17: 刺繍の魔女と夏至祭の王様
はらはらと、花びらを撒き散らし祝祭の夜が来る。
祝祭の主人への贈り物を積み、花輪を飾った馬車が大通りをゆっくりと進んでゆくのが見え、リーフェットは小さく胸を震わせた。
例えばもし、あの馬車の向こう側に探している人がいたのなら。
いてくれますようにと願いを込めて目を閉じて開いたが、そこにあったのは鯖のスープの屋台と、夏至祭の花輪を売る店だけだった。
小さな溜め息を吐き、夜空を見上げる。
夏至祭の夜になった。
海沿いの王都は美しい夜を祝う人々の歓声に満ちていて、街角に立てばどこからか音楽が聴こえてくる。
広場では、細やかな彫刻を施した祝祭の塔に繋いだリボンがはためき、色とりどりの花飾りがあちこちに掛かっていた。
陽が落ちてもなお、その塔の周りで踊るのは、来年成人する少女達だ。
真っ白なドレスを着て踊る彼女等をエスコートするのは恋人であることが多く、夏至祭の夜は恋が成就するとも言われているのだとか。
あれから二年経ったが、未だにリーフェットはちびころなので、夏至祭のダンスはまだまだ先になるだろうと言われている。
ひらりと篝火と花飾りの向こう側で白いスカートが揺れ、リーフェットはふすんと息を吐く。
恋ならばとうに、特別な恋をしたのだとみんなに言いたいくらいだが、それを言ってもいいのはあの嵐の日に本来の姿に戻ったリーフェットを見たレイヴィアくらいのものだ。
残念ながら、あの日以降、リーフェットは一度も本来の姿には戻れていない。
なお、あの直後レイヴィアはちびころの方が可愛いと思うと大真面目に言い、やや危険な思想だとアンが話していた。
「おお、刺繍の魔女殿。美味しいお菓子がありますよ」
「まぁ、リーフェット様。なんて可愛いお召し物かしら。………やだ、本当に可愛いわ。どうしましょう」
「魔女様、あちらの広場ではお好きな苺のケーキが売っていましたよ」
「あらあら、魔女さんは鯖のスープの方がお好きよね?」
「こらこら、お前達。刺繍の魔女殿を困らせぬように。先日は、脱走した車輪を見付けて下さり、有難うございました。東ディミアド地区商館の者達も、近い内に王宮にお礼に行くと申しておりましたよ」
王都をリーフェットが歩くと、商店の主人達や行き交う人々、街の騎士などが声をかけてくれる。
先日も、脱走した車輪を捕まえたり、異国の船が持ってきてしまった悪い怪物を放り投げて国から追い出したりしたばかりなので、刺繍の魔女の人気は衰え知らずらしい。
特に、祝祭の日や王宮での式典などにふりふりのドレスで出席すると、その人気は高まるばかりなのだとか。
そう教えてくれたのは三日前にふられたばかりのジリアムで、本日は世界を呪うような暗い目をしていた。
リーフェットを抱き上げて運ぶ力はないそうで、リーフェットはそんな騎士の上着の裾を掴んではぐれないように歩いている。
「ちび、刺繍は完成したんだろ?」
「……………アンは食いしん坊なので、きっとどこかでお菓子を買ってから戻ってくるはずです」
「まぁ、そんな感じだな。お互い、気長に待とうぜ」
「……………失恋したばかりなので、私を道連れにしようとします」
「ち、違うって!……………きっと今回は時期が悪かったんだろうな。また、少し時間を空けてから、食事にでも誘ってみるよ」
「レイが、ジリアムは時間をかけないと良さが分からないと話していました」
「何その燻製みたいな評価。……………え、時間なんかかけられるもの?そもそも、会える場所すら滅多にないんだけど………。ん?でも、団長がそう言ったってことは、時間をかければありなのか………?」
貴族の女性などの参加する出会いの場では、確かにそのような条件だと不利だろう。
肩を落としたジリアムが立ち止まったので、リーフェットも足を止め、花びらを敷き詰めた広場で踊っている幸せそうな少女達を眺める。
あの嵐の日から、ルスフェイトの王都では、夏至祭が華やかに祝われるようになった。
ジスファー公爵を始めとした魔術省の者達や、事情を知っている第一王子などが上手く国民に働きかけてくれ、リーフェットが夏至祭の主人から求婚されている話を国内に広めたからだ。
まだあの嵐の記憶が新しい内に広められたその話は、リーフェットの活躍と共にあちこちで語り広められ、ルスフェイトの民にとってのちょっとした自慢話になってるのだとか。
(祝祭は、正しく祀る者が多ければ多い程、力を持つものだから)
それは、アンの為の物語であり、祝祭であった。
ルスフェイト国の夏至祭の主人はリーフェットに求婚した人物なのだという認識付けを行うことで、今は、長期療養中とされているギャレリーアン魔術顧問の復帰を、皆が願ってくれている。
枝から落とされた先のこのどこかにも、別の夏至祭の主人もいたのだろう。
だが、大陸全土で広く周知されている祝祭という事もあり、幸いにもルスフェイト国内に居住しているということはなかったようだ。
レイヴィアが母親に聞いた際には、大陸の北端にある夏明かりの国に住んでいるのではないかという事であったので、どうかこの国だけはアンの為に譲って貰おう。
また、どこからか花びらが振り撒かれた。
見上げた夜空には、花籠を持った妖精がいて、夏至祭の賑わいに釣られて森から出てきたらしい。
はらはらと舞い散るのは白い花びらで、リーフェットはそっと手を伸ばして一枚の花びらを受け止めると、ポシェットの中に入れていたハンカチに包んで大事にしまった。
(……………アン)
もう、その名前を何回呼んだだろう。
心が擦り切れてしまいそうになるくらいに呼び続け、今はもう、何も考えずとも溜め息のように心の中で呼んでいる。
昨年の夏至祭も、その他の季節も、今年の夏至祭も。
誰もいない夜の庭や、一人ぼっちで散歩する海沿いの道では、声に出して呼んでみることもあった。
けれどもいつも返事はなくて、リーフェットはまだ小さな手をぎゅっと握り締める。
アン。
大好きな、アン。
(今日は夏至祭で、街中は花びらだらけになっているの。とっても綺麗だよ)
試行錯誤しながら作り上げた夏至祭の刺繍は、白灰色の布に青緑色の刺繍糸をふんだんに使って、アンを思わせる配色を中心に様々な色を取り入れた。
瑞々しい夏の枝葉と、沢山の花を組み合わせた花冠を表現したその刺繍は、昨晩ようやく刺し終え、幸いにも災いを齎すような魔術の動きはなさそうだ。
もしかすると、リーフェットがどんなに威嚇しても、アンが与えてくれたものの効果は絶大で、もうリーフェットは針の魔女にはなれないのかもしれない。
でも、アンが戻ってこない。
夏至祭の街を歩き回っても、道行く人々に優しく声をかけて貰ってお菓子や玩具を渡されても、皆が優しくて居場所があって、毎日美味しい食事が食べられても、アンだけがどこにもいない。
会いたくて会いたくて、潰れてしまいそうになる。
もう、リーフェットが一人になってからの方が、アンと過ごした日々より遥かに長くなってしまった。
そうして不在の日々が長くなると、まるでそんな人はどこにもいなかったみたいに月日が流れていきそうで、怖くて怖くて息が止まりそうになる。
「ジリアム、リーフェット、ここにいたか」
リーフェットが、踊る乙女達を見ながら込み上げてくる羨望を胸に立ち尽くしていると、背後からレイヴィアの声が聞こえた。
リーフェットと目が合うとにこりと微笑んでくれるレイヴィアは、夏至祭の夜にも映える漆黒の騎士服だ。
リーフェット達を探してくれていたようなので、王宮での仕事を終えて迎えに来てくれたのだろう。
これでも一応ジリアムは仕事中で、リーフェットは街の警備確認をしているジリアムに同行しているだけなのだ。
「団長……………、今日の王宮の舞踏会には、あの子も来ていました?」
「ああ。従兄と一緒に来ていたぞ。……………何だその変な顔は」
「はぁ。団長には、こういう繊細な心の動きは分からないでしょうよ」
「お前な………」
「団長なんか、魔術顧問が早く戻ってきて、失恋すればいいんだ…………」
「ジリアム、今週の報告は俺の執務室で行おうか。明日の朝、時間を作るように」
「ぎぇ………」
「……………ジリアム。レイは、私の後見人なのですよ?」
「でもほら、この人妖精だからそういうの気にしないぞ」
「がるる…………」
「仕事中だろう。早く見回りに戻れ」
「はいはい。……………あ、海沿いの方は回ってきたんで、ちびがまだ見てないのは、大聖堂から向こう側ですよ」
「ああ。ではそちら側を見て帰ろう」
手を振って仕事に戻って行くジリアムを見送っていると、一人になったからか、道行く少女達が声をかけているではないか。
市井の乙女には大人気なのだが、これが貴族の女性となるとやや不利になるのは気質の問題なのだろう。
加えて騎士団の中でとなると、第二王子であることをあらためて発表したレイヴィアだけでなく、戻ってきた二席の騎士も女性達には人気があるので、ジリアムはどうしてもそんな上官達と比較されてしまう事も多いのかもしれない。
ジリアムが恋をしている少女も二席狙いと聞いているので、上の二人に特定の相手が出来ない限りは、やや厳しい戦いを強いられそうだ。
「さてと。メイラの氷菓子は食べたか?」
体を屈めたレイヴィアが、微笑んでそんな提案をしてくれる。
思わぬところで見かけた第二王子の姿に、街ゆくご婦人達がきゃあっと声を上げていた。
「ま、まだでふ!」
「よし。まずはそれを一緒に食べようか。今朝も発表があったが、今年は魔術技師が失踪していた関係で、夏至祭の花火は真夜中の頃だそうだ」
「同じように失恋しても、ジリアムは頑張ってお仕事をしているのに、困った方ですね」
「まったくだな。…………おっと、転ばないようにするんだぞ」
「もう、一人で歩いても転びませんよ!」
「でも、君はまだ小さいからな」
「むぅ…………」
レイヴィアに軽々と抱き上げられると、視界が開けた。
淡い橙色の光が落ちる街並みは、海辺の色と街灯の色が混ざり合い、えもいわれぬような美しさに染まる。
歩道には振り撒かれた花びらが落ちていて、海沿いの豊かな街らしくあちこちから美味しそうな食べ物の香りがした。
「他に、何か欲しいものはあるか?」
「明日の朝食の為に、鯖のスープを買っておきたいです」
「うん。リーフェットはあの店のスープが好きだな」
「濃厚でとろりとしていて、とても美味しいです……」
リーフェットのお気に入りの鯖のスープは、ルスフェイトの王都では三番目に出来た店のものだ。
とろりとしたシチューのようなスープは香辛料が効いていて、濃厚な鯖の美味しさの詰まった黄金色のスープである。
長年海とは無縁で生きてきたリーフェットは、ちびころ化のせいか魚の小骨が苦手だ。
その点、この鯖のスープは小骨迄綺麗にすり潰されているので、残さずぺろりといただける。
味は好きだが骨があるとぐぬぬとなるリーフェットにとって、何とも素晴らしい魚料理相当なのだった。
「入れ物は一つでいいか?」
「ふたりぶんです!」
「……………ああ。多めに買っておくと、安心だものな」
いつアンが帰って来るか分からないので、リーフェットはいつも、持ち帰りの際には二人分の料理やお菓子を買った。
アンが帰って来なくても、魔術で保存をかけておいて翌日にでも食べればいいのだ。
今もアンの屋敷で一人で暮らしているリーフェットは、朝食だけは一人で食べるようにしていた。
朝はいつも、目を覚まして屋敷の中をくまなく歩きまわり、アンが帰ってきていないかどうかを確かめる。
窓から海を見ながらひとりぼっちの食堂で食事をし、忘れてしまわないように、アンと一緒に過ごした楽しい朝食の時間を沢山思い出すのだ。
(明日の朝は、鯖のスープを飲もう。アンが戻ってきていたら、薄切りパンにバターを塗って焼いてあげるから、早く帰ってきますように)
そんな願い事を一つ、毎晩眠る前にかける。
リーフェットは、刺繍の魔女であるし、夏至祭の花嫁なのだ。
まだお受けしますとは言っていないが、大人になる迄は沢山時間があるので返事は急がなくてもいいだろう。
その後は、氷菓子を食べて、レイヴィアと祝祭の街を充分に楽しんだ。
オレンジの花の石鹸を買って貰い、篝火を焚いた広場でまた踊る人達を眺める。
「……………花火まで見ていくか?」
「………眠たくなってしまうので、帰ります。アンは、あのお屋敷からは見えないと嘘を吐きましたが、寝室の窓からもしっかり見えるのですよ」
「海岸で打ち上げるからな。もう、食べたいものはないか?」
「ふぁい。お腹もぱんぱんです………。レイは、お仕事に戻るのですか?」
「俺ももう帰りたいんだが、夏至祭は夜通し舞踏会をやっているからな。俺の妖精の側の家族が、王宮から気に入った男達を攫わないよう、注意をしに行かないといけないだろう」
そう聞けばなかなか凄い話だが、生粋の妖精はそんな生き物だ。
隣人として知恵や幸運を授けてくれたりもするが、人間をからかったり攫ったりもする。
リーフェットは屋敷の入り口までレイヴィアに送って貰い、現王が壮健な内はと、引き続き騎士団長を続けているレイヴィアの暮らすクレア公爵邸の庭から、アンの屋敷の庭に入った。
(……………七種類)
夏至祭の夜には、七種類の草花を摘み、ハンカチに包んで枕の下に入れておくと恋が叶うらしい。
リーフェットは今年も勿論それをやるつもりで、その為に早く帰ってきたのだった。
先程、妖精の花籠から落とされた白い花びらも持ってきたので、これを加えてより完璧な布陣で挑むつもりである。
「……………パンケーキを焼いてくれるひと」
一つずつ、恋する人の事や、まだ見ぬ理想のお相手を思い描いて草花を摘むといいらしい。
リーフェットはそう呟き、しっとりと夜露に濡れた星菫の花を摘んだ。
「刺繍糸を沢山買ってくれるひと」
ローズマリーの小枝。
「私のタルトを、全部食べてくれるひと」
セージの葉っぱ。
「私に、青い綺麗な傘を買ってくれるひと」
淡い白ピンク色の薔薇の花びら。
「私に、手紙を書いてくれるひと」
立ち止まり、ざらざらとした悲しみを呑み込むと、リーフェットは手の中の灰色の布をじっと見つめる。
この七種類の草花を包むのは、リーフェットが昨晩仕上げたばかりの刺繍だ。
ハンカチではないけれど、きっとこれくらいのことが必要なのかもしれない。
(……………アン)
あの手紙は、いつも刺繍道具の箱に仕舞ってある。
あまりにもびっしりと色々な事が書かれていてさすがに慄いたが、今はもう殆ど暗記してしまった。
リーフェットを大事にしてくれる言葉や、この先を案じる言葉や、リーフェットに祝福を授ける言葉ばかり。
でもそのどこにも、リーフェットの一番欲しかった約束は書かれていなかった。
(今日は、私の誕生日)
当日のお祝いをリーフェットがあまりにも喜ばないので、今は、リーフェットの誕生日は夏至祭の前日に行われるようになっていた。
ジスファー公爵だけでなく辺境域にいるクレア公爵も駆け付けてくれて、沢山のご馳走を食べ、贈り物も沢山貰っている。
でも、リーフェットが本当にやりたい誕生日は、アンが約束してくれなかったもう終わってしまった夏至祭の日の誕生日だったのだ。
「…………一緒に、お誕生日をしてくれるひと」
「おや。僕がいない間に、そんな相手が出来たのかい?」
最初、リーフェットは幻聴が聞こえたのだと思った。
だって、こうしてアンの声が聞こえたような気がしたことは、一度や二度ではなかったのだ。
だからきっと、今回も振り返ったらきっと後悔すると思っていて、でも振り返らずにはいられなかった。
「……………アン」
でも振り返った先には、けぶるような白銀の髪に青緑の瞳の美しい人が立っていた。
両手の塞がっているリーフェットが必死に瞬きをしても、消えてしまわなかった。
「ただいま、リーフェット」
「……………アン」
「うん。たくさん、僕を呼んでくれたね。毎日のようにタルトを焼いてくれて、何だか……物凄い刺繍も完成させてくれた」
「……………まるで、見ていたみたいです」
「勿論、見ていたさ。僕の大事なリーフェットが、ここで頑張って暮らしているところや、……………君が時々一人で泣いているところも」
何かを言おうとして、ふぐっと喉が音を立てた。
込み上げてきた涙がこぼれ落ちて、手の中の刺繍をぎゅっと握り締める。
「い、いませんでした!……………アンは、どこにもいませんでした」
「君やみんなには見えなくなってしまっていたけれど、何とかここにはいたよ」
「ここに?」
「………うん。そうでなければ、戻ってこられなくなる」
そう言ったアンを見た時、リーフェットは理解した。
リーフェットがぼろぼろになっている時に、きっとここで、アンも同じように苦しんでいたのだと。
誰にも見えず、気付いて貰えないまま、ここで生き延びようとしていてくれたのだと。
「………えぐ」
「だから、僕はかなり頑張った。ちょっと悪変しかけたりしたけど、絶対に君のところに帰らなくちゃいけないと思ったら、向こう側に転げ落ちずに済んだよ。……………ああ、いい祝祭の夜だね」
どおんと、音がして海辺の方で花火が上がった。
海風は吹き込まない謎の仕様だが、この庭からも本当なら見えない筈の海辺の景色が見えるのだ。
ばらばらと降り注ぐ鮮やかな光の欠片が、夏至祭の主人の庭にも不思議な彩りを添える。
物語のように美しいその夜の色だから、リーフェットは、とっておきのことを言わねばならなかった。
「………アン。誕生日を、一緒にお祝いしてくれますか?」
「うん。今日は、あともう少しだけれど、君と僕の誕生日だ。これはもう、盛大にお祝いしないとだね!」
伸ばされた手に抱き上げられ、リーフェットは息を詰める。
触れて感じる体温に、本当にここにアンがいるのだと実感していたかった。
こちらを見て、にっこりと笑ったアンは幸せそうで、まだ実感の持てないリーフェットのおでこに自分のおでこを押し当てる。
頬を染めてむぐっとなったリーフェットに微笑みを深め、鼻先に口付けを一つ落としてくれた。
「今年の夏至祭は、君と花火が見られたね。………誕生日おめでとう、リーフェット」
「………お誕生日は、贈り物が必要なのですよ。私からは、この刺繍です!」
「………ええと、すごいししゅうだねありがとう……。今は手持ちがないけれど、何か欲しい物があるのかい?お祝い出来なかった年もあるから、何か立派なものがいいのかな。何でも買ってあげるよ」
「…………ずっと。この先もずっと、私と誕生日のお祝いをして下さい」
「………え、求婚!?」
「どこにも行かないで……………えぐ……………」
「ああ、泣かないで、リーフェット」
その言葉は、いつかの雨の日と同じだったけれど、声の温度はまるで正反対だった。
止まらない涙を袖口で拭われ、リーフェットは鮮やかな金色の花を広げたような夜空の花火をアン越しに見上げる。
そして、小さな手を伸ばして、アンの頬に触れた。
「……………アン。……………お帰りなさい」
「うん。ただいま。………ねぇ、リーフェット。これで何とか、君の課題に合格出来たかな?」
「遅刻でふ………えぐ」
「そうだね。……………でも、これからはもう、どこにも行かないよ。……………君や大勢の者達が作り上げてくれた夏至祭の認識が、君が仕上げた刺繍の魔術の成就に伴い、充分に機能し始めている。だからもう、僕はここで生きていても飢えないし、この先もずっと君の側にいられる」
「くすん。………明日の朝は、鯖のスープです」
「ん?………うん。いいね、美味しそうだ」
アンがそう言って笑ってくれたので、そんなアンが、よく見ればぼろぼろだったので、リーフェットの涙腺はそこで決壊してしまった。
突然、うわあんと声を上げて大泣きし始めたリーフェットを、アンはずっと抱き締めてくれていたが、泣くだけ泣いてすっきりしてから、リーフェットは青ざめることになる。
大好きなアンが戻ってきてくれたこんな日くらいは、本来の姿に戻れるべきではないのだろうか。
それなのになぜ、お子様仕様でわんわん泣いて、アンに沢山頭を撫でて貰っているのだろう。
愕然としてそっと見上げると、こちらを見ていたアンが声を上げて笑う。
それはそれは、幸せそうな笑い声だった。
二人は、離れていた間のことを沢山話して、たっぷりと夜更かしをした。
リーフェットは大奮発して買っておいた苺でタルトを焼き、リーフェットの大好きな王様は焼き立てのタルトを幸せそうに頬張る。
すると、明らかにアンの髪は艶々になったし、ぼろぼろでなくなっていたり、欠けていたりしていた爪も元通りになった。
なお、リーフェットが仕上げた刺繍は、何だか魔術の理的に色々と物凄いものだそうで、アンが、寝室に飾ってくれるそうだ。
「見ていると食べられそうだけれど、君が僕を家に帰してくれた刺繍だからね」
「がるる!!」
「あの左端のものは、署名かな…………」
「黒にゃこすです……」
「え……猫……?う、嘘だ………」
「がるるる!」
二人の誕生日の食卓は、苺のタルトに、夏至祭の日だけに売られる紅茶を淹れた。
朝まで待てなかった鯖のスープに、小麦パンと星蜜のバターをたっぷり。
夜明け近くまでお祝いは続き、目を覚ましてから夢だったとならないように手を繋いで寝て貰う。
そのせいか、アンは翌朝から親猫のようにリーフェットの面倒を見始めたので、もう一度誑かし直さねばならないようだ。
こちらは不在の間にすっかり誑かされてしまっているので、乙女としては、決して負けてはならない戦いなのである。
(だから、明日もアンの為に美味しいタルトを焼いて、また来年の贈り物の為に凄い刺繍を作るわ)
アンがどこにも行かないように、取り敢えず、タルトには何か付与効果を付けようと思う。
かつてのリーフェットが塔の部屋で思い描いていた物語によると、素敵なお話の最後は、絶対的にめでたしめでたしで終わるべきなのである。
こちらはちびころ魔女なので、多少の不正は致し方ない。
最後までお付き合いいただき、有難うございました。
本作は、またレギュラー更新作品の合間を見て、いずれ二章を更新させていただきます。
暫し間が空きますので、ひとまず今回で完結とさせていただきますね。




