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風が名を呼ぶ日 ―沈黙の神凪と自由を失った風神―  作者: 宵待 桜


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第八章 声のない夜に風は在る


沈黙の儀の前夜。


神殿は、いつもより静かだった。


儀式の準備は整っている。


神官たちは必要最低限の動きしかしない。

音を立てないことが、配慮とされていた。


リュシアは与えられた小さな部屋にいた。

石の壁、簡素な寝台、灯りは一つ。


特別な拘束はない。

逃げる理由も、逃げる先もないからだ。


外套を脱ぎ、椅子に掛ける。

指先が、少しだけ震えた。


怖いわけではない。ただ「最後」が近い。


窓を開けると夜の風が流れ込んだ。


冷たくはない。むしろ穏やかだ。


「来なくても、いいんですよ」


声に出して言ってしまったことに一瞬だけ驚く。


まだ声はある。


「来なくても……」


繰り返す言葉が少し揺れる。


風は、答えない。


それでも、空気の流れが変わる。


あぁ、来ている。


姿は見えない。名も呼べない。


それでも、彼がここにいることは分かる。


「沈黙になったら、私は何も言えなくなります」


今さらの確認。


けれど、言わずにはいられなかった。


「でも、聞こえなくなるわけじゃない」


風が、そっと窓枠を鳴らす。


肯定。あるいは慰め。


「……それで、いいです」


リュシアは寝台に腰を下ろす。


「言葉がなくても、あなたは風で在ってくれる」


それは、信頼だった。


神凪としてではない。


一人の人としての、信頼。


「私は声を失っても――」


そこで、言葉が止まる。


それ以上は“願い”になってしまう。


願えば神は応えようとする。


それを、させてはいけない。


沈黙の儀は神を守るための制度でもある。


リュシアは、ゆっくりと息を吐いた。


「おやすみなさい」


最後に使う言葉として、それ以上のものはなかった。


風が部屋を巡る。


灯りが揺れ、髪がなびく。


それは抱擁ではない。


だが、離別でもなかった。


夜が深まる。


神殿の鐘が、低く、一度鳴る。


明日声は奪われる。


それでも風は、奪われない。


リュシアは目を閉じる。


眠りに落ちる直前、確かに感じた。


名も言葉も使わないまま、彼がそばにいるということを。


その夜、風嶺国エル・サレインの空は雲ひとつない静けさだった。


嵐の前ではない。


ただ、沈黙を迎えるための夜。


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