第十三章 風は誰の側にも立たない
王城の謁見室は風嶺国にしては珍しく重い空気に満ちていた。
本来、この国の城は開放的だ。
高い天井、広い窓、風を通すための設計。
だがその日、窓は閉ざされていた。
意図的に。
「神凪リュシアの件ですが」
口火を切ったのは神殿長だった。
年を重ねた男で声は落ち着いている。
だがその内側には揺るぎない確信があった。
「沈黙の儀は、本来“過渡”であるべきもの。しかし現状では彼女は神殿の管理下に置かれる時間が長すぎる」
国王は、玉座に深く腰掛けたまま言葉を返さない。
「これは神凪を守るためです」
神殿長は、続ける。
「声を失った神凪は誤解されやすい。意図せぬ祈りが発生すれば国に混乱をもたらしかねない」
「それは」
国王が、ようやく口を開いた。
低く、しかしよく通る声。
「“管理”と言い換えることもできるな」
謁見室の空気が、さらに張り詰める。
神殿長は一瞬だけ視線を伏せ、すぐに国王を見据えた。
「管理とは責任です」
「責任、か」
国王は指先で肘掛けを叩いた。
「ならば問おう。神殿は、神凪の“意思”まで引き受けるつもりか?」
その問いに、即答はなかった。
沈黙。
それは、否定でも肯定でもない。
「神凪は、神の器です」
神殿長は、言葉を選ぶように言った。
「個の意思より、神意を優先する存在」
「だが」
国王は、身を乗り出した。
「この国は、人の国だ。神を敬うが神に委ねきる国ではない」
一拍。
「神凪もまた、人である」
その言葉が、謁見室に落ちる。
重く、はっきりと。
そのときだった。
閉ざされていたはずの空気が、わずかに動いた。
――風。
窓は閉まっている。
それでも、確かに風が通った。
「……失礼」
低い声が、空間を裂いた。
誰も呼んでいない。
誰も許可していない。
だが、そこに立っていた。
風神ヴァル・シェアリス。
「神が、政に口を出す気か?」
神殿長が顔を強張らせながら、硬い声で問う。
ヴァルは、肩をすくめた。
「出す気はない」
その視線は、国王に向く。
「ただ、勘違いが起きている気がしてね」
「勘違い?」
国王が、短く問い返す。
「神は、均衡を好む。だからといって沈黙を“縛れ”とは言っていない」
神殿長の眉が、わずかに動く。
「沈黙は、祈りの形だ」
ヴァルは静かに言った。
「そして祈りは、強制された瞬間に歪む」
一歩、前に出る。
床に風が走る。
「リュシアは、選んだ。だが、それは“従属”を選んだわけじゃない」
国王は、ヴァルを見つめ、ゆっくりと息を吐いた。
「神としての意見か?」
「いや」
ヴァルは、即答した。
「風としての意見だ」
その言葉に、国王は小さく笑った。
「ならば参考にしよう」
そして、神殿長に向き直る。
「神殿の管理下に置く、という案は退ける」
神殿長が、わずかに目を見開いた。
「国王陛下――」
「代わりに」
国王は、続ける。
「神凪リュシアは、国の保護下に置く。神殿と王権、双方の監督のもとでな」
均衡。
風嶺国が、最も重んじてきた言葉。
神殿長は、数秒の沈黙の後、深く頭を下げた。
「承知しました」
謁見室を出るとき、ヴァルは国王にだけ聞こえる声で言った。
「彼女は、強い」
国王は、頷く。
「だからこそ試されている」
風が、再び動いた。
どちらの側にも立たず、
ただ、境界をなぞるように。




