「君は、何になりたいんだい?」
「困ったことがあったら、いつでも僕を呼んで。きっと、駆けつけるから。」
わたしに彼は言った。
いつ、どこで彼に会ったのか正直覚えていない。覚えているのは、彼に話を聞いてもらうとたちまち笑顔になれるということだけ。
これは、この町に伝わっている言い伝え。都市伝説や、噂話とは違う。本当に彼はわたしたちを笑顔にしてくれる。
彼の名は……
僕には二つ上の兄がいる。 何をやっても平均以下の僕と違って兄は なんでもできる。勉強、スポーツ、全校生徒の前でのスピーチなんかも完璧にこなす。 少し前まではそんな兄がいることが誇らしかった。近所の人や先生にも、すごいと言われる自慢の兄だった。
でも……最近、気づいた。みんなは兄の話はよくするけど、僕の話は全くしない。それどころか良くできる兄の弟としか見られない。
父さんも母さんも兄と僕をいつも比べる 。
僕は兄のようになりたい。
なんでもできる完璧な人間になりたい。
僕はある日、家出を決心した。
どこにいこうか迷っているといつのまにか公園にきていた。
この公園には、ある噂があった。 誰に聞いたのかは忘れたけど、落ち込んでいるとき、悩んでいるとき、その人の名を呼ぶとたちまち笑顔にしてくれるらしい。
僕は半信半疑でその名前を呼んでみた。
「えがおやさん、でてきてよ!」
……辺りが静寂に包まれる。
やっぱり、ただの噂じゃないか。 僕がこれからどうしようか迷っているとうしろから、優しい声が聞こえた。
「僕を呼んだかい?」
驚いて後ろを振り返った。
そこには、一人の優しそうな男のひとが立っていた。 年齢はわからない。若いお兄さんにもみえるし、中年のおじさんにも、年老いたおじいさんにも見える。
「僕を呼んだかい?」
男の人がもう一度僕に聞いた。
「誰?」
「おいおい、君が僕を呼んだんだろう? それなのに誰?とは、ちょっとひどいのではないのかい?」
男の人は、少し不満そうに言った。
「おじさんが、えがおやさんなの?」
僕は不安になった。
「そうだよ。僕がえがおやさんだよ。」
自称えがおやさんが胸を張って答える。
「本当に?」
「本当だよ。だから、僕に何があったのか話してみないかい?」
この時、この人は信頼できると直感で感じたから不思議だ。 僕は自分が思っていることを全部はなした。えがおやさんは、時々頷きながら僕の話を聞いてくれた。
「それで、君は何になりたいんだい?」
「えっ?」
僕の話が終わるとえがおやさんが聞いてきた。
「君は何になりたいんだい?君のお兄さんかい?それともなんでもできるすごい人にかい?」
「えっと……」
僕は言葉につまった。 そういえば、僕は何になりたいんだろう。兄のようになりたいけど、兄になりたいんじゃないし、何でもできる人と言われたら少し違う気がする。 結局、僕は何になりたいんだろう? 黙りこんでいると、えがおやさんが話しかけてきた。
「きっと、君は君を肯定してくれる人を求めているんだろう。」
「僕を肯定してくれる人?」
僕は聞き返した。
「そう。人はね誰かに肯定してほしいって心のどこかで思っているんだ。どんなに一人が好きな人でもね。君もそうなんだと思う。」
「……」
黙り込んでしまった僕を見てえがおやさんは言った。
「実はね、昔、君のお兄さんが君くらいのころ話したことがあってね。」
初めて知った。まさか、兄もえがおやさんに会っていたなんて。
「そのときね、お兄さんは周りの期待にこたえるのが辛いって言ったんだ。知らなかったろ?」
僕は頷く。そんなこと兄からはなんにも感じなかった。
「みんなおんなじなんだよ。みんな怖いんだ。周りの人のことを気にしてしまう 。君も。お兄さんも。だからね、」
えがおやさんは一度言葉を切った。黙って続きを待つ。
「だからね、君はなんにも気にしないでいい。なんにも気にしないで君の好きなように生きればいいんだよ。」
(なんにも気にしないで、か。)
「わかった。」
僕は言った。心が少し軽くなった気がした。
「もう大丈夫そうだね。でもね、辛くなったらまたここに来なよ。」
「うん!」
少し強い風が通りすぎていく。 思わず目を閉じまた開くと目の前には誰もいなかった。
「えがおやさん?」
返事はない。
「ありがとう。」
僕はそっと呟いた。 お礼の言葉、えがおやさんには聞こえただろうか?
「さて、帰るか。」
僕は荷物を全部持って軽い足取りで家に向かった。
「どういたしまして。」
「えっ?」
思わず後ろを振り返った。えがおやさんの声がしたような……?
でも、そこには誰もいなかった。
「気のせいか。」
僕は再び足を進めた。みんなが待っているであろう我が家に向かって。
少年は帰ったら兄にえがおやさんについて聞いてみようと思い、笑った。