第十一章 沈黙は祈りであり刃である
沈黙の儀から七日が過ぎた。
その間、国は表面上、何ひとつ変わらなかった。
港に吹く風も、山から降りる気流も、例年と同じ穏やかさを保っている。
それが、かえって不穏だった。
風嶺国では、神凪は国の均衡そのものだ。
その神凪が声を失った――
それは、吉兆にも凶兆にもなり得る。
王城の会議室。
厚い石壁に囲まれた円卓の中央には、風嶺国の紋章が刻まれている。
集まっているのは、国王、宰相、そして神殿側を代表する神官長たちだった。
「沈黙の儀は、正式な神事として完遂された」
白髪の神官長が、静かに口を開く。
「神凪リュシアは、声を捧げ、風神との契約をより強固なものとしました」
それは公式見解だ。だが…
「問題は、そこではない」
国王は低く言った。
年を重ねてもなお、背筋の伸びた男だ。
視線には、為政者としての冷静さと、父に近い憂いが同居している。
「神凪が声を失ったという事実を民がどう受け取るかだ」
宰相が頷く。
「すでに市井では、囁きが始まっています。“神に近づきすぎた代償だ”と」
神官長の一人が眉をひそめる。
「迷信です」
「迷信は民を動かす」
国王の言葉は、淡々としていた。
沈黙が落ちる。
その沈黙の中で誰もが思っていた。
声を持たぬ神凪は、扱いづらい。
祈りを言葉にできない神凪。
神託を、直接伝えられない神凪。
神殿にとっても、
国にとっても。
「では、どうなさるおつもりですか」
若い神官が、慎重に尋ねた。
国王は、しばし黙り、そして言った。
「当面、神凪は表に出さない」
その言葉は、重かった。
「沈黙は象徴としては強すぎる。民にとって理解が追いつかぬ」
神官長が静かに息を吸う。
「神凪は隠す存在ではありません」
「守る、と言ってほしい」
国王は視線を上げた。
「風嶺国は、風神と神凪の国だ。どちらかが傷つけば国も揺らぐ」
誰も反論しなかった。
理屈としては、正しい。
しかし、それは神凪を“政治”の中に閉じ込める判断でもあった。
その頃、神殿の高所。
ヴァルは風の流れに身を預けながら人の会話を遠くで聞いていた。
すべてを、ではない。
必要な部分だけを、拾う。
「……面倒だな」
独りごちる。
風神としての姿ではない。
だが、神としての本質は隠していない。
リュシアが声を捧げた意味を人は軽く扱いすぎている。
「彼女は、“沈黙”を選んだ」
誰に言うでもなくヴァルは呟く。
守られるためではない。
閉じ込められるためでもない。
彼女は自分で選んだのだ。
風が、強まる。
それは、怒りではない。
だが、苛立ちは含まれていた。
このままでは彼女の沈黙が、刃になる。
人に向けられる刃か。
あるいは、彼女自身を傷つける刃か。
ヴァルは視線を神殿の中庭へ向けた。
そこに白衣の小さな姿がある。
声はなくとも、風と共に在る存在。
「少し、話す必要がありそうだな」
言葉を持たない相手に
神はどう語りかけるのか。
それは、まだ誰も知らない形の対話だった。




