9: 王女のお茶会と騎士団長
リーフェットはその日、途方に暮れていた。
騎士団の敷地内で、最近餌付けが完了した灰色の子猫と遊んでいたところ、近付いてきた騎士におやつの時間だと言われて抱き上げられたのだ。
見慣れない美麗な面持ちの男性に、はてこんな御仁がいただろうかと思いはしたが、騎士団の第二席や四席など、未だにリーフェットが対面していない者達も多い。
堂々と騎士団の敷地内を歩いているので、その誰かだろうと考えてしまった。
まさかそれが、第一王女の筆頭近衛騎士という王宮内でもそれなりの地位にある騎士だった為に、その時近くにいた騎士達ではリーフェットを連れ出すのを咎められなかったのだとは思いもしなかったのだ。
「………私を、どこに連れて行くのですか?」
「王女殿下が、君とお茶をしたいのだそうだ。たいへん光栄なことだから、粗相のないように大人しくしているように」
こつこつと、高い天井に靴音が響く。
微かな不安を呑み込み、リーフェットは自分を運ぶ騎士に尋ねてみたが、返答は随分と冷淡で素っ気ないものであった。
騎士棟から離れて王宮内に繋がる回廊に足を踏み入れた騎士に、さすがのリーフェットも気付いて声をかけたのだが、慌てて周囲を見るも、追いかけてきてくれるような騎士達はいない。
「……………騎士棟の騎士さんと一緒がいいです」
「彼等には待機を命じてある。殿下のご命令だ」
「………っ」
誰も追いかけてきてくれなかった理由を知り、リーフェットは青ざめた。
この騎士は、アンやレイヴィアがいないところを狙って来たのだろう。
一瞬、魔術を使ってどうにか出来ないだろうかと思いはしたが、この騎士が王女の手の内の者だと知ってしまった以上、魔術を使って逃げ出すことも難しい。
リーフェットの現在の身体年齢を踏まえると、扱える魔術には適切な上限がある筈なので、それ以上は晒していい手札ではないだろう。
そして、利用可能な魔術の範囲内ではここから逃げ出す事が出来ないのだ。
「レイヴィア騎士団長や、アン先生から、他の王族の方にお会いする時にはそちらを通すようにと言われています。お二人を呼びますので少し待ってくれますか?」
「心配しなくてもいい。彼等も招いてある」
「ですが、…………っ、」
(絶対に嘘だわ…………!)
見え透いた言い訳に、思わず顔を強張らせてしまう。
リーフェットがそれでもと言葉を重ねようとすると、王女の近衛騎士は僅かに顔を顰め、抱き上げているリーフェットの腕を強く掴んだ。
ただでさえ、小さな体なのだ。
騎士の手でぎゅっと力を込められると、それだけで悲鳴を上げたくなる。
痛みに蒼白になったリーフェットを冷ややかに一瞥すると、その騎士は王宮内を通り抜け、どこかの庭園に出た。
(…………痛い)
掴まれた腕がずきずきとしている。
泣いてしまったら馬鹿にされるだけだろうに、小さな子供の姿でいたのにこんな簡単に傷付けられたことが悲しくて堪らない。
(おかしいな。以前の私は、こんな風に泣いたことなんてなかったのに………)
鞭打ちで手のひらの皮膚が裂けても、雪の中に放り出されても、凍えるような塔の中に閉じ込められても、リーフェットが泣くのはいつも一人きりになってからで、こんなに弱くはなかった筈なのだ。
それなのになぜ、こんなに弱くなってしまったのだろう。
あの処刑の夜に沢山泣き過ぎたせいで、涙の栓が壊れてしまったのだろうか。
(…………あ、着いてしまった)
痛みと混乱をなんとか鎮めている内に、騎士がリーフェットを運んだ先には、石造りのガゼボがあった。
白灰色の石材は僅かにざらりとした風合いで、この国でよく見かける赤紫色の蔓薔薇が巻きつき、美しい花を咲かせている。
そこでリーフェットを待ち構えていたのは、けぶるような金糸の髪のたいそう美しい少女で、こちらを見ている瞳はふくよかな紫色だ。
歳の頃は、リーフェットの本来の年齢と同じくらいか少し年下だろうか。
確かに祝祭の主人の庇護を受けていてもおかしくないだけの、類稀なる美貌の持ち主ではないか。
「やっと連れてきたのね。……………ふぅん。騎士達が持て囃していると聞いたけれど、普通の子供じゃない。少しも洗練されていないし、さして美しくもないわ」
「挨拶も出来ないのか」
「…………っ。……………リーフェと申します。王女様」
騎士に冷たい声で催促され、慌てて不躾な眼差しでこちらを見ている王女に挨拶をする。
わざと舌足らずな喋り方をして名前を曖昧にし、完全な名前を自ら差し出さないようにした。
王女の後ろには、護衛騎士と思われる男性が二人立っている。
テーブルの隣には従僕らしき美しい青年がいて、五人の侍女達はガゼボを出て少し離れた位置に立っていた。
これだけの人数に囲まれるとさすがに怖くて、ごくりと息を呑む。
(それに、アンは懐疑的なようだったけれど、これだけ美しい子であれば、祝祭の主人に見初められてもおかしくはないわ)
力を持つ人外者が王女の背後にいるのなら、自ら名乗って名前を渡すような行為はあまりにも危険だ。
どうにかして、誰かが迎えに来てくれるまでの時間を稼がねばならない。
そして、この王女が本物の祝祭の庇護を得ている可能性が出てきてしまった以上、ますます魔術を使う訳にはいかなくなった。
今のリーフェットには、王女の周囲の人間の誰かが、祝祭の主人かどうかさえ分からないのだ。
(……………相手が高位の祝祭の主人だった場合、もしもという時は隙を突くしかない。私が使える魔術がどのようなものなのかは隠しておかなくちゃ)
リーフェットを上から下まで観察すると、王女は興味を失くしたように椅子に座り直した。
お茶会という名目だった筈だが、リーフェットに着席を勧める気配はなく、茶器なども一人分しか用意されていないようだ。
リーフェットはただ、王女の護衛騎士の手で検品される品物のように王女の方に向けられていて、先程掴まれた腕が今も痛む。
ややあって、優雅な仕草で紅茶を飲み終えた王女が、こちらを見て艶やかに微笑んだ。
「……………仕方がないわね。お前、私の侍女に面倒を見させてやってもいいわよ。ギャレリーアンは、お前の師なのでしょう?彼も含めて私に傅くなら、私のお気に入りの中に加えてあげるわ」
「…………申し訳ありません。私にはよく分かりません」
「はっきりしない返事を私に聞かせないで。お前はただ、光栄ですと答えればいいの」
「私には…」
「殿下のお心遣いを、無下にするつもりか」
「…………っ、」
今度はがくんと揺さぶられ、リーフェットは思わず騎士の腕にしがみついてしまった。
こんな形で命運を預けるのは不本意だが、ここでガゼボの石床に勢いをつけて落とされたら、無事では済まない。
(でも、同意と取られるような発言だけは、してはならない)
王女の狙いはまさにそこなのだろう。
何も知らないリーフェットの同意を取れば、それは即ちアンにも責任が生じる。
子供が頷いたので準備を整えてしまったとでも言われたら、アンは王女に謝罪をせざるを得ないのだ。
「……………ギャレリーアンはあんなに美しいのに、お前は醜いわね」
不意に、王女にそんなこと言われた。
そのくらいのことは充分に承知しているのだが、これだけ美しい少女に嫌悪感も露わに言われると小さな棘が胸に刺さったような気がする。
悪意や嫌悪感を向ける相手に対し、自分を誇れるものや戦える材料がない。
そんな事実はいつだって、リーフェットの心をずたずたにするのだ。
思わず視線を彷徨わせたリーフェットに気付いたのか、王女が愉快そうに笑う。
「お前みたいな子供が、彼の側に居て何が出来るというの?弟子だと聞いたけれど、彼に足りるだけの何を持っているのかしら。見栄えもしないし、満足に受け答えも出来ない。おまけに、仕える相手に対して相応しい敬意も払えないだなんて。……………彼の足を引っ張るばかりなら、今すぐ、師弟の縁を切りなさい。役にも立たない子供の我が儘で、彼が私の手を取るのを躊躇っているのだとしたらあまりにも気の毒でしょう?」
「わ、分かりません」
真っ当な受け答えをすれば、責め立てられるばかりだ。
だからリーフェットは、会話の内容があまり理解出来ていないふりをした。
王女の言葉はあまりにも一方的ではないか。
本来なら、何を言っているのだろうと受け流せた筈なのに、ここ数日少しも進展しない絵の練習を思えば、リーフェットがアンの役に立てていない事も間違いないのだ。
(胸が痛い……………)
不安と、王女の意地悪な指摘が確かに的を射ていることと。
目の前の美しい少女は輝くようで、ずっと日陰にいたリーフェットには眩しくてならなかった。
こちらに来てからは子供姿ですっかり油断していたが、その姿に惑わされない者達にとっては確かに、リーフェットは何の価値もない人間なのだろう。
美しい琥珀色のドレスは、王女自身の華やかさがよく引き立つものだ。
繊細な白いレースに、はっとするような紫の宝石の首飾りはどちらも目の前の少女によく似合っている。
「彼は、美しくて才能のある男よ。あの埃をかぶっているような魔術省の陰気な部屋に、子守りの為に縛り付けていては可哀想だと思わないの?……お前が彼の足枷になって、ジスファー公爵の為にあれだけ身を削る羽目になったのよ」
「………身を、削る」
「魔術顧問に着任してから、あの男がどれだけの時間を執務に費やしていると思っているの?夜会にも出ず、貴族たちの懇親会にも出られず、ジスファー公爵の代わりに働き詰めじゃない。まるで使用人だわ」
(……………あ)
その言葉ほど、リーフェットの胸を抉る一言はなかっただろう。
働く事も出来ないリーフェットの代わりにアンが生活の面倒を見てくれているのに、リーフェットは、身勝手な目的の為に彼の時間を削って魔術の指導まで受けている。
アンを助ける為にと言ってはいるものの、そのような目的は果たされなければ何の意味も持たない。
惨めで恥ずかしくて、こんな場所で泣く訳にはいかないのに、涙が出そうだった。
こうしてすぐに心が揺れてしまうのだから、子供の体は何て不便なのだろう。
「それはどうでしょう、殿下」
静かな声が割り込んだのは、その時であった。
はっと息を呑んだリーフェットは、無理矢理体を捻って振り返った先で、ぞくりとするような冷ややかな目をした後見人を見付ける。
これまで、レイヴィアを氷の騎士だと思った事は一度もなかったが、漆黒の騎士服の騎士団長は、初めて見るような鋭い眼差しであった。
先程まで嫣然と微笑んでいた王女も、氷の騎士団長には思うがままに振る舞えないのだろうか。
王女が僅かに眉を寄せて不愉快そうな表情になると、レイヴィアは、慇懃無礼にも取れる程の凍えるような無機質な微笑みをこの国の王族に向けた。
「ご存知ないのであれば不幸な事ですが、どのような者にも、その誰かがいるからこそ生き甲斐になるという存在がいるものですよ。それに、あのような男は、彼女に安定した暮らしを送らせたいという思いがなければ、とうにこの国から出て行っていたでしょう」
「……………無粋な訪問ね。ここは、私の庭だということをお前は忘れてしまったのかしら」
「存じ上げております。ただ、幸いにも俺は、この王宮のあらゆる場所に立ち入る許可を得ています。何しろ、この王宮の警備の責任者ですからね」
「その権限を持つのであれば、騎士団を私兵のように扱う、お前の父親も諫めるべきね」
「おかしなことを仰りますね。……………俺は、例え父であろうとも、騎士団長としての任務に踏み込ませるつもりはありませんが。そのような事実があるのなら、正式に書面で抗議下さい」
「わ、私に、お前達と同じような手続きを踏めというの?!」
「王族でおられるからこそ、相応しい行いをするのは当然なのでは?陛下ですら、ご意見を通される時には議会にかけられているでしょう。……………そして、我々騎士団が信用ならないようであれば、殿下のお住まいになる離宮の警備は、少し騎士の数を減らした方が宜しいでしょう。女性は殊更に繊細だとお聞きしますから、お気に障らぬようにいたしましょう」
「お前はいつも…………!」
反論する事も出来ずに言われるがままだったリーフェットに対し、レイヴィアの舌鋒は鋭いどころではなかった。
王族相手にここまで言ってしまって大丈夫なのだろうかと不安になったが、王女の反応を見ていると今日が初めてという訳でもないようだ。
薄く微笑みを浮かべたレイヴィアに対し、王女は憎々し気な顔で騎士団長を睨みつけているが、ではそんなものは減らすがいいとはさすがに言えないのだろう。
リーフェットを掴んでいる近衛騎士のように王女派の騎士もいるようだが、どうやら、離宮の警備の人員などは騎士団から派遣されているようだ。
「……………さて。特に目新しいご提案がなければ、彼女を返していただきましょうか。後見人である俺の許可なく、議会の決議で定められた領域の外に連れ出すとは、浅慮にも程がありますよ。……………あまり宜しくないものを怒らせませんように」
「……………馬鹿な男ね。私は、祝祭の主人の庇護を受けているのよ!」
「かもしれませんが、この世界はそれが全てでもないでしょう。例えば、俺は片側の血筋が妖精ですが、陛下にもかつて妖精の伴侶がいました。俺が、そちら側の領域である程度の自由を得ている事も、ご存知の上かと思いますが」
柳眉を吊り上げて激昂する王女は、それでも美しかった。
その迫力に圧倒されそうになりながら、今度はレイヴィアが思わぬ話題を持ち出したことにも驚く。
「知っているわ。けれども今回、お父様は、私に嵐の対策に関わる任命権を授けてくださった。お兄様たちがあまりにも不甲斐ないので、そろそろ後継者の入れ替えも視野に入れられているのでしょう。……………お前は忘れているようだけれど、お父様の側妃には、妖精の女王もいたのよ?」
「存じておりますよ、殿下。あなたがご存知でなかったのが残念でなりませんが、彼女は俺の母親ですから」
「……………え」
(……………ええ?!)
リーフェットも驚愕の事実だが、王女も初耳だったらしい。
国王とクレア公爵の関係はどうなっているのだと思わずにはいられないが、まず理解するべきは、ここにいるレイヴィアが妖精の女王の息子だということだ。
妖精は女性が力を得やすい種族で、一般的に、妖精の女王の子供であるという表現は、その妖精の氏族の最高権力者に近しい立場だと明かすことに他ならない。
国の騎士団長の母親が父の側妃だったことも知らないのはあんまりだが、幸いにも、王女はそのことは知っていたのだろう。
ぐっと薔薇色の唇を噛み締めてレイヴィアを睨んだが、何も言わずに立ち上がると、後ろに控えていた侍従や他の騎士達を引き連れてその場から立ち去った。
おろおろしている内にその場に残されてしまった近衛騎士は、リーフェットの受け渡しの為にレイヴィアと向かい合わせにならざるを得ず、死にそうな顔をしている。
おまけに、またしても腕に力を籠められ、リーフェットが腕を痛がる素振りをしたことに気付いたレイヴィアが無言で首を傾げると、このまま死んでしまうのではという顔色になった。
「……………なぜ、彼女は腕を痛めているんだ?」
「さ、さぁな。遊んでいてどこかで痛めたのではないか?」
「リーフェット?」
「この騎士さんが、私を黙らせようと、腕をぎゅっとしました」
「それは、ルスフェイト国の騎士として、恥ずべき無能さだな。……………俺は」
直後、がつんと物凄い音がして、レイヴィアの腕に引き渡されたばかりだったリーフェットは目を丸くした。
見れば、先程までリーフェットを抱いていた騎士が、体を折り曲げてしゃがみ込み、苦痛の声を上げている。
(え、……………な、何が起こったの?!)
がしゃんと、レイヴィアの腰に下げた剣の鞘が音を立てたのはそれで何かをしたからだろうか。
それとも、先程とは立ち位置が変わっているので、足でどうこうしてしまったのだろうか。
どちらにせよ、近衛騎士には抗う余地もなかったようなので、圧倒的な力の差である。
「…………この王宮を任された騎士団の長として、騎士の精神すら持たない者は見るに耐えない。今度、騎士棟で再教育をしてやろう。……………それと、妖精は人間に最も近い隣人だが、最も人間を呪う隣人であることも忘れずにおいた方がいい。残念ながら俺は、ベルティーナ王女殿下の庇護にかかわらず、祝祭の資質に左右されるような氏族ではないからな」
「……………ふぁ。走って逃げました……………」
「……………やれやれ、目上の相手に対し、退出の挨拶すらまともに出来ないのか」
「あの方は、私に全く同じことを言ったのに、ご自身は出来ていないのですね」
「………リーフェット、来るのが遅くなってすまなかった」
静かな静かな声に顔を上げると、先程までのよく磨いた刃のような目をした騎士はもういなかった。
こちらを見ているのはいつものレイヴィアで、どこか悲しげにリーフェットが痛めた腕を見ると、拳が握れるかどうか、肩が上がるかどうかを試させる。
柔らかな午後の風にさわさわと庭園の花々が揺れていて、馨しい薔薇の香りがする。
そこに僅かに重なったのは、陽光に温められた干し草のような不思議な香りであった。
(……………もしかして、王女様は本当に祝祭の庇護を受けているのかしら。それともこれは、レイヴィア様の持つ、妖精としての系譜や属性の香りなのだろうか)
人外者に正体を問うのは、不敬とされる。
相手が王族であれば尚更で、何を司るものなのかを尋ねる為だけに寿命を削るような対価を支払うという話もあちこちから聞こえてくる程だ。
魔術師であるリーフェットはそれを知っていたので、この本来であれば瑞々しい花々の香りしかしない筈の庭園に香る、麦穂のような香りはあなたのものですかとは訊けなかった。
「いいえ。来て下さって有難うございます。目を付けられたくなかったので、魔術も使えずに逃げられませんでした」
「君は敏いから、そうしてしまうだろうと分かっていた。………だが、もっと派手に俺やアンブランを呼んでも良かったんだぞ?多少の問題くらいなら、こちらで何とでも対処する」
「……………でも、アンは既に嵐への対策を命じられて、随分と無理をしています。これ以上負担をかけるのはちょっと……」
「彼に遠慮したのなら、俺をここに入れる為に、第一王女の庭園の結界を緩めたのは彼だぞ」
「…………騎士団長は、どこにでも入れるのではなかったのですか?」
「そう言われてはいるが、ここはさすがに女性王族が個人で所有する庭だからな。本来であれば、訪問の許可を取るまでは入れない」
「そうだったのですね……………」
それなのにあんな風に言ってのけたのかと呆然としていると、くすりと笑ったレイヴィアが指先でリーフェットの腕にそっと触れた。
触れたところがしゅわりと光り、お湯で濡らしたタオルを載せたかのような不思議な熱が広がってゆく。
「……………もしかしてレイヴィア様は、治癒魔術が使えるのですか?」
「ああ。とは言え、欠損の修復とまでなるといさささか自信がないがな」
「それはもう、物凄く充分な範囲なのでは………」
「いや。今回は充分ではない事も多かった。君が連れ出される事がないように、王女殿下の近衛騎士に抗議出来る立場の騎士を騎士棟に残しておくべきだったし、それが難しいならアンブランに相談するべきだった。……………俺の不手際だ。すまない」
「いいえ。そもそも、私がご迷惑をおかけしているので…」
「リーフェット、俺は君の後見人だが?」
「ぐぅ………」
レイヴィアが手を離すと、リーフェットの腕はもうどこも痛まなかった。
ふと、アンの体調の事をこの人に相談してみたらいいのではないかと思ったが、まだそこまでレイヴィアを信用出来るかどうか分からない。
そう考えかけてから、アンが自分に何かを隠していてもそれはいいのかなと目を瞬いた。
(でも、……………もし、アンが私をきちんと処刑する為にここまで追いかけてきていて、何か理由があってそれをまだ隠しているのだとしても、それはなんというか、…………嘘や裏切りとは違うような気がする)
かなり贔屓目なのかもしれないにせよ、それは手段と経緯だと思うのだ。
アンの言う通り、リーフェットが自分の魔術に責任を持たなかった事で被害を受けた人達が、一番謂われなき被害者である。
生き延びる為に逃げるという選択肢はリーフェットのものだが、同時に、アンを憎んだりするのも少し違うという気がした。
(だから私は、アンの真意がどうであれ、今の彼が抱える問題を私が解決しようと思っている。その結果、アンが私を側に置いた方がいいと思わせれば、私の勝ちなのだわ!)
ふんすと胸を張ったリーフェットを不思議そうに見ていたレイヴィアが、リーフェットの頬を指先でつんと突くではないか。
これはかなり高い確率で騎士達にやられる攻撃なので、リーフェットは恩人を威嚇をするべきかどうか暫し悩んでしまった。
「リーフェット、俺を様付けで呼ぶ必要はないんだぞ。後見人だろう」
「貴族の女性であれば、後見人のこともそう呼ぶのが普通なのではないでしょうか…………」
「はは、手強いな。さて、帰ろうか」
「はい!………レイヴィア様、迎えに来て下さって、有難うございました」
「うーん。やっぱり様付けか……」
王女の庭園を出たところで、アンが待っていた。
仕事を抜け出してこちらに駆けつけてくれたというリーフェットの先生は、僕はその区画への立ち入り許可を持っていないからねと寂し気に微笑む。
レイヴィアを通す為にどれだけの魔術を切り出したのかは不明だが、リーフェットは、王女に言われた言葉を思い出しながら今日はアンが体調を崩さなければいいなと考えた。
レイヴィアに全てを話す訳にはいかないのだとしても、健康の為に先生にカーテンの散歩をさせている作戦が有効かどうかくらいは相談してもいいのかもしれない。




