9:囲い船
元亀三年(1572年)六月。
坂本城の船着き場に、一隻の船が引き揚げられている。
淡海の船は、外洋をゆく船とは違う。底が浅く、平たい。
淡海の船は、河川をゆく船とも少し違う。大きな帆をたてる。
淡海には、波がなく、流れもなく、そして広いこと。
淡海には、風雨強き時に素早く上陸できる津も多いこと。
これらの条件が、淡海の船を海とも川とも違う、独特の形状としていた。
船には、坂本の船匠に加え、堅田の殿原、信長がつけた織田の与力らが乗り込んで、大掛かりな改造を終えた船のあちらこちらをいじっていた。
金造と日之介は、坂本城の石垣の上から、その様子を眺める。
「舷側に木の枠を立て、まるで箱だな」
「それがしも、見るのは初めてじゃ。囲い船、というらしい」
「ふむ。言われてみれば、たしかに船を囲う感じだな。しかし、あんなに上にあれこれ乗せて良いのか。風でひっくり返ったりはせんのか」
「わからんが、波が荒い北の海では絶対に使いたくないな」
生まれ故郷である越前を思い出し、金造はしみじみとした口調で言う。
船着き場で船を見ていた地侍が、石垣の下から日之介と金造に声をかける。
「この淡海なら、そうそう転覆はない。が、ちょっと重くなりすぎだな。舟戦には向かぬだろう」
「これは猪飼殿。頭上から失礼いたします。此度は船の手配、ありがとうございます。助かりました」
「よいさ。どうせこいつは、元は比叡山の衆徒の船だ。自分の船でやれと言われたら、さすがのわしも、二の足を踏む」
淡海の水運は、殿原と呼ばれる、津に割拠する地侍によって営まれている。
比叡山が焼かれた時、坂本を拠点とする船は堅田など他の津へと逃げた。
その中の一隻が、紆余曲折の末に、猪飼に引き取られ、こうして坂本城に戻ってきて改造されたのだ。
船の改造に必要な資材と銭は、金造が手配した。
日之介と足軽たちも、比叡山から木を切り出して手伝いをした。
「それにしても、珍妙な形状だな。尾張ではこれが普通か」
「いえ、美濃のものだそうです。美濃の一色式部大輔が、信長様との戦で使ったものだとか」
「ほほう。ということは木曽川の川船か」
「はい。織田様の軍が中洲で、木曽川から囲い船に鉄砲でさんざんに打たれて崩れたと」
上洛前の永禄九年(1566年)八月。
美濃に侵攻した織田勢は、木曽川の渡河点で足止めされているところを、迎撃に出た斎藤勢の囲い船による攻撃で打ち破られた。後にいう河野島の戦いである。
織田方は士気喪失による撤退だ。人的被害はさほどもないが、こちらの弓矢も鉄砲も物ともせず、水上から一方的に撃ちまくる囲い船は、信長に強い印象を与えた。
──あれが欲しい。
生来、好奇心の強い気質である。
信長は周囲にそれとなくおねだりしてみたが、木曽川が完全に織田方の勢力圏に入ってしまうと、囲い船は無用の長物である。
伊勢で織田の水軍を率いる九鬼嘉隆にも話を持ちかけたが、感触はよくなかった。
小舟を改造して囲い船を作ってみた嘉隆は、重心が高く不安定であること、速度が遅く火力を有効に発揮できぬことを信長に言上した。
──近くに敵がいること。敵の逃げ場がないこと。条件が二つ揃わねば駄目か。
嘉隆の報告を聞いた信長は、頬杖でため息をつき、囲い船の件はそれきりとなった。
元亀元年(1570年)、浅井の裏切りによって淡海の制海権が必要になった時、信長はすぐに囲い船の建造を命じた。
しかし、近江の国衆にとって織田家の命令は「怖いから従う」ものでしかない。実現が困難であれば「怖いから従うフリをする」に棚上げされてしまう。どうなったかと強く求めたところで、のらくらと実行せずに言い訳を重ねるだけだ。
そのことを光秀に指摘され、信長は怒った。
囲い船の実現が困難なはずがない。美濃で一色大輔こと龍興がやっている。珍奇な船ゆえ操船など運用面での困難は多いだろうが、現場の創意工夫でやれるはずだと。
「船乗りにとり、船は己の城みたいなものです。使い途の限られる囲い船に改造しろと頭ごなしに命じても、うまくいきますまい」
苛つく信長を、光秀はそう言って宥めた。しかし、信長に潤潤瞳で見つめられ、手を回す。比叡山が焼かれ、船で坂本から逃げて堅田に身を寄せた衆徒がいるのを突き止め、罪を免じる代わりに船を差し出させたのだ。この時に、両者の間に立ったのが、地元出身の猪飼昇貞である。
バァンッ!
大きな破裂音が響いた。
煙が上がり、すぐに風で吹き散らされる。
黒色火薬の臭いが、石垣の上まで漂ってくる。
囲い船に向けて、鉄砲を放ったのだ。
周囲の男たちが、囲い船に駆け寄る。
「どうだ?」
「命中してる」
「表の板は貫通したな。やはり薄いか」
「裏の竹束はどうだ。振ってみろ」
竹束から、鉛玉が落ちた。
鉛玉を拾おうとした男が悲鳴をあげた。指を火傷したのだ。
慌てて湖面に走る男が滑稽で、周囲の者がドッ、と囃す。
「何やってんだ。鉄砲から放たれた玉が熱いのを知らないのか」
「日之介も同じことをしてなかったか? ほれ、京の屋敷で殿が鉄砲を試し打ちした時に」
「知らぬな」
「それがしの帳簿には、日付も書いてある」
「なにっ、帳簿にそんなことまで書いてあるのか。よこせ! 消せ!」
日之介が後ろから金造を捕まえ、懐から帳簿を抜き取ろうとする。
「わははは。だめじゃだめじゃ。何年も前のことゆえ、その帳簿は京に置いてあるわ」
「嘘ではあるまいな」
「書いてあるのは殿が鉄砲を撃たれた日付とかかった銭だけじゃ。が、それだけあれば、日之介が飛び上がって悲鳴をあげた様子はすぐに思い出せるわ」
笑い続ける金造の首を、日之介が後ろから太い腕で軽く締める。
二人がじゃれる石垣の下で、猪飼が腕組みをして頷く。
「うむ。思った通り、竹束は役に立つな」
竹束は航海時には船底に伏せ、敵に近づいたら船縁の囲いに立てる。
手間はかかるが、重心を少しでも下げておくための工夫だ。
日之介の腕の中でもがいていた金造が、石垣の上から猪飼に声をかける。
「どうですか、猪飼殿。何隻か囲い船に改造できそうですか」
「そうさな。後でわしがあの船に乗って堅田まで往復してみせ、あちらでも鉄砲と矢で打たせてみれば……うむ。十隻までなら問題あるまい」
猪飼は、堅田の殿原衆を説得する手間を考えてから請け負った。
自身も熟練した船乗りである猪飼の言葉には重みがある。
何より囲い船の実物があり、触ることができれば頑固な船乗りたちも納得しやすい。
「では、改造に必要な資材と人足は、坂本城に集めておきます。日之介も頼むぞ」
「おう。木材の切り出しならば、任せておけ」
一ヶ月後の七月。堅田の殿原衆が乗り込んだ十隻の囲い船は、織田勢による小谷城攻めに呼応する形で坂本城から出港した。これに光秀も同乗する。
囲い船は海津、塩津、竹生島を湖上から矢や鉄砲で襲撃した。
二日後、囲い船に乗った光秀が坂本城に戻ってきた。
金造が出迎える。
「殿、どうでしたか」
「幾度か撃たれはしたが、大したことはない。船の囲いの内から、さんざん撃ちすくめてやったわ。東岸の奴原め、肝をなくしたようじゃったぞ」
「それはようございました」
光秀は、満足しきった顔だ。額もテカテカしている。
久しぶりに、そして銭について考えることもなく、存分に鉄砲を放てたのだ。
「やはり、城攻めには大筒だな。甚介殿に借りて撃たせてもらったが、手応えが違う。うちでも何丁か揃えたいものだ」
「では、後で猪飼殿にお礼がてら文を出し、大鉄砲について教えていただきましょう」
甚介は猪飼昇貞の通称だ。
「頼むぞ。銭はかかるかもしれんが、使い勝手を考えるとお得だ」
「囲い船の方はどうでしたか」
「東岸の衆はろくに撃ち返してこなかった。つまり、そういうことだ」
淡海の西岸と東岸である。情報はあっという間に伝わる。
鉄砲も火矢も通らない──という触れ込みの──囲い船の噂は、この一ヶ月で東岸の殿原衆にも知れ渡っていた。
東岸の衆は、陸が浅井の勢力圏であるから従ってはいるが、忠誠心までは持たない。北近江において、浅井は有力国衆の中から抜きん出ただけの存在だ。従わねば後が怖いので、従っているだけである。
囲い船の出現は、東岸の殿原衆が浅井に対して「怖いから従うフリをする」に切り替える、よい機会であった。
「皆が思ったはずだ。こうなっては浅井に勝ちの目はないとな」
「では、このまま我らの勝ちでしょうか」
金造の何気ない言葉に、光秀の額がさっと翳る。
「うーん……そうなる、はずではあるんだがな……」
「殿? 何か気がかりなことでも?」
「どうにも公方様と信長様との間が険悪になってきてな」
「また公方様が何かなされたのですか?」
「いや……今回は、信長様の方でな……」
「はい?」
金造は首をひねった。
光秀はかいつまんで説明する。
比叡山を焼いた後、天下で織田の威勢は昇る一方だ。国衆や公家のみならず寺社や商人にも、織田を頼るものは多い。頼る全員が内心で織田を嫌っているだろうが、権力者に対する扱いは、そういうものだ。
逆に、本願寺、三好、六角、浅井、朝倉といった小規模勢力は、単独では織田に抗しきれず、反織田として合従している。そして反織田が、まとまる旗印として頼ろうとしているのが今の公方、足利義昭である。
「反織田方の全員が、旗印にしようとしている公方様と今まさに戦ってますよね。公方様はそれでいいんですか」
「いいのだ。天下では、敵と味方の境界線はぼんやりしている。京には朝廷があり、形の上で朝廷の下に天下万民は平等だ。朝廷に弓引くのでない限り、敵も味方もない」
「商売も同じです。銭の下に天下万民は平等です」
「織田の旗印だな。ああいう洒落っ気は、信長様らしい」
ふ、と光秀が微笑む。
「天下から、そして朝廷から離れるほど、敵味方をはっきりさせる傾向がある。古くからの大名はどこも分国法を定め、領域の一円支配を進めている。国境の両属も、いずれはどちらかに併合される。信長様は天下と地方の、ちょうど狭間だな。敵味方が曖昧なことを頭では理解しているが、心の内で好むことはない」
「公方様は違うと」
「違う。足利家の家風だな。敵味方が曖昧なままであることを、受け入れておられる。それが信長様の癇に障る。加えて、信長様にいらぬことを吹き込む輩が大勢おる。公方様の悪しき噂を、事あるごとにお耳に吹き込む輩がな」
「まさか。信じてはおられますまい」
「だが、利用しようとされておられる。噂を信じた風体で公方様との関係を悪化させ、非を鳴らし、旗幟を明確にしていただこうと」
「それは……危険の方が大きいような……何も今、やらずとも。一年か二年かして、浅井が屈服し、朝倉と和議が成った後にした方が……」
「わしもそう申し上げたのだが、信長様は自分はもう若くないし、元気でいられる間に諸問題は片付けて奇妙丸に継ぎたいとそう仰せでな」
「なんと……」
「信長様は、お父上が若かったからな」
織田信長、この年に数えで三十九才。
三十代後半から四十代前半は、いわば働き盛りである。肉体も精神も賦活し、全力で働ける年代だ。
同時に、若い頃には平気であった無理がきかなくなり、ひょんなことで儚くなる年代でもある。
信長は、父信秀が四十代前半で病没し、若くして家督を継承した。
父が無理にまとめていた尾張国内での騒乱。弟を含む一族内での骨肉の争い。
信長と家臣団を鍛え上げ、飛躍に繋げた争いの日々。だが、その日々を信長は好んではいなかった。一歩間違えれば破滅と裏返しの日々だったのだ。
子煩悩な信長は、我が子同士が争った挙げ句に家が絶える未来をなんとしても避けたかった。
信長にしてみれば、比叡山を焼いたことで自分に悪い評判が定着した今こそ、我が子へ明るく綺麗な日々を継承させる絶好の機会だった。
「比叡山を焼いた悪評の効果が続いている間に、公方様も脅して屈服させ、織田との上下関係をはっきりさせたいのだろう」
「信長様にお立場があるのはわかります。ですが、今の公方様も御兄上のことがあります。ここで膝を屈することへの懸念は大きいかと」
幕府という神輿は、複数の有力者が担ぐことで安定する。
有力者同士に諍いがあっても、担がれた公方が裁定をくだせるからだ。
しかし、応仁の乱より後、在京して神輿を担ぐ有力者は減る一方だ。
三好長慶が天下人になり、ただ一人で神輿を担ぐようになってから、幕府の安定性は完全に失われた。挙げ句、長慶の死に巻き込まれるような形で、義昭の兄の義輝は暗殺されてしまう。
織田との関係がそうなる前に、幕府の担ぎ手を増やしたいのが義昭の偽らざる気持ちであろう。
「天下から遠ざかるほど、幕府と公方様には担ぐ価値がでる。武家の棟梁に奉仕し、官位や偏諱などの権威を授けてもらい、それをもって領内の国衆や荘園への支配を強化する。長尾や毛利のような成り上がりであれば、なおのことだ。だが、天下に近づくほど、幕府と公方様はただの障害でしかなくなる」
「信長様と公方様、これからいかがなりましょう」
信長と義昭。どちらにも理はある。
「わからぬ……が。もし決裂することに相成れば……」
光秀は、額に手をあてて考え込む。
「我らは信長様にお味方する。禍根が大きくなる前に決着させねばな。まずはこの坂本城の守りを万全にするぞ」
「委細承知しました」
金造は覚悟を決め、頭を下げた。