第十七章 風は罰を引き受ける
神殿が揺れた。
石の床に走る亀裂は破壊ではない。
均衡が崩れた痕跡だった。
神官たちは、もはや祈りの言葉を失っていた。
神が怒ったのではない。
神が――選んだのだ。
「風神が……儀に干渉した……」
誰かが呟く。
それは、禁忌だった。
神は、神凪を守ることはできる。
だが神凪の“運命”を書き換えてはならない。
それを破った代償は、必ず支払われる。
⸻
王城では、同時刻。
国王は、風の異変を肌で感じていた。
「…来たか」
側近が膝をつく。
「神殿から急報です。沈黙の儀が崩壊しました。風神が――直接、介入を」
国王は、目を閉じた。
「やはり、あの神は……」
ため息にも似た声。
「いや。あれは神として正しい」
王は、立ち上がる。
「だが、正しさは罰を免れない」
それを彼はよく知っていた。
⸻
神殿最奥。
リュシアは、膝をついていた。
風が彼女を包んでいる。
守るように。隔てるように。
「……ヴァル」
声は、出ない。
けれど彼女の想いは確かに届いていた。
ヴァル・シェアリスは、立っていた。
もう、人の輪郭ではない。
風そのもの。
だが、どこか――重い。
「来るよ」
彼は静かに言った。
「神罰だ」
リュシアの胸が、強く締めつけられる。
――私のせいだ。
そう思った瞬間、
風が、強く否定した。
「違う」
ヴァルの声は低く揺るがない。
「これは、俺の選択だ」
神殿の奥に、光が集まり始める。
天でも、地でもない。
境界の光。
それは、神を裁くためのもの。
「風神ヴァル・シェアリス」
名が、呼ばれた。
世界そのものが彼を認識する。
「汝は神凪の運命に干渉し、沈黙の儀を破壊した」
ヴァルは否定しない。
「よって、罰を与える」
光が彼を貫く。
風が、悲鳴を上げる。
リュシアは叫びたかった。
止めたかった。
だが、彼女は知っていた。
――これは、彼が選んだ“責任”。
「罰は、三つ」
声が告げる。
「一。汝は、以後“嵐”を起こせぬ」
風が、静まった。
「二。汝は、神殿の祈りに応えられぬ」
神と人をつなぐ力が削がれる。
「三。汝は、神凪と“対話”できぬ」
その言葉が最も重かった。
リュシアの視界が滲む。
対話――
それは、二人が築いてきたすべて。
ヴァルは、ゆっくりと息を吐いた。
「それで済むなら、安い」
声は、もう風ほど自由ではない。
光が、消える。
神殿に、静寂が落ちた。
⸻
ヴァルは、リュシアを見た。
「聞こえる?」
彼女は、首を振る。
聞こえない。感じられない。
ただ、彼が“そこにいる”ことだけはわかる。
「それでいい」
彼は、微かに笑った。
「君の沈黙は、守られた」
リュシアは涙を流した。
声はない。
だが、彼女の選択は、奪われなかった。
「……さようなら、じゃない」
ヴァルは最後にそう言った。
「風は、君のそばにある」
姿が薄れていく。
神としての姿ではない。
ただの、穏やかな風へ。
リュシアは、胸に手を当て、
深く、息を吸った。
沈黙は、もう怖くない。
それは――
彼女自身が選び、彼が守った沈黙だから。




