後編
後編、前編よりも長めです。
開店から30分。
蘇芳のサークルは大変なことになっていた。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
スーツに蝶ネクタイのイケメンが、無駄にキラキラっちい笑顔を顔に貼り付けて客(99%女性)を出迎える。女子部員がいった通りイケメン率の高いサークルなので、みんな異様に執事モドキスタイルが似合っている。
「お嬢様、本日は美味しい紅茶をご用意してございます。お茶菓子は何にいたしましょう?」
そういってメニューを差し出し、注文をとる。女性客は目をハート型にしてメニューの説明に聞き入っている。
逆にオーダー品が運ばれてくれば、
「お待たせいたしました、お嬢様」
と優雅にティーカップに紅茶を注いでいく。優雅なティータイムの始まりだ。
「お茶のおかわりをご所望の時はお呼びください。わたくしがおつぎいたします」
執事たちはそれこそ一から十までお嬢様たちのためにつくす。並べられたスイーツセットは、ケーキ、サンドイッチ、クッキーなどが3枚の皿に別々に盛りつけられてサーブされるが、お嬢様の召し上がるお皿が終わり、2枚目をいただくときも、皿を取り替えるのは執事の仕事だ。そのたびににこやかにスマイルを振り撒き、女性客たちはほわんとした表情になる。
だが。
エセ執事どもは胸に名札をつけており、客が気に入った執事を呼べるシステムになっている。
これが失敗だった。
「蘇芳を呼んでちょうだい」
そう言う女性客が続出したのだ。
必然的に蘇芳の仕事ばかりが増え、オーダーが回らない。けれど他の部員がオーダーを持っていくと文句を言われる。
つまり、客の回転が悪いのだ。
そして、オーダー品の提供が遅れれば、これまたクレームにつながる。
「テーブルごとの担当制にすればよかったなあ」
「それはそれで、蘇芳のテーブルだけに長蛇の列が出来そうですよね」
蘇芳は一応にこやかに対応しているが、いっぱいいっぱいなのは見ていてよくわかる。手持ち無沙汰な他の部員がはああ、とため息をつく。もはや執事喫茶は混乱の様相を呈している。
「客寄せパンダどころの騒ぎじゃないな。完全に見込みが甘かった」
「こうなったらいっそのこと、蘇芳の彼女が来てくれれば客が半減するんじゃ…」
「それだ!」
先輩の一人が叫んだ。
「おい拓海、おまえ連れてこい」
「え、俺、顔も知らないっすよ?」
「名前くらい聞いてるだろ?とにかく探して連れてこいっ!」
「えーでも、蘇芳のシフト終わったくらいに待ち合わせたって…」
「「「いいから行ってこい!!」」」
最初は客寄せパンダな蘇芳のおかげで繁盛しそうだ、あの無駄にイケメンな顔を部のために役立てろ、なんて揶揄してたくせに、調子よすぎるよなあと拓海はぶつぶつ言いながら出ていった。
「ここは違ったかあ…」
その頃夏世は二つめのサークルから出てきたところだった。ここは屋外でストラックアウトやフリースローなどをできるゲームコーナーだった。
夏世はパンフレットを眺めた。
「次に近いところは…これかな」
ゲームコーナーのそばのドアを入ってすぐのところでなにかやっているらしい。その教室まで来て夏世は固まった。
「お化け屋敷…」
別にお化け屋敷が苦手なわけじゃない。ただ、もしも脅かし役をやっていたらどこにいるかわからないと思ったのだ。
入り口の前でちょっと立ち止まったら、突然、後ろから背中を押された。
「いらっしゃい彼女~、見ていって!!」
強引な客引き係の学生だ。
「え、ちょっと私、人を探して」
「まあまあ、時間はそんなにとらせないからさ、何だったら俺が案内したげるよー!ほら、行こう!」
「待ってよ、中に古川ってひと、いる?」
「えー、俺とここに入ってくれたら教えてあげるよー!」
これはここに蘇芳がいない証明のようなものだ、と夏世は思った。名指しで訪ねてきた女の子は彼女かもしれないと考えるのが普通だし、仮に中にいるのなら、その彼女かもしれない女の子に目の前でちょっかい出そうなどとは考えないだろう。
「も、いいです。さよなら」
くるりと踵を返した夏世に、学生はあわてて行く手を塞ぐ格好で腕を広げた。
「ま、まってよ!ね、ちょっとだけ」
「だから、人を探してるんだってば!」
揉めていたら、声を掛けられた。
「おいこら遠藤!強引な客引き禁止だろ!」
見ると、スーツ姿の学生が立っている。
「げ、番匠…いやいや、強引なんて」
「じゃあもう彼女も行っていいよな」
そう言って夏世の背中を押してその場を後にした。
「ごめんね、うちの学生が嫌な思いさせて」
少し離れたところまで来て、拓海が軽く頭を下げた。
「とんでもない、ありがとうございました」
夏世も頭を下げた。ちょっと照れたように拓海が鼻の頭を引っ掻く。
「お詫びに案内でもって言いたいところなんだけど、ちょっと用があってね。それじゃ、学祭楽しんで行ってください」
「あ、あの!」
その場を去ろうとした拓海を夏世が呼び止めた。
「ついでにお聞きしたいんですけど、古川蘇芳って学生を探してるんですが、ご存じないですか?」
「へ?」
拓海は目の前の女の子を凝視した。
高校生くらいの、ストレートの長い黒髪が印象的な子。ちょっとつり目がちな、はっきりした顔立ちの、どちらかと言えばかわいいというより美人系。
「ひょっとしたら…夏世ちゃん?」
「へ?」
今度は夏世が拓海を凝視する番だった。
大混乱の執事喫茶は最早収拾がつかない有り様だ。町にある本物の執事喫茶が時間入れ替え制な理由がよくわかる。
正直、蘇芳もかなり疲れてきている。
予定している交代時間まではあと40分ほどだが、さっき廊下にできた長蛇の列に「蘇芳はもう少しで勤務時間が終わりなので、これから待っても入店した頃にはいない」旨をアナウンスしたら、危うく暴動が起こりかけたので、蘇芳も出るに出られない。
厨房がわりにしている衝立の裏にオーダー品を受け取りにいって、思わずため息をついた。
「蘇芳~!紅茶のおかわりをおねがい」
すぐに客席からお呼びがかかる。
「大丈夫か、蘇芳」
「うん、大丈夫」
もう一度背筋をぴんと伸ばすと、蘇芳は顔にキラキラ笑顔を貼り付けた。
「はい、お待たせいたしましたお嬢様。ダージリンでよろしかったでしょうか?」
「ええ、結構よ」
呼ばれた客の席で紅茶を注ぎ、ミルクと砂糖を添える。それからにっこりとほほえみかける。
部屋中がぽーっとなって、頬を赤らめている。
「ではごゆっくりおくつろぎくださいませ、お嬢様」
蘇芳が一礼して離席しようとすると、「あ」とその女性客が手を伸ばして引き留めようとした。
が、その手はうっかり注いだばかりの紅茶のカップをひっくり返してしまった。
「きゃあ!」
女性客はあわてて立ち上がったので紅茶を被ることはなかった。が、こぼれた紅茶は机から床へこぼれてしまった。
すぐにほかのスタッフがかけつけて紅茶を片付ける。蘇芳も持っていたふきんで机を拭いた。
「お嬢様、お怪我はございませんか」
真剣な表情で蘇芳が女性客に訊いた。
「は・・・はい」
女性客は蘇芳と向かい合うような格好で、目をハートにしてあごのあたりで両手を組み、うっとりと蘇芳を見つめている。
そのとき、廊下の方から騒ぐ声が聞こえた。
「すんませーん、通してください!」
「ちょっと待ちなさいよ!ちゃんと並びなさいよ!」
「いや、この子は関係者なんで」
声にふと入り口の方を振り向いた蘇芳は、ぎょっとして固まってしまった。
そこにいたのは、目を見開いて自分を凝視している、大事な人。
「か…かよ」
だらだらと脂汗が流れる。
こんなちゃらけた姿を見られたくなかった。
いくらサークルの出し物とはいえ、こういうフザケたところは、まだ付き合い初めて一月くらいの彼女には見せたくない。
笑うよな。絶対笑うよ、夏世。
何より、夏世に見られたくない一番の理由は・・・
「…っこいい」
「え?」
予想に反して、夏世の目は星を山ほど詰め込んだようにキラッキラしている。
「蘇芳、かっこいい!」
「え」
…拍子抜けしてしまいました。
「なんで最初から呼んでくれなかったの。もう!」
「ご、ごめんね」
気を取り直して夏世の手を取ると、室内で「きゃーーっ!」と悲鳴が沸き起こった。
「す、蘇芳、その人は?」
勇気ある女性客が恐る恐る訊いた。
「はい、僕の大事な恋人です」
一瞬の沈黙のあと、再び悲鳴と嗚咽に包まれた執事喫茶だった。
結局、無用の混乱を避けるために、交代時間前に蘇芳は解放された。
夏世と仲睦まじく学祭を回る姿に涙した女子が多かったとかいうのは、また別の話。
「なんかさ、いくら仕事とはいえ、ほかの女の子にかいがいしくしてるところ、夏世に見られたくなかったんだ」
「そうなの?」
大学構内のベンチに二人で座って、出店で買ってきたフランクフルトにかじりつきながら夏世が横目で蘇芳を見た。蘇芳はこれまたどこかで買ってきたパック入りの焼きそばを割り箸でつついている。
「だって、夏世がいやな気持ちするんじゃないかと思って」
「う~ん・・・そんなことないと思うけど」
「・・・そう?」
「うん。だって」
体を斜めに向けて蘇芳をまっすぐ見る。
「いつも私にしてくれていることより、全然たいしたことないから」
「え?」
「蘇芳、すんごい過保護なんだもん。それこそ三歩先の小石も許せないくらい。・・・こんなに甘やかされてていいのかな、って思うほど。それに比べたら、さっきのなんて目が全然笑ってなかったもん。いやいややってるの、よくわかったてたよ。・・・ま、そりゃ全く妬かないわけじゃないけど」
「夏世・・・」
つきあい始めてまだまだ日が浅いっていうのに、この子は僕をこんなに見てくれている。蘇芳は感動していた。
「はいはい、邪魔して悪いけどさ、場所考えろよ、蘇芳」
背後から声をかけられ、頭の上にずしっと重さが加わった。
「た・・・拓海だな?重いからどいてくれ」
「どいてやってもいいけど、ちゃんと紹介しろよな」
蘇芳の頭にのしかかっていた拓海がにやにやしながら夏世の方を向いた。
「さっきはどうも! 俺、番匠拓海。こいつの親友。よろしくね」
「あ!あなたが拓海さん!蘇芳からよく話きいてます。井原夏世です、よろしく」
「なんだよ、紹介しないでも勝手に知り合ってるじゃないか。だから拓海、重いからどいてくれって」
まだのしかかってた拓海が「わりーわりー」とどいて、なんだかしょうもない言い合いが始まる。夏世はそんな二人を見てくすっと笑った。
20歳という年齢から考えると妙に大人っぽすぎるところのある蘇芳だが、こうやって友人と遊んでいるときは普通の学生に見える。きっと、昴グループを背負っていく重圧から解放される貴重な時間なんだろうなあ、と夏世はうれしく思っていた。
なんだかんだで混乱を極めた執事喫茶は、蘇芳がいなくなったあとは客がうまく他の部員にばらけ、なかなかの成功を納めたらしい。
「そうですか、そんなイベントが」
学祭の代休になった月曜のティータイム、自宅のリビングで寛ぐ蘇芳に、ウエッジウッドのティーカップに紅茶を注ぎながら駿河が言った。
「駿河はすごいよ…いつも平常心で。僕はもうごめんだよ」
「いえ、私の場合は、そんな大人数に対するわけでもありませんし、うちには無理難題を押し付ける方も幸いいらっしゃいませんから」
今日の紅茶はディンブラ。蘇芳はミルクティでいただくのがお気に入り。駿河はそれにちょこっとだけブランデーをたす。蘇芳はその香りを楽しんで、一口飲んだ。
そこへ、電話がかかってきた。
「はい、あ、拓海」
『蘇芳、実はさ、学祭の執事喫茶、えらい評判よかったらしいんだよ』
「そうなんだ。でももうごめんだよ」
『そうも言ってられないかもしれないぞ。売上がすんごい黒字でな、先輩たちが味をしめて来年もやるって言い張ってる』
「僕に迷惑かけなければいいよ、好きにやってくれて。」
『へえ、で、そこんとこ確認しようと思って電話したんだけどさ、おまえ本当にオッケーしたの?』
「…え?」
『写真のことだよ、写真。“蘇芳くんブロマイド”、三枚千円で売ってるらしいけど?』
それを聞いた蘇芳は無言でがたりと立ち上がると、「…部室に用事ができた」と部屋を出ていった。
「いや~、あんなに儲かるとはなあ、執事喫茶!」
「蘇芳様々だよなあ。こういうところで幸せを俺たち一般人に還元してもらわないと」
サークルの部室で先輩連が整理していたのはこっそり撮った蘇芳の執事姿の写真だった。これを3枚セットで売り出そうというのは彼らの発案だ。
「でも、蘇芳のやつにばれたらまずいだろ」
「い~や!そこは先輩としてだな、威厳を見せてばちっと部に貢献するように・・・」
威厳の見せ所を間違っている気がとてつもなくするが、思い切り胸を張って部長が言い切った。
そのとき、立て付けの悪いドアがさらに気味の悪いぎぎぎぎっという音を立ててゆっくりと開いた。
ドアの向こうからは、どす黒い何かが触手を伸ばしてくるような気配。
部室にいた連中は見た。
ドアの隙間からのぞく、白い人影を。
普段は温厚なはずの青い瞳に、全員が恐怖をおぼえた。
「先輩・・・」
「ひっ!ひいいいいいいいいいいい!」
そして翌日、執事喫茶はサークルの黒歴史として永久に封印する旨、異様に怯えた部長からメールが回ったとさ。
なお、この話は執事という職業あるいは執事喫茶を愚弄したり、卑下したりする気はまったくありません。
もし、ご不快は表現がありましたらこの場を借りてお詫び申し上げます。
ちなみに筆者、執事喫茶好きで、何度か行っております。常連ってほどじゃないけどね。