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1: 針の魔女と処刑台の森





ざざんと夜の森を風が揺らす。

誰もいない暗い森の中で、リーフェットはひとりぼっちで泣いていた。



「………今度こそ、誰かが私を愛してくれますように。……う、……生まれ変われたら、優しい家族や、私が大好きになれるような人とどこかで出会えますように。……………も、もう誰にも殺されませんように」



真っ暗な夜の底で、嗚咽を堪えてそんな願い事を口にする。


既にリーフェットの両手は新月の夜の結晶石の鎖で拘束されており、儀式台の上に仰向けに縛り付けられ、暗い夜の森の天蓋の隙間から星の煌めきを見上げることしか出来ない。



今夜、リーフェットはここで処刑されるのだ。



今はもう滅びた小さな国の王子の婚約者であったリーフェットは、悍ましい災いの魔術を用いて幾つもの国を滅ぼした針の魔女として、今夜ここで殺される。


そんな魔女を捕らえて処刑するに至ったのは、この大陸一の大国であるローベアの魔術王で、かつて同国の魔術学院で刺繍魔術を学んでいたリーフェットが今の魔術を得る為に助言をくれた、美しく優しい王様だった。



幸せなことも素敵なことも一つもなく、それでもきっと幸せになってみせると奮起したリーフェットの指先が紡ぐ魔術を見て、楽しそうだねと微笑みかけてくれた初恋の人。

学院長には内緒だよと、自由になるお金のないリーフェットに刺繍道具を揃えてくれたのも彼だった。


その人が、王都の玉座から動かす処刑台の魔術がリーフェットの首を落とすのだと思えば、胸が潰れそうな悲しみに涙がぼろぼろとこぼれ落ちた。




(…………私は、幾つもの国を滅ぼしてなんていない)



戦勝を祈願する魔術を結んで欲しいと婚約者に言われ、かつてのリーフェットの家族と同じ嘲りに満ちた眼差しでこちらを見ていた美麗な婚約者の為に、その整った顔に向けて魔術道具を投げつけたい気持ちを押し殺して、嫌々ハンカチに刺繍をしただけ。



何度も、何度も、何度も。



その度に渡される真っ白なハンカチは、婚約者である王子の従僕の男性が、心を抉るような酷い言葉と共に運んでくる。

まるで奴隷のような扱いだったが、閉じ込められた王宮の塔以外のどこにも居場所がなかったリーフェットは、胸の痛みを堪えて黙々と刺繍をした。



それが、刺繍魔術を魔術学院で修め、なんて綺麗な魔術なのだろうと弾むような思いで屋敷に戻ったリーフェットの新しい現実だった。



役立たずの娘を雪の中に蹴り出し捨てた家族の助けの得られない世界で、やっと得られた住処を守る為の条件だったから、リーフェットは言われるままに刺繍をするより他になかった。


どうしてあの王子がリーフェットを婚約者にまでしたのかは分からなかったが、何度も刺繍入りのハンカチを欲しがったのだから、きっとリーフェットの魔術には何某かの利用価値があったのだろう。

そして恐らく、その魔術は、婚約者というような立場で縛らねば祝福を得られなかったに違いない。



だとしても、暖炉もない凍えるような北の塔に閉じ込めて、戦の度に刺繍だけをさせるこの扱いはあんまりだと泣きじゃくりながら、リーフェットは、二年もの月日を壮麗な王宮の隅で過ごした。


到底婚約者とは言えない仕打ちだったが、言う通りにしなければ食べ物を与えられなかった。

それに、家族に捨てられて途方に暮れていたあの日に、到底見過ごせない仕打ちなので、婚約者として取り立てようと言ってくれた王子の手を取ってしまった愚かな自分を救う為にも、この場所でも何かを得られるのだと証明したかったのだと思う。



最初から恋ではなかったので、婚約者の心を得たいと思ったことは一度もない。

それでも、彼や、彼の恋人の美しいご令嬢や、意地悪な従僕や侍女達、そして刺繍魔術を愛したリーフェットを捨てた家族を、いつかはこの刺繍の素晴らしさで見返してやりたいと思っていたのかもしれない。

そんな浅はかな心が、リーフェットを破滅させたのだろうか。



(いつか………)



いつか、偶然リーフェットの刺繍を目にした誰かが、これはなんて素晴らしい刺繍だろうと言ってくれる。

そして、こんな素晴らしいものを作ったのは誰だろうとリーフェットを探してくれて、リーフェット自身のことも大事にしてくれる。


そんな想像を、どれ程繰り返しただろう。

凍えるような寒さで眠れない夜に思い描く都合のいい物語の中で、リーフェットを抱き締めてくれるのは、気のいい仕立て屋の女夫人だったり、娘を亡くしたばかりの高貴な女性だったり、ちょっと魅力的な異国の王子様だったりした。


どれもただの作り話だったけれど、そんなものを用意しなければ壊れてしまいそうな日が何度もあったのだ。



(………いつか)



いつか、この正しい努力と清貧さが報われて、何か素敵なものが現れ、意地悪で怖いものを打ち払ってくれるだろう。

こんなにも控えめな望みしか抱かないリーフェットなのだから、きっと運命の幸運が微笑みかけ、これまでの孤独や絶望を精算してくれる筈だ。



そう願いながら、けれどもちゃんと知っていた。



リーフェットを救ってくれる人が現れる見込みは殆どなかったし、リーフェットがどれだけ報われなくても、孤独でも、他の人達にとってはどうでもいいことであった。

おまけに、既に幾つもの分岐点で不正解を出していたリーフェットが、人生をやり直せる可能性はないに等しい。



けれどもまさか、そんな諦観よりも恐ろしい運命の底があるとは思いもしなかったのだから、やはりリーフェットは甘いのだろう。



(結果として、私の刺繍魔術には、確かに大きな力があったらしい)



そして、リーフェットの婚約者は、それを他国の侵略に於ける戦場での戦祝福として使っていたらしい。

戦で騎士達の士気を上げる為に、リーフェットが作った刺繍を、戦乱と血を好む針の魔女の祝福として自慢していたと聞いたのは、全てが手遅れになってからだった。



その婚約者が戦死し、近隣諸国を滅ぼし続けた祖国が焼き払われた夜、王宮の侍女たちは、生き残った王妃の命令でリーフェットに見事なドレスを着せて飾り立てた。

リーフェットは、婚約者が王宮内で恋人に公然と与えていた大きな部屋に閉じ込められ、何が起きているのかも分からぬままに、ローベアの騎士達に引き渡されることになる。



そして、裁判の場で、本当に刺繍魔術が使えるかどうかの魔術観測をされた後に、針の魔女の名前で有罪とされた。




各国に大きな災いを齎した針の魔女には、処刑こそが相応しい顛末であるらしい。

だからこうして観客も処刑人もいない真っ暗な新月の森で、魔術仕掛けの処刑台に括り付けられていて、真夜中の真ん中のところで、かの魔術王の号令と共に落ちてくる魔術の刃で首を斬られるのだとか。


リーフェットは魔術師であったので、捕縛から処刑までの猶予は幾ばくもなかった。

呪いや障りを残さぬように、魔術師の処刑はそうするのが決まりである事は学院でも学んでいたが、それを自分ごととして考えられた者はどれだけいただろう。


かく言うリーフェットも、何が起きているのかを理解する間もなく裁判にかけられ、その時に初めて知らされた真実に愕然としている内に処刑台に運ばれてしまった。

そして、処刑台にリーフェットを拘束した騎士達が立ち去ってから、やっと我に返ったのだ。


それまでは目隠しもされていたし、口枷もされていたのだから当然だとも言えるのだが、その全てが取り払われてからやっと朧げながら全てを理解し、あの日に着せられたドレスの豪奢さが腑に落ちた有様とは、何とも情けない。



(でも、こうして今更の理解が及んだことは、幸いだったのかしら………)



何しろ、リーフェットは、処刑台に運ばれるまで何が起きているのかすら理解出来なかったとても残念な魔術師である。


こんなに痩せていて、あちこち傷だらけの自分を見たら、きっと誰かが針の魔女なんていなかったのだと気付いてくれるのだとばかり考えていて。

でもそうはならず、このまま処刑されるのだと理解した直後も、あまりにも惨めで悲しくてわぁわぁ泣いてしまい、こんな時にすら尊厳を保てない自分の惨めさに尚更に打ちひしがれた。



(気付かない内に、死んでしまえば良かったのかもしれない…………)




家族も婚約者も、みんなリーフェットのことが嫌いだった。


魔術学院でも刺繍魔術を専攻したのはリーフェットしかおらず、教師からは、あまりにも酷い腕前だと嫌悪も露わに叱られてばかり。

日々、何とか魔術師としての資格を得る為に奮闘するのが限界で、他の学部の生徒に話しかけて友達を作れる程に、リーフェットは社交的ではなかった。


生まれ育った屋敷では、高名な治癒魔術の大家である両親から生まれた期待外れの娘として、誰にも話しかけて貰えずに生きてきたのだ。

皆が大事にしているのは、稀代の薬草魔術を持って生まれた可愛らしいリーフェットの妹で、ただ義務的に生かされるばかりであったリーフェットは、誰とも話さないままひと月が過ぎてしまうことも少なくはなかった。



そんなリーフェットに、どうやって友達を作れるというのだろう。

心の中では沢山お喋り出来るのに、いざ誰かに話しかけようとすると足が竦んでしまうのだ。

それでも何とか友達を作りたいとおろおろしている間に学生生活は終わってしまい、妹の為に役立つ補助魔術を身に付けて帰ってくると思われていたリーフェットが刺繍魔術を持ち帰ったことで、激高した家族に屋敷からも追い出されてしまった。



雪の降る日だった。


凍えるように寒くて、そんな日に追い出されたらどうなるのかは皆が知っていたと思う。

リーフェットを追い出した家族が浮かべた眼差しは、嫌悪と安堵ばかりで、そこに困惑も悲しみもなかったのがどうしようもなく惨めだった。




(………誰もいない)



誰もいないまま、虚しいばかりの願いと孤独だけを抱いて、この生涯が終わろうとしている。



魔術王と呼ばれるような人に優しく話しかけて貰った、リーフェットのたった一つの宝物のような過去も、今夜の処刑のせいで台無しではないか。

せめてリーフェットを殺すのが、あの日に微笑みかけてくれた人でさえなければ良かったのに。


そうすればリーフェットは、唯一、この魔術を褒めてくれた王様のことを想いながら死んだだろう。


けぶるような銀糸の髪に青緑色の瞳を持つ、美しい王様が一緒に選んでくれた魔術を手に、嬉しくて堪らずに飛び跳ねるように歩いた寮までの道の事を思いながら、幸せな思い出に縋るように死んだだろう。


それっぽっちでも我慢出来た筈なのに、なぜ、リーフェットの人生でたった一つの輝かしい思い出さえ、こんなに無残に切り裂かれなければいけないのか。


最後の最後まで自分に誇りを持てないまま、こんな自分でなければ良かったとそんな後悔ばかりを抱いて死んでいかなければいけないのか。




「…………あんまりだわ」



悲しくて胸が張り裂けそうで、苦しくて息が止まりそうで、思わずそう呟いた時のことだった。


自分でも意外なことに、ふつりと湧き上がった怒りに涙がぴたりと止まったのだ。

すると、胸が潰れそうな悲しみが心の中のどこかに転げ落ちてしまい、リーフェットは、込み上げてきた腹立ちに任せて猛然と暴れ始めた。



「………っ!!………そもそも!あの城で自由などもなく、用途も知らされずに刺繍をさせられていただけの私が、何で、処刑されなければならないのですか!!」



裁判の場では、周囲から向けられる憎悪の眼差しと初めて聞くような罪状に縮こまってしまい、言えずにいた事だった。


そんな事を主張しても、リーフェットは敗戦国の王子の婚約者だ。

実際に起こってしまったことが取り返せない以上は判決は覆らないかもしれない。

だとしても、こうして訴えるべきであった。

届かなくても、理解されなくても、それでもリーフェット自身の為に言うべきだったのに。



「…………っく」



魔術師には声に力を持つ者達が多いので、処刑場迄の道のりでは、目と声を封じられる。

誰もその最期の言葉を聞かぬよう人払いをした禁足地の森で処刑が行われ、今更どんな言葉で訴えても、もう誰もいない森の中でリーフェットの言葉が誰かに届くことはない。



(でも、……………真夜中までは、半刻近く残っている筈だわ)



誰にも届かない訴えを飲み込みぜいぜいと息を吐いたリーフェットは、残された時間を考え、ここで初めて自分を何とか生かせないだろうかと考えた。


生きてきて初めて感じるような怒りのままに、絶対にこのまま殺されてなるものかと思ったのだ。

まず間違いなく、奮起するのが遅過ぎるのだが、それでもどうしても我慢ならなかった。



(私の魔術を扱う道具は取り上げられているし、手足も拘束されているけれど……)



リーフェットの魔術では、刺繍をすることではなく、完成した刺繍こそが力を持つ。

そして、一族の固有魔術に対しての適正はほぼないに等しかったものの、一応は魔術の名家の娘である。

これまでに、その二つを結び付けて考えた者は、誰もいなかったのだろう。


リーフェットは、器用な魔術師だった。

大抵の魔術師は、自身の固有魔術を選ぶとその資質に魔術が練り直されるのだが、リーフェットはなぜか、刺繍以外の魔術も幅広く使う事が出来るのだ。

これ迄は暖炉もない塔の部屋でこっそり暖をとることぐらいにしか使ってこなかったが、今こそその器用さを生かす時である。



(針と糸。そのどちらも、私の体やこの森に材料がある。…………まだ間に合うかもしれない)



覚悟を決め、大きく息を吸い、頭上の夜空を見上げた。


復讐をしたいとは思わないし、生き延びてしたいこともまだ分からない。

けれども、ここで死ぬのだけは御免である。

それは、命じられた事には決して逆らってはならぬと教えられ続けてきた娘が、たった一人で決めて初めて起こす反乱であった。



そこからは、気を失うような緻密な作業と、吐きそうなくらいに辛い作業の繰り返しだ。


僅かに動く指先で魔術を手繰り寄せ、リーフェットは糸に自分の髪を選んだ。

治癒魔術を壊して傷付けた体から血を落とし森そのものと契約を交わすと、広い森の中に生い茂る草木の中から刺繍に耐えうる大きな葉を見付け出し、取り寄せ魔術を使って手元に運ぶ。


とは言え、柔らかで瑞々しい葉に、刺繍糸のように柔らかくはない髪の毛で刺繍を施すのは至難の業だ。

少し考えてから練り直しの魔術で、葉を布のように、髪の毛を刺繍糸として紡ぎ直し、その置き換えを固定した。

針にはこれも治癒魔術で割り落とした爪を使い、過分な魔術を流し込んで結晶化させると、針の形に練り直す。



ひと針。

ひと針。


息が止まりそうな怖さと、胸の底で炎が燃えるような得も言われぬ熱意をもって。



(あと少し………)



あと少し。


でも、ここから逃げ出して、そこからどこに行こう。

どこに行けば、幸せになれるだろう。


幸せというものをどうやれば手に入れられるのかはいつだって謎めいていたし、誰かに気にかけて貰うには、どうやって微笑めばいいのかも実は未だによく分からない。


そう考えると恐ろしさもあったが、処刑台から逃げ出して全てをやり直す機会を得られるぐらいなら、今度こそはそのくらいのことは克服出来るような気がした。



(一度くらい)



せめて一度くらい、誰かと関わり、自分を愛してくれる人と共に生きてみたい。

自分を誇れるような生き方をして、こんな筈じゃなかったと泣かずに一生を終えたい。

死ぬ間際に会いたい人や、リーフェットを死なせたくないと考えてくれる人がいたら、どんなに素敵だろう。



(ああ、私は愚かだわ。今更こんな風に抗うのであれば、もっと前にそうするべきだった。………でも、一度くらい、どうか。どうか!)



強く強く願って涙を堪え、リーフェットは奥歯を噛み締める。


それでも無情に時間は流れ落ちてゆき、やがて夜空が真夜中に相応しいだけの闇に包まれると、体を固定した魔術仕掛けから、かちりと音がした。



(……………あ)



ふと、ここではないどこかで美しい人が微笑んだような気がして、目を瞠る。

そして、その直後、冷たく重たい魔術の刃がどすんと落ちてきた。





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