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5: 交渉と刺繍道具




「リーフェットの魔術の師だったか」

「……………ふぁい」



あの後、騎士達に捕縛されたアンは、リーフェットと同じ手順で魔術証跡の検査にかけられるらしい。

また、彼の場合は大人の男性なので、子供のリーフェットよりは聴取の類は多くなるということだった。

今回は、騎士団で保護された訳ではないのでレイヴィアは参加しないらしく、リーフェットと一緒に騎士棟でおやつを食べている。



(今朝の会話のせいで、私の魔術の師という事になっている…………)



レイヴィアが魔術教師だったのかと問いかけると、アンはおやっという目をしてはいたが、すぐさまその肩書を借りる事にしたようだ。

同じ系譜の魔術だからと話していたが、さすがにそんな事まで言ってしまって大丈夫なのだろうか。



(それとも、あそこまで偉大な魔術師になると、扱う魔術系譜を偽る事も出来るのかしら…………)



度重なる思いがけなさ過ぎる事態に、リーフェットは途方に暮れていた。


アンがどのような処遇になるのかまだ分からないが、知り合いだと証言してしまった以上、追っ手かもしれない人と運命共同体にされたようなものだ。

リーフェットを傷付けはしないと魔術誓約してくれたが、その目的は謎のまま。

他人のふりをしてしまえば逃げられたかもしれないのに、それは出来なかった。



(だって、………断罪はいつも、抗う言葉など聞いてはくれないのだ)



リーフェットが拘束され、処刑されるまでの期間は三日しかなかった。


魔術師は、怨嗟の中に災いや呪いを残すからとあっという間に全てが終わり、リーフェットが漸く一人になれたのはあの処刑の日の夜だったではないか。


だからもし、異国の地でアンがそのような目に遭ったらと思うと怖くなってしまって、どうしても、知らない人だと突き放す事が出来なかった。


大切にしていた刺繍道具は、あの後どうなってしまったのだろう。

誰かが、乱暴に壊したのだろうか。

或いは、無惨に捨てられてしまっただろうか。

そう思うだけで胸が潰れそうになるくらい、アンが処刑に同意したと知っている今でも、あの贈り物はリーフェットの宝物だったから。


リーフェットの人生に、他に素敵なものはなかったから。



(だから、アンブラン王が私を殺そうとしたのだとしても、………見捨てる事は出来なかった)




「だが、君はあまり彼に会えて喜んでいるように見えないな」


相変わらず、レイヴィアはよくリーフェットのことを観察しているようだ。

油断していたところで飛び込んできた言葉に少しだけぎくりとしてしまったリーフェットは、その動揺を隠さずにいることにした。


「……………私がどうしてここにいるのかも分からないので、どうして………先生がここにいるのかも、分かりません。………それに、私の先生は少し胡散臭いところがあります」

「それは俺も同感だ。…………君の話を聞いた時は、もっと…………違う雰囲気の人物を想像をしていた」

「……………先生は、どうなるのでしょうか?」

「今回は、魔術省での聴取だな。迷子として保護された君と、大人であり魔術師である彼の扱いは随分と変わってくる。どこかで君にも事情を聞く事になるだろうが、その時は俺も付き添うから安心していい」

「はい。ご迷惑をおかけします」



本来であれば、後見人であるレイヴィアが同席するのは当たり前である。

だが、こうなってくると監視目的でもあるのかもしれないと、リーフェットは項垂れた。


得体の知れない魔術師が王宮の敷地内に迷い込んだのだから、取り調べはかなり慎重に行われるだろう。

リーフェットの時とは違うというのだから、その手段は決して穏やかなものではないかもしれない。


そう思うとまた不安になってしまい、リーフェットはへにゃりと眉を下げる。

すると、こちらを見て小さく微笑んだレイヴィアが、口に焼き菓子を押し込んでくれた。



「むぐ…………」

「まぁ、君の教師だと言うのなら、風向きが良くないようであれば俺が口添えしよう。だが、少なくとも五日はかかるだろうな。…………魔術省主導の取り調べは、そのくらいかかるのが常だ」

「…………先生は、虐められてしまいませんか?」

「彼なら大丈夫そうだという気もするが、結論が出る迄はそのような事はない」

「結論が出るまでは……………」




それは結論によってはまずいやつだなと半眼になったリーフェットだったが、アンは、そんなレイヴィアの予想を大きく裏切る形で、たった一晩で無罪放免された。




「やぁ。これでもう大丈夫だ。ついでに仕事も紹介して貰えるそうだから、安心して僕に保護されるといい」


その日、騎士棟がやけに騒がしいなと思いながら朝食に向かうと、そこには騎士達が使うテーブルでのんびりと紅茶を飲んでいるアンがいた。

どういう訳か、クリームとシロップたっぷりのパンケーキまで食べている。


しかしこの場合は、ぱっと駆け寄って良かったと言うよりも、なぜここにいるのだと遠い目になる。



「何をしたのですか…………」

「僕のリーフェットは疑い深いなぁ。いや何、この国で生活させて貰う代わりに、幾つかの術式を魔術省に寄付しただけだよ。魔術省を治める、ジスファー公爵が僕の後見人らしい。家と、土地も貰ったぞ!」

「……………あまりの手際の良さに、怪しさしかない展開です」

「さて、騎士団とはお別れをして、先生と新生活を始めようか!」

「あ、団長が今、上に確認に行っているところなんで、許可なくリーフェットを連れ出さないで下さいね。言っておきますけど、あんたがジスファー公爵を誑し込んで後見を得たとしても、リーフェットはうちの団長の子ですから」



すかさずそう言ったのは、リーフェットをここまで連れて来たくれたジリアムだ。

警戒心も露わにアンを見ているが、当のアンはどこ吹く風である。


こんな時に、パンケーキを幸せそうに頬張っていたりするから余計に反感を買うのだぞとリーフェットは思ったが、とは言え自分よりは遥かに対人技術は高そうなので、実はこれが正解なのかもしれない。


「おお、…………物凄く如何わしい説明だな。その場合僕は、責任を持って育てるのでお嬢さんをお任せ下さいと彼に言うべきなのだろうか…………」

「ややこしくなるので、絶対にやめて欲しいです………」



そのレイヴィアもすぐに戻ってきたが、顔色はあまり良くなかった。


一緒に過ごしたのは数日間であったが、こちらを見ると穏やかに微笑んではくれるが、確実に怒っている時の顔だぞと気付いてしまったリーフェットは、五席な騎士の腕の中でぎゃんと飛び上がる。

リーフェットを抱いているジリアムも青ざめているので、ここからひと波乱ありそうだ。




「……………どうやらあなたは、その交渉内容を完全に秘密とした上で、ジスファー公爵を懐柔してしまったようだ。王宮付きの魔術顧問とはね…………」



開口一番そう言ったレイヴィアに、リーフェットはおやっと首を傾げた。

確かその御仁は、魔術省を治める三公爵の一人ではないか。


(そんな方を丸め込………めるわ。もし、ジスファー公爵が魔術師なら、それはもう簡単に)



どんな密約を交わしたのかと言わんばかりのレイヴィアに対し、さもありなんというリーフェットの顔を見て、アンがくすりと笑う。


「秘密も何もない。手持ちの固有魔術を幾つか差し出し、魔術で信用と安全を買っただけだ。それと、彼は重篤な魔術狂いなんだ。すっかり僕と話が合って、仲良しになってしまった」

「………どのような魔術があれば、この国の最高位の魔術師を買えるのか、訊いても?」

「すまないが、それはジスファー公爵と話し合ってくれ。差し上げた以上は彼のものであるし、その扱いは国家機密なのだそうだ。僕は、こう見えても小心者なので、目上の人間には逆らわないと決めている」

「……………陛下も承諾済と聞いている。国としての判断である以上、俺が言う事はないが、リーフェットを連れてゆくことは許可出来ない。これでも、俺は彼女の後見人だからな」



(………?!)



正直、レイヴィアがそう言うのは想定外だったので、リーフェットはぐりんと振り返る。

さすがに、この数日間ですっかり情が移ったということはないだろうから、政治的な思惑への対抗措置なのだろうか。


だが視線を戻せば、アンはなぜかやっぱりという顔をしている。

苦笑してみせた青緑の瞳に、ほんの少しだけぞくりとするような酷薄さが過った。



「それは困った。彼女は、迷子だという事でこちらで保護されていた筈だ。この子を探して一緒にこちらに迷い込んだ僕がいるのに、君に預けておく必要はないだろう。それに、今回の話し合いでは、僕が彼女の面倒を見るということも折り込み済みだよ?」

「だからだ。…………即ち、君にも俺の管理下にいて貰う事になる」

「………うーん。こぶ付きか」

「先生!」

「おや、やっと再会出来たのに、前みたいにアンと呼んでくれないんだな?」

「ふぇ………?!」



(そんな風に呼んだことは、一度もない………!!)



「………君は彼女の魔術教師だろう?師なのにそんな風に呼ばせているのか?」

「同時に、この子は僕の花嫁候補だからね」

「…………ふぇ?!」


リーフェットがアンを先生扱いしたのをいいことに、何て呼び方を強要するのだと思っていると、更なる問題発言が投げ込まれた。

呆然と目を瞠ったリーフェットに、アンはなぜか照れるなぁと微笑んでいる。


「……………当人は、明らかに初めて聞いたという顔をしているようだが?」

「うん。言うのは初めてかもしれないな。何しろほら、………今は随分と歳の差がある」

「と、………歳の差どころじゃねぇだろ!!うちの可愛いリーフェットは渡さないぞ!!」

「……………ジリアム、ややこしくなるから黙っていろ」

「ふむ。さすが僕のリーフェットだ。さては、ここでみんなに可愛がられていたな?僕も、勿論リーフェットが可愛くて仕方ない!」

「…………ふぇ?!」

 

重ねての甘い言葉に、リーフェットは慄くばかりである。

時としてこのような発言は、例え偽物でも慣れていない人間に大きな打撃となるのだ。

そんなリーフェットをちらりと見て、レイヴィアが微かに眉を寄せた。



「君の、かどうかはさて置き、後見人の立場は譲れないことは理解しただろうか」

「とは言え、さすがに君と暮らすのは大変そうだ。………では、公爵家の屋敷の庭にでも、僕達の暮らす小さな屋敷を一つ魔術併設させて貰ってもいいかな?」

「……………は?」

「君の管理下に留まれと言うのだろう?だが、僕はこれから魔術省顧問となる。騎士団とは共有出来ない機密情報等も取り扱うから、同居という訳にはいくまい。魔術師には工房も必要だからね。であれば、君の管理下に屋敷を持つのがこちらの妥協案だ」

「それも、折り込み済みだとでも?」



冷ややかなレイヴィアの問いかけに、アンは苦笑して首を横に振る。


レイヴィアも落ち着いた大人の男性であったし、どちらかと言えば年齢不詳な落ち着き過ぎ感もある。

だが、こうして対比してみると、アンの方が得体の知れないご長寿感があった。



「ではないけれど、魔術併設で屋敷を持つと言ったら、国内のどこにでも土地の所有者との同意が取れれば屋敷を建てていいことになった。ただ、現実的な問題として王宮内や王都から離れた土地は駄目だそうだ。ジスファー公爵が時折遊びに来たいという条件も受け入れているのでね」

「俺が、その提案なら飲むと思ったのか?」

「僕達の住まいを受け入れてくれたなら、ジスファー公爵の訪問予定なども君の管理下に置けるのでは?こちらとしては、安心安全なクレア公爵家の敷地内で警備を雇わずに済むし、魔術省にだけ取り込まれるよりも、……………こうして僕のリーフェットを大事にしてくれた君達との関係を維持出来るという利点がある」



アンのその言葉に、レイヴィアが小さく息を呑む。



「……………成る程。俺達に対して、一定量の信頼はあるらしい」

「君達が、僕のリーフェットをこんな風に守っていてくれた事には感謝しているんだ。その扱いが全てだろう。それに、僕が仕事をしている間、魔術省にこの子を連れて行くのはいささか気が重い」


そんな主張を聞き、今度は周囲にいた騎士達がはっと息を呑んだ。

リーフェットが騎士団で預かられているのは、まさにその理由からだということを、皆が知っているのだ。


三公爵にはそれぞれの領地があり、レイヴィアの生家であるクレア公爵家の住まいは王都から少し離れたルスフェイト国第二の大都市である。

レイヴィアが王都で暮らしている屋敷は、彼が受け継いだ公爵家が王都内に持つ屋敷なのだ。



(その場合、私がクレア公爵家の王都の屋敷で暮らしていると、レイヴィア様が不在の間は屋敷を切り盛りするのは家令や使用人達だけとなる。…………もし、魔術省の役人や所属魔術師が押しかけてきたら、立場的に対処が難しくなることもあるという事だった)



最初はリーフェットを屋敷に入れない為の言い分かと思っていたが、こうしてリーフェットをアンに渡さないところを見ると、レイヴィアが懸念したように、アンの身柄には政治的な意味合いもあるのかもしれない。


ここで初めて、ではそれはどうしてだろうと考えたリーフェットは、一つの結論を導き出した。



(…………私には人外者の魔術証跡がある。それが障りや呪いになっていない以上、興味や好意であると考えられるのではないかしら。だとすると、そんな私を魔術省に奪われるという事は、有用な駒の移動という事でもあるのかもしれない………?)



この国は王家の独裁もなく比較的平等な気風だが、とは言え派閥同士の小競り合いはありそうだ。

三公爵家の力関係や、ひいては何かと問題を起こしがちという第一王女派閥への牽制なども無視し難い問題なのだろう。


こちらも、そんな派閥争いに呑み込まれては困るのは間違いない。

だとすれば、あまり問題がないとされる二公爵家の間にいた方が、どちらかに偏らず、それでいて第一王女派閥からの介入を避けられる。


(アンは、そこまでを計算してこの提案をしたのだわ………)


顔を顰めているレイヴィアも、彼の立場から同じことを考えたに違いない。

ややあって、深い深い溜め息を吐いた。



「団長、この提案に乗りましょう。ちびを…リーフェットを、魔術師連中なんかに預けられるとでも?!」

「私も同意します。魔術省の連中に、小さな子供の世話が出来るとは思えません。小さな子供は、大人が思うよりも些細な事で危険に晒されるものです」

「そう言えば、副団長はお子さんがいましたね………」

「男の子だけどな。………それでも、乳母から色々な注意事項を覚えさせられた。女の子を育てる場合は、体力面や体の小ささもあってもっと繊細だと聞いている」


その他の騎士達もなぜか、祈るような目でレイヴィアを見ていた。

観察記録を付けられたら心が死んでしまうリーフェットも、日中は騎士棟にいたいのだという願いを込めてレイヴィアを見上げる。

パンケーキ三昧もそうであるし、子猫なる愛くるしい生き物と仲良くなったばかりなのだ。

完全に騎士団との繋がりを断ちたくない。



「……………魔術併設の質量はどうなっているんだ?あの屋敷は、俺が受け継いだとは言えクレア公爵家の物だ。庭に屋敷をと言われても、簡単にはその提案に同意出来ない」

「小さなガゼボか、庭小屋程度のもの、もしくは庭木あたりを入り口としておこう。魔術上の扉を開かなければ、屋敷は見えない」


アンがさらりと口にしたのは魔術師的にはとんでもない事なので、リーフェットはぎょっとしてそちらを見る。

騎士達も呆然としているが、なぜかレイヴィアには驚く様子がなかった。


(………お母様が妖精なら、そのくらいの事は気にならないのかしら)


アンの提案した魔術併設は、余程の大魔術師でもなければ出来ないことだ。

見えなくしたり、出入り口を別の場所に設ける事は可能でも、質量そのものを隠してしまうという方法は、高位の人外者の領域の魔術ではないか。


それが品物などであれば収納魔術があるが、家や工房というのは一つの魔術的な場にあたるので、そのような隠し方が困難なものとされていた。



(そして、一緒に住むのは決定事項になっていない?!)



「………い、一緒に住むのですか?」

「ああ。もう安心していいからな」

「いやいやいや、よく考えたら、こんな小さな子に花嫁候補とか言ってる男と暮らすなんて、恐怖しかないだろ!?団長だって、どんなにリーフェットが可愛くても、花嫁にしようとは思いませんよね!?」

「そうか…………?」


さすがに本気で言っている訳ではない筈だが、アンの問題発言を取り上げたジリアムに、どういう訳かレイヴィアは首を傾げた。

その瞬間、周囲にぴしゃんと衝撃が走る。


「…………そうだった。……………妖精はそういうのもありでしたね……………」

「ジリアム、何で生まれたばかりの赤子から花嫁候補に出来るような人に訊いたんだ………」

「ふぇ。変態しかいないみたいになりました………」


どう考えてもどちらもいけないやつではないかと更に慄いたリーフェットに、レイヴィアがまた不思議そうにするのはとても危険な兆候である。

どうか、人間の組織に入って生活している以上は、そのあたりは善処いただきたい。


(まさか、これだけの家柄と肩書きがある方なのに、婚約者がいないのも……………)



「リーフェット。種族性によっての恋愛嗜好は色々あるからね。そこは柔軟に受け入れていこうか」

「いや、おかしいだろ。あんたもその仲間だからな」

「……ジリアム、その言い方だと団長も変態だという事になるぞ」

「……………二人とも、先程からずっと発言に問題があるからな。後で執務室に来るように」


さすがに聞き流せなくなったものか、そう告げたレイヴィアに、騎士二人がぴっとなる。

会話に参加はせず、周囲に集まっていた他の騎士達もさあっと青ざめた。



「先生は、」

「リーフェット、いつものように呼んでくれないのかい?」

「……………アンは妖精さんではないのですから、こちら側の倫理観を持つべきなのではないでしょうか?私と二人で暮らすとなると、職場での差し障りも出ると思うのです」

「おや、僕は人間じゃないよ?」

「……………ふぇ?」


にっこり微笑んでそんな事を告げたアンに、リーフェットは目を丸くした。

レイヴィアの表情は読めなかったが、ジリアム達も驚いているので、規格外の美貌を以てしても人間にしか見えなかったのだろう。


(評判に響くという理由からさりげなく回避しようとしたのに………!!)


そして、リーフェットは戦う為の武器をなくした。


騎士達がレイヴィアの発言を妖精ならと受け入れたように、相手が人外者の場合は異種族の倫理観が考慮される。

今回の場合は、アンがリーフェットの師にあたるので、人間のリーフェットの価値観よりもそちらが優先されるのは当然とも言えた。

人外者は愛し子や弟子と暮らすのは至って自然という認識が、彼等と共存する人間には浸透していることが多い。



「では何かと言うと、少しややこしくなるので秘密だけれど、人間ではないんだ。あれ、言っていなかったかな?」

「はつみみです…………」


初耳もなにも、明かされていなかった情報ではないのだろうか。

リーフェットがローベア国の魔術学院にいた頃、アンブラン国王は人間としてあの国を治めていた。

ぶるぶるしながらアンを見ていると、美しい元王様は少しだけ悪戯っぽく微笑みを深める。


「そういう事だから、僕も特例枠かな。とは言え僕の色恋の嗜好は子供ではないから、きちんと君が大人になるまでは先生に徹するから安心し給え」

「どうきょ……………なのでしょうか」

「人外者の庇護は受けておくものだよ。人間には大きな祝福になるらしい。そうそう、仕事は明後日からでいいそうだから、明日は王都の美味しいお店巡りでもしようか」

「します!」


この国は海に面した立地に王都を置いているので、各国から美味しい料理や食材が入ってくるのだそうだ。

いつか、市井の食堂などにも行ってみたいという憧れを抱いていたリーフェットは、思わず力いっぱい頷いてしまってから、しまったと思った。


これでは、食べ物に釣られて同居を認めたようなものではないか。


「よし決まりだ。屋敷で使うものなども買いに行こう」

「ぎゃ!魔術誓約が取られてる………!!」

「……………リーフェット」


こんな時こそ、抜け目がないのが魔術師である。

アンはさらりと魔術誓約を取り付けていたらしく、リーフェットは結ばれた魔術を見て頭を抱えた。

額を片手で押さえたレイヴィアに名前を呼ばれたのがまた、その後悔に追い打ちをかける。



(ちびころ、……………ちびころめ!!)


これはもう恐らく、幼児として過ごしているせいで、確実に大人の女性としての大切な何かが失われていっているに違いない。

でなければ、こんな不本意な同意の取られ方などする筈がないではないか。



「では、先生が抱っこしてあげよう」

「がるる!!」

「………魔術誓約が結ばれた以上は、致し方ないな。………強引に同居を取り付けたようだが、嫌われているのでは?」

「そんな事はない筈なんだがなぁ」



アンの微笑みは整い過ぎていたので、それはきっと、レイヴィアを納得させる為の言葉だったのだろう。

でも、当たり前のように言われた言葉を聞いたリーフェットは、ずきんと胸が痛んだ。

ジリアムの腕から下ろして貰い、とは言え朝食があるのでアンの腕には預けられず、食堂にいつからかあるリーフェット用の子供椅子に座る。


(……………私は、まだどこかでアンブラン王の事が好きなのかしら)



命を狙われている可能性があるのに、彼の身元を保証して自分と紐付けてしまった。

一緒に暮らす羽目になったのも、あの時のリーフェットがアンを自分の魔術教師だと言ったからだ。

自分を脅かすかもしれないのにそうして手を伸ばしてしまった心のどこかに、遠い日の初恋の欠片が眠っていたらどうすればいいのか。



何しろリーフェットは、対人関係の才能がてんでないのだ。

このまま取り返しのつかないことになる前に、もう一度距離を置いた方がいいのかもしれない。


(あまり仲は良くないと印象付けて…)


「そうそう。これを君に返しておこう。取り返すのに苦労したが、大事に使ってくれていたようだから、何としても持って来たかったんだ」

「……………あ」


けれども、リーフェットが警戒を強めようとしたその時、アンがどこからともなく取り出したのは、美しい銀細工の小さな小箱であった。



その箱を見た途端、リーフェットは息を呑んだ。



大人の女性の手のひらくらいの大きさなので、今のリーフェットの今の手には少し大きいだろうか。

角が丸く厚みは今のリーフェットの親指ほどで、銀水晶の表面には精緻なリースの模様が彫られている。

何て綺麗なのだろうと思い、ずっと大事にしてきた魔術仕掛けの道具箱だ。



「……………私の、刺繍道具」

「幾つか、使い切ってしまった刺繍糸や摩耗した針があったから、そのあたりは補っておいたよ。引っ越しが終わったら、持ち歩き易いようにリーフェットの手に合った大きさに調整しようか。…………以前とは、環境が違うから、常に持っていられた方がいいだろう?」



リーフェットの手に戻された刺繍道具は、アンが持っていたからか微かに温かかった。


両手で受け取りぎゅっと抱き締めてから、魔術承認をかけてぱかりと蓋を開く。

小さな小箱の中に、魔術で奥行きを持たせて集めていた刺繍糸をありったけ詰め込んである、リーフェットの宝物だ。



(……………緑の刺繍糸が、補充されている)



リーフェットは植物の図案で刺繍をするのが好きだったので、緑の刺繍糸はいつも欠品しがちであった。

それが今はどうだろう。

緑色の系統だけで、八色もあるではないか。


王宮にいた頃も、要求すれば新しい針や刺繍糸は補充されたが、それは、リーフェットの刺繍が必要だったからに過ぎない。

何種類もある針の手入れをする為に必要な流星雨の夜にも外には出して貰えなかったし、針を磨くのに必要な湖の水なども度々忘れられた。


そのせいで、曇ってしまった針をどんな思いでリーフェットが磨いていたかなんて、誰も知らなかったに違いない。

美しい針が霞んでゆくのを、泣きながら見ていた夜もあった。



(…………曇っていた針が、綺麗になっている。新しい針に変えられてしまったのではなくて、あの針を綺麗にしてくれたのだわ)




込み上げてきたものを飲み込めず、リーフェットは慌てて箱を閉じた。

涙が落ちて、せっかくの糸や針の魔術が崩れたら嫌だったのだ。


ぼろぼろと溢れた涙を慌てて袖口で拭おうとすると、心得たように微笑んだアンが、ハンカチが差し出してくれる。

誰かからハンカチを差し出されるのは初めてなので、少し躊躇ってからそれを受け取り、涙をぎゅっと押さえた。



(……………私の宝物が、戻ってきた)



胸の奥の柔らかな部分がくしゃくしゃになるような、どうしようもない安堵に涙が止まらない。

ただ、ただ、戻ってきた宝物を抱き締めて、嬉しくてもこんなに涙が出てしまうのだと思いながら、リーフェットはぼろぼろと涙をこぼし続けた。

すぐに収まると思ったが、それどころか寧ろえぐえぐと子供が泣いているような嗚咽が漏れてしまう。


ずっと押し留めていた何かが壊れて、胸の中に溜め込んでいた涙が溢れ出すような気がする。


いつの間にかアンに抱き上げられていて、背中を撫でる優しい手に溺れるように、リーフェットは声を上げて泣いた。








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