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「──っ!!」
俺は、その『本』を床に叩きつけた。『本』が傷もうが、そんなこともはや俺にはどうでもよかった。怒りに任せ拳を振り上げるが、それはどこにも命中することなく下ろされた。
見たくなかった。あんな事実なら、知りたくもなかった。しかしぐるぐると頭の中で繰り返されるのはお祖父様の記憶で、紛れない真実だ。否定の仕様がない、受け入れるべきもの。
俺は力無く、仰向けに布団に倒れこんだ。
(お祖父様、が……?)
「忌み子」と、俺を拒絶した始まりの人。しかもそれは、病で亡くなられたとばかり思っていた叔父に似ていたというだけで。
(そんな理由だけで、俺はこんな生き地獄を味わうことになったのか!?)
そんな理由だけで。そう思うとさらに怒りや哀しみが込み上げてきた。半分以上夢のような、そんな曖昧な記憶。それでもお祖父様には充分すぎたのだ。
親戚の口から聞く叔父は、あまりにも寂しい人だった。生まれつき病弱で、二歳年下のお祖父様の影のような存在だった、と。時折、あれが生き長らえていたらなんてこぼす者もいた。だが決まって即座にその失言を詫びるのだ。お祖父様のご機嫌を伺い、切り捨てられぬように。
醜い、人間の欲望の入り交じった世界だった。俺が忌み嫌う、偽りだらけの悲しい世界。
知っていた。いや、知っているつもりでいた。巻き込まれるとわかっていながら、俺はその世界に生きることを拒んだままでいた。それは俺の罪だ。
だが俺がこうして生きていることも、罪なのだろうか?
今までの俺なら、すぐに肯定していた。しかし俺自身が弱いばかりに、死を選べずにいた。ずるずると引きずって、結局は今を生きている。不安という枷に囚われながら。
「わからない……」
何もかも、わからない。
自分は今泣いているのか。何故涙が流れているのか。何故涙は流れるのか。
(忌み子、か)
あれが本当にお祖父様の記憶というのなら、覆ることない事実に違いない。呪われたのはお祖父様、本庄充という人間だ。そう、自分ではなく。
だが世間はそれを知らない。「忌み子」は本庄巽だと根付いてしまった。味方のいない俺がその考えを改めさせるのは、ほぼ不可能だと言っていい。
ならば、いっそのこと──。
俺は投げ捨てた『本』を拾い上げた。この『本』はその者の記憶の具現。扱いには充分に気をつけるよう、強く言われていた。
(これなら……)
どうにかなるかもしれない。甘い誘惑めいた囁きはきっと、本心から出た言葉だろう。この状況を変えられる可能性がゼロではない。そう自分に言い聞かせるためのもの。
その糸口があるなら、もうどうでもよかった。あの得体の知れない輩が来るのは一週間後。するとまだ六日も残っていることになる。猶予はある。何も今すぐに決断しなくてもいいのだ。それだけでも充分過ぎる価値がある。
「悪くない、な」
別段困ることはない。むしろ暇潰しにはちょうど良いじゃないか。
そう思うと不思議に笑えてきた。何故笑っているかなんかわからない。ただそれが、今までのような自嘲ではないことだけは確かだった。
この世は絶望に満ちている。何かの本に書いてあった。今、本当にそう思う。
絶望はナニかを生み出すだろうか。その時がくるのはどれぐらい先のことになるのだろう。
少なくともひとつ言えるのは、絶望の後にくるのは希望なんかじゃない。絶望の後には無しかないのだ。何もかも失った荒野しかないのだ。
どうせ俺は幸せになんかなれない。ならば運命に逆らうのは無意味だろう。俺は一生地の底を這っていよう。見上げる空の色がどんなに悲しい色だとしても、俺はずっと眺めていよう。
見届けよう。この世界が終わるその時まで。
俺は『本』を机の中にしまった。それまでこれを手放すわけにはいかない。これはお祖父様の形見であり、罪の証なのだから。