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6 幻の列車

ちょっとした秘蔵ネタです。形式は個人的にあって欲しかったものをテーマにしました。他も出したかったのですが……資料不足により没にしています。

ある夜明け前の薄暗い幽霊列車車両基地にて……。





ガラリと客室のドアを開けた。ドアは何の抵抗もなく少女を受け入れる。まるで今まで一度も使われていなかったかのように……スムーズに。


中に入るとその当時現役だった頃の古めかしい空気……ではなく、この車両の存在を疑うような無の空気と車内の静寂が静かに流れていた。明かりはどれも割れておらず新品。だが今は電気が流れることなく、真っ暗に沈黙していた。


少女は車内に整然と並ぶ、二列転換シートの背もたれに手を触れる。こちらもまた、新品同様にふわふわとして押し返してきた。少しばかりシート表面を擦り触れた手に目を向けるが、その掌には埃すら見当たらない。


「あまりに綺麗過ぎると……何か寂しいわね。これが消えた夢の……形なのかしら?」


ぽつりと彼女は悲しげに呟く。まるで犠牲者を弔うかのように。現役で走ることすら……夢と潰えたことを哀れむように。消灯した車内の中で。


少女は手にビニール袋を持ちながら、座席との間をゆっくりと歩く。一応掃除が出来るように万全の態勢で臨んでいるが、どれだけ座席や床下を見ても何も見付からなかった。いつもならば見つかる筈の新聞紙や空き缶などといったゴミさえ。


何故ならば……この列車は現世に実在しなかった列車だからだ。人々の目に晒されることなく忘却の渦の中に消えた車両。技術の成長過程の中で書類上は存在した、記憶の中でのみ現世に形を取る時代の犠牲者達。





現世に生きる人々はその車両をこう呼んだ。幻の列車と……。


幻の列車。それらは全て何らかの企画段階で終わったものだ。古い技術の延長線での計画、特定路線を補助機関車なしで乗り越えようとした計画……数えればきりがないだろう。幻の列車など現世では人々の幻想の中で無限と生み出せるのだから。


殆どに当てはまることだが、それらの車両は全て技術の進歩によって実現しなかったのだ。コストの問題、利用客の問題、設備上の問題など現実的な問題によって。どんなに新しい列車といえども、存在価値を決めるのは人間であり、それを利用する乗客である。幻の列車達はその障壁に敗れ、紙の上の存在、幻と消えてしまったのだった。


それらが今、この現世に於いて役目を終えた廃車車両が静かに眠る、幽霊列車車両基地に留置されていた。現役を全うした廃車車両を沈黙を持って見守りながら、決して形にならなかった儚い夢をここで実現させながら。一度も使われることのなかった新造時の姿を、寂しげに廃車車両に見せて……。





少女は新製同様の車内を歩き、ある列の席の前で足を止めると奥の窓にそっと手を触れた。ガラス窓は汚れ一つなくつるつるとして、またひんやりと冷たい。この窓の先には偶然にもこの列車が走る筈だった路線を実際に活躍した車両が、時の流れの証である赤錆を纏いながら一線間を置いて鎮座していた。


その車両は白い車体に太い深い緑のラインと僅かに細いグレーのラインが入っていた。加えて乗降扉は二つ。それを一目見るだけでも色合いからして山岳地帯を走る特急であることは明白であった。


無論いつもの如く、行先を表す方向幕には黒い文字で回送という文字が出ている。そして下の部分には車両の名前である形式番号が振られていた。今回はそれほど塗装が剥げていないので、番号がはっきりとこちらからでも見える。



・クハ189-501



また、先頭車故えか運転席と乗務員扉との間には、剥げたグレー色でうっすらとその車両が勤めていた特急の名前が残っていた。今は新幹線で走り、古き良き鉄路からは永久に消えてしまった列車。



■ASAMA■



特急あさま。かつて急勾配と呼ばれた峠を越え、幾つもの県境を跨いで走った列車である。新幹線のなかった時代、長野方面へ向かう乗客はこの列車に利用していたという。先述の峠では峠のシェルパの異名を持つEF63と呼ばれる、補助機関車に押し上げられ……何度も県境の急勾配を越えた列車。そして、この幻の車両が継ぐ筈だった特急の名前。


「失われた記憶、投影せよ」


少女は幻の車両の窓に手を添えたまま、車両の記憶を投影する言葉を静かに呟く。だが今回は窓の向こうの景色がブレることなく、投影されることはなかった。


この言葉は現役時代を走った列車には必ず映る。だがそれは、裏を返せば“現役でない”車両ならば何の反応も示さないことを表していた。つまり、走った記憶を持たないこの車両は……決してこの窓には何も映らない。新造される工場の無機質な光景さえも。


「映ることも……ないのね」


少女は重くため息をつく。何故重いのか?それはこの列車の境遇についてである。当然現世での扱いではない。“今後の”扱いだ。


思い出して欲しい。ここは幽霊列車車両基地。消えた幻の存在すら実在する、現実と隔離された曖昧な世界であり、冥界。ここに回送された廃車車両は彼女の手によって綺麗に掃除され、“現役”時代の姿を取り戻し車両基地を幽霊列車として出発していく。そして幽霊列車はは現世に現れ、線路の上を“当時の”面影を残して走り続ける……。


つまり……当時の面影すら存在しないこの列車は現世で、幽霊列車として走ることも出来ないのだ。人々の記憶の中に、確固たる形を宿していないが故に……。



幽霊列車として出発出来ない。だからこの列車は車両基地に留置されているのだ。車体が綺麗なまま、だが出発することを永久に許されず。少女と共に何度も同胞になる筈だった車両を見送りながら。幻想と消えた夢を抱き……。


「夢のままに消えた……列車」


少女は両手を重ね、自分の胸にそっと押し当てて深いブルーの目を閉じる。だが彼女には自らの心臓の鼓動は聴こえない。時を止めたように静かで……動かない。この車両のように……。


ピィィィィィィ―――!!


その静寂を破るかのように突然、暗闇に沈んでいた車両基地に甲高い機関車の汽笛が鳴り響く。今日もまた、廃車となった列車がここにやってきたのだ。現世で役目を終えたある意味で“救われた”車両達が……活躍の証をその車体に刻みつけて。


「そろそろ頃合いね。仕事に戻らないと♪」


少女はそう呟くと目を開けて車内に踵を返し、一つだけ開いた乗降扉から飛び降りた。その際に彼女の銀髪が扇のように広がる。高さが少しだけあるが、彼女はもう慣れてしまっているので平気だった。


そして膝を曲げなから軽やかに地面の上に着地する。そして今まで自分が乗っていた車両を一瞬だけ振り返り小さく笑顔を向けると、また視線を前に戻して運ばれてきた廃車車両の待つ線路に向けて走り去っていった。


この車両はクリーム色に塗られた上から、赤く太い線が入れられていた。窓は普通のものより大きく、また乗降扉はかつての特急の風格を表すように一つしかない。


また下には先述の車両と同じく、形式番号が振られていた。



・クモハ187-1



この車両の先頭車は左が大きめ、右が運転席に準拠して小さめという不釣り合いな容姿をしていた。加えて左右には箱形の2灯のヘッドライト、その下には小さな赤いテールライトがある。他には運転席側に申し訳程度に付けられた逆三角の特急マーク。最後に中央は、特急名を表示するスペースがかなり大きめに存在する。そして表示には、黒い文字でこう書かれていた。



あさま



幻の列車が受け継ぐ筈だった特急名。それが幽霊列車車両基地の中でひっそりと掲げられていた。叶わなかった夢をここで実現させたい。そんな少女の願いを込めた、幻の列車に贈るささやかな贈り物だった。


幻の列車。それは幽霊列車の清掃員である彼女ですら、救うことの出来ない車両。彼らもこの車両基地の中で静かに眠り続ける。いつかその幻が……現世で形となるその時まで……。


意見、感想があれば投稿お願いします。

ほぼ月一更新の埋もれ易い小説ですが、今後も宜しくお願いします。完結ネタも一応考えましたが、未定にしています。


補足:この話の峠とは、群馬県と長野県の県境にある碓氷峠です。鉄道路線では信越本線の横川~軽井沢(現行:しなの鉄道)にあたります。

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