第二章 風は答えを返さない
風嶺国の神殿は高い位置に建てられている。
街の音が届かず、海の匂いも薄れ、ただ風だけが通り抜ける場所だった。
神凪リュシアは、祈りの時間よりも早く、祭壇の前に立っていた。
誰に呼ばれたわけでもない。
神官に命じられたわけでもない。
ただ、ここに来る必要がある気がした。
白い外套の裾が、微かに揺れる。
窓は閉じている。
火も焚かれていない。
それでも、空気が動いていた。
「……いますか」
呼びかけは祈りではなかった。
願いでも儀式の言葉でもない。
ただの問いだった。
返事はない。
代わりに祭壇に置かれた風鈴が、かすかに鳴った。
触れていないはずなのに、音だけが残る。
リュシアは息を整えた。
「返事をしなくていいんです。答えをもらいに来たわけじゃないので」
言葉は、宙に溶ける。
神殿は静かだった。
神凪は、神に語りかける存在だ。
それが役目であり、務めであり、誇りでもある。
けれどリュシアは、神凪としてではなく、人としてここに立っていた。
「……今日は、風が強いですね」
独り言のような声だった。
その瞬間、閉じたはずの窓の隙間から冷たい風が流れ込んだ。
一瞬。髪が揺れ、外套がはためく。
それだけだった。
「……そういう返し方なんですね」
リュシアは、小さく笑った。
神官に見られたら叱責されるだろう。
神に向かって、こんな話し方をする神凪はいない。
だが、不思議と怖くはなかった。
むしろ、距離があることが救いだった。
近づかない。踏み込まない。
それでも、確かに「いる」。
それが、今の彼女にはちょうどよかった。
「今日は、それだけです」
そう告げるとリュシアは深く頭を下げた。
祈りの作法ではない、ただの挨拶として。
背を向け、歩き出した瞬間。
風が、ほんの少しだけ、強く吹いた。
引き留めるほどではない。
呼び止めるほどでもない。
ただ、「行ったこと」を確かに知っている風だった。
リュシアは振り返らない。
振り返らなくても、そこに何かが在ることを、もう知っていたから。




