第十五章 沈黙は誰のために在る
沈黙の儀が始まって七日目。
神殿の鐘は鳴らされなかった。
本来なら、儀の節目ごとに合図がある。
だが今回は違う。
「異例だな」
神官長は、祭壇の前で低く呟いた。
沈黙の儀とは神凪を“清める”ためのものではない。
正しくは、神凪の力を制限し、国の管理下に置くための儀式だ。
本来、神は沈黙を好まない。
対話こそが神凪の本質だからだ。
それでも儀が続いている理由は一つ。
風神ヴァル・シェアリスが介入していない。
「風が、静かすぎる」
若い神官が言った。
神官長は、苦々しく口元を歪める。
「嵐を起こす神が、沈黙を選ぶなど……」
神殿にとって、それは最も厄介な事態だった。
⸻
一方、王城。
国王は書類から目を離し窓の外を見ていた。
風嶺国。
この国は、風と共に生き、風と共に滅びる。
だからこそ風神と神凪は“守るべき存在”であると同時に、“抑えるべき存在”でもあった。
「神官長は沈黙の儀を急がせているな」
側近が答える。
「はい。このままでは、神凪の意思が“個人のもの”として確立してしまうと」
国王は、軽く笑った。
「それが、そんなに都合が悪いか」
沈黙。
「いや、わかっている」
机に指を置く。
「国は神を必要とする。だが、神に選ばれた者が“自分で考える”ことを恐れている」
国王は、静かに言った。
「だから私は彼女を切り捨てない」
王の目は決して揺れていなかった。
「神凪リュシアは国の道具ではない。国の“責任”だ」
⸻
その頃、神殿の最奥。
リュシアは、床に膝をついていた。
沈黙は、痛みではない。
だが、長く続くと、心を削る。
声を出せない。歌えない。
祈りも、形にできない。それでも。
「……大丈夫?」
風が、囁いた。
ヴァルは、柱の影に立っている。
彼は、あの日からほとんど姿を現さなかった。
それが彼なりの“抑制”だった。
リュシアは、ゆっくりと首を振る。
大丈夫じゃない。でも、折れていない。
その答えを、彼は理解した。
「神殿は君を“象徴”にしたい」
ヴァルは、淡々と語る。
「王は君を“個人”として守ろうとしている」
少し、間を置いて。
「俺は、その間に立っている」
リュシアは、目を見開いた。
彼が苦しんでいる。
それがわかった。
「神として介入すれば儀は壊せる」
ヴァルは言った。
「でも、それをやった瞬間、君は“神に守られた神凪”として二度と自由になれない」
風が、震える。
「だから、選ばせている」
沈黙の理由は、それだった。
リュシアは、ゆっくりと立ち上がり、
指先で空に文字を描く。
『それでも、私は進む』
『あなたが、風でいてくれる限り』
ヴァルは、その言葉を見て
ほんの一瞬、目を閉じた。
「……残酷だな」
笑みは、苦い。
「君は俺に“神であれ”と言う」
リュシアは、首を振る。
違う。
彼女は、こう書く。
『あなたが神であるから、信じる』
ヴァルは、何も言えなくなった。
沈黙の儀は、まだ終わらない。
だが、この時――
風神は、初めて覚悟を決めた。




