3 記憶と記録
簡単な車内表現を書くときは先ず、写真を検索してから編集を行っています。
少女は運び込まれた車両を今一度先頭車両から最後尾車両までを一両ずつ表面上で見て回った。いわゆる掃除をすると仮定して、どうするのかという計画を立てるための下見である。
まず見るのは外観。今回は赤錆た583系だった。表面はどの車両も共通な赤錆に覆われている。だが、問題は状態ではない。掃除をして復元するに当たって必要なのはその車両が現役時代どんな色を纏い、どのような用途でどのように活躍したのか。そしてどこを走っていたのかを知る必要があった。
つまり、掃除する列車のことを知る。それが少女が掃除をする前にする大事な事柄である。
しかし、知りたいとはいってもここは幽霊列車車両基地。すでに廃車にされ、現世での存在が消えてようやくここに車両が牽引されてくる。だから何も知らない少女に車両の歴史など知る術は普通はない。そう、普通は。
「ちょっと見てみようかな」
ふと少女は気になってそう列車に呟くと、車両基地に等間隔で置かれたキャスター付きの木製階段を近くから引っ張ってきて、それを列車の先頭車の運転席ドアの下に掛けて固定した。そしてゆっくりと落ち着いた足取りで上り、ドアの前に立つ。
目の前のドアの先は当然真っ暗である。電気を落とし、沈黙する列車はその赤錆た容姿と相まって不気味な雰囲気を漂わせていた。しかし、少女はそれには動じない。自分一人で勤める世界に幽霊なんていないからだ。もっと言えば自分もある意味で幽霊だから、怖がる方がおかしい。
錆びた運転席のドアに手を掛け、開けると中に閉じ込められた現世での空気が一気に押し出されるようにして、こちらに流れ込んできた。どれも古臭い匂いなのは共通しているが、列車によって若干違う。それは少女の小さな楽しみの一つ。
どんな匂いがするのか?それは読者の好きなように想像して下さい。個人それぞれ違う筈ですから。
「こういう時って自動ドアが恨めしく感じるわ。普通は便利だけど、電源が落ちてるとね……」
ちょっとした愚痴を言いながらも彼女は運転席の中に入る。この世界の基準で新しい列車というのはどれも自動式で、一度は主電源に電気を流さなければ全てのドアを開けることが出来ない。この世界ではちょっと厄介な相手だ。
中に入ってすぐの小さな脚立を上がるとそこは運転席がだった。まだ中は古い空気が立ち込めているが、その中には金属の錆びてしまった特有の匂いも混ざっている。
「やっぱりブレーキはないかぁ……」
少女は運転席に目をやってやっぱりか、と落胆するように呟く。マスター・コントローラーはやや光沢を失いながらもあったが、ブレーキは廃車前に取り外されてしまったようで取り付け部分が申し訳なさそうに残っていた。
他の機器も無事だが、やはりブレーキがあるのとないのでは雰囲気的にも違う。しかし、それは現世からお役目ご苦労と言われた証拠でもある。むしろ、ついているとまだ現世に未練でもあるように見えるからそれこそあってはいけないのだけど。
「あ、そうそう。これだわ」
少女は長い白髪を少し手櫛で解きながら、運転台に乗せられたものを見つけるとそれを手に取った。彼女が探していたものはまさしくこれだった。
それは黄ばんだ一冊のノート。これは元々この列車にはなく、この世界に牽引されてきた時に乗せられるものである。
本車両の詳細
形式:583系
車両数:12両
管理編成番号:No.542
WSランク:A
走行区間記録:(読者の想像にお任せします)
走行予定区間:712系統区間
列車種別:特急
改列車名:山茶花
停車駅:(読者の想像にお任せします)
列車運行簿認証コード:SE6412レ(SEはSpecial Expressの略)
発行:冥督府 幽霊列車専用軌道 奏橋運転所
これは幽霊列車車両基地に牽引される前に、一緒に載せられる記録簿である。この世界では少女対象に発行されているものだが、肝心の車両状態の詳細が載っていないのがいつものことだった。理由としては清掃を管轄しているのが少女だから、いかに報告しても後から見えない汚れが発覚するかららしい。
また先述の通り、この記録簿は少女だけが見る訳ではない。清掃後はこの車両を運転手が運転するためにこれを参照する。走行予定区間などがあるのはその為だ。
「山茶花……ね。また変わった列車名ね」
この列車名は冥督府より選別された列車名である。たまに無名で送られてくる特急車両もあるが、そのときは少女自身が勝手に付けている。ただ、その名前を全面に出して走るので名前を付けるときは慎重に選んでいるが。
彼女は列車の記録簿を閉じると運転台の窓を見つめた。窓は雨垂れのせいか茶色く劣化していて、外にある廃車の車両群を更に暗く映していた。
そして白くほっそりとした手を伸ばし、その運転窓にそっと手を添える。長年の埃が手に付くが彼女は気にしない。伸ばした方の指にはブルーの輝きを放つ小さな指輪がはまっていた。
「失われた記憶、投影せよ」
少女はガラスに手を添えたまま、目を閉じて静かに呟いた。すると、指輪が蒼く輝き初めその光りがガラスの上に放射状に広がって一種の薄い膜を作る。
すると汚れていた窓がみるみる内に透明な本来の色に戻っていく。そして窓から映る景色が歪み、青一色に塗りつぶされた。
少女がこの車両に乗り込んだ目的、もう一つはこの列車が持つ記憶を見ることだった。その行為に対して、今後の掃除の方針が変わることはないが、少女にとっては貴重過ぎる楽しみだった。車窓からはかつて生きていた現世の景色を目の当たりに出来るのだから。
窓の景色は徐々に青が薄くなり、世界を形成する様々な色を出し始めた。歪んだ景色は整えられ、はっきりとしたものに修正されていく。そうして出来た車窓はかつての現役時代を鮮明に少女に向けて写し出した。
出てきた景色は夜の車窓だった。見えるのはヘッドライトで照らされた二線の線路と遠くでひっそりと状況を教えてくれる信号機、それ以外は真っ暗だった。しかし、目が暗闇に慣れてくると両サイドに立つ住宅が見えた。
ゴォォォォ―――!!
夜轟音を響かせて走る動力の音とそれに伴う速さでの風が唸る音が更に聴こえてきた。残念だが運転士の声はない。それはあくまで車両の記憶だから。
しばらく暗闇の中を走っていくとはるか向こうから白いヘッドライトが見え、それが少しずつこちらに近づいてきた。
ライトの数は4つ。上に一つと下に並ぶように二つ、二つのライトの間にある一際大きなものが一つ。同じく鉄路を照らしながら……。
少女はどんな列車なのかを期待した。中央の大きなライトはトレインマークに違いない。一体どんな名前を付けているのだろうと期待する。
そして列車と擦れ違う。はっきりとマークを確認するタイミングは1秒にも満たない。集中力を高めて相手を見据えた。
先頭車両が間近に迫り、少女は何とかトレインマークを見ることが出来た。見えたのは青いボードの上に白い鶴のような鳥の絵が描かれ、その隣には寝台特急を現す星、そして列車名が黄色い文字で表示されていた。
はくつる
そのマークを掲げた列車は完全に車内灯を落とし、黒い影のように猛スピードで擦れ違うとすぐにその姿は死角である後方へと消えていった。
「やっぱり一瞬だよね」
もう少しちゃんと見たかったが、時間は許してはくれない。もう掃除を始める必要があった。ただし、この車両ではないが。
少女は窓から手を離した。すると綺麗な窓がまた元のボロボロの茶色い窓へと戻る。
記憶は何もあれだけではない。今回はたまたま夜の車窓が見えただけだ。それに投影できる窓はここだけではない。また別の窓で試せば新しい発見があるだろう。
「また時間が空いたら見に来ればいっか♪」
少女は運転席から降り、運転室のドアを開けるとこの車両を後にした。今回は興味本位で来たばかりの車両の記憶を覗いたが、これから掃除する車両にはどんな発見があるのだろうか?
「楽しみ♪」
彼女以外、誰もいない世界に明るい声が響いた。
オリジナル列車名はこの先も出すつもりです。ただ、名称候補の範囲はかなり狭いのがネックですね。