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第25話 田淵の壁

「というわけで、部長。ここは吉永部長を当社としてバックアップすべきだと思うのです」


 岩田電産の吉永部長は新任の専務が役員会で勝手にぶち上げた各サプライヤー一律十五パーセントコスト削減という、荒唐無稽ともいえる計画とサプライヤーとの間に挟まれて苦悩しているのを僕と真島課長は救おうとしていた。


 そのためには田淵営業部長の決済が必要なのだが、見た目も言動もどんぶり勘定的な田淵部長は実は数字に細かく簡単には決済をしてくれないのだった。


「田淵の壁に跳ね返された」


 とは、田淵部長に議案を却下された死屍累々達のコメントだが、そのために失注することもあり、一方では「売り上げ計画に全然足りないぞ。何をやっているんだ!」と怒られ、もう一方では「こんなに値引きをしたら商売じゃなくなるぞ。何を考えているんだ、お前は!」と怒鳴られる。


 僕たちはアクセルとブレーキを一緒に踏むようなことを強いられるのだ。


「話は分かったが、この程度の値引きで吉永さんが助かるわけでもなかろう」


「部長、しかし」

 

「俺に妙案がある。とりあえず値引きのレベルはこれで決済してやろう」


 今日は珍しく僕たちの案をすんなりと飲んでくれた。しかし、この程度の値引きでは救えないとなるともっと値引きが可能なのだろうか?


「どんな案ですか?」


「不確かなことは言えない。ちょっと法務の阪下くんにアポを取ってくれ」


 法務が何の関係が?


 僕は早速法務マネージャーの阪下さんに内線電話を掛けて空き時間を聞いた。


「部長、今日明日共に阪下さんスケジュール一杯とかで無理だそうです」


「いいから代れ」


 田淵部長、少し怒っている。


「あー、田淵だが阪下くん。十分、いや七分でいい。時間をくれないか?」


 電話の先で何を阪下さんが言っているかは分からない。しかし部長は強引に押し切った。


「そうか、無理言ってすまんね。じゃあ今からそっちに伺うから」


 阪下さんは社内法務の責任者だが、国内とニューヨーク州の弁護士資格を持つエリートだ。


 エリートの例外に漏れず理論整然としていて、あまり例外を好まない。

 これがパワーバランスってやつなのか。

 田淵部長も単なる部長じゃないんだと分かる。


 阪下さんのオフィスは機密事項も扱うことがあるようで、一般社員から隔離された場所に個室を持っていた。


「すまんね、阪下君」


 そう言って田淵部長はドアをノックもしないで勝手に開けて入って行った。


「田淵さん、こう見えても忙しいんでね、手短にお願いしますよ」


「まあそんなに冷たくするなよ。こっちは頼ってるんだからさ」


「そうは言っても、時間は有限だ。弁護士なら30分で1万円の相談料が取れるんですよ」

 

「まあそう固いこと言わないで。またいいところに連れて行くからさ。な?」

 

「田淵さん! 今言う事じゃ……」


 なんだ、阪下さんの弱み握ってんのか。

 

 くわばらくわばら。


「おほん! で、ご相談とは?」


 僕が事の顛末を阪下さんに話した。


「明らかに『優先的地位の濫用」に当たるね。で、尾上君。わが社の資本金がいくらか知っているだろう?」


 虚を衝かれた。正直知らない。


「『優先的地位の濫用』、ですか。それと資本金とどんな関係が?」


「下請法って聞いたことないかい?」


「なんとなくですが聞いたことはありますね」


「そこで資本金だ。答えはわが社の資本金は九千万円だ」


「ちょっと話が見えないんですが」


「まあいい。当社の登記簿の写しを総務からもらってきてくれないか?」


 阪下さんが何を言わんとしているか現時点では分からなかったが、吉永部長を助けるためだ。何でもしよう。


 僕は阪下さんの部屋を出て、総務のカウンターの前に来た。


 みんな忙しそうだ。


 誰となく声を掛けてみた。


「あのぅ、営業三課の尾上ですが、会社の登記簿の写しが欲しいんですが」


 僕がそう言うと、立花さんが気が付いて僕に近づいてきた。


「尾上さん、さっき言ったことですが、本当に結衣香先輩と別れてくださいね」


 何を言ってんだ、この人?


「あの、立花さん。僕はそんな事を指図されるいわれはないよ? でも僕たちは付き合ってなんていない」


「とぼけないでください!」


 なんだ、この展開。

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