番外編:アンブランと宝石の願い事1
「ギャレリーアン」
崩れてゆく広大な王城の中で、誰かがその名前を呼んだ。
王座に座り自分を呼んだ者の方を見たのは、淡い銀髪にぞくりとするような青緑の瞳を持つ、どこか悲し気に微笑んだ美貌の男性だ。
けれどもその男性は、すぐににっこりと笑うと息を詰めている仲間達を見回した。
「すまないな、友よ。そして同胞たちよ。これは僕の不始末だ。僕がこの身で受け止め、お前達には一滴とも届かせまい。最後までお前達の願いを叶えてやれないことを、どうか許してくれ」
朗々と響く声は、低く甘く美しい。
だが、その容貌に似つかわしくない老成した響きであった。
啜り泣く女がいて、流れ落ちる涙を拭いもせずに泣いている騎士がいる。
彼等が敬愛し、友のように笑い合った大事な王は今、多くの民の愚かな願いを一人で背負い、どこへとも知れぬ長い旅路に就こうとしている。
それなのに彼は、その願いを叶えてやれずに済まなかったと微笑むのだ。
「魔術師の王よ、………今ならまだ間に合う、この願いを撤回すれば………!!」
そう叫んだのは一人の男であった。
元はと言えば、そこに立つ小さな国の一人の王が難しい願い事を持ち込んだことが始まりだったのだと、誰もが知っていた。
だが、ローベア国王であれば事も無げに解決するだろうと考え、明日もまた今年の収穫の話をする筈だった大事な友を一人で災厄に向かわせ、その結果としてたった一人でこの先の長きを彷徨わせる事になったのは自分達のせいだと、この場にいる誰もが知っていた。
誰一人として、無実ではないのだと。
「構わぬさ。これで近隣諸国の災いが鎮まれば安いものだ。なに、僕も、随分と長い間この立派な椅子に座らせて貰えていたものだ。そろそろ、少し長い旅に出るのも悪くない。………いつか、沢山の土産話を携えてまたこの国に戻って来られるかもしれないからな」
「アン!駄目だ戻って来い!!せめて、俺も一緒に………!!」
そう叫んだのは先程まで泣いていた騎士で、けれども慟哭にも似たその叫びを聞いても、王は、王座の周囲に張り巡らせた術陣を緩めはしなかった。
「友よ、この国で替えが利くのは、この王くらいのものだ。君達は、君達の家族やこの国にとって、失い得ない存在なのだからな。なぁに、じじいの一人旅というのも、悪くはないさ」
結局、家族を持たなかったのは僕だけだったからなと、少しだけ遠い目をして呟くと、王は自らの血で記した術式の締結に入った。
ばさりと足下までの漆黒のケープが風にはためき、広間に飾られていた薔薇の花びらが千切れ舞う。
それは、まるで一人の偉大な王の弔いのようであった。
「さて、そろそろ門を閉じよう。皆、出かけてくるよ。……………夜のさざめきに惑うもの。月影のあわいに沈むもの。境界に橋を架け、霧の船を渡すもの。祝祭の灯す火を持ちて、いざ旅路を開かん。……………ああ、そうだ。僕が執務室に隠してあったオレンジと紅茶のケーキを、誰か貰ってくれないか。上等なものだから、腐らせると勿体ない」
そして、まったく締まらない事に最後にそんな一言を残すと、千年もの間魔術の都を治めた男の姿の王は、その世界で一番大きな魔術師の都から忽然と姿を消した。
ギャレリーアン・ブランシール
その国の民は、王座にかの偉大な王の名前を刻み、その後は国を議会で治めると、何人たりとも王座には近付けなかったという。
彼が残したオレンジと紅茶のケーキを誰が食べたのかは、記録に残されていない。
ただ、執務室に隠されていた高級な菓子類が一つや二つではなく、偉大なる魔術王が日々どれだけのお菓子を隠れて食べていたのかは長らく議論されたそうだ。
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