14: 王子の話と嵐の後
嵐が去った。
王宮からの災害避難指示が取り下げられ、おまけに本日は収穫祭ということもあって、王都の人々はお祭り騒ぎなのだとか。
対策を打つ前に王都の近くまで嵐が来たということもあり、被害皆無とまではいかなかったが、風雨が強まったあたりからリーフェットが沿岸部全体の気象調整に入った為、人的な被害は出ずに済んだらしい。
少し複雑なのが、本日は収穫祭なのに、嵐を鎮めたリーフェットが夏至祭の愛し子と発表された為、街ゆく人々が夏至祭に感謝を捧げ始めたことだ。
まだ表立った動きはないらしいが、祝祭の主人の庇護を失った王女がこの先どうなるのかも、今後分かってくるだろう。
という訳で、アンの屋敷ではなぜかお祝いが行われていた。
なぜか開始早々に第一王子がやって来て、ご贔屓にしている雨降り鯨亭の魚介の白葡萄酒煮込みと、大きな星鯖を卵白と塩で固めて蒸し焼きにした料理を置いていったので、リーフェットは飛び上がって挨拶をしなければならなかった。
(おかしい。今日は、偉い方達は王宮で会議などをしているべきではないのだろうか………)
当初、リーフェットは困惑した。
だが、ルスフェイトは、海に面した土地に王都を設けたような国である。
人ならざる者達の庇護も受け、つまりは、生来おおらかな者達が多いらしい。
そんな土地の民達に、災いの嵐が来ると思ったら綺麗に晴れたという展開は、宴をし給えと言うのと変わりないのだそうだ。
よって、今夜は王宮での堅苦しい会議や事後の対策についての打ち合わせなどもなく、皆はとても楽しそうなのである。
「そして、第一王子様は、すてきです………」
「だから僕は、あいつを入れるのに反対したのだぞ。案の定ではないか!」
「ジスファー、今回は私も同感だ。レイヴィア!あいつに甘過ぎるだろう!!」
「父上、今日は領地でも収穫祭があった筈なのに、なぜここにいるのですか……。それと、俺の立場であの方を追い返せるとでも?」
「領地の祝祭は、お前の兄達が仕切っている。今日は、国の今後に響く大きな転換期だ。私も立ち会わねばならないだろう」
「いや、会議の時はいませんでしたよね?」
「放っておけ。彼は酒が出る場には必ず来る」
「必ずではない。美味い酒が飲める場所だ。よって、王宮内の宴などには興味がない」
「第一王子様は、理想のお父様風でした!持ってきてくれたお魚料理も美味しいでふ!」
「うーん。という事は僕は、彼にお嬢さんを下さいと挨拶すればいいかな………」
「リーフェットの後見人は俺だからな………」
レイヴィアに渋い顔をさせているアンは、寝台に腰掛けていた。
まだ起き上がる程に体力が回復していないが、この祝賀会には断固として出席するらしい。
寝台の上には病人用のテーブルが置かれ、寝台に体を起こした状態で食事が出来るようになっている。
まだ弱っているのでお酒を禁止され、恨めしそうにクレア公爵の方を見ていた。
なお、リーフェットはこちらの寝台からの参加者に合わせ、アンの寝台に腰掛け、テーブルをぐっとこちらに寄せて参加している。
(第一王子様は、会議の時とは雰囲気が違っていて、素敵だったな………)
リーフェットは、妻子にとびきり甘いと噂の第一王子が、うっかりお父さん仕様で今日の働きを褒めてくれたせいで、すっかり第一王子贔屓になってしまった。
仕事は程々かもしれないが、あの陽だまりのような優しさを見れば、成る程第一王子派がいるのも頷ける。
きっといい王様になるぞとふんすと胸を張ったのだが、ジスファー公爵は首を傾げるではないか。
「だがなぁ。あの御仁を王にしては気の毒だろう」
「お前は、殿下が子供の頃からそう言うな………」
「良き部下達の止まり木としての国王という手もあるが、現王程に無節操な人たらしでもないからな」
「……まぁ。王様は、人たらしなのですか?」
驚いたリーフェットが尋ねると、話していたジスファー公爵とクレア公爵がこちらを見る。
「僕が魔術省の仕事で相手をしなくても、部屋に勝手にやって来て泣き言を言いながら二刻はいるな。帰る頃にはどういう訳か、こちらの仕事が増やされていることが多い」
「私は、息子を一人増やされたな。……………今でもなぜあの時、普通に頷いたのか分からない」
クレア公爵からはとんでもない証言が出てきたので、リーフェットはかっと瞳を見開いた。
そろりと振り返ると、レイヴィアが苦笑している。
「……………前々から思っていたのですが、レイヴィア様は何なのでしょう?先程も、第一王子様が、とても親しげにしておられました」
「はは、さすがのリーフェットも、騎士棟内でその話は聞かなかったか」
「レイヴィアは、この国の第二王子だよ」
さらりと答えたのは、なぜかアンだ。
告白の先を奪われてしまったレイヴィアが苦笑し、リーフェットはあんまりな真実にわなわなする。
「………やれやれ。これだから魔術師は好かないな。秘密というものに貪欲過ぎる」
「なに、有名な話だろう。この国の王族は妖精に好かれ、妖精の祝福を得やすいらしい。それが偽りであれば、そんな噂話を赦すほどに妖精という生き物は善良じゃないというだけだし、どう見ても、クレア公爵は妖精の好みではない」
「だが、今は俺から答えるべきところでは?」
「回りくどい!」
「お、おうじさま………?今もなのですか?……王子様?」
なぜ王子様がクレア公爵の屋敷を受け継いだのだろうと疑問符だらけのリーフェットに、ふうっと息を吐いたレイヴィアが、クレア公爵家の養子に入った経緯を教えてくれる。
それは、とても簡単な理由だった。
「俺は、母が妖精だからな。継承争いには加われない。その状態で王子として王宮にいると、無駄に国を混乱させるだけだろう。それに、妖精の側でも女王の息子ということになるから、ややこしいだろう?」
そう聞けば、確かに妖精としての問題も軽視出来ないのだろうか。
各妖精の女王や王の後継者指名はとても単純で、王位にいる者の一声で後継者が決まるとされている。
人間とは違う心の動かし方をする生き物の気紛れで為されるものなので、恐らくはレイヴィア本人にも拒否権はないのだろう。
リーフェットは、女王の気紛れで王に選ばれた吟遊詩人の悲劇の話を、本で読んだことがあった。
相手を愛していても、選ばれた者が幸運がどうかまでを、妖精達は考慮しない。
「………幸い、そちらは姉達が強いから問題ないとは思うが、だとしても、俺はかなり妖精の血が強く出ている方らしい。そのような王を、国民は望まないだろう」
少しだけ寂しそうにそう言ったレイヴィアに、二人の公爵も僅かに視線を伏せる。
だが、リーフェットは思わずアンの方を見てしまった。
「おや。僕は王だったよ?」
「……………は?」
「リーフェットに訊いてみるといい。僕は、ここに来る前は人間の国の王だったんだ。僕以外の者達は皆が人間だったけれど、彼等とも仲良しでとても良い国だった。君ならば、可能だと思うけれどね。………この国の王や第一王子が凡庸なのは、彼等が狡猾だからだ。今回の嵐の件だって、僕やリーフェットではなく、本来は君を動かそうとしたものではなかったのかな。そうまでして望まれているのであれば、王子としての可能性を考えてみるのも手だと思うが」
「父上と、兄上が………?」
「見てみるといい、そちらの二人が目を逸らしたぞ」
「………父上?ジスファー公爵?」
明らかに挙動不審になった二人の公爵に、レイヴィアが目を瞠っている。
やれやれと肩を竦めたアンが、寝台の上で、ひらりと片手を振った。
「本人が気付く前に外堀を埋めるのも構わないが、こればかりは早めにそれでもいいのだと伝えておくべきだと思うよ。………僕の目から見て、彼は、妖精としても王族位に相応しいだけの資質を充分に受け継いでいる。早めに押さえておかないと、あちらの女達が次の妖精王にと取りにかかるかもしれない」
「そ、それは困る!!仮にもうちは、第二王子派なんだぞ?!」
「絶対に駄目だ!うちの殿下は、補佐としての役割で君を支えるつもりで、すっかりそちらの方向の勉強ばかりしているのだぞ?!無駄になったら可哀想じゃないか!!」
慌てた二人の公爵に部屋から連れ出されていくレイヴィアは、とても困惑しているようだ。
色々とあるのだなというその後ろ姿を見送って、リーフェットは眉を寄せた。
「つまり、私の後見人は、………王子様なのですね?」
「父親や兄からは、今は第二王子は遊学中と発表しておいて、立太子の発表の後にでも継承権の放棄を宣言するといいと言われてきたんだろう。だがその実、彼を王に指名した際に賛同する者達を増やす為に、騎士団長としての実績を積まされていただけという感じかな」
「……………となると王女様は」
「自分の腹違いの兄に求婚したことになる。だからレイヴィアも、何も知らないのだなと呆れていたんだ」
「私は、王女様の背中を優しくさすってあげたくなりました………」
レイヴィアがクレア公爵家の養子になったのは、十二年前のことなのだとか。
当時のレイヴィアは十五歳で、この国の基準ではまだ子供ではあるが、しっかり王宮内にも姿を見せていた歳である。
だからこそ、ビアド公爵がクレア公爵家の次男の正体を知らない筈もないと皆が考えていた。
レイヴィアは、事件や事故があって王家を離れた訳ではないので、情報の秘密度は低い。
場合によっては、王宮に長く仕える文官ですら知っているようなことだ。
「とは言え、僕は、ビアド公爵は知らなかった訳ではないと思うよ。船での一件といい、ある程度旗色が悪くても自分の足で稼ごうとする気質の人間だ。………恐らくは、まだ王子に戻る為の準備が出来ていないレイヴィアに、自分が愚かなふりをして揺さぶりをかけさせたのだろう」
「ふぇ。どろどろしています………」
「レイヴィアは、周極星の妖精だ。その資質を受け継ぎ冷静で理知的に見えるし、妖精としての階位も生来高い。でも、彼はまだ若いからね。まぁ、そのあたりの駆け引きも、これから色々と学んでいけばいいさ」
「確かに、騎士団長としても随分お若いですものね………」
「クレア公爵の長子が、年若い奥方が子供を授かったのを機に領地に戻った際に引き継いだようだ。そちらの御仁は、レイヴィアとは少し歳が離れていて、団長職に見合った年齢だったらしい」
「…………クレア公爵の年齢がとても気になっています」
ここでリーフェットは、クレア公爵がジスファー公爵と一歳違いだと知り、人体の神秘に驚愕した。
クレア公爵の若さの秘訣というものがあるのなら、とんでもないお金を支払うご婦人方もいるだろう。
「不思議はないだろう。彼も、どこかで混ざっているんだろうね。この国は、何と言うか立地的に他民族や種族の受け入れに鷹揚なんだろう」
「まぁ。レイヴィア様と同じように、妖精さんでしょうか?」
「あの気配からすると、竜かな。だから、妖精には好かれない筈なんだ」
「竜さん!」
見たことのない生き物なので思わず足をぱたぱたさせてしまい、リーフェットははっとした。
つい先程までは本来の姿に戻れていたので、ちびころ準拠の動作が恥ずかしくなったのだ。
「………むぐ」
「あれ、やめてしまうのかい?可愛いのに」
「わ、私はそれなりに大人なのですからね!」
「そう言えば、君の祖国では成人年齢だったか。………お、見てご覧、檸檬タルトがあるぞ」
「まぁ。ミモレのタルトに似ていますね。美味しそうです」
「ミモレのタルトを知っているのか!僕の一番好きな店だったんだ」
ジスファー公爵のお土産の箱を開けているアンに、リーフェットもその手元を覗き込む。
ローベアの王都にあった菓子店の名前を出すと、懐かしそうにアンが微笑んだ。
「どのケーキを食べても、美味しいお店でしたよね。私も大好きでした」
「うん。だが、この店もなかなかだ。ジスファー公爵は菓子の趣味がいい。………もし、レイヴィアが王族に戻るようなら、君の後見人はジスファー公爵に変更されるだろうが、彼なら大丈夫そうかい?」
「はい。ケーキをたくさん買ってくれますし、………一応は普通の感覚を持っている人です」
「普通………」
「魔術師ですから、警戒しなければならないのですよ!」
「ああ、そういうことか。彼の興味は、主にカーテンに向かっているから、君の観察日記は付けないと思うよ」
「………カーテンは、ジスファー公爵にすっかり懐いてしまいましたね」
そんな話をしていると、アンがふうっと息を吐いた。
リーフェットは、慌ててアンのまだ冷たい手に触れる。
午後の光は、柔らかだった。
素敵な青空なので、庭木の影が窓辺に落ちる。
ここはアンが作り付けた魔術の中だが、せっかくならということで、窓からはこの国の海辺の景色が見えるのだ。
素敵な森が見えたり、美しい湖が見えたり、この屋敷には驚くような仕掛けがあちこちにある。
「収穫祭の主人がいると気付いた時から、………ずっと、今日の為に準備をしていたのですか?」
「とは言え、通常の仕事もあるから、なかなか思うように体力の温存が出来なくてね。情けない限りだ」
そう苦笑したアンの寝台の横のテーブルには、幾つもの菓子店の箱が積み重なっていた。
今日のジスファー公爵のお土産の箱以外にも、リーフェットが知らない間に増えている菓子箱もある。
それをちらりと一瞥し、リーフェットは膝の上の手を握り締めた。
「…………かつて、あんな醜態を晒した私が言える立場ではありませんが、いい大人なのにあまりにも自己管理が出来ていません」
「…………おお、もの凄く落ち込む責められ方をしているぞ」
「また、お菓子ばかりそんなに沢山。…………ねぇ、アン。………やっぱりそれが、………あなたの背負う、正しく祀り上げる者のいない祝祭の代価なのではありませんか?………かつて、私が渡したお菓子が効果をなさなかったのは、あれが、心を込めて作られたものではないからでしょう」
リーフェットの言葉に、アンが薄く微笑む。
彼が祝祭の主人だとさえ知っていれば、リーフェットもそのくらいのことに気付けたのだ。
(祝祭にとって、料理や菓子類、そして祝祭に捧げられる花輪や手作りの品々は、奉納品となる)
だからこそアンは、あんなにお菓子好きのくせに他人が作った菓子しか食べなかったし、その中でも、作り手の心情によっては、対価たりえなかったものが存在したのではないだろうか。
(アンがこの国に来てすぐにお菓子屋さんを探していたのは、自分を生かす為の糧を確保しておかなければならなかったからではないのかしら)
祝祭の系譜の生き物達も、自身の属する祝祭が失われると消えてしまう事があるが、それは祝祭そのもの程に顕著ではない。
系譜の生き物くらいであれば、他の、近しい祝祭に仕えて長らえることも可能なのだ。
(だから、夏至祭そのものだったアンが、この土地で受ける影響は、計り知れない)
「さて、何のことだろう。……………と言うことも出来るけれど、………君には正直に話しておこうかな。ほら、人間は、そうして言葉を濁してはすれ違って、破滅してしまうだろう?」
「私は他者との関わりが少なかった人間ですが、得てして物語ではそうなりますね」
「そうそう。僕は、君とそんな事にはなりたくないからね。………君が考えた通り、これが僕の代価だ。と言うより、今はこれで賄うより他にない。元々、財産を殆ど溶かしてしまうくらいにお菓子は大好きだけれどね」
「……どうして言ってくれなかったのですか?」
「君が、僕のものになるまでは言えなかった」
「にゃぐ?!」
あんまりな表現にリーフェットが飛び上がると、アンが声を上げて笑う。
真っ赤になったリーフェットは、小さな手で、アンの腕をぎゅうと押した。
「僕の、刺繍の魔女になってくれるのだよね?」
「な、なぜ知っているのですか?!」
「分かるものだから、としか言えないかな。そういう者を得ると、なぜだか僕達には分かるんだよ。………そして僕たち祝祭はね、相手に望まれる形でしか祭祀を得られない。例えば僕が、君にこのような事情なのだと明かして君に僕のものになってと頼むのは、とてもいけないことなんだ」
「出来ないのですか………?」
その質問に、アンは少しだけ考えていた。
じっと自分の手元を見て、どこか寂しそうに。
「いや。………上手く誘導して、取り込む事は不可能ではない。………でもね、それは祝祭の正しい形ではない。こちらから歩み寄り手を伸ばす行為は、それが例え人間の側にとっても効率的でも、当人が嫌がらなくても、………祝祭というものの在り方を歪めてしまうんだ」
「祝祭は、……人間が執り行うものだから、でしょうか?」
「うん。だから僕達は、力をつけることも、衰退して消えることも、自分では選べない。………君を喰らおうとした収穫祭も、そんな風に人間との関わりを間違えたものだろう。正しい状態にないものだったからこそ、君という糧が必要だったのかもしれない」
(……………では、あなたは?)
リーフェットは、心の中でそう尋ねた。
夏至祭の主人でありながら、人間達の国の王様をしていてアンは、果たして祝祭として正しい在り方をしていたのだろうか。
でも、それを尋ねるのは何だか残酷な気がした。
だってアンは、とてもいい王様だと皆に愛されていたのだ。
だが、リーフェットが何も言わずにいると、アンが小さく笑って頭を撫で、僕もだよと言う。
「僕も、かつては似たような過ちを犯して、祝祭の仲間達の輪から弾かれたものだ。でなければ、夏至祭ともあろうものが、こうも常に飢えてはいない」
「それで、王様をしていたのですか?」
「うーん、と言うより、仲間達と共に国を守ろうとした結果、祝祭の在り方に反したんだ。………ほら、僕の姿はあまり夏至祭らしくないだろう?これも、その障りでね」
そう笑ったアンがとても綺麗だったので、リーフェットはふるふると首を横に振った。
「私の祖国には、白夜の日の夏至祭もありますよ?それに、アンの色は、夏至祭の日の夜明けのようにも見えます」
「……僕のリーフェットは、いつの間に男を手玉に取るような事を言うようになったんだろう」
「アンが秘密を一つ告白してくれたので、私の秘密も明かしますね。……………私は、あなたが処刑しようとしていた針の魔女です。………そんなものではなかったけれど、そう呼ばれていました」
「…………え、知ってる」
目を瞠ってぽかんとしたアンに、リーフェットは、そうであろうと凛々しく頷いた。
「そして、こうしてアンと一緒に暮らしている目的は、私の正体に気付かれても私を処刑したりしないように、アンを私なしでは生きていけない体にする為でした!」
「すごく如何わしいことを、さらっと言うのはやめようか。今はちょっと、見た目的に色々と問題が出てくるから!………いや、君が大人になれば大歓迎だけどね?!」
「…………へ、変態です!」
「なぜだ?!」
「わ、私がアンを誑かすのは、私の魔術を使ってですからね!なお、処刑されないと分かりましたが、今度はここから逃がさない為に誑かします!!」
「ええと、……どちらかと言えば、僕が君を誑かそうとしているのだけれど………?」
「負けませんからね!最後に勝つのは私です!!」
「ええ、勝負だったのかい?!」
愕然としているアンに、リーフェットは鋭く瞳を細めた。
このような場合は、より多く相手の心を捕まえた方が勝ちだと、以前に読んだ書物に書いてあったのだ。
それに、狡いではないか。
リーフェットばかりが、ずっとアンのことを大好きだなんて。
アンばかりが、リーフェットを幸せにしてくれようとするばかりなんて。
「祝祭をもてなすには、音楽やお酒、祝祭のお菓子や祝祭道具、手作りの装飾品などが使われます。リースや刺繍なども有効なのでしょう?」
「…………うん。君の場合は、刺繍かな」
「確かに、私は刺繍魔術の魔術師ですものね」
「そうだね。君は、刺繍魔術が大好きだ。とても楽しそうに刺繍をしていて、僕もその姿を見ているのが大好きだよ」
「……………でも、それでは足りないのでしょう?」
リーフェットがそう問えば、こちらを見たアンがどこか困ったように微笑む。
何だかもう、最近のアンはいつもこの表情で、リーフェットはこの人をもっと健やかに笑わせてあげたいのにと、胸が苦しくなる。
「いや、足りなくはない。君の動かせる魔術は規格外もいいところだ。………ただ、残念ながら、祝祭をもてなすのに相応しい形を成していない。どちらかと言えば災いに偏る。僕を悪食にしたいのなら、この上ないご馳走だけれど、話したように、本来の形から既に歪んでいる身だから、あまりそちらに偏ると都合が悪いんだ。…………僕は、君を幸せにしたいからね」
「……どうしてアンは、いつもそう言うのですか?」
気になって訊いてみると、アンは珍しく後ろめたそうな顔をした。
これは何かあるぞと考えてアンに詰め寄ると、情けない顔をした元王様が、ぽそぽそと話し出した。
「………君は最初、僕を正しく祀る祭祀などいくらでもいるあの国で、僕の系譜の魔術を持つ取るに足らない魔術師の一人だった」
「…………ふぁい」
「ごめんね、あまり気持ちのいい言い方ではないだろう。でも、言葉を飾って誤解を生むと、またすれ違いの方向で転げ落ちるかもしれないから、ここは正直にいこう」
「はい」
「…………そして僕は、あの学院で見かけた君が、到底幸せではなかったことに気付いていた。気付いていたから、不似合いな医療魔術や薬草魔術などは学ばせないことにして、君に、君の好きなものを学ばせようと思ったんだ」
「でも私は、取るに足らない魔術師の一人だったのですよね?」
首を傾げたリーフェットに、アンがまた微笑む。
頭を撫でる手は優しくて、リーフェットはうっとりした。
「だとしても、僕は誰にでもそうしただろう。僕はあの国の魔術を司る王で、本来の座からは追われたにせよ祝祭の主人だ。僕の国に学びに来た自分の系譜の愛し子がいれば、そしてその子供が寄る辺なく孤独であれば、せめて一度くらいは導こうと思うだろう。………けれども、それは通りすがりの善意だ。僕は君の友人でも家族でもなかったし、君の人生は君のものだった」
「そして、私はせっかく道を示して貰えたのに、まんまと転がり落ちました。私を利用しようとした人達に強要されたと言えば誤魔化せるかもしれませんが、………実際には、あの頃の私は怖くて何も自分で考えられなかったのです」
「………そうだね。多くの者達はそう言うだろう。でも、あの裁判で君と再会した僕は、そうは思わなかった」
「同情して下さったのですか?」
思わずその問いかけをしてしまってから、リーフェットは少しだけ怖くなる。
でも、きっと今は変わらないから、答えを聞こう。
「いいや。反省した。…………愕然としたと言ってもいい。僕は祝祭で、祝福を齎して災いを鎮めるものだ。正しい場所を追われても、その在り方にはずっと誇りがあった。あの国の王となったのも、僕に親しみを持ち、僕を呼んでくれた人達により良い生活をさせてあげたかったからだよ。僕は、魔術を司る祝祭のひと柱でもある。だから、彼等の生活を助け、より多くの事を教えてあげたかったんだ」
「………反省?……したのですか?」
「そんな役割を持つ僕が、君を災いに貶めてしまったからだ。……君は、僕が見逃してはいけないくらいに大きな力を持ち、僕がきちんと鎮めるか、僕の手元で育てて祝福を齎す者にしなければいけなかった子供だ。………それなのに、僕は君を守れなかった」
「では、………責任を感じて私の世話をしてくれているのですね?」
(責任………)
少しだけくしゅんとなったリーフェットのおでこを、アンが指先で撫でる。
くすんと鼻を鳴らして顔を上げると、アンはやはり微笑んでいた。
「最初はね。…………でも、祝祭というものは、相応しい贄や上等な供物が大好きでね。多分、君たちが思っているよりも、簡単に人間に転がされてしまうものだよ。君は、ずっと僕を大事に思ってくれて、僕があんな渡し方をした刺繍魔術を、ずっと宝物にしてくれていた。………それはもう、死の間際までそれを思う程に。………だからね、その時に僕は、多分君に恋をしたんだろう」
「混乱してきましたので、話を整理してみましょうか?」
「おっと、僕が叱られたぞ……」
「これはもしや、お年寄りの話が長い的な…」
「か、簡単に言えば僕は祝祭の主人として、恋に落ちたんだ」
「…………ちょっとよく分かりません?」
経緯がさっぱりだったリーフェットが怪訝な顔をすると、アンは驚愕するではないか。
だが、アンの認識が同情から恋に推移した経緯が、リーフェットには少しも理解出来なかったのだ。
「よくも、渾身の告白の直後に、一番言われたくない返事をしたな………」
「恋………というのは、恋愛的な?」
「……………だと思う」
「この質問に於いて、最も返してはいけない返答ですよね?!」
「ま、まぁ、そんな訳だ。宜しく頼む」
「突然投げ出した!」
「………いや、君を気に入ったというのは事実だよ。君をあんな顛末に至るまで助けてやれなかった事を恥じて、僕が出来る限りのことをしてあげようと思って追いかけてきたのだからね。だから、いずれは花嫁に迎えようと思う」
「……………いいですか、アン。その結論に至る前に、もう少し何かある筈です」
「え、………人間はそういうものなのか?………ふむ。では、婚約期間を設ける?」
「まだその手前が足りません。人間は、家同士のしがらみや、私のように生きる手段でもない限りは想い合ってから結婚するものです」
恋をしたきっかけはさておき、こちらも大事である。
リーフェットはアンが大好きだが、おかしな流れでこんな結論を出されても嬉しくはない。
それくらいなら、師弟として仲良しでいた方が余程健全ではないか。
「ああ、それなら間違いない。リーフェットが世界一可愛い」
「ちびころ基準だと、犯罪寄りなのですよ……」
「………では、追々育んでいこう。………だって君は、私を誑かしてくれるのだろう?」
「そ、そうでした!アンが私なしでは生きられないように、……………私の面倒を見ようとしたせいであの国を無くしてしまったあなたを、私の魔術で養いたいと思います!」
「ごめんね。刺繍は遠慮させていただこう」
思いを込めた言葉を一蹴され、リーフェットは怒り狂った。
それは覚悟していたが、もう少し言いようがあるではないか。
「が、がるる!」
「話が戻ってきてしまったけれど、僕はほら、悪食になると色々と厄介な祝祭だろう?」
「刺繍ではありません!お菓子で、です!」
「……………お菓子?……………もしかして、君はお菓子を作れるのかな?え、菓子魔術の資格を持っているのかい?」
その時のアンの表情の変化は、見事なほどだった。
驚きの表情の中で、青緑色の瞳がきらきらと光る。
「作れますよ。学院時代に家族からの支援も得られなかった私が、どうやってミモレのタルトを食べられていたと思うのですか?」
「ま、まさか………」
「刺繍糸を買う為に、ミモレでお菓子作りを手伝っていました!雇用の上で必要だったので、低階位ですがお仕事用の魔術資格も取っています!私は、とても器用な魔術師なのですよ!」
「僕のリーフェットは世界一だ!!」
叫んだアンに抱きしめられ、リーフェットはむぐっとなった。
ここは素敵な大人の女性の魅力を見せつける場面なのだが、やっと見付けた大正解に、どうしても顔がふにゃっと笑ってしまう。
「流石に、正規の菓子魔術師程の物は作れませんが、タルトのお手伝いをしていたので、タルトは作れます」
「素晴らしい。果物を変えれば一年中食べていられるじゃないか。僕は、タルトが一番好きなんだ……」
「……………私が捧げるものを正しく収めれば、アンはもう、こんな風に弱ってしまいませんね?」
問いかけた言葉に、アンはなぜか少しだけ考え込む。
それから、にっこりと笑った。
「時々、抱き締めてもくれるかい?」
「………それは、本当に役に立っているのですか?」
「夏至祭は、愛情を司る祝祭でもある。………まぁ、後付けで人間達がそうした訳だけれど。だから、愛情をかけてくれればそれも充分な糧になるよ」
「………むぐぅ」
「取り敢えず、今はこんな状態だ。ここで一度、君を抱き締めても?」
「……………むぐぐ」
「大丈夫だよ。大きくなったら責任を取るから、深く考えなくていい」
「アン。とても危険なので、その言い方はやめましょうね………」
あんまりな言い方なので指導を入れると、アンは不思議そうに首を傾げる。
リーフェットは、外での発言にも気を付けさせなければと遠い目になった。
「え、………そう?」
「場合によっては、法にも触れますよ。………あ!わ、忘れていました!私は、嵐の時は元の姿に戻れました!!戻れていましたよね?!」
「うん。あれだけの魔術を使えば、体に負荷がかからないように無意識に魔術回復を行うのだろうし、それをもう少し工夫すれば、元の姿に戻れるかもしれないけれど、出来そうかい?」
「……………アンが、やり方を教えてくれますか?」
「いや、君の扱う魔術は、難解過ぎて僕にはさっぱりなんだ。嵐の時だって、あの辛うじて時計だと分かる謎の沼刺繍から、よくあんな複雑な魔術を縫い上げたと思うよ」
「がるる!!」
「僕のリーフェットが、凄過ぎるんだってば。………おっと。そう言えば今夜は、王都の広場から花火が上がるらしいよ」
(花火………)
それはまさか、夜空に立ち上がる綺麗な色とりどりの光のやつだろうか。
夜空の刺繍のようだと、本で読んだことがある。
「はにゃび………」
「やっぱり、初めてかな。君がローベアの学院に在学していた時の建国記念日の花火は、雨天中止だったからね。僕はこの通り寝たきりだから、ジスファー公爵にでも付き添って貰って、クレア公爵邸の方から見ておいで」
「………一緒に、見られないのですか?」
「うん。一応はまだ、収穫祭の夜でもあるしね。君が見てきて、僕にどんな花火だったか教えてくれるかい?」
アンがあまりにも自然にそう言うから、リーフェットはその言葉のままに、信じたのだ。
もう、怖い事なんて一つも起こらないと思っていたから。




