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第79話 それで、どうするんだ?

 暁子さんのお父さんは、木製のトレーにカップソーサーのセットを三つ、それから銀製と思しきコーヒーサーバーを乗せてキッチンからやってきた。


 少しカタカタと食器の音がする。


「今日の豆はグアテマラなんだ。尾上くん、君はコーヒーには少し詳しいかね?」


「いえ、正直あまり存じ上げません」


「そうか。このグアテマラはスッキリとした酸味を楽しめるんだ。酸味の強いコーヒーは嫌いかな?」


「深入りしすぎた苦味の強いものよりは好きですね」


「なるほど。それならグアテマラは気にいると思うぞ」

 そう言いながら銀製のサーバーからウエッジウッドのカップにグアテマラを注ぎ込んでくれた。


 その時、一瞬ではあるが間が空いた。


「あの、コーヒーまでご馳走になってしまいまして…」


「なあに、これは私の道楽だ。それにつき合わせてしまっているに過ぎん」


「ねえ、お父さん、折角買ってきたのだからアトム饅頭を召し上がって」


「そうしよう。これは美味なんだ。お持たせで申し訳ないが君もひとつどうかな?」


「ええ、もちろんいただきます」

 強い日差しがが注ぎ込む曇りの日の午後のリビング。



「それで、どうするんだ、尾上君」

 それで、とは何を意味しているのだろうか。僕はコンマ何秒かの間に幾通りもの仮説を頭の中で組み立てた。

 

 徒労だった。分からないものは分からない。素直に聞くのがよいだろう。


「す、すみません、それでとは…」


「ああ、すまんね。私の悪い癖だ。自分の言いたいことを言うときは主語を端折ってしまうんだ」


「そういう意味では。いろいろと思い当たる節があるもので、どれなのかなと逡巡していました」


「ははは。君は少し気を使いすぎる(たち)だね。グアテマラを飲んで少しリラックスしなさい」


「はい」

 僕は促されるままグアテマラを一口含んだ。

 爽やかな酸味が口の中に拡がり、少しの苦みが次いでやってきた。


「これはとても美味しいコーヒーです。どこでお求めになったのですか?」


「峰南町に、宮坂珈琲店という焙煎をやっている喫茶店があってね。そこでマスターにお願いして焙煎してもらったのをさっきコーヒーミルで挽いたものだ」


「香りがとてもいいわ。お父さん」


「私が家を出る前は、グアテマラを飲んだことはなかったのにな」

 曉子さんのお父さんは少し寂しそうな表情をした。


「それで、『どうする』の意味は何でしょうか」


 曉子さんのお父さんは、少しはにかんだような表情で言った。


「君たちの結婚はいつにするんだい?」


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「二人とも助かったよ。明日の引越に間に合った。正直どうしようかと思っていたんだ」


「この書籍の量ですからね。単に箱に詰めるだけでは、運んだ先で箱を開けたときに大変でしょうし、お手伝い出来てよかったです」

 既に午後八時を回って夜の帳はとっくに降りていた。


 曉子さんのお父さんの荷物は、廊下や書斎にうず高く積まれて明日の搬出を待つだけになっていた。


「夕食はどうするんだい? 私はいつも夕食は取らないが、何か店屋物でも取ろうかね」


「いえ、お父さんが召し上がらないのであればお構いなく。これから食事がてら曉子さんをご自宅にきちんとお送りします」


「そうか、それでは頼むよ、尾上君」


「はい、お父さん」


「曉子とは明日あの家で逢えるな」


「私、部屋の片づけ、一緒に手伝うよ」


「それは助かるが、君は君の時間をもっと大事にしなさい。それほど急いで片づける必要なんてないんだ」

 そんなやり取りをした後、僕と曉子さんはお父さんのマンションを出て、ゆっくりと歩いて高田馬場駅まで歩いて行った。夜になってもまだ蒸し暑く、歩いていると少し汗ばんでくる。

 二人とも何となく無口だった。


 それでも、おもむろに曉子さんが口を開いた。

「お父さん、『結婚式はいつにするんだ』って」


「うん、少しびっくりしたよ。初めて今日あったばかりだし、いろいろなことがあったからそんな話になるとは思ってもいなかった」


「私もびっくりしたけど。でも嬉しかったわ。悟さんがちゃんと考えてくださっていることが分かったから」


 そう、僕はお父さんに、

「来年の六月に、最高の結婚式をさせてください。みんなが笑顔で楽しんでくれるような、そんな結婚式をしたいです」

 と、答えていた。


「どうして来年の六月なの?」

 つぶらな瞳で曉子さんは僕を見上げていた。


「ジューンブライド、っていうのもあるし、曉子さんに急に会えなくなったのも六月だった。僕は六月に結婚することでこのことを相殺したい。六月には、一杯いいことがあったんだって、そう曉子さんに六月の事を思ってほしいと思っている」


「悟さん、ありがとう。私は、悟さんにこんなに良くしてもらって、どんなことをお返しできるのかしら」

 泣きそうな顔で曉子さんはそう言った。


「お返しが欲しいなんて、僕は思っているわけじゃないさ。曉子さんを一生笑って過ごしてもらいたい。それが僕の望みなんだ」

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