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15: 壊れた竜と最後の仕事



祝祭の夜になると、そこかしこに人ならざるもの達の気配があった。

どこからか馨しい花の香りがして、少しだけ魔術の遮蔽を開いて耳を澄ますと、王都のあちこちから人々の浮かれ騒ぐ声が聞こえてくる。


皆が幸せそうだが、このような交易の中継地にもなり得る土地の嗜好らしく、流れてくる音楽にはどこか胸を打つひたむきさがある。

ひと時だけ土地に留まるような旅人も多いので、出会いと同じだけ、別れも多い国なのだろう。



(……………いい国だ)



海沿いの歩道は街灯の光の輪を落とし、手を繋いで歩く者達や小さな子供を抱いた親子も見える。

逞しい商店主たちは、慌てて料理を作り屋台を出したりと大忙しだ。

船の上でも酒盛りをしている商人や船乗り達がいて、リーフェットが見たいと話していた竜であれば、大聖堂の屋根の上で花火待ちをしているようだ。



だが、アンが待っているのは別のものだった。



美しい祝祭の夜に相応しくない無粋な訪問客は、もう少しでレイヴィアが連れてくるだろう。

祝祭の主人が失われたのであればすぐに動くだろうと思っていたが、まだ体が動く内に来てくれて良かったと密かに安堵している。



(そして、僕の役割はここまでだ)



全てが終わってから、あとどれだけの間リーフェットと共に過ごせるのだろうと思うと胸が痛んだが、自分がそういうものであると知った上で国を離れたのだから仕方がない。


この手を取ってくれたリーフェットの魔術がどれだけ潤沢でも、既にここまで色々なものを使い込んでしまった以上は、もはや手遅れであった。



だから、全ての憂いはここで断っていこう。

裁判の場に引き摺り出された美しい少女は、やっとここで無邪気に笑うようになった。

空っぽの目をしてよろよろと歩き、人々の怨嗟の声をただただじっと息を詰めて聞いていたリーフェットは、漸く、自分の足で真っ直ぐに立てるようになった。


でも、彼女の最後の願いの悲しさに自分をくれてやる覚悟を決めた夜から、随分と遠くまで来た気がするのに、まだ半年にも満たないだなんて。



(……………ねぇ、リーフェット。僕がいなくなっても、君は僕を覚えていてくれるかな)



心の中でだけ、そう問いかける。

けれども、呪いにもなりかねないこの言葉を、リーフェット本人に告げることはないだろう。

ただ、彼女の為にも、憎む余地は残していかなければならない。

そうしないとまた、あの子は自分の無力さに打ちのめされてしまうだろう。



リーフェットを子供にしてしまったのは、彼女が今回の嵐に使ったあの刺繍魔術で間違いない。

嵐を消滅させたように実際の時間軸に作用するものである以上は、このままの状態が続けば、リーフェットは一年もすれば、より子供の体に順応した心で過ごせるようになる筈だ。

そうして心を柔らかくしていく彼女を見てゆけないのは心残りだが、リーフェットが幸せになれるのであれば、それで申し分ない。


彼女がかけた願いを叶える為に、ここまで来たのだから。



(そうだ。最後は祝祭の王らしく、それを慕う者の願いを叶えて幕を引こう。…………でも、僕が、もっと早く彼女の事をしっかり見ていたのなら、まるで違う未来があったのかもしれないな)



例えば、まだ学生の彼女をローベアの王宮で保護することも出来た。

実際に学院から手を回して立場の危うい学生を保護したこともあるし、自分であれば、言葉巧みに彼女に家族を捨てさせることも出来ただろう。

だが、あの年は西の国との間に開戦の気運が高まっており、それを回避する為の複雑な交渉や、何度もの会談が必要とされていた忙しい年だった。

だからアンは、彼女の置かれた環境がどの程度の危うさなのかを調べ、これならば自分の力で立ち直れるだろうと考えて、本人に委ねるという建前でリーフェットを見捨てたのだ。


もし、アンが人間の国の王などをしておらず、ただの祝祭の主人としてリーフェットを見ていたら、もう少し彼女に寄り添うことも出来たかもしれないのに。



(僕にとってはこれまでにも見てきた幾つかの内の一つでも、リーフェットにとっては、初めてのことだったんだ)



処刑場で咽び泣く彼女の願い事が届いた時、そこにはアンが、彼女に刺繍魔術を勧めた日の思い出があった。


たったあれだけのことが、彼女にとっては最初で最後の幸運で、彼女を生かし続けた宝物だった。

リーフェットは、あの時に初めて誰かに褒めて貰えたのだと知った時、アンは泣きたくなった。



(……………ああ、もっとリーフェットと一緒にいたかったなぁ。美味しい物を沢山食べさせてあげたかったし、綺麗な服も買ってあげたかった。海沿いの店はまだ行ったことがないところばかりだし、郊外にある景勝地にも連れていってあげたかった。……………君と、ここで何でもないような日々を、ずっと続けていけたのなら、どれだけ良かっただろう)



予定とは随分違う場所に辿り着いてしまっていたけれど、祝祭の領域を外れてまで人間達と深く関わったアンがずっと欲しかったのは、こんな日々だったのに。

あんな出会い方しか出来ずとも、それでもこんなに大切なものを見付けたのに。




大好き、大好きと、きらきら光る星屑のような願いが落ちる。



彼女は、針の魔女として拘束されても尚、その思いを捨てずに抱き締めていてくれた。

リーフェットの願い事は、いつだってきらきらと輝く温かなもので、胸が苦しくなるくらいに当たり前のもの。


長らく、文明の向上や国の補強、民の暮らしや政治的な難題を抱えてきたアンにとって、それは、この上なく甘く美しいものだった。




(リーフェット)



リーフェット。

でも、君はもうどこにでも行けるだろう。

自分の願いを叶えるには随分と回り道をしてしまったけれど、大事な大事な女の子が、もう凍えずに怯えずに過ごせるようになると思えば、この生涯も捨てたものではないのかもしれない。


だから、君がここで安心して生きていけるように、怖いものは全部持ってゆこう。



「……………さてと。来たかな」


寝台から立ち上がり、訪問者を知らせるベルの音に微笑む。

ゆっくりと張り巡らせた魔術の端に、じりじりと焦げ付くような薄い悪意の端が触れた。




「やぁ。こんなお祝いの夜に見舞いに来てくれずとも良かったのに」


扉を開いてそう言えば、レイヴィアに伴われた二人の騎士は笑って首を横に振った。

彼等はリーフェットが親しくしている騎士でもあり、ルスフェイト国の王立騎士団の中でも席次を持つ優秀な人間達だ。


何度か仕事の様子を見てみたが、それなりに腕の立つ騎士である事は間違いない。

レイヴィアが規格外であるので比較するのは気の毒だし、先日のリーフェットの強制召喚はちょっとした裏があったので、防げずにいたのも致し方ないだろうと思えば、まずまずの腕前だ。


特にジリアムは、気安い言動がいいものか、リーフェットも何だかんだと懐いている。



「へぇ。ちびと魔術顧問はここに住んでいるんですね」

「ジリアム、言い方をもう少しどうにかしろ……………」

「思っていたよりも、庶民的な感じだなぁ……………」

「ジリアム!!」


そんなやり取りをしていた二人が、思い出したように見舞いの品を渡してくれる。


祝祭の身でこのような品物を受け取ると直に魔術付与があるので、さてどうしたものかなと思ったが、この男は思っているより弱っているからなとレイヴィアが代わりに受け取ってテーブルに置いてくれた。



「………中は、随分と広いんですね。それに、……………あまり物がないと言いますか」

「うわぁ。廃聖堂みたいな感じですね。これ、ちび泣きません?」

「ジリアム………表現の仕方に工夫するように」

「ええ、仕事外なんですから、いいじゃないですか。ドーレンは固過ぎですよ」

「ここはまぁ、お客用の部屋だからね。生活している部屋は、ちゃんとリーフェット用に可愛くしているよ」



室内は薄暗く、天窓からは夜の光が落ちている。

窓の向こうは静かな夜の森で、僅かに星明りを映した湖が光るくらい。

天井は高く、廃聖堂という表現はあながち間違いではないので、ジリアムという騎士は、軽薄そうな物言いの割に感覚が鋭いのだろう。



「俺も、この部屋を見るのは初めてだな」


レイヴィアがそう呟き、天窓のステンドグラスを見上げている。


「ずっと昔に、夏至祭を祀っていた聖堂なんだ。僕の性質上、どうしてもここは手放せなくてね、魔術移植でこの屋敷の中の部屋に押し込んである」

「……………夏至祭を祀っていた聖堂ということは、ギャレリーアン魔術顧問は、祭祀の系譜の人外者なのでしょうか?」


僅かなりとも家具は入れてあるので、大きなテーブルには蝋燭に火を入れた燭台があった。

勧めた椅子を引きながらそう尋ねたドーレンに、曖昧な微笑みを返せば僅かに困惑する気配があった。


リーフェットはいつも、この騎士の事を、体格が良くて栗色の髪をした騎士だと話していた。

だが、どういう訳かアンにはずっと、赤髪の騎士に見えている。

訊けばレイヴィアにもそう見えていたものの、何か事情があるのだろうと考えていたそうだ。



「というより、僕が夏至祭なんだ」


にっこり笑ってそう言えば、ドーレンは目を丸くしてから小さく笑うではないか。

冗談を言われたのだと思ったらしく、人が悪いですねと言っている。


だが、さっと表情を強張らせ、レイヴィアの方を窺ったジリアムの方が判断としては正解だ。

やはりこちらの青年は、なかなかに見込みがある。



「夏至祭の本体であれば、白や銀を持つ事はないでしょう。冬の色彩ですよ」

「昔、少しだけ問題を起こしたことがあってね。その時に、こうなってしまったんだ。多分、僕が夏至祭だったからこそ、正反対の資質に悪変したのだろうなぁ」

「……………うわ。これ本気のやつだ」

「ジリアム……………?」


ここで、やっと同僚の方を見たドーレンが、よろけながら後退した後輩の姿に気付いた。

ゆっくりとこちらに視線を戻す頃には、穏やかな騎士の微笑みは僅かにひび割れている。



「君が義理立てしているのは、王女様かな。それとも、君の主人だろうか」

「…………っ、……………何を仰っているのか、分かり兼ねますが」

「だそうだよ、騎士団長」

「……………ドーレン。俺は、個人の力で変えようがない事を瑕疵とするのは好まないが、君は、ビアド公爵領に隣接したマセット伯爵領の出身だな」

「団長、さすがに私も、出身地まではどうしようもありません。それに、私はビアド公爵家に目通りする事も叶わない男爵家の息子ですから」

「へぇ。本当にその家の息子だろうか」

「……………何が言いたいのですか?」



ひやりとするような声に、アンは肩を竦めた。

こうも弱っているので当然かもしれないが、目の前の騎士は、こちらを少しも危険視していないのだろう。

だが、夏至祭というものの資質を分かってなさ過ぎだろうと、少し呆れたくもなる。


数ある祝祭の中でも、夏至祭はとりわけ悍ましいものだ。

冬至も似たような資質があるが、本来の形を失えば災いにもなりかねない祝祭なのである。



「僕は、線引きの向こう側を見るのが得意でね。……………君はどうも、あまり人間には見えないんだ」

「えええ?!」

「ジリアム、下がっていろ」

「は、はいぃ!…………俺、もう帰ってもいいですか?!」

「……………お前な」



慌てて部屋の隅に逃げていった青年に苦笑すると、アンは、どこか怨嗟にも似た暗い眼差しをこちらに向けている一人の騎士を見据える。


(……………恐らく、本当にドーレンという名前の騎士がいたのだろう。妻子を持ち、子供を大事にしていた父親の像は、そうそう簡単に人ならざるものに作れる擬態ではない)


人間と、そうではない生き物達は価値観が違う。

片親に人間を持ち人間の社会で生きてきたレイヴィアでさえ、多くの騎士達には近寄り難いと思われていたように、余程上手くやらない限りは、凡庸な人間のふりは出来ないのだ。



「リーフェットが攫われた時に、おかしいなと思ったんだ。君が抱いていた筈なのに、なぜ、リーフェットだけが向こうに呼び落されたのかなって、不思議に思ってね。リーフェットを捕らえた魔術を組んだのは、収穫祭本人だよ。あの時、船の近くに居た彼を追い払っていた僕が言うからには間違いない。……………まぁ、あの時は僕も本調子ではなく、逃げられてしまったけれどね」

「しかし、そのようなものが構築した魔術の仕掛けです。どのような選別があったのかまでは、私には何とも言えませんよ」

「気付いていなかったのかな。…………あの時に収穫祭が使ったのは、狩りの為の術式だ。本来、条件に該当する獲物を一纏めにして捕まえる、とても乱暴な魔術なんだよ。…………君だけを排除するだなんてことは、到底不可能なんだ。君が、意図的にリーフェットから手を離したとしか思えない」



そう言ってやれば、ドーレンは僅かに視線を彷徨わせた。

だが浮かべた微笑みを消しはせず、途方に暮れたように首を振ってみせる。



「そのような条件付けをした魔術だって、作れないとは言えないでしょう」

「それが、作れないんだよ。僕は夏至祭で、夏至祭は魔術を司る祝祭のひと柱だ。相手が僕と同様に魔術を司る冬の大祭でもない限り、僕に読み解けない術式を組むのは不可能だ」

「で、であれば、その冬の祝祭が関わっていたのだろう」

「……………それはないな。ドーレン、俺は季節に属さない周極星の妖精ではあるが、相性のいい季節はある。冬の魔術の気配があれば、俺が見落とす筈がない」



静かなレイヴィアの声に、がりっと音がした。

ドーレンが歯ぎしりをしているのだと気付き、眉を顰める。

がりがりと歯を鳴らす姿にはもう穏やかな騎士の面影はなく、ぞっとするような悍ましさがあった。




「……………あのような子供は、人間の手元に置いておくべきではないだろう」



ややあって、ドーレンがそんなことを言う。

それが理由だったかと息を吐き、人外者にありがちな思想だなと苦笑した。


(理由がある以上、人外者はそれを隠せない。特にこうして入り込んだ者達は、何か強烈な理由を持っていることが多いから、黙っていられなくなるんだ)



だから、言い逃れが出来なくなるとあっさり告白してくれるので、案外に素直だとも言えた。

こちらとしては、今後の対応を決める為に、どうしてなのかさえ聞ければいい。


理由なら、誰にだってあるものだ。

ただ、淡々と生きている者にだって、その者なりの生きる理由があるだろう。


不義理や凶行、裏切りに及ぶのであれば、より相応な理由くらいはあって然るべきである。



「その視点だとすると、君は祝祭の側かな」

「…………あれだけの潤沢な魔術を得ているのなら、相応しい場所に身を置くべきだ。それが出来ないというのなら、あの才は彼女には不相応だというより他にない」

「確かに、あの子には無自覚な部分も多いね。国を幾つも持っている事に気付かないまま、小さな町を一つ欲しがるような傾向がある。…………でも、彼女にとって何が相応しいのかを決めるのは、少なくとも君じゃないだろう。身の安全を確保させる為に今回の事を仕組んだ僕が言えた義理ではないが、あの子は、特別なものなどは望まないよ」



目の前の男と話しながら、少し奇妙だなと内心首を捻った。


仕える主人の為に獲物を捧げようとしたのであれば、他にやりようも機会もあっただろう。

召喚の事件以降は、アンがリーフェットの足元にかなり強固な守護を敷いていたが、それ以前の時期となると、アンもこの騎士を警戒していなかった。



(ふむ。……………となると、もっと別に個人的な理由があったのだろうか。リーフェットをあちら側に引き渡さんとしていたり、情報を流していたのは間違いないだろうが……)



「魔術の才は容易く人間を破滅させるものだ。過分な力があればそれを剥ぎ取るか、周囲に被害を出さない内に相応しい相手に引き取らせる、もしくは、贄にでもして殺してやった方が幸福だろう」

「……………ほお。それを僕に言うか」

「………アンブラン、俺達を巻き込むなよ」



ついつい声が平坦になってしまい、レイヴィアに苦言を呈される。


とは言え、祝祭の主人の愛し子に手を出したのだ。

こちらの騎士の処遇は、王家にも話を通した上で既にアンの手の中にあった。

わざわざ国の第一王子がこの屋敷に料理を届けに来たのは、その申し出への了承を示す為でもある。



「魔術を司る者に、魔術を殺せと言うのはいただけないな。…………それも、僕の可愛い可愛いリーフェットに、彼女が生まれ持った肥沃な土地の一部を潰せと言うのか。人間が、己の魔術器官を損なう際にどれだけの苦痛を伴うかも知らずに?……………ああ、君は竜だな。まったく、竜らしい愚かさだな」

「………っ、お前は……………」

「ほら、僕が、遠い昔に廃れた祝祭の主人で良かっただろう?僕があの頃のように気紛れだったら、君はもうここにはいなかったのだからね。……………それにしても、収穫祭と竜というのも珍しい組み合わせだね。…………君の主張から紐解くと、以前にどこかで、身に持った大きな力で問題を起こした人間がいたのだろう。そして、その事件は君にとって無縁のものではなかったというところかな」

「…………っ、ど、どうして……………」



驚愕の目を向けたドーレンに、微笑みかける。


「言っただろう?僕は夏至祭で、線引きのあちら側を見るのは得意なんだ。……………ほら、このように」



指先で虚空を薙ぐと、ドーレンの足元に大きな獣の影が現れた。

確かに竜には違いないが、捩じれた角や絡まった長い羽のような尾の形を見ていると、とうに狂ったものなのだろう。



「ふむ。だいぶ悪変しているな」

「っ、…………まさか、祝祭の主人が本当にいたのか………?!」

「はは、今のはとてつもなく失礼な言葉だな。王の前でその系譜を軽んじ、信仰を重んじる祝祭の前に立つ作法も知らないとは。僕が食べてしまった君の主人は、もう少し狡賢しかったようだけれど?」

「あ、あの方を侮辱するな!!お、お前さえいなければ、あの子供を食らって本来の力を取り戻される筈だったのだ!!」

「…………やれやれだ。この程度で噛み付いてくるようじゃ、子供と変わらない。悪いが僕は、子供を虐める趣味はないんだ。……………そうだね、少し力を剥いでおいて、後始末は君の上官に任せるとしよう」



手を伸ばすと、本能的な恐怖には勝てなかったのだろう。


こちらを見る憎悪の眼差しは変わらなかったが、声にはならない声を上げて身を翻そうとする。

だが、逃がしてやる訳にはいかないのだ。



(彼の主張には恐らく、彼が譲る訳にはいかないと考えるに至る理由がある)



そんなものを残しておき、きっと分かってくれると思ったと言うのは愚か者くらいだ。

だからアンは逃げ出そうとする哀れな竜を容赦なく捕まえてしまい、少しばかり正規の道を外れた祝祭の主人らしいやり方でばりばりと余分なものを剥ぎ取ってしまった。



「さてと、これでやっと終わりでいいかな」



悲鳴を上げ動かなくなった男をレイヴィアの方に転がすと、彼は、部屋の隅に逃げて行っていたジリアムに拘束を命じて嫌がられている。

さすがに気の毒だったので、もう騎士でもない普通の人間くらいのことしか出来ないと伝えると、ほっとしたように息を吐いていた。



「ドーレン…………と、そう呼んでいいのか分からないが、彼の生まれ育った土地で、以前に魔術絡みの事故が起こったことがある」

「どんな事故だったんだい?」

「小さな村に、少し危うい魔術を持った子供が生まれたんだ。このような事があった以上、詳細な事情も調べてみるつもりだが、その村で事故が起こりその子供は命を落とし、周囲の人々を守ろうとしたドーレンが大怪我を負ったことがある。その時の一件で大きな被害を出さずに事件を収めた手柄が取り立てられ、伯爵家から王都の騎士団に推薦があった男だ」

「……………いい、先輩でしたよ。ご家族とも仲が良くて。……………でも、そう言えば奥さんが、その事件以降、口数が少なくなったと話していましたね」

「……………成る程。その事故の時に、本人は死んだのだろうね」



アンがそう言えば、ジリアムは絶句していたが、レイヴィアはただ静かに頷いた。


「え、……………人間じゃないって、そういう?!その、元から本当は竜だったとか、そういう事情じゃないんですか?!」

「足元の影を見ただろう?あの悪変の様子から見ると、何かがあって狂った竜だ。……………恐らくは、生前のドーレンと親しくしていたか、一族の庇護などをしていた個体だったのだろう。リーフェットを見て、その事故の時の事が蘇ったのだろうね」

「自分から……だと思うか?」



そう尋ねたのはレイヴィアで、彼にも上官としての感慨があるのかもしれない。

だからアンは、わからないと答えた。



「収穫祭の話を出した際に、あれを主人だと認めていたから、系譜の竜ではあるのではないかな。………元々、力を弱めた収穫祭の主人の為に餌も探していたんだろう。そして、主人が見付けたリーフェットは、彼の過去の傷に触れる存在だった。だから、リーフェットを主人の贄にすることで、周囲の人間に害を為すかもしれないあの子を、排除しようと思っていたのだろう」

「……………だって、…………ちびにも優しくしていましたよ」

「うん。そういう相反する部分もあったのかもしれない。或いは途中までは、ただリーフェットを収穫祭の庇護下に入れてやろうとしていただけかもしれない。…………でも竜はね、愛情深くて優しい生き物なんだ。だから、愛する者を亡くして狂うと、二度と元には戻れなくなる。壊れたものの思考は、とても極端な結論を出し易いものだ」

「……………そんな。……………じゃあ、こいつは、……………先輩のふりをしていた、竜なんですね」

「亡骸に入ったのかもしれないね。…………そうでもなければ、王宮のようなところに入り込めないだろう。この国の王宮は、周極星の妖精の女王の加護もあってか、いい結界に守られている。余程のことをしなければ、これだけ狂った生き物がそうそう簡単に入り込めないよ」



もしかするとこの騎士は、ビアド公爵の息子のふりをしていた収穫祭の主人が、この状況を見かねて王都に連れてきたのかもしれなかった。

そうでなければ、ドーレンの遺体に巣食った狂った竜が王都に出て来る理由もないだろう。

竜は本来、住処から離れない生き物だ。


大事にしていたのかもしれない人間を亡くし、自分を案じてくれた主人を亡くしたのであれば不憫な気もしたが、だからと言ってこちらも愛する者を譲る訳にはいかない。


リーフェットを襲った時の様子からすると、あの収穫祭もだいぶ壊れ始めていた。

収穫祭に重きを置かないこの王都では、さぞかし生き難かったに違いないのだが、それでも本来暮らすに相応しい土地を捨てざるを得ない理由もあったのだろう。



(………やれやれ。どこかで少しばかり自分を見ているようでもあって、後味の悪い解決だな)



残された家族には酷な話だが、国としてもこの竜を生かしておくことは出来ないだろう。

リーフェット程に特等の魔術師はそうそう出ないにせよ、才能のある子供は彼女一人ではない。

いつかまた、別の子供に怨嗟を向けるかもしれないのだ。

それどころか、過去に余罪があってもおかしくない。




「……………ああ、疲れた」


そう呟き、近くにある椅子に腰を下ろすと、レイヴィアが正面に立った。

おやっと思って見上げると、ひどく真剣な顔をしている。


苦笑して、ジリアムには聞こえないよう音の魔術を調整した。



「さすがに僕も、この場で消えたりはしないよ。リーフェットが可哀想だろう」

「……………あと、どれくらいだ?」

「うーん。頑張れば、十日くらいかな。その後の事は、任せてもいいかい?君がどのような立場を今後選ぶのかによっては、ジスファー公爵に後見人の座を引き渡してくれ」

「父や兄の思惑がどうであれ、そうそう簡単に王都の騎士団長を代えられるものではない。俺も、暫くはこのままだ。彼女の後見人という立場も継続させて貰う。お前の分も、大事に育てていくさ」

「………どうしてそんなに意地が悪いんだ。君は、もう少し善良になるべきだぞ。仮にも騎士だろう」

「あの子を残してゆく、お前には言われたくないが」


言われてみれば確かにそうなのだが、それはもう、最初からどうにもならなかった。

リーフェットをこの地に逃がし、彼女が居場所を見つけるまではと一緒にこちらに来た段階で、アンは随分と多くのものを失ってしまっていたから。


「僕がここに来たのは、彼女の願い事に応える為だ。その願いに忠実に、あの子の望まないことはしないよ。………周極星の妖精である君なら知っているだろうけれど、祝祭の主人は願い事を叶えるものだからね」

「同時に、それを正しく祀らなければ、大きな災厄を齎すものでもある」

「…………そうだ。君には、一つだけ謝罪をしておこう。祝祭というものはね、土地それぞれの作法がある。この地に根付いた夏至祭は僕とは別のものだし、それはつまり、この土地には僕を正しく祀る者がいないと言うことでもある。だからもし、………あの子が僕を見捨てたら、それはそれは恐ろしい災いが生まれてしまうかもしれないところだった。そんな僕をこの地に迎え入れてくれて、有難う。君達には心から感謝するよ」

「……………くれぐれも、そんな話をリーフェットにはするな」

「ははは、最後の時間くらいは、何とか正気を保ってみせるさ。幸いあの子は、もし僕が壊れたらそれを鎮め滅ぼすくらいの力は持っているけれど、それではあまりにも可哀想だ。それに、リーフェットはもう僕の大事な祭祀だからね。あの子がタルトを作ってくれるそうだから、思っているよりも頑張れるかもしれないぞ」

「この土地の冬の大祭は、ユールだ。それまでは持ち堪えろ」

「ユールかぁ。……………僕の生まれた場所では、冬至や十二夜と呼ばれていたなぁ」



かつて、アンを祝祭の庭から追放したのは、その冬の祝祭であった。



それを思うと少し悔しかったが、とても美しい祝祭なので、きっとリーフェットは喜ぶだろう。

彼女の家族が祝祭の楽しみを教えたとは思えないので、色々と準備をしてあげようと考えると、少しだけ楽しみが出来た。



本当は、この先もずっとずっと、彼女の側にいたかったけれど、それが叶わないのだとしても後悔はするまい。



求婚までをしたのは、求婚以上に大きな祝福を授ける術がなかったからだ。

だが、同時に、アンを盛大に誑かしてくれた彼女には、暫くの間自分を悼んで欲しいという我が儘なのかもしれなかった。




もしも、これからもずっとという願いが叶うのならと。












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