フェンリル
カラン・・・と、グラスの中の氷が音を立てる。男は上機嫌で空になったそのグラスに最高級のウイスキーを注ぎ込んだ。それをチビチビと飲みながら、アイノスという魔獣の燻製肉を齧る。アイノスは、魔素を取り込み進化した鹿のような魔獣だ。戦闘力は皆無だが、探査能力と逃げ足にその能力の殆どを注ぎ込んでおり、様々な生物が生息する森の中で、半径300m以内に存在する自分たちに害意を持っている動物だけを探知することが出来る。そして、その素早い動きで一目散に逃げ去ってしまうため、一部の上位ハンターしか捕獲出来ない為に非常に高価だ。
だが、肉としては最高レベルの物で、生で食べてもよし、煮てもよし、燻製などにしてもよしという、美食家には垂涎の代物であった。彼の前の丸いテーブルの上には、そのアイノスの肉以外にも、様々な高級食材や料理が、所狭しと並んでいた。
「私は本来、静かな部屋で燻製肉とウイスキーだけでチビチビやるのが好きなんですがねぇ・・・。」
ガツガツガツガツと、凄い勢いでその大量の料理を掻き込んでいるもう一人の男を見ながら、彼は眉を顰めた。せっかくのいい気分を台無しにされたことに、少しイラついているようだ。その男は、病的なまでに白い肌と、光を吸い込むほどに真っ黒な頭髪。真紅に染まった着物には、小さな金色の蝶々が何羽も描かれている。
この燻製肉以外、他の料理は全てもう一人の男の為に用意された物だ。勿論、最高の食材と最高の料理人による芸術品とでも言えそうな物ばかり・・・なのだが、彼の目の前の男は、碌に味わいもしない(ように彼には見える)で猛然と食べ続けている。更に床には、彼が飲んでいる最高級ウイスキーと同格か、もしくはそれ以上の価値がある酒の瓶が幾つも転がっていた。勿論、飲み散らかしたのは男である。彼は、食材に対する冒涜だとすら思った。
「まぁー、そんな硬いこと言うなよ。人それぞれ好みがあるんだからさ。一応これでも味わって食べてるんだぜ?せっかく目出度い日なんだ。少し位は多めに見ろよ。」
と、口から発せられた言葉ではなく、脳裏に直接伝えられた言葉で言われる彼は、フンッと鼻を鳴らした。
「貴方は人間じゃないでしょうに。」
「・・・・・・。」
それまで幸せそうな表情で料理を掻っ込んでいた男だったが、その言葉を聞いた瞬間、顔から表情が消えた。それまでは忙しなく動いていた両手も止まり、部屋が緊張で満たされた。空気が軋み、部屋の調度品や壁は、物理的な圧力を持った魔力の放出に耐え切れずに、音を立てて壊れ始めた。そして、何よりも異彩を放っているのは、男の着ている着物に描かれた金色の蝶々が、煌々と輝いているということだ。
「・・・口には気をつけたほうがいい。」
ゾワリ、と彼に鳥肌が立った。体が圧力によって締め付けられ、呼吸をすることも難しい。本能が、男に従えと、頭を垂れろと叫んでいる・・・・・・が、彼はその叫びを、意志の力で押さえつけた。
「本当の事でしょう?そもそも、我々人間如きと一緒にされたら、貴方がたも嫌でしょうに。怒ったフリをするなんてイヤラシイですよジンガ様。」
その言葉を放った瞬間、部屋に満ちていた圧力は、今までのものが嘘のようにアッサリと消え去った。ジンガと呼ばれた男は、先程までと同じニヤリとした笑みを浮かべている。
「ククク・・・。そりゃそうだ、俺たちを人間如きと同じに考えてもらっちゃ困る。・・・が、俺たちの正体を知っていて、それでもなおそんな態度が取れるお前みたいな奴は、数ある次元世界の中でも貴重だぜ?何の力も持っていない癖に、俺たちと対峙する恐怖を押さえつける事が出来る人間はな。・・・本当にお前は大した奴だよ四谷蓮司。更に、俺たちの仲間に成りたいなんて言うしな。お前は十分にイカレているよ。」
本当に楽しそうに語っていたジンガは、また食事を再開した。だが、ジンガの言葉を聞いた蓮司は、釈然としないような微妙な顔をしている。
「・・・これでも私は、この世界では比較的上位の力を持つ人間なんですけどねぇ・・・。まぁ、貴方がたに言わせればゴミみたいな存在なんでしょうけど。でも、イカレているっていうのは酷いんじゃないですか?私はただ、世界が壊れる瞬間を見たいだけです。」
その言葉を聞いたジンガは、更に笑みを深くする。
「ハハハ!自分の生まれ育った世界を自分で壊したいと考えるなんて、完全にイカレてるだろうがよ!ハハハハハ!お前みたいなのがいるから人間ってのは面白いんだ!ハハ、ハハハハハハハ!」
一体なにがジンガのツボに嵌ったのかは不明だが、彼は物凄く楽しそうであった。それを見た蓮司は、不思議そうに首を捻る。
「今日は本当にご機嫌ですね。先程、『目出度い日』と言っていましたが、何があったんですか?」
二十人前はあったであろう大量の料理を食べ尽くしたジンガは、皿を無造作に退けると、また新たな酒瓶を持ってきた。それを直接口を付けて飲みながら喋りだす。
「いやぁ、長年の宿敵を排除することに成功したからな。・・・といっても、完全な排除じゃないし、時間が経てば力を取り戻すんだろうが・・・それでも、かなり長い時間を稼ぐ事が出来た。これで俺たちの計画も進むってもんよ!」
本当に嬉しそうに喋るジンガに、驚きを隠せない蓮司。
「貴方たちと対等の存在がいたのですか!?」
「当たり前だろぅ。そもそも、俺たちは次元世界全体で見れば、実力は上の下ってところだ。俺たち以上の存在なんて、それこそ腐る程いるさ。だが、その中でもクロム・・・あの『守護者』は厄介だった。【炎帝】と【氷帝】は既に退場しているからな。ここでアイツを排除出来たのは大きい。」
蓮司は驚いていた。自分たちの力に絶対的な自信を見せる彼らは、『無敵』の存在だと思い込んでいたのだ。ここまで自信タップリの彼が、素直に自分よりも上の存在がいることを認めることが不思議でしょうがなかった。
「あのなぁ、自分たちが絶対の存在だと思い込むなんて、余程の馬鹿しかいないぞ。その言葉を言っても馬鹿にされないのは、第一世界の主神くらいなもんだ。・・・そもそも、俺たちが何故世界を壊すことをしてると思っているんだ?」
少々呆れが混ざった声で言われた蓮司は、考えてみた。
「そもそも、世界を壊す事だけが目的なら、俺たちの力を使えば一瞬だ。このティターニア程度の中位世界くらいなら、全力を出せば何とか破壊することが出来る。お前のような、その世界の住人の力を借りる必要なんてない。」
「確かにそうですね。私に技術と知恵を与えてあんなものを作らせて世界を壊させるよりも、自分たちで壊した方が早いし楽でしょう。」
「だが、それをしても、俺たちの目的は達成出来ない。だからお前たちを使うんだ。」
使うという発言をされても、蓮司は気にしていない。まるで蓮司のことを道具のようにしか思っていない発言だし、事実今のジンガはその程度にしか思っていないだろう。しかし、それでも十分だと彼は考えていた。だって彼は、世界が壊れるのを見たいだけだから。世界を壊してみたいだけだから。それをさせてくれるというのなら、評価など低くても全く構わないと思っていた。
「いいか?俺たちのような存在はな、『存在の力』を定期的に補給しなければ生きていけない。精霊や幻獣や神などといった、お前らのように『肉の器』がない存在は、他の生物から生命力を吸収することで存在を維持しているんだ。―――更に、その『存在の力』を自分の限界以上に取り込む事が出来れば、俺たちは上位の存在に転生することが出来る。」
「・・・つまり、他の生物を殺さないと生きていけないってことですか?」
「いや、例えば植物の精霊や神なら、近くに生息する植物から少しずつエネルギーを吸収するだけで生きていける。この場合、大量の対象から少量ずつしか吸収していないから、ほんのちょっと成長が遅くなるってくらいだな。あとは、信仰心そのものを糧としている奴らもいるな。まぁ、中には殺さないと生命の力を吸収出来ないって奴らもいるが、俺は違うな。」
「殺さなくてもいいのなら、何故世界を破壊するのですか?」
その質問に、ニヤリと笑うジンガ。
「簡単だからさ。」
「・・・?」
「チマチマ少量の生命を殺して、存在の力を吸収するより、一気に大量に殺したほうが効率がいいだろ?そうなると、『次元を破壊する』っていうのは、強くなる一番の近道だ。なんたって、その次元に存在する全ての生命が一度に死に絶えるんだからな。動物、植物、精霊、神獣幻獣、神、惑星・・・そして次元。命を持つ全てが死に絶える。まぁ、神獣や神の中には、次元が破壊されても生き残る奴はいるだろうが・・・それ以外は殆どが死ぬからな。それら全ての力を吸収出来るんだ。―――だけどさ、その為に俺たちの力を使うのって勿体ないよな?俺たちの攻撃って、自分たちの中の『存在の力』を使っているんだぜ?」
そこまで言われて、やっと何が言いたいのか分かった蓮司は言った。
「つまり、大量に消費して大量に吸収しても、何の旨みもないってことですか?」
「そのとおり。」
説明が無駄に長い気もするが、つまりはそういうことなのだ。
「そんな面倒くさいことをするよりも、我々のようなイカレている連中を探し出して、力と技術を与えて滅んでもらったほうが、手間と時間はかかるけど存在の力の消耗は少ないってことですね。」
「そうだ。・・・ただ、時間がかかってしまうために、『守護者』の妨害にあう可能性が非常に高い。特に、今この世界に来ていたクロムとその仲間達には、何度も煮え湯を飲まされたもんだ。・・・本当は永久封印出来れば良かったんだが、そうすると【不滅の魔女】が出張ってきたり、最悪の場合【炎帝】と【氷帝】が起きる可能性があるからなぁ・・・。せっかく眠ってくれたのに、わざわざ起こすこともないだろ。」
そう呟くジンガの言葉は、酷く疲れたものだった。本当に何度も邪魔されてきたのだろう。
「ま、【不滅の魔女】は兎も角、【神滅のクロム】には暫く退場してもらったんだ。この世界での成功はほぼ確定かな。・・・あとどれ位で作戦を始められる?」
その言葉を聞いて、蓮司は持っていた小型のリモコンのスイッチを押した。すると、近くの壁が音を立ててスライドしていく。
「・・・ほぉ。」
「レジスタンスによって施設の一部が破壊されたので大分計画に遅れが出ましたが、予定では4日後には完成です。その後、軽いテストをして、一週間後に作戦開始予定です。」
壁が開ききった後ろには、透明な特殊強化ガラスが一面に張り巡らされていた。そこから見えるのは、この研究所のトップシークレット。全長20mはあるだろう鋼鉄のボディー。それに張り付いて、今も作業をしている人間の姿がある。
「【世界を喰らう狼】。あと少しで、私の見たかった物を見せてくれる、私の可愛い子供です。」
巨大な銀色の狼の目が、光った気がした。
遅くなってスイマセン。
他の作品も凄く遅くなっちゃってるんだけど、正月が終われば少しは余裕ができるはず。