表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/20

4: 再会と無職の王様




人生には、幾つもの岐路がある。


そんな分かれ道の邪悪さについて考える午後、リーフェットは重ねて襲い掛かる人生の試練に、わなわなと震えているところであった。




「…………これは、困った事になったぞ」



目の前で腕を組み考え込んでいる男性を凝視し、大陸の災厄と言われた針の魔女から迷子の幼女に役名変更したばかりの小さな乙女は、呆然と立ち尽くしていた。


こちらを見て悩まし気に眉を寄せている美しい男性は、リーフェットが、初めての子猫なるものを発見して夢中で一緒に遊んでいたところ、いつの間にか目の前に立っていたのだ。

なお、いきなり現れた背の高い男性に仲良しになったばかりの子猫が逃げていってしまったのは、とても許し難いことであると言っておこう。



子猫と遊んでいるリーフェットを、いつの間にか正面にしゃがみこんで顎先に片手を当てて観察していたのだから、騎士団の私有地への不法侵入者なのは間違いない。



リーフェットがいた場所は、王宮の敷地に隣接する森との境界側である。

森の外周は高い魔術城壁で囲まれているので、人知れずそちら側から近付くことは本来不可能であろう。

だからこそ騎士達は、リーフェットを安全なこの庭で遊ばせていたのだ。



しかし、この不審者を、リーフェットがすぐさま騎士達へ突き出せないのには理由があった。




(な、なんで、……………なんで、ここに魔術王がいるの?!)



リーフェットの正面に立ち、こちらを怪訝そうに見つめているのは、漆黒の旅装束の男性である。

服装こそ違うが、けぶるような銀糸の髪に鮮やかな青緑色の瞳で、大人の凄艶さを持つ美貌ともなれば、こんな容姿の人物をそうそう見間違える筈もない。

そもそも、さすがのリーフェットも、ほんの数日前に自分を処刑しようとした大国の王様を見間違える事はなかった。


だらだらと冷や汗をかき、けれどもリーフェットは、根性でどちら様でしょうかという表情を維持した。

幸いにも姿形がこれだけ変化してしまっているので、お探しの逃走犯ではありませんという演技をする余地がある。


まさかの場所で王様に再会してしまい一瞬は恐慌状態になりかけたリーフェットだったが、自分は過去に戻った筈なので大丈夫なのだと安心してもいたのだ。

しかしそこで、王様が、やっと見付けたと思ったら何で縮んでいるんだろうという恐ろしい一言を呟くではないか。


(知っている!これは、絶対に私が誰だかを知っている魔術王だ!!)


かくして、ちびころ魔女に困惑する魔術王と、いきなり目の前に現れた追っ手から目を離せないまま冷や汗をかくリーフェットという悲しい構図が出来上がったのである。



「……………ええと、……………やぁ。僕は怪しい者じゃないから安心してくれ。それと、君はリーフェットだよね?」


暫く悩んだ後、大国一の権能と呼ばれる王様は、あまりにも酷い自己紹介をした。

思わずリーフェットの眼差しは冷ややかになったし、それに気付いた魔術王も暗い目になる。

彼に問えば得られない応えはないと言われる叡智の王としては、あまりにも残念な切り出しだった。


「よ、よし、仕切り直そう!…………どうして子供姿になったのかなと、訊いてもいいかい?」

「……………どちら様でしょうか?」

「うーん。僕としてももはやその出会い方でもいいのだけれど、君、僕に気付くなり魔術王と叫んだよね」

「……………気のせいだと思います。初めまして」

「僕が言うのもどうかと思うけれど、そこから誤魔化すのは無理だろう」

「初めまして。ここは私有地なのですが、不法侵入の方ですか?」

「ん?…………物凄く嫌な質問がきたぞ………。私有地?」

「はい。ここは、この国の王宮の敷地内にある、騎士団の専用区画です」

「……………王宮か。見付かったら最悪だな。………おっと!」


目の前の追っ手が騎士達の目を避けていると気付いたリーフェットは、であればやはり近くに居る騎士に助けを呼ぼうと口を開きかけ、その瞬間にはもう、魔術王の腕の中にいた。


「……………っ?!」


抱き上げられて口を押えられた途端にあの夜の恐怖が蘇り、体が上手く動かせなくなる。

喉の奥で掠れた悲鳴がくぐもり、それに気付いた魔術王が小さく舌打ちした。


「……………すまないが、少しだけ魔術調整をかけるよ。これは、気持ちを落ち着かせる為のもので、君を傷付けるようなものではないから安心してくれ」


リーフェットを片手抱きにし、宥めるようにふわりと額に触れたのは、王様の指先だろうか。

ふわりと恐怖が和らいだのは魔術による侵食だろう。体に染み入るような暖かさと懐かしい香りになぜか泣きたくなって、リーフェットは、それでも逃げ出そうとじたばたする。



(…………ああ、同じ香りだ)



花々の香りのようだが果実のように清しく、雨上がりの森のようでもある不思議な香り。

リーフェットはなぜか、この香りを嗅ぐと美しい夏至祭の夜を思い出す。


学院長の部屋で、リーフェットが初めて刺繍魔術に触れたその香りは、同じような香りの品物を探したがどこにもなかった、アンブラン王の持つ魔術の香りだ。

沢山の夢や希望を抱いた遠い日が思い出され、胸が締め付けられるよう。


じわっと涙が滲み、微かに息を呑む気配がした。



「怖がらせてすまない。……………だが、僕は君を傷付けに来た訳ではないんだ。……………勿論、あの日の処刑の続きをしに来た訳でもない。いいかい、リーフェット。あの場所から君をこの地に逃がしたのは僕だ。それに君は、もう問題なく処刑されたことになっている」

「……………むぐ?!」


思ってもいない言葉に目を瞠り、口元を覆った手の下で声を上げると、耳元で微笑む気配があった。

そろりと視線を持ち上げると、青緑の瞳の美しい王様がにっこりと笑う。


「その話を、君としたいと思っている。なので、今からこの手を外しても、どうか騎士達を呼ばないでくれると嬉しい。有り体に言えば、君の気配を掴んで慌ててこちらに真っ直ぐ向かったので、まさか私有地だとは思わなかった。因みに、今の僕は身元を保証するものがなく、お金もないといういささかまずい状況にある。投獄されても保釈金も払えない」

「……………王様なのに、ですか?」


体を抱き直され、向かい合うようにされた。

口を押えていた手がそろりと外されて、リーフェットが思わず口にしたのはそんな言葉だ。

すると、睫毛の影も見えるような近さで微笑んだ王様が、困ったように眉を下げるではないか。


「ここには、僕の治めていた国はないからね」

「…………やはり、違う大陸だったのですね」


また一つ、針の魔女とは別人だと言い切れなくなるような返答をしてしまい、リーフェットは小さく呻いた。

アンブラン王が小さく微笑む気配がして、さりりと頭が撫でられる。

たいへん遺憾なことに、こちらもお子様対応だ。



「いや、僕達が暮らしていた世界層とは、そもそも違う位置づけの場所だ。違う世界ではないのだけれど、詳しく説明するとややこしいのでそれに近い認識でいいだろう」

「………多分、あちらの大陸では正式に認知されていない土地なのだと思いますよ。さすがに、違う世界などにはそうそう行けるものではありません」

「そこで冷静に反論されると、泣きそうになるんだが……」



小さく笑ってそう言われ、リーフェットは目を瞬いた。

そろりと顔を上げると、王様は裁判の日に見たような酷薄な眼差しではなかった。

手で触れられる距離に、温度のあるくしゃりとした笑顔がある。



(………ここにいるのは、私を処刑する筈だった王様で)


でも、今は限りなくリーフェットと同じ、身元不詳の不審者だという。

ここまでやって来てリーフェットを見付けておきながら、けれどもリーフェットを傷付けないと言っている。


(そして、私をあの場所から逃がした………のは、自分だと話している)



「……………あなたが、あの場所から私を逃がしたのですか?」

「うん。そういうことになるかな。本当はね、もう少し救いがある形で君を逃がしてあげたかったのだけれど、…………さすがにあの戦乱は惨過ぎた」

「………っ、」

「ああ、よしよし、落ち着きなさい。…………僕は、君にあの戦乱そのものの責任があったとは思っていないよ。でもね、魔術師としては、知らずとは言え成果物を渡してしまった以上、その責任は問われる事になる。君が何も知らずに利用されていたのだと主張しても、命を落とし戦火に飲まれた者の数を計上されて、やはり死刑は免れられなかっただろう」



最初の、鋭いナイフのような一言でリーフェットは竦み上がった。


どこかで分かっていて、けれども出来るだけ目を逸らしていたかった罪の重さに、体がぎゅっと縮こまりそうになる。

そんなリーフェットの背中をあやすように撫でるくせに、王様は容赦のない言葉を淡々と続けた。



「だから僕は、君をあの枝から切り落とし、世界の表層から追放することにした」

「……………えだ」

「そう。違う世界という程に大袈裟な違いはないから、そのように表現するよ。僕達が生まれ育った場所とは違う、けれども本来はどこかで繋がる未知のどこかだ。行き先は僕にも選べなかったけれど、まぁ、…………文化水準からするとそう悪くはなさそうだね」

「それならば、どうして、……………あなたまでもがここにいるのでしょう。私を追って来て、捕まえる為ではないのですか?」



そう問いかけると、こちらを見た鮮やかな青緑色の瞳が、またふわりと微笑む。

リーフェットはふと、人間はこんな光を孕むような色の瞳を持つだろうかと考えた。

魔術学院で、ぼうっと光を孕むような美しい瞳を持つのは高位の人外者だと教えられたことを思い出したのだ。



そしてその微笑みは、どこか悲しげで、息が止まりそうになるくらいに優しかった。



「そうだね。今は、………君に余計な負担をかけないように、管理責任者とでも言っておこうか。それに、僕も随分と長い間仕事ばかりしていたから、少し休暇を取ってもいいかなと思ったんだ」

「休暇…………?」

「おお、心を抉るような冷ややかな目だなぁ。…………君は、仮にも貴族のお嬢さんだろう。その呼び名に相応しいだけのものを何一つ持っていなかったとしても、そう簡単に市井で自活出来るとも思えない。そんなお嬢さんを一人で見知らぬ土地に追放したら、それこそあの場で殺してやるよりも惨い事になりかねない。そうだね、……………旅の同行者、……………いや、この場合は保護者かな。……………だと思ってくれ給え」

「それは、………お断りするのも可能ですか?」

「うーん、断られてしまうと悲しいな」



(だってこの人は、……私を殺そうとした人なのだ)



説明を聞いていると思わず味方かなと思いかけてしまったが、きっと、言われたままの言葉が全てではない。

現に彼は、リーフェットの行いを罪だと考え、魔術師として問われるべき責任にも言及する厳しさも持つ人だ。


それに、あの大国を長きに渡って治めた偉大な王が、そうそう簡単に旅になど出られる筈がない。

さすがのリーフェットも、旅の同行者だと言われて素直に頷ける程に無知ではなかった。



(それに、処刑台から逃げ出したのは、私自身の意思だった。だとすれば、逃げ出した罪人を追いかけてきたと考えるのが妥当ではないだろうか)



けれどと、少しだけ思う。

ただリーフェットを殺したいのであれば、この場でそうすればいいのだ。


リーフェットは既にアンブラン王の腕の中に捕らわれているし、祖国が仕掛けた戦を容易く終わらせ、大陸をあんなにも容易く統一してしまった魔術の王なのだから、こんな小さな子供を殺すのは造作もないだろう。


対するリーフェットは、この指先でどれだけの災いを招いたとしても、刺繍がなければ大した事は出来ない。



「ああ、少しも僕の説明を信じていない顔だね」

「さすがに、今の理由だけであなたを信じるのは難しいです」

「うん。そうだろうさ。だが、………ここは気長に理解していってくれ。これからはずっと一緒なんだ。仲良くしてくれると嬉しい」

「私と行動を共にしようと考えているのは、………そう言って油断させて、あの場所に連れ帰ろうとしているからではないのでしょうか?」

「違うよ。君は魔術師だから、魔術誓約の言葉でそうではないと誓えば安心してくれるかな?……では、僕は君に危害を加えず、君を守ると誓おう。ほら、これで安心だろう?」

「……………では、騎士団の私有地に不法侵入しているからでしょうか」


その可能性に思い至って尋ねると、青緑色の瞳をしたぞくりとするような美麗な男性が、あからさまに動揺して目を泳がせるではないか。


「……………ああ、うん。不法侵入はまずかったかな。君はこちらで暮らしているようだから、事情を説明する時には一緒にいて欲しい」

「それは、………先程仰っていたように、身の安全を買う為のお金を持っていないからですか?」

「その場で決めた事とはいえ、さすがにある程度の金目ものは持って出たんだがな。いやはや、思いがけない事の連続で、うっかり使い切ってしまった」

「…………お金を使い果たした。…王様が」


あんまりな説明に、リーフェットが半眼になったのに気付いたのだろう。

なぜか慌て出した王様は、更にとんでもない事を言い出した。


「それと、王位は退いてきたからその呼び名もやめようか。この近隣の国々の王族と混同されて面倒な事にもなりかねない。僕の名前は、アンだ。ほら、呼んでご覧」


にっこり微笑んでなぜか名前で呼ぶように言ってくる王様に、リーフェットは渋面になった。

魔術師は、名前そのものにも力を有している事があるというのに、魔術を治める国の王だった人の名前を、そう簡単に呼べるはずがないのだ。


「王位を、退かれたのですか…………?」

「ああ。さすがに何も言わずに長期間国を空けるのは無責任だからな。戻れる保証もない。なので、針の魔女の調伏にあたり、大きな障りを受けてどこかへ引き摺り込まれたという事にしてある。勿論、国の者達にもそう告げ、新しい王を立てるように言ってあるので…」

「それはつまり、私の罪状に、大陸全土に異様な信奉者の多い魔術王を道連れにしたという項目が追加されたという事ですか?……………あなたの、休暇の為に」



あまりにもあっさりとそんな事を言われたので、リーフェットは瞠目した。


祖国に帰れるとも、帰りたいとも思わないが、さすがに聞き流せない内容だったのだ。

確認を取る声が凍えるようなものだったことに気付いたのか、美麗な王様がぎくりとしたようにこちらを見た。



「言われてみれば、冤罪もいいところか。いや、すまない。だが、他にどうしてもというような理由付けをするのは難しかったんだ。追って来られるとは思わないが、僕を探して国を傾けられても困るからね」

「………どちらにせよ、もう処刑相当の罪を犯しているので、そう言っても構わないと思いましたか?」

「いや、名誉の問題であれば、そのようにするべきではなかった。申し訳ない。……………だが、どちらにせよ、君はもうあの場所に帰れはしないだろう。君の場合は、帰りたいとも思わないだろうが」


その言い分はずるいと思った。

けれども嫌な感じがしないのは、目の前の人が随分と沢山なものを捨ててここに来たと知ってしまったからだろうか。


まだ誓約魔術を閉じていないので、嘘ではないのだろう。

綺麗な瞳を見上げると微笑みを深めるので、リーフェットが疑わないようにと、敢えて魔術を開いたままにしてあるらしい。


「……………やはり、帰り道はないのですね」

「帰りたいかい?」



そう問いかけた声は、不思議なくらいに柔らかい。

はっとするような穏やかな微笑みを向けたアンに、リーフェットは少しだけ躊躇ってから首を横に振った。


もう二度とあの場所に帰るものかと思い、命を削るような思いで逃げ出したのだ。


言われた通り、自身の行いの無責任さで多くの人々を死に追いやっておいて言えた事ではないが、それでも、どうにかして自分の人生を立て直そうとしてここまで来た。

罪があっても許されなくても、自分で自分を生かす為に逃げてきたのだ。



(だから、もう二度とあの場所には戻りたくない)



となればやはり、ここにいるのがリーフェットの初恋の人でも、そんな事で足を掬われ、捕まって殺される訳にはいかなかった。




「宜しい。では、君の面倒は私が見よう」

「……………その前に、リーフェットから手を放して貰おうか」



ざざんと、不思議な魔術の風が揺れた。

にっこり微笑んだ王様はしかし、背後からぴたりと剣先を突き付けられ、はぁと溜め息を吐いている。



「騎士団長!」

「すまない、戻ってきたばかりなんだ。助けに来るのが遅くなった」


声を上げたリーフェットに、アンに剣を突き付けたまま、レイヴィアがそう謝罪をしてくれる。

突然現れたように見えたので、接近直前まで、魔術の道にでも入っていたのだろう。

だとしても、魔術王と呼ばれた人の背後を取れるというのはとんでもない事ではないだろうか。


どうやら、討伐を終えて戻ってきたばかりのようだが、姿が見えないから探してくれたのか、たまたま見付けたのかは分からない。

とは言え、リーフェットを抱き上げているアンが敷地内への不法侵入者であるのは一目瞭然であった。


「…………そうだな。その前に、少しばかり僕の面倒も見てくれるとたいへん有難い」

「……………少し考えさせていただいてもいいですか?」

「いいのかい?僕を見捨てると、とても根に持つから面倒な事になるぞ」

「むぐぅ………」



見回せば、いつの間にか周囲を騎士達が取り囲んでいる。


抵抗はしなかったアンの手から、リーフェットはすぐさま救出され、私有地だと気付かずに入り込んでしまいましたと素直に謝っている元王様を騎士達が捕縛していた。


落ち着いた声でなされる騎士達への説明を聞いている限り、アンは、レイヴィアの接近に気付かずにいたのではなく、敢えて逃げずにいたようだ。

どうしてなのだろうと怪訝な思いで見ていると、おやっと眉を持ち上げてこちらを見た。



「その、……………どうして逃げなかったのですか?」

「うーん。妖精から逃げるのは、面倒なんだ。彼等は何かと執念深いからね」

「……………妖精………さん?」

「そう。こちらの彼は妖精だよ。………その中でもかなり気難しい種族なのに、君は随分と気に入られたようだ」


リーフェットがその言葉に目を丸くして顔を上げると、間に入る立ち位置のレイヴィアがふうっと息を吐く。


「騎士の中には、そういう者達も少なくない。この国には、古くから加護を与える人外者が数多くいるからな。それと、俺は生粋の妖精ではない。父は人間だ」

「どうやらそのようだね。そんな風に人ならざる者達と共存出来る、手入れの行き届いた豊かでいい国だ。だから、僕が逃げなかった理由はもう一つある。どうせどこかに移住するのならこの国が良さそうじゃないか。であれば、問題を起こさないに越したことはない。大人しく事情を説明して、早々に受け入れて貰った方がいい」

「少なくとも、王宮の敷地内に無断で立ち入り、捕縛された者の言う言葉ではないな。……………リーフェット。彼は、君の知り合いか?」



レイヴィアがそう訊くのは当然だろう。

けれどもまだ迷っていたリーフェットは、困惑したまま、縄をかけられている王様を見つめた。

眉を下げて困ったように微笑む人の姿に、たった一人だけリーフェットの刺繍魔術を褒めてくれた人の微笑みが重なる。



(……………この人は)



リーフェットの、初恋の人だった。


恋だなんて言えない程に、仄かな思いであったが、かけてもらった言葉はずっと宝物だった。

たまたま学院に来ていたアンが、希望を出していた学科の魔術適性がなく学院長から呼び出されていたリーフェットとの話し合いの場に同席してくれただけだったけれど、あの日の記憶はリーフェットの心を生かす小さな燈火だったのだ。



捕縛された際に取り上げられてしまったけれど、アンから貰った刺繍道具も、リーフェットの宝物だった。





「……………今朝話していた、私の、魔術を褒めてくれた人です」



覚悟を決めてそう言えば、こちらを見た王様がほっとしたように微笑んだ。


リーフェットが、人生をやり直すべく逃げ出した先で、自分を殺そうとしていた人と、再びの縁を結んでしまった瞬間だった。








評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ