#115 仮免許取得は満18歳から
「成人とは言ってもさ、別にだからといっていきなり何もかも変わるわけじゃないよね。結局のところ、一日に取る歳月はいつだって一日分なわけだし」
「また哲学的なこと言い出した」
「トートロジーですか……?」
「そこのお前! レモン一個に含まれるビタミンCはレモン一個分だぜ!」
「まあ言いたいことはわかるけど、言いたいことそのまますぎて意味わかんなくなってるよ」
ああ、いや。別に難しいことを言ってるわけじゃないよ。
「人間って、日々ちょっとずつ大人になっていくものじゃない?」
「急に主語が大きくなったけど、そうねえ?」
「なのに、18歳になったらいきなり成人って大人扱いされる。18歳の誕生日とその前日なんて、一日分の差しかないのに」
「ああ、便宜的な節目の人為性の話ですか。それは確かに考えたことがあります」
「なんでそんなこと考える18歳が自然と二人発生するの……?」
朱音はわかってくれた。ある日突然「あなたは今日から大人です」とか、「今日からお酒を飲んでいいですよ」とか言われることにいったいどれほどの意味があるのか、という話だ。
「どこかで線引きしないといけないってことはわかるんだけどさ。それはそれとして、じゃあ一日早く子供はやっちゃいけないことをするのはそんなに悪いことなのかって思うわけで」
「あー……うん、なるほど」
「つまり早生まれの子がこの時期に運転免許取れないのが理不尽だって話?」
「平たくいえばそう。成人してないのに成人式で新成人扱いされるのもちょっとモヤモヤしてる」
フロルの誕生日は五月四日だけど、私の誕生日は二月末にある。フロルとして生きていくと決めた以上は家族の前とかを除いて五月四日のほうを大事にするくらいのつもりだけど、とはいえ今回ばかりは思うところがあるのだ。理由はまさしく、18歳の誕生日だから。
だけどその早生まれのせいで、私は今まだ自動車の運転免許を取りに行けない。乗り回す予定は特にないけどあって損はないし、身分証としても便利だから取れるなら取っておきたいんだけど。せっかくの内部進学で自由登校の三学期、今のうちに済ませておきたいのに。
「昔、小説の中の雑談でそんな話を読んだことがあるんですよ。未成年が飲酒したときの罪深さは、その時点の年齢に反比例する、とかなんとか」
「朱音、いつの間にそんな教育によくない話を……!?」
「でも言い得て妙ねえ?」
そうそう、そういう話だ。そりゃまあ、たとえば中学生が車を乗り回したり飲酒したらそれは罪深いのはわかる。もっと幼ければなおさらだ。だけど、17歳11ヶ月が運転免許を取ることにどれだけの悪があるのかとも思うのだ。
念のため断っておくと、私には遵法精神は人並み以上にある。ライバーをやっている以上、モラルはなおさらだ。あくまで守った上で、制度的な画一さからくる実害に疑問符をつけているだけで。
「そういう意味では、成人向けを見られるようになる基準みたいなのの方がまだ納得感や公平感はあるのかもね。満18歳の4月1日から、みたいなやつ」
「……まあ、別にそうしろってわけじゃないけどね。不平等を是正するってお題目で全員が不幸になるのは、それこそ最悪だと思うし」
「納得感と実利を共存させられる答えはそもそも構造的に出ない、ってことだね」
まあ、わかっていた結論だ。私も本気で嘆いていたわけではない。ちょっとじゃれてみただけのような話題だ。
もっと言えば、移動中の繋ぎの話題だった。ちょっと事情があって、朱音はなるべく周りに引き留められないままこの場を離れたかったから、私たちが壁になるにあたってわざと小難しい話をしようとしたというか。
今日は一月十四日、月祝。高校三年生の18歳、または17歳である私たちにとっては、ついさっき成人式が終わったところだった。
逃げ込んだのはカラオケボックス。特に歌う気はないようだけど、喫茶店では人目は避けきれないからだ。メンバーは先月の鍋のときとだいたい同じだけど、一人増えている。
みなみのおさななじみ5……じゃなくて、龍ヶ崎深冬。朱音の幼馴染の中で唯一理系だからクラスが違う少女が一緒なのだ。私とはこれまであまり接点がなかったけど、相性はなかなか悪くない。
だからといって特別何かがあるわけではないけど、友達の友達と引き合わされて話が合えばもう友達とさほど変わらない。少なくとも将来的には。
そちらはいいとして。いくら九鬼朱音でも、普段から成人式会場からそそくさと離れるほど人目に困っているわけではない。今はちょっと事情があるのだ。
事件は一週間前に起こった。
「とりあえず、大変だったね」
「ええ。まさか揃って嵌めてきていたとは」
「朱音はもっと羽ばたくべきだって思ってたからね!」
橙乃のお父上がトップに立つテレビ暁が放映する生特番にて、『突撃! アノ人の家族!』というコーナーがあった。この番組に突然、この九鬼朱音が登場したのだ。ゲストとして出演していた彼女の妹(女優)と母(歌手)の手引きで、ビデオ通話の形式で。
本人は全く知らされていなかった(そういう趣旨の企画だったというよりは、二人が幼少期から芸能系のレッスンは積んでいた朱音を信頼してのサプライズだった)ようで、当然私たちも知りようがなかった。
私はちょうど配信後で、オーナーの娘の登場にざわついた共用リビングに引っ張り出された。これまで九鬼朱音が表舞台に出たことはなかったから意識することはなかったけど、プライベートな友達が有名人として取りざたされるところにライバーとして反応するのはけっこう難しかった。配信じゃなくてスナップショット用の動画撮影でよかったよ。
「でもまあ、確かに『ついに見つかったか』って感じではあったよ」
「まあね。やっとか、とすら思った」
「……それほどですか?」
「いつかだとは思ってたねー」
「満場一致だね。諦めて朱音」
あまり自覚がなかったらしい朱音には悪いけど、いずれは世に名が売れるとは思っていた。実のところ、電ファン内で「学校同じなんだよね? 学校でのご令嬢ってどんな感じなの?」と聞かれたのは一度や二度ではない。
もっと言えば、「みなみのおさななじみ(無印)」が朱音だということは電ファン内部に限っては周知の事実だった。九鬼シオンがラジオで「お姉ちゃんはゲームがすごく上手い」と発言していたこともあって、ファンの中にもまれに予想している人がいる。
そんなこんなで、結局一週間にわたって話題沸騰が収まらない彼女は、それを鑑みてか先週ずっと自由登校に来ていないらしい。私もそんなに行っていないから、そこは伝聞だけど。
……私たちが現時点で知っていたのはそれだけだったんだけど。
「どうせそのうち出てくる情報だし、この三人には言っちゃおっか」
「えっそんな軽いノリで未公表の機密っぽいことを」
「そうですね」
「そうですね!?」
……九鬼朱音という少女は、失礼な言い方をすると友達はあまり多くない。誰にでも人当たりよく接しているけど、忌憚のない話をする相手はかなり選んでいる節がある。
そしてどうやら、私とことり、双葉の三人は友達として扱ってもらえている。橙乃によると「朱音は自分に臆することなく話してくれる人には心を開くけど、それが少ない」らしい。まあ、大半の人は朱音にはかしこまってしまっているし、わからなくはない。
もちろんその「友達」は幼馴染とはまた一段区別がある距離感だとは思うんだけど、ひとつわかっていることがある。朱音は友達との距離感がかなり近い。私たちにだけ話したことが全く広まっていなかったりで信用してくれてはいるんだろうけど、こうして未公表っぽいことを共有してくれ……いや、それでもよくない気はするんだけど。
「大丈夫、今夜出る情報だから」
「ああ、そういう」
「だからこのまま初出しになる夕方まで一緒にいれば流出とかないのよお? まあ、するとも思ってないけどお」
「なので、数時間早く友人が知るだけなら問題ないかと」
はいかわいい。こうやって「友達の秘密ね」というしぐさをとても可愛く行える少女なのだ。そもそも外見もとんでもなく可愛い(というには美人と中間だけど)んだけど、この子が本当に可愛いのは内面だということはあまり知られていない。
……現実逃避しても暫定爆弾情報は逃げてくれない。問題ないらしいし、大人しく聞こうか。
「これ見て」
「…………あ、これ朱音?」
「え、『DCO』?」
スマホで見せられたのは動画だった。出来のいい3DCGの映像の中に、銀髪の小柄な少女。色が少し違ったりエルフ耳だったりはするものの、顔立ちは朱音そのものだ。直後、『ルヴィア』というネームタグが開く。……VRゲームのアニメでありそうな演出だ。酷似した雰囲気の映像を最近見た覚えがある。
直後に発された、やはり朱音の声の台詞。『幻双界』と聞こえてきて、確信した。これは『Dual Chronicle Online』のPVだ。コミケのときに発表会をしていた、九津堂の世界初VRMMO。だけど、なんで朱音が?
その疑問は、PV内でおおよそ解けた。そこで披露された情報そのものも興味深かったけど、最後の『バージョン0募集開始』のナレーションも朱音だった。そこについてきた台詞が、『私と一緒に、この世界で戦ってくれますか』。
つまり、
「ってことは、朱音はこれの公式キャラクターになったの? 芸能事務所からもオファー来てそうだったけど」
「正確には、公式配信者だね。実際にプレイ配信をしながら広報をする感じ」
「私は、今でも俳優業をするほどの体力には足りませんから。人並みにはできないであろう仕事を受けてしまうか悩んでいたところに、現実での身体能力は必要ないスカウトが混ざっていたんです」
「朱音はダイブVRでは驚くほど動ける……どころか、傑出してるの! だから、適任だと思う!」
「……と、このように見透かした社員の娘たちによる熱烈な誘いもありまして」
その、いろいろ言いたいことと驚きは本当にたくさんあるんだけど。
とりあえず、同業者になるんだね、この子。びっくりした。
なお、朱音が読んだという小説は実在します。