#52【クラ限】ルフェ初配信の裏で……【月雪フロル / 電脳ファンタジア】
端的に言うと……正直なところ、わたしがルフェ・ガトーになるまでの半生は何も面白いものではなかった。
マギアちゃんは自分の声や発声で悩んで、フロルちゃんは武器にしようと試みたそうだけど、わたしはどちらでもない。ただ早くに自覚、そして家族に指摘されて、なるべく普通のふりをしただけ。だから学生時代の知り合いの中に、わたしが本当はこんな声だなんて知っている人は一人としていない。
そんな普通なふりの学生生活も結局漫画みたいなハプニングひとつなく終わって、あまり裕福でない……なんて言葉では表しきれない家庭だったこともあって、高卒で就職した。そして地雷を引いた。……それだけのことだ。
今どきかえって珍しいほどコテコテのブラック企業に捕まって、ものの一年足らずで体を壊して、その療養中にハヤテせんぱいの配信を見たのが転機だった。復帰をせっつかれながら一日だけのつもりで、病み上がりの体で電ファンのリアイベに足を運ぶことにしたのだ。
ということを、ルフェのキャラに包みながら話した。ケーキ屋さんの下働き、くらいに。まあ、ここまでのことは重要ではないから。
「まあ、ふろるちゃんの濃さのほうがふつうじゃないですもんね」
「まるで私が異端みたいな言い草だね」
「紛うことなき事実じゃない?」
「大丈夫だフロルくん、むしろ濃い方がライバー的には武器だ」
「まあ嘆く気は全くないけど」
ともかく、それはいいとして。決定的だったのは、その会場であっさり迷ってしまったときの出会いだった。
「お姉さん、何かお困りですか?」
声をかけてきたのは、綺麗な長い髪をした美少女だった。会場内ではあったのだけど、何もない上に人の動線からも外れた場所に一人でいたから目立ったらしい。
「あ、はい……迷っちゃって」
「となると……どこに行きたいとか、あります?」
「えっと……ハヤテちゃんのところに」
「こっちですね。せっかくだから案内しますよ」
この手のイベントに参加したのは初めてだったから、これは素直に助かった。女の子は慣れているようだったから余計に。……これだけならなんでもない光景だったのだけど、すぐに女の子は話しかけてきた。
「やっぱり、ハヤテちゃんが最推しですか?」
「はい。といっても、つい最近見始めたばかりなんですけど……」
「おお、それでもうイベントまで」
「……軽い、ですよね」
「? 気軽なのはいいことじゃないですか? 特に配信なんて趣味で見るものですから、あまり重く捉える必要もないと思いますよ」
……後から思うに、たぶんこの子はこの時点でわたしが精神的に万全じゃないことを察していたのだと思う。実際、ここから口数が増えた。なんでもない会話だったけど、それが久しぶりだったことに気付いたのは帰ってからのことだ。
そのまま連絡先の交換までしてしまって、ライバーとの会話ブースの入口に着いた。女の子は他に行くようで、わざわざ付き合ってくれたことに感謝を伝えた別れ際。
「それにしてもお姉さん、すごくいい声してますね。ライバーとか向いてそう」
「……そう? 普通だと思うけど」
「普通みたいに聞かせてますよね。たぶん」
これには本当に驚いた、というか焦ってしまった。いつも通り、普通の声を作れていると思っていたから。
「なんで」
「実は私もそうなんです。本当の声はこっそり隠して……そういうのって、ちょっとライバーっぽいと思いませんか?」
「…………そう、なのかな」
「あ、そうそう今の。不躾かもですけど、すっごく可愛いです」
……これもたぶん、ここまでの長くはない会話の間に、わたしがこういう踏み込まれ方をされるのをどこか欲していたのを見抜かれたんだと思う。この子はときどきエスパーかと思うほど鋭いし。
「まあこんなこと言って、私はライバーとかじゃないですし……適当言ってるだけではあるんですけどね」
「も、もう……」
「あ、呼ばれちゃった。じゃ、私はこれで。よければまたお話しましょ」
そうしてあっさり女の子は去っていった。ハヤテちゃんは自覚している以上に疲れていた私を対話中に労ってくれたし、その時点で来てよかったと心から思えた。
とはいえそろそろ仕事に戻らなければいけない現実は控えていて、帰った後に明日から出ますとメッセージを打とうとして……連絡が来たのは、ちょうどそのときだった。
◆◇◆◇◆
「で、届いたメールを開いてびっくりスカウトだったの」
「え!?」
「何か……その、手順をいくらか飛び越えていやしないですか?」
「ううん、ほんとに即日スカウトがきたの。で、迷いはしたんだけど、話を聞いて信じてみることにして」
そうそう、そんな流れだった。あのときばかりは私も度肝を抜かれたし、ハルカ姉さんには正気を疑った。
だけど結果がこれだからね、その即断の結果こそがデビュー半年で登録者50万人の人気ライバーだから、もう何も言えない。
「ちなみにその女の子、たぶん察してると思うけど」
「フロルくんか」
「うん。裏方やっててね、合間のタイミングで明らかに迷ってる人がいたから声かけたの」
「で、かくしてる声に気づいて……」
「そのときはこの人ライバーやったら人気出そうだな、くらいの妄想だったんだけどねー。ハウスに帰ってきてから何の気なしにハルカ姉さんに話して、そしたらハヤテ先輩も印象に残ってたみたいで乗ってきて、ハルカ姉さんが連絡先要求してきて突撃」
「なんというか、電ファンは裏のそういうところまで電ファンだな……」
本当にね。この件についてはハルカ姉さんが突っ込んだだけではあるけど、結果として確実にルフェ先輩のことは救っている。
そうしていなければ転職できていなかったルフェ先輩が、今頃どうなっていたか。いくらその企業が「代わりはいくらでもいる」なんてこれまたコテコテの物言いをしていても、ルフェ先輩側が辞める決断をできるかは別だったから。
「だから、わたしには命の恩人が三人いるの。ハヤテ先輩、ハルカねえ、フロルちゃん」
「こういうの小っ恥ずかしいんだけど……三人まとめて言われちゃったら断れないなぁ」
「なるほど、これがフロルくんがハウス在住のライバーのうちルフェ先輩にだけ一度も個人単位でのイタズラを仕掛けていなかった理由か」
「むぐっ……それ言い出すあたりアンリさん、前からのファンファンだね? であるからには、生きて返すわけにはいかないなぁ!」
ちなみに図星だ。ルフェ先輩のことはどうにもイタズラする気になれない。同じくやたら懐いてきているマリエル先輩にも、溺愛してくるエティア先輩にもしっかりやっているのに。……そもそも全て知っているハルカ姉さんは除外だ、バレるし仕掛ける意味がなかった。
アンリさんに掴みかかる振りは予想通りルフェ先輩が受け止めてくれて、画面に百合が咲いた。……別にガチのつもりはないけど、ことルフェ先輩のことはほとんど姉妹くらいには思っている。
「しかし、そこまでフロルくんのことを信頼していたなら、初配信の最後は」
「あ、ううん。あれは独断。フロルちゃんにも黙ってやったの」
「えっと、切り抜きで見たきがする……切り忘れ詐欺だったっけ」
そう、ルフェ先輩を語る上で欠かせないシーンのひとつが初配信にあった。あれは当のリアイベから二ヶ月足らずのことだったんだけど……それまでライバーになるなんて考えもしていなかったことを思えば、今思うとなかなか早いスケジュールだったよね。ルフェ先輩の適応が早かったからよかったけど。
そんな彼女、初配信のCパートで仕掛けたのだ。
『緊張したぁ……でも、うん。うまくいってよかったぁ』
当初、私たちはそれが配信の切り忘れだと思った。エンディング画面に移行してもマイクをオフにするのを忘れてしまう、割とよくある事故だ。
これに隣で見守っていた私は身振り手振りで伝えようとしたんだけど……片鱗を見せはじめた小悪魔は無言でただ微笑んで、それからざわつくコメント欄に向けて甘ったるい声でこう続けた。
『…………ふふ、切り忘れだと思った? はやとちりさん』
この直後に今度こそマイクがオフになって、それで初配信が終わった。私は度肝を抜かれて、思わず放心してしまったものだ。
ちなみにこれはかなりバズった。ルフェ先輩に集う“甘党”に微妙にMが多い気がするのは、このCパートのナチュラルSに惹かれたせいかもしれないくらいに。
「とても『初配信は緊張するから近くにいてほしい』なんて言い出した40分後とは思えないよね」
「いたのか……」
「ふろるちゃん、そういうの明かしたら描かれるよ!」
「諸共だよ。これはどっちかというとルフェ先輩のほうが恥ずかしいし」
「フロルちゃん?」
私が初配信を割とシンプルに収めたのは、これには勝てないと思ってしまっていたからかもしれないくらいだ。そんなものを特等席で、しかももうモデルが画面に映っていないエンディングのCパートだったから他の人には見えない表情つきで喰らったのだ。半年越しだけど、このくらいの反撃はいいだろう。
と思っていたんだけど。
「まあフロルちゃん、そのあとわたしが『自信なかったけど上手くいってよかった』って言ったら、部屋の外で『自信なくなるのはこっちだよ……』ってかわいーこと言ってたもんね」
「うぇっ、アレ聞いてたの!?」
「ふぅん。こんな配信ができるふろるちゃんが、人の配信みて自信なくすとかいってたんだぁ。そういうとこだよ?」
「いやほんと、そうなんだけど……」
我ながら一番なよなよしかった頃のことだ。ちゃんと一人になってから零したんだけど、どうやら少しだけ扉が開いていたらしい。
なんだかもう、エティア先輩とは別の意味で勝てる気がしない。薄々感じていたけど、やっぱりイミアリでは私が最弱みたいだ。




