一人しかいない。
ある日の早朝。少女はいつものように朝の朝食と支度を終え、家として使う車両の入口に置かれた整備用の階段に座っていた。今日ここへ回送されてくる列車を牽引する機関車からの汽笛を待つ為である。
その汽笛が毎日の仕事が始まる合図であり、ここに二度しか響かない“外”からの音でもあった。それを今か今かと少女は時間を過ごしていたのだが……
「今日の回送列車……なんか遅いわね。どうしたのかしら?」
右膝に片肘をつき、手を頬に添えながら彼女は目の前の赤錆びた車両を見つめうーんと唸る。普通はこんなことはないのだ。いつもなら朝日が昇って少し経てば汽笛の音ぐらい聴こえる。廃車車両の回送には遅延などない筈だが……。
「うーん……もう先に掃除を始めた方が早いわね。回送列車の迎えは来たときにしよ♪」
このままだと今日のノルマが危ないと危惧した少女は、背後に置かれた掃除道具一式を手に階段を降りて行動を開始した。脇に置かれたトロッコの二両目に道具を乗せ、漕ぐ為のレバーがついた先頭のトロッコでそれを“人力”で牽引する。重量が増して辛いがこの方が都合が良いのだ。ただでさえ、道具は多いのだから。それに、今日の車両がいる場所はここから遠い。トロッコなしでは限界がある。
こうして小さな清掃列車は家から出発した。
「ハアッ……ハアッ……」
負担の増えた荷物を後ろに抱え、息を荒くしながらこの車両基地の名物?である連続で続くポイントを渡り、しばらく線路を進むと、少女はある場所でトロッコを止めて地面に降りる。そしてトコトコと少しだけ歩き、線路脇からにょきっと傾くように生えた黒く太い棒に両手を掛ける。太い棒は始め少女の力に抵抗したものの、数秒後には屈服し一気に反対側へその身体を持っていかれた。
ガチャン!!
すると金属同士のぶつかる音と共にポイントが切り替わり、線路の行き先が留置線の本線へと変わる。この車両基地には現世にあるような、自動的に動く設備などない。全てが手動式なのだ。しかもレバーはレールと同様に重い。彼女には一苦労な作業である。
そしてポイントの行き先を変えたことを再度確認すると、またトロッコを動かして今回の掃除する列車のいる留置線内に入った。しかしすぐに編成が見える訳でもなく、遥か向こうに黒い陰のようにそれは佇んでいるのが見える。隣の空っぽな線路が視界に入ると、その姿は何だか寂しい光景だ。周りと比べると孤立しているように見える。
「編成が短いのよね、あの車両……」
事前に調べたところ、留置車両の記録簿には4両と書かれていた。普通に考えれば至ってオーソドックスな両数である。この両数から推測するに、基本は普通列車に使われていたのだろう。急行だった可能性もあるが、電車に4両編成の優等列車などあまりない筈なのだ。
普通列車は彼女が思うに最も掃除がしやすく、発見が多いと認識していた。一番風情があり、日常的であり、思い出が詰まっているのだと。席がロングシートならば安泰だった。何故ならいちいち区切られた席毎に細かく見る必要がないのだから。
彼女はそんなことを期待して列車に向かっていく。だがトロッコで近づくと、普通列車だと思っていた相手の車両の姿に彼女は驚愕することになった。
その赤錆びた列車には見覚えがあった。車体に残る色が違う“だけ”だが。
上から観れば微かな曲線を描いている形だろう先頭部。異常に高い運転台。巨大な種別表示。先頭車のときのみ三灯、逆は二灯のライト。ここまではいい。問題は側面の車体にある。
真っ白の車体の下へ控えめに入った細い緑色の線。どう観ても無理矢理感が漂うおかしな乗降扉の配置。おまけに窓に格子があるものとないものがあって実に違和感が漂っていた。
「これ……特急よね?」
少女が見た最初の一言がそれだった。それもその筈、この車両は確かに特急で走っている。だが特急という“肩書き”を持ったまま、廃車になった訳ではなかった。昔の人間の事情に流されて姿を変え、別の形式として最期を迎えたのだ。
特急として活躍していた時代……この車両は581系と呼ばれていた。以前彼女が訪れた廃車車両の583系の前身である。形こそ殆ど同一だが、こちらは最初に運行した特急名から「月光型」という異名を持つ。また、夜を走る世界初の電車寝台特急として知られているのは有名な話だ。
だがそれは先述の通り、過去に背負った肩書きに過ぎない。この車両は最期を迎えたときはまた違う形式名となり、ここに運ばれてきたのだから。人間が名前を変えたことと同じように。車体に残された形式番号がそれを示していた。
クハ 7…5 10…1(塗装が剥がれていて読めない)
「形式番号が違う。でも何で同じ形をしているのかしら?」
車体側面に回り込み、形式番号を確かめた少女は思わず首を傾げ呟く。車体の形が同じならば形式は同じだとてっきり思っていたが、実際は違うようだ。なんともややこしいと彼女は思う。何か変えなければならない事情でもあったのだろうか?
彼女は気になって車両についている乗降用の梯子を登り、そして鍵の開いた業務用の前扉を開けて中に入った。中は基本自分の知っている車両と何ら変わりはない。強いて挙げるならば入ってから客室側に目を向けると、機械室のような部屋がある。これは583系と区別出来る重要な点だ。
反対側にも視線を向けたものの、構造は583系と変わらない。なので上の運転席に登る細い梯子をよじ登り、変わった所がないか探す。それは彼女の楽しみの一つでもある。同じ形をしていても、形式番号が違うことはたまに存在するのだ。当然初めは混乱したものの、何度も掃除をこなすうちにいつしか間違い捜しとして遊ぶようになっていた。一見同じ番号を名乗っていても、番台という細かい括りもあるから更に奥が深い。
「さて、この列車の正体は……」
彼女は運転台にちょこんと乗せられていた、車両の記録簿を手に取って読んでみる。
本車両の詳細
形式:715系
車両数:4両
管理編成番号:No.803
WSランク:B
走行区間記録1:581系&583系:(読者の想像にお任せします)
走行区間記録2:715系:(読者の想像にお任せします)
走行予定区間:079系統区間
列車種別:普通
改列車名:なし
停車駅:(読者の想像にお任せします)
列車運行簿認証コード:LO3772レ(LOはLocal(普通)の略称)
発行:冥督府 幽霊列車専用軌道 奏橋運転所
715系。元から存在した昼夜対応特急形列車581系と583系を格下げ改造し、普通列車で運用出来るようにした車両である。長い編成を分割して作られたこの列車達だが、代わりに運転台が不足する事情から中間車を運転台に改造したという経緯を持つ。その大胆な改造の内容に、鉄道ファンからは“食パン列車”や“魔改造”などという呼び名が付けられていた。
格下げされた理由としては、新幹線の台頭が主な原因である。高速化を目指す傍らで、在来線からは数々の特急や急行、寝台列車が代償として姿を消していった。その消えた列車を担い、支えた車両の一部が581系や583系電車だった。そして役目を失った彼らは余剰となり、普通列車として残りの車齢を全うする為に改造されたのだ。
「成る程、改造された車両なのね。だから形が同じだった……珍しい経緯ね」
少女は小さく笑う。この車両基地には大量の車両が留置されているが、改造された列車が来るのは稀なことである。色が変わっている車両は見かけるが、それはあくまで塗装だけ。改造車両は中身が違うのだ。モーターや電気系統など、挙げればきりがない。そうだからこそ、先述の通り彼女は間違い探しをしていた。
ピィィィィィ―――!!
そのとき、静寂を破るように汽笛の音が鳴り響いた。紛れもない、今日の回送列車を牽引する機関車からのものだろう。だが聴こえ具合が普通と違っている。何時も耳にする甲高い汽笛ではない。とても低く、くぐもったような音。電車の出す警笛だった。
「今日の回送列車は特別みたいね。自力回送なんて……珍しいわ」
自力回送。廃車となった編成に動力車とそれを動かす制御車が含まれ、なおかつそれらが使用可能な場合に行われる、機関車を伴わない回送方法だ。廃車編成単体で運行される為、自力という言葉がつくのである。
少女は列車の記録簿を運転台の上に置くと、すぐさま梯子を駆け降り近くの乗務員用扉を開ける。そしてそこから身を乗り出し、目の前にある線路の先を見つめた。
警笛の音はとても近い。どうやら、入線する線路はすぐそこのようだ。幸いにも空いた線路は、彼女の見つめる隣の線路だけ。他は全て埋まっている。列車が来るのはこの線路に間違いなかった。
しばらくすると、鉄路の果てからこちらに向かってくるヘッドライトの光が見え始める。機関車は大抵ライトは2灯だが、今来ている列車は横並びで2つ付き、それが左右にある合計4灯。その姿はいかにも乗客を乗せて走る電車らしく見えた。
そして列車は寂れたようなブレーキ音を立てながら彼女の傍を通り過ぎ、静かに減速していく。当然回送列車なので客室は全部消灯状態で真っ暗。赤錆に薄く覆われた車体で在りながらも、白色にオレンジ色の細いラインが入った塗装がせめてもの明るさを寂しく出していた。
回送列車の編成は8両。ただし内容は4両編成を2つ繋いだ仕様である。この列車は少女に最後部車両の側面を目の前に見せた状態で停車し、低く唸るモーターを止めて沈黙した。最後に電気を供給するパンタグラフを下ろすと、また車両基地に冷たい静寂が戻ってくる。
「この列車は……」
思わず少女は言葉を漏らす。何故ならば以前にも掃除したことのある車両だったからだ。この特徴的な形をしているならば、忘れはしないだろう。
列車の名前は117系。現役時代は都心を走る先代の速達列車を置き換えるという名目で投入された列車である。ふっくらとした先頭車と二灯のヘッドライトを持ち、車体は暗いクリーム色の上に細い黒のラインが入っているのが特徴だ。前に掲げられた種別表示こそ回送だが、それでもこの列車がどれだけ役割を誇っていたのかが解る。
今回彼女の目の前に来たのは、形も名前も同じだが色だけが違う車両だった。地域によって塗装を変えているというのが、これまで車両の記録簿に目を通した経験である。つまり、窓に投影をすればまた違う景色が見られる可能性が高い。少女は既に好奇心を持って車両を眺めていた。
「ようこそ、幽霊列車車両基地へ」
少女はいつものように列車に向かって挨拶をする。そしてポケットから1つの車両管理用のメモ帳を取り出し、黒いボールペンでこの車両の記録をつけようとした。
だが今日はいつもと違った。何故なら……
「元気そうね、○○(名前は読者の想像にお任せします)」
「キャッ!!」
不意に下から声が掛けられ、少女は驚いて握っていたペンを線路の上に落としてしまう。それもその筈、この車両基地に存在する人間は“普段”、彼女しかいないのだから。そんな予期せぬ声に耐性などなかった。
少女がおそるおそる声のした方に顔を向けると、そこには一人の少女が立っていた。
歳は見た目年上のようで背は自分より高め。髪は彼女とは対照的な黒のロングストレート。肌は透き通るような白。瞳の色は同じ濃いサファイアブルー。 高校生の着る黒い制服を着込み、学生鞄を右手に下げている。そして頭には場違いのベージュ色の麦ワラ帽子が乗っていた。
少女はその彼女を知っていた。いや、逆に忘れることはないだろう。その証拠に……
「お姉ちゃん!!」
と少女は思わず叫んでしまったのだから。次の瞬間には今まで車両基地の中で見せていたものとは、まるで違う幸せそうな笑顔が表情に現れる。彼女の方はその様子を見て、安心したように小さく笑った。
「久しぶり♪」
そう……。彼女は少女の姉であり、この幽霊列車車両基地へ回送列車に乗ってやって来る数少ない訪問者だった。
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「鉄路に住む永久の旅人」より、少女がとうとう幽霊列車車両基地に来ました。続きはまた次回、明らかになります。