3: 騎士団とパンケーキ
その後、親切な女商人は、リーフェットを海沿いの壮麗な王都にある騎士団に届けてくれた。
王家御用達の商人で王宮所属の騎士団に伝手があったらしく、どうせなら街の騎士団よりも、更に優秀な騎士達が集まるところがいいだろうと考えてくれたらしい。
というより、この迷子の裏には何か事情がありそうだぞと、とても警戒されたのだろう。
直近で騎士団に連行されて処刑台に送り込まれたばかりの乙女にはあんまりな仕打ちであったので、がたがたと震えるリーフェットの姿は、それはそれは哀れに見えたそうだ。
その結果、涙目で脱走しようとする子供と、その子供を何とか保護しようとお菓子や玩具を手に追いかける騎士という光景が何回か繰り返され、三日もすればさすがにリーフェットも、魔術に長けた騎士達から走って逃げるのは無理だと理解する事が出来た。
かくしてリーフェットは、今日も、届けられた騎士団で過ごしている。
「リーフェット、今日は私が馬に乗せてあげようか」
「がるるる!!」
「おいこら、ちびは威嚇しているだろ。触るなこら」
「がるる!!」
「そういうお前も、ちびちび言い過ぎて威嚇されているけどな……。そもそも、席次が上の者に対しての礼儀がなっていないだろう」
引き続き、世界は困難と試練に満ちていた。
だが、生き直してみせると誓ったのだからと、リーフェットは新しい環境に適応しようと努力している。
この騎士団に預けられて以降、隙あらば頭を撫でてくる騎士達を冷静に説得してきたし、立派に自立した乙女であることを説明して何とか一人部屋にして貰った。
ほぼ見知らぬ男性達に子守歌を添えて添い寝などされようものなら、さすがのリーフェットも憤死してしまう。
王宮の警備などの為に基本は誰かが起きているこの騎士棟では、リーフェットが起き出すとその時に仕事をしている騎士に連絡が行くような魔術情報網が敷かれているらしい。
毎回寝台から起き上がるなり誰かが部屋にやって来るので、年頃の乙女にはたいへん由々しき事態であった。
(身支度を整える前の女性の部屋に、勝手に入ってくるなんて!!)
年頃の女性だった頃の倫理観が抜けず怒り狂うリーフェットにだって、勿論、自覚はあるのだ。
あの処刑台から逃げる為に組み上げた魔術のどこかに大きな欠陥があり、今の自分は若干、いや、かなり幼くなってしまっている。
そんな子供が大人の女性のような配慮を求めても、騎士達とて困惑するだろう。
だが、そう自分に言い聞かせても、これは心の問題でもあった。
どうしても起き抜けで部屋に男性達が殺到すると動揺するし、動揺のあまり全力で威嚇してしまう。
こんな時、幽閉されていた頃は、この辺の尊厳は守られていたのだなと過去の自分を冷静に分析していたりもするのだが、とは言え、寝巻きの乙女を気軽に抱っこしてはならないと訴えるのも忘れてはならない。
「お着替え前ですので、すぐさま私を解放して下さい!!」
「………どうしたんだ、リーフェット?ご機嫌斜めかな」
リーフェットが目を覚ますなり部屋に突入してきた二人の騎士の後ろで苦笑していた男性が、そう微笑む。
一番の難敵の出現に、リーフェットはすぐさま警戒を強めた。
「なぜ、毎朝、騎士団長様がお部屋に来てしまうのでしょうか」
「はは、俺が来て宥めないと、部下達がやりたい放題だろう。今日はこの二人だけだが、寝起きは動きが鈍って捕まえ易いからって、皆がリーフェットを撫でようと狙っているからな」
「いや、………毎朝、もの凄いご機嫌でちびを抱き上げている団長に言われたくないですけれどね」
「俺はいいんだ。リーフェットの後見人だからな。それと、騎士団長と呼ぶのはやめてくれ。レイヴィアだろう?」
「がるる……」
「凄い威嚇されてますけど……」
現在、リーフェットを捕獲して抱き上げているのは、この国の公爵家の次男である、第一騎士団の騎士団長である。
即ち、役職と貴族階級の上ではそこそこに偉い御仁で、どう考えても、保護されたばかりの幼女の目覚めに都度付き合う立場の人ではない。
それなのになぜ毎朝いるのかなと眉を寄せて騎士団長を見上げると、可愛いなぁとにっこりと微笑みかけられてしまい、リーフェットはがくりと肩を落とした。
(確かに、名ばかりとは言え、この方は私の後見人ではあるけれど!)
レイヴィアは、柔らかな金糸の髪に冬の日の湖のような澄明な紺色の瞳を持つ、落ち着いた微笑みの似合う美麗な男性だ。
ルスフェイト国の王立騎士団に在籍する騎士達の中でも背が高く、がっしりとした体格の騎士達よりは細身の、魔術と剣の両方を扱う騎士である。
リーフェットを処刑する筈だったアンブラン王も穏やかな微笑みの似合う美貌の男性だったが、かの王のひやりとするような美しさや少し腹黒そうな朗らかさに対し、こちらの騎士団長の美麗さは硬質で落ち着いた印象だろうか。
普段はあまり笑わないので、氷の騎士団長という有りがちな通り名で呼ばれているようだが、リーフェットの知るレイヴィアはいつもにこにこしているし、どちらかと言えば氷要素はなく、寧ろ冬毛の森狼に似ている。
こうして抱き上げられた時にこっそりくんくんと匂いを嗅いでみると、レイヴィアからはいつも森と夜の魔術の香りがした。
そして多分、人間ではないものの血が混ざっているのは間違いない。
「ほら、ちびが嫌がっているじゃないですか。俺が代わりますよ」
「そんな訳ないだろう。リーフェットは、ジリアムより俺の方が好きだよな?」
「がるる…………」
「明らかに威嚇されていますよね…………」
「俺は一応、リーフェットの後見人なんだぞ?」
騎士団長に遠慮のない言葉を向けた砂色の髪の青年は、入団してまだ三年目の若い騎士であるらしい。
だが、この国の騎士団は年次制ではなく実力で階位を上げられるそうで、ジリアムは既に、騎士団の中では五階位に入る実力者になっているのだとか。
そして、もう一人のがっしりとした体格の騎士は、三階位の騎士なので、つまり、今朝も上から数えた方がいいような騎士達ばかりがリーフェットの部屋に集まっていることになる。
なお、このちびころ状態では、たいへん不本意だが子供であることを受け入れざるを得ず、とは言え憤りを示したいというようなことが多々ある。
よって、そのような時は言葉にならない威嚇の表現として、唸り声を上げるようにしていた。
(なぜこうなったのかしら………)
現在のリーフェットは、騎士団長のレイヴィアを後見人とし、この騎士団の預かりとなっていた。
騎士団に預けられた後に、こちらの団長と王宮に仕える魔術師の手で魔術証跡を調べられた後、何らかの魔術の事故に巻き込まれてあの森に落とされたのだろうと結論付けられている。
騎士に預けられた上に、何気なく座らせられた椅子が魔術証跡を調べる為の特別な道具だと知った時は絶望したが、不思議なことに、リーフェットの過去は魔術では辿ることが出来なくなっていたのだそうだ。
(多分、……過去に戻ったからではないかしら………)
理由を知っているリーフェットは冷や汗をかくばかりだったが、幸いにもその事実が暴かれる事はなかった。
幼児姿のリーフェットはとても無害に見えたようで、何か大掛かりな事故に巻き込まれた被害者なのだろうととても同情して貰い、安堵の思いで今日に至る。
とは言え、残された魔術証跡には明らかに人間ではないものの痕跡があると言われると、針の魔女と呼ばれた過去を持つリーフェットは、何とも言えない気分であった。
ここに来る迄に人外者に触れた記憶はないので、過去に戻るという初めての荒技のせいで、どうやら体や魂に残る魔術に想像だにしない影響が出ているようだ。
或いは、この世界のどこかに正しい時間軸を生きるもう一人のリーフェットがいるせいで、本来の運命線からはみ出したということなのかもしれなかった。
そしてリーフェットは、散々悩んだもののとある品の現物支給に打ち負かされ、この現状を早々に受け入れたのである。
「さて。今朝は何を食べるかな?」
「シロップ!」
「はは、それだと液体だけだぞ。シロップたっぷりのパンケーキかな」
「それにします!」
「いや、ちびはもっと肉を食え、肉を。大きくなれないぞ」
「がるる!!」
騎士団長自らの運搬で騎士団の食堂に連れて来られたリーフェットは、素晴らしい香りを胸いっぱいに吸い込むと、魔術の欠陥が齎した思わぬ恩恵に感謝した。
ルスフェイト国の名産品に、サンリファの木から取れる香り高いシロップがある。
リーフェットの新しい大好物であった。
(サンリファのシロップと果物たっぷりのパンケーキ!!)
現在のリーフェットは、女児の姿である。
そして、帰り道を失ったと結論付けられた可哀想な子供に騎士達はとても甘かった。
となるともう、なるようにしかならない。
通いの料理人は呆れていたが、食事の時間になると騎士達がこぞって素敵な料理を注文してくれるばかりか、食べている姿を見るだけで癒されると、お茶の時間のおやつまでを約束してくれる。
それはまさに、リーフェットが、これまでの人生で体験したことのないような好待遇であった。
そんな生活にすっかり心を蕩かされたリーフェットは、信念も気高さもぽいと捨ててしまい、暫くの間はこちらでの状況整理の期間にしようと、ちびころ問題の解決を棚上げする事にした。
本当は立派な淑女であると言いたくなる場面も多いが、それを言えば、ではなぜそうなったのかと当然訊かれるだろう。
中身がある程度の年齢だとなれば、尋問に近い聴取もあるかもしれないので、それ等の追求を避ける為に現段階での主張はしないと決めた。
勿論、安全の為である。
(わぁ………!!)
朝食の席に運ばれると、すぐさまテーブルの上にはお目当てのものが置かれた。
レイヴィアがお子様椅子に座らせてくれたので、子供らしい我が儘さですぐさまカトラリーを手に取ると、たっぷりとバターとシロップが沁みたパンケーキをあぐりと頬張り、リーフェットはあまりの美味しさと幸せに身震いしてしまう。
(………んんん!美味しい!!)
リーフェットよ、生き直す為の崇高な覚悟はどこへやってしまったのだと言われそうだが、こんなに素敵なものがあるのならもう心残りはない。
たったこれっぽっちのことで、いつ死んでもいいかなと思うくらいなのだから、人間はとても移り気な生き物なのだろう。
ただし、朝食の席では本日のお茶の時間のおやつが告げられるので、そうすると何としても午後までは生き延びねばいけなくなる。
つまりは、毎日を全力で生きているではないかという結論でいいだろう。
「リーフェット、俺にも一口くれるか?」
「がるる………」
「代わりに、こちらの料理から、好きなものを食べていいぞ?」
「………ソーセージをくれるなら、考えてもいいかもしれません。ただし、一口だけですよ?」
「それなら成立だな」
にっこり微笑んだレイヴィアが顔を寄せたので、リーフェットはとても困惑した。
必死に首を傾げていると、レイヴィアが人差し指で自分の口元を示したので、どうやら食べさせてくれということであるらしい。
(この人は、実は愛娘と生き別れになっていて、その代役を私に求めているのではないだろうか……)
そうとでも思わないとやっていられない状況に、リーフェットは慄いた。
こちらのちびころの中身は立派な淑女なので、こんな要求をされるとわなわなしてしまう。
しかし、このレイヴィアの恐ろしいところは、それをさも当然かのように要求することなのだ。
一向にパンケーキを分けてくれないリーフェットに不思議そうにこちらを見るので、仕方なく、口の中にお子様フォークでパンケーキを押し込んでやった。
「…………団長って、どこかに隠し子とかいましたっけ?」
「ジリアム!!」
「いないが?」
「いや、…………いなかったら、それはそれでまずいと思いますよ。ちびも目が死んでますし」
「ジリアム!さすがにどうかと思うにせよ、本人に直接言うのは駄目だ!!」
三席が必死に止めているが、言っている内容はさして変わりない。
しかしこの時ばかりは、リーフェットもジリアムの意見に全くの同意であった。
しかし、当のレイヴィアは、目が合うとおやっと眉を持ち上げて微笑むばかりなので、少しもお腹の底を見せないくらいに真っ黒なのか、完全に無自覚なもっと危険なやつなのかの二択だろう。
案外、小さな妹でもいるのかもしれないと自分を納得させておき、リーフェットは何とか心の平安を保った。
「さて、今日だが、俺達は少し王都を空ける事になる」
「…………もしかして、討伐ですか?」
「お、誰かに教えて貰ったのか?」
レイヴィアのお皿からソーセージを半分貰い、強欲にも二枚目のパンケーキに取り掛かったリーフェットに、レイヴィアがくすりと笑う。
ああ、この人の微笑みは何の憂いもない陽だまりのようだなと思い、リーフェットは少しのだけの羨望に駆られた。
何の悲しいこともない人生など、ある筈がない。
だが、こんな風に微笑むのだから、レイヴィアは、多くを自分の力で解決出来る人なのだろう。
そんな人が、なぜ解決の見込みのない迷子の後見人に選ばれたのかは謎だが、こちらを見て微笑むレイヴィアにも足枷があるのだとすれば、リーフェットを預けられた事なのかもしれない。
(この国には、王子が二人いる。第一王子が可もなく不可もない御仁で、第二王子は国外へ出ているらしい……?代わりに力を得ている第一王女が少し癖のある人物で、騎士団長の家とは別の公爵家を後ろ盾にしているみたい。………だからこそ、対立派閥な上に宰相様でもあるレイヴィア様のお父上や、騎士団長のレイヴィア様の力を弱める為の動きはあるのではないかしら………)
リーフェットの処遇を決めた会議には、その第一王女派のビアド公爵家の息のかかった者達も参加していたようだ。
ルスフェイト国は、王政とはいえ王族ばかりが力を持つ国ではなく議会に重きを置くらしい。
その為、魔術省や騎士団などが独立した権限を持つ、独特な国家体制である。
なお、魔術省があるから他にも同じような括りがあるかと言えば、外交や商業などを担務するのは外務院らしいので、各分野の組織名にはあまり共通点がないようだ。
(その中で、レイヴィア様のクレア公爵家は騎士団。もう一つの公爵家、ジスファー家が魔術省、ビアド公爵家が外務院を任されているみたい?)
なお、この三公爵家は、それぞれに王家とは縁戚関係にあたる。
これだけの情報をどうして得られたのかと言えば、現在のリーフェットが幼女であることが大きい。
騎士達とてやはり子供の前では警戒心が緩むようだし、リーフェットが首を傾げて質問すると、あっさり色々なことを教えてくれるのだ。
祖国の王宮にいた頃は、戦争があってもいつ開戦したかすら教えて貰えない有様だったと思えば、ちびころ化の恩恵の大きさには慄くばかりだった。
とは言え、機密情報などはさすがに秘されている筈なので、誰に話しても問題のない範囲でもあるのだろう。
「………はい。もうすぐ、良くないものを討伐に行くと、ドーレン様が言っていました」
「成る程。うちの三席は、リーフェットには何でも喋ってしまうらしい」
ちらりとそちらを見たレイヴィアに、ジリアムを窘めながら食事をしていた体格のいい騎士が、わざとらしく視線を逸らしている。
(いつも思うのだけど、騎士団長様は、本当にそんなに怖いのかしら………?)
こうして部下達と食事を共にしているし、案外気さくな人物に思えるので、リーフェットは不思議で仕方ない。
じっと見上げていると、気付いたレイヴィアは、いつものように優しく微笑んでくれるではないか。
「王都の東の外れの森に、災厄の予兆が出たんだ。何か、災いに等しいものが現れたんだろう」
「それはもしかして、私が見付かった森の方ですか?」
こちらを見る眼差しに僅かな観察の気配があったのでそう言えば、レイヴィアはふっと目を見開く。
ややあって、少しだけ微笑みを深めた。
「そう。君が発見された森の辺りだ。もしかすると、君があの森にいたことに関係があるかもしれないが、それで俺達が君に何かの責を問う事はないから、どうか安心していてくれ。リーフェット、君は魔術証跡の正式な調査を受け、この騎士団で保護された子供だ。俺も俺の部下達も、一度託された者をそんな風には貶めない。……………ただ、もし君が会いたい人がいるのであれば、何らかの手掛かりが得られるかもしれないと思った。そんな思いが顔に出たかもしれないな」
「……………会いたい人は、いません」
リーフェットがそう言えば、レイヴィアがどこか痛ましげに目を細める。
話せない事が多い身の上なので、家族の事は素直に伝えてあった。
生まれたのはここではない国で、リーフェットが、一族が重んじる治癒や薬草の魔術を育める子供ではなかったので、雪の日に屋敷から蹴り出されてあの森に迷い込んだのだと、そう伝えてある。
途中の出来事を大胆に省いてはあるものの、決して嘘ではないし、嘘を重ねてもこのような役職の者達は見抜くだろうと考え、リーフェットは、ほんの少しの調整にかけるもの以外の嘘は吐かないようにしていた。
だからこそ、家族の事くらいは本当の事を告げねばならなかったのだ。
(この国で扱う魔術は、私の知るものと殆ど同じようだけれど、私が知らないような魔術が確立されていた場合、その嘘で自分の首を絞めるかもしれないのだもの)
何しろこちらは、一度は処刑台に上がっている身の上である。
折角逃げ出した先で同じような目に遭うのは、絶対に避けねばならない。
「……………一人も?」
「……………いえ、一人だけいます」
しかし、そう考えて慎重に対応を重ねてきたリーフェットが、ここで、レイヴィアへの答えを変えてしまったのには理由があった。
どんなに優しくて、安心させるようなことを言ってくれていても、レイヴィアはこの国の騎士である。
正式な調査が終わっているとは言え、どこから来たのかも分からない何の所縁もない子供の後見人に命じられ、リーフェットの言い分を信じるばかりではないだろう。
また、彼にリーフェットの後見人になるように命じた誰かも、ただの嫌がらせや善意からそうした訳ではあるまい。
高位の人外者の思惑などを損ねると大きな災いとなる事もあるので、リーフェットに人外者の魔術証跡があると判断した以上は蔑ろに出来なかったのではないだろうか。
(だとすると、あまりにも寄る辺ない身の上だと思われると、却って興味を引いてしまうかもしれない)
運悪く、これからレイヴィア達が討伐に向かうものが、よりにもよってという場所に現れているというではないか。
もし、あの森の異変をリーフェットに結び付けて痕跡をしつこく探る人がいて、帰り道を失くした筈の子供が異国の罪人の森からやって来たと分かったら、この扱いは一変するだろう。
下手をすれば、この国でも処刑台に送り込まれかねないではない。
(だから、出来るだけ普通の人達と同じように見えるようにしておかないと………)
その為には、不審感を持たせないのが一番だと思うのだ。
リーフェットにはよく分からないが、どんな人間だって、好きな人の一人くらいはいるものなのだろう。
あまりにも誰もいないのだと言い過ぎれば、リーフェットの側にも問題があると思われかねない。
そう考えたリーフェットは、少しだけ返答を変える事にした。
「会いたいという程ではないのかもしれませんが、……………私の魔術を褒めてくれた人がいます」
「ああ、そんな人もいたのか。…………正直、君の境遇を聞いていたから、少しだけほっとした。どういう関係だったんだ?」
「…………せんせいです」
「家庭教師のようなものかな。君の年齢で魔術の学びを得ていたのなら、屋敷に教師を招いていたんだろう。一つ謎が解けたよ」
「…………そうなのだと思います」
咄嗟に話の前後に齟齬がないように先生だと言ってしまってから、リーフェットは、にっこり微笑んで会話を続けたレイヴィアの言葉にぞっとした。
保護された直後の聞き取りで巧みに言葉を引き出されてしまった結果、リーフェットが魔術を使えることをレイヴィア達は知っている。
しかし、現在のリーフェットの外見年齢を思えば、この年齢で魔術を学ぶ子供は少ないのだろう。
(なぜならば、魔術の才が完全に育つのは、もう少し大人になってからだから…………!!危なかった………!!)
目の前でにこにこしている騎士から、この子供はどうして幼い内から魔術の学びを得ていたのだろうと疑問に思われていたのだと知り、ディアは、ぶるぶると震えないように全力で己を律した。
(怖い!やっぱり騎士は怖い!!少しも油断出来ない!!)
動揺を誤魔化す為に新たなパンケーキを頬張ると、レイヴィアは、今日も沢山食べるなと頭を撫でてくれる。
緊張のあまり味が分からなくなってきたので、一刻も早く討伐に出掛けて欲しい。
美味しい朝食は、リーフェットの大切な心の栄養なのだ。
「団長は、そろそろお仕事をするべきです」
「…………何だろうな。そう言わると、ぐっと切ない感じだが……………」
「怖いものを倒してくるのですよね?」
(………それと、子供姿だといい事が、もう一つある)
この国に自分を知る人がいないからかもしれないが、リーフェットは、以前よりずっと他者とお喋り出来るようになった。
上手く説明出来ないが、怯える子供に周囲が優しくしてくれた結果、最初から受け入れられているので安心して会話が出来るという素敵な環境が整ったのだ。
普通に過ごす場合はどのように会話をするのが正しいのか分からず、時々騎士達の喋り方を参考にしてしまうが、それでもとても楽しい。
「………確かに、そろそろ出かける時間だな。リーフェット、騎士棟周りの土地であれば外で遊んでいても構わないが、この敷地からは出ないようにするんだぞ?」
「…………むぐ。はい、おやつの時間があるので出ません」
「いい子だ。俺達も、全員が出払う訳ではないから、何かあったら近くにいる騎士に相談するように。……ただし、魔術省の連中にはあまり近付かない方がいい」
「変態は滅べばいいと思います」
レイヴィアが危惧する魔術師達は、リーフェットがどこから来たのかも分からないと魔術測定された途端、絶対にこちらで引き取ると大はしゃぎし始めた変人達である。
何を食べるのか、どんな生態なのかの観察記録をつけられそうになり、その様子を見ていたレイヴィアが騎士団で預かると宣言した後。その事情を知った誰かがレイヴィアを正式な後見人に命じてくれたらしい。
生活の全てにおいての観察記録などをつけられたら心が死んでしまうので、リーフェットも、この国では、魔術師達に近付いてはならないと考えていた。
(私の育った国や大陸の国々では、魔術資質は誰もが生まれ持っている才能のようなもので、職業魔術師達は、それぞれの分野の専門職のような扱いだった)
だが、この国の魔術師達は、どちらかと言えば貴職に近いようだ。
戦争などがないことで学問的な分野に力を入れられるのかもしれず、あの様子からすると、攻撃魔術などよりは研究分野が強いのではないだろうか。
騎士達の話を聞いていると、この騎士団が剣を向ける相手も、同族ではなく人ならざる者達が多いような気がするので、そのような環境の違いが仕事の違いになっているのだろう。
なお、騎士には魔術が扱える者が多く、魔術師を討伐や戦などには同行しないそうだ。
確かに、魔術師は、行軍などに耐えられなさそうな文官風の者達が多いという印象である。
そんな幾つもの情報をしっかりと整理しながら、リーフェットはパンケーキを食べていた。
(……………慎重に、慎重に。私が生まれ育った場所と同じ感覚で話をしていると、思わぬところで足を掬われてしまいそうになる。もう一度やり直して幸せになりたいと思うのなら、…………それに相応しい努力をしなさい)
子供の姿だから。
ここはあの国ではないから。
そんな理由だけで伸びやかに過ごせる程、今のリーフェットの立場は盤石ではない。
ただの迷子ではないと判明している上に、普通の幼少期というものが分からずに子供らしい子供のふりをするという事がどういう事か分からなかったので、そこからもうだいぶ躓いているのだ。
だから、どんなに心が弾むような穏やかな瞬間があっても、まだ油断は出来ない。
そう考えてぎゅっと胸を押さえると、リーフェットは、子供の手には大きなカップから紅茶を飲んだ。
(でも、ここの方がずっといいわ。………食事も美味しいもの)
殺されかけていなくて、温かな食事を当たり前のように貰えるだけでかなりの好転である。
おまけにここにいる騎士達は、本心はどうであれ、皆良くしてくれていた。
だが、まだあの夜の願い事を叶えるまでは、随分と時間がかかりそうだ。
美味しい食事に心が満たされ過ぎてもういいかなと思うこともあったが、やはり、あの夜の願い事を叶えて新しい人生を全うしてこそだと思う。
しかし、この姿になって過去から切り離されたのはいいが、残念ながら今のリーフェットは、保護者なしにはどこにも行けない姿になってしまった。
「………むぅ」
今はまず、近くにいる騎士を呼び止めて、子供用椅子から下ろして貰わねばならないようだ。
たいへんな屈辱に、リーフェットはがくりと項垂れる。
ふと、どこか遠くで、誰かが苦しげにリーフェットの名前を呼んだような気がしたが、気のせいだったのかもしれない。