5:勝軍山城の兵粮入れ
元亀元年(1570年)十一月。
下鴨神社の南。鴨川と高野川が合流する場所に、桟橋がある。
人足が川船に入り、米俵を担いで桟橋を踏む。材木がギィと軋む。
米俵は、川岸で待つ馬方のところへ運ばれる。馬方は馬の背に米俵をのせる。馬がブフゥと不満気に鼻息を吹く。
「米俵廿と二! 確かに引き渡したぞ! ええな!」
「明智家の秦創金造が確かに受け取った。巨椋池に戻ったら、こいつを荷方の久兵衛に渡してくれ」
金造がさらさらと筆を走らせた紙を、川船の水夫にわたす。
水夫は、ためつすがめつ紙をながめる。
「これは、なんと書いてあるんや?」
「米俵を受け取ったこと、そして次の輸送の日にちじゃ。三日後までに百の米俵を運んでくれ、とな」
「三日後にまた百俵? あそこ、そないに大勢おるんか?」
水夫が東にある山を指さす。
瓜生山。山頂付近は木々がはらわれ、旗が立っているのが見える。
旗印は、桔梗紋。明智の旗だ。
山の大きさと、旗の数からして、およそ五百。一日で消費する米を六俵とすると、三日で十八。次も同数があれば十分のはずだ。
「いや。運ぶのはあの向こう。宇佐山だ。あそこにある城に兵粮を運び入れる」
「まだ戦いは終わらんのか。どないなったら終わるんや」
「米がなくなればすぐに終わる」
「なんや! わしらが米を運ばんなったら終わりか!」
金造の言葉が聞こえたのか、米俵を運び終えて休んでいた桟橋の人足が囃し声をあげる。金造が生真面目にうなずく。
「そうだ。だから次もしっかり運んでもらうぞ。織田方が負ければ、浅井朝倉の軍勢が京になだれ込む。このへん全部が焼け野原になる」
「そいつは勘弁じゃ。なら、銭もしっかり払ってくれよ。百俵も運ぶなら、人も馬も、しっかり集めんとあかんからな」
「任せておけ。銭を集めるのはそれがしの得意だ」
金造は帳簿をたたいて請け負う。人足たちが、さらに囃す。
金造の内心には、言葉ほどの自信はない。明智家の蔵に金子がどれだけあるか、次にいつ、どれだけ入ってくるかを金造ほどに知っている者はいない。
正直、厳しい。もう一ヶ月か二ヶ月すれば、明智家の金子は空になる。
それでも、自信ありげに振る舞う必要があった。瓜生山の勝軍山城にいる明智軍五百人の食は、金造が握っている。
米がなければ、人は動けない。
銭がなければ、人は動かない。
だがそもそも、人がいなければ米も銭も働きようがない。
そして、自信がなさそうなら、人は離れていくのだ。
「おうおうおう! 明智家の秦創金造殿か! ごくろう! 本当にごくろー!」
甲高い大声が、鴨川のせせらぎを破って響きわたる。
金造が驚いて川面を見る。川下から一艘の船が桟橋に近づいていた。
陽に焼けた小男が、ブンブンと船の上で手を振っていた。男は桟橋が埋まっているとみるや、尻をからげてエイヤと川に飛び降り、危なげなくバシャバシャと水しぶきをあげて近づいてくる。
木下藤吉郎秀吉。明智十兵衛光秀と同じく、京の奉行衆の一人だ。
「木下殿! 横山城におられたのでは?」
「志賀の方が大変なんで、小一郎に任せてきたわ! 金造殿が、いつも米をしっかり届けてくれるんで、宇佐山の衆は、大助かりじゃわ! ありがとうな! 本当に金造殿は銭の上手じゃ! この秀吉、感服するわ!」
「銭に関しては木下殿の足元にも及びません。これからもご指導よろしくお願いします」
「いやー! わしなんか! 信長様に拾われる前は、川並衆みたいなもんよ! 金造殿と同じ年の頃には、木曽川で米俵を担いでえっこらやっこらしとったわ! おうおう、そこらに見えとる衆は、若い頃のわしと同じじゃの! 次も気張って運べよ! 銭は払う! ここにおる金造殿がな!」
人足たちが、やんややんやと喝采する。
「勘弁してください、木下殿」
陽気な小男に、金造はわずかに苦手意識を抱いていた。
弟の小一郎秀長のように、落ち着いた風情の方が金造には気安い。
秀吉の顔が、するり、と近づいてくる。
「心配そうじゃな。安心せえ。堺の衆、こっちについたで」
「本当ですか!」
「久秀殿がな、よう働いてくれたわ。摂津からの米の流れはもう止まらん。米が流れれば、銭も流れるようになる。こっち側はわしらの勝ちよ」
ふっ、と秀吉が唇の端を歪めて嗤う。
人足たちに見せる笑顔とは、まるで印象が違う、昏い笑み。
「ありがとうございます!」
「わしゃあ、光秀殿の描いた図面の通りに動いたまでよ。ほんまものの知恵者は、おんしの主じゃ」
「図面を読めるのも、その通りに動けるのも、秀吉殿の才でありましょう。それがしには、とても務まりません」
「ほっ。ありがとうな。光秀殿も、今頃は柴田様や佐久間様と一緒に六角相手に動いとるはずじゃ。ではの!」
秀吉は濡れた尻をからげたまま、嵐のように去っていった。秀吉の小姓が、金造に丁寧に頭を下げてから、主をスススと追いかける。
三日後の手はずを整え、金造は明智家屋敷へと戻った。
帳簿を開き、挟んだ付箋を元に今日のできごとを清書する。
筆を置き、宙を見て思考を広げた。
いい人ではあるのだ、と金造は秀吉について思う。
秀吉が人足たちにみせる気安い顔は、虚構ではない。秀吉という男は、上っ面で他人を操るような、そんな浅い男ではない。逆だ。深すぎるのだ。相手に合わせて自分の中にある顔を選べるほど、深い。
金造に見せた顔も、秀吉のたくさんある顔のひとつだ。
秀吉の腹の底にある顔を知っているのは、光秀くらいだろう。
同じように、光秀が腹の底に沈めた顔を知っているのも、秀吉だけだ。
チリ、と金造の腹の底が嫉妬で焦げる。
金造は帳簿に視線を戻した。坊主が経を読んで精神を研ぎ澄ますように、金造は帳簿を読んで精神を集中させる。
京がなぜ攻めやすく、守りにくいかといえば、京が大都市だからだ。
応仁の乱の前には、京は十万を数える人口を擁していた。
戦の荒廃で半減したが、少しずつ回復し、今は七万人ほど。
七万の人間を日々食わせる米は、大きく二つの流れで京に届く。
淡海を通ってくる北東ルートと、淀川を遡ってくる南西ルートだ。平時であろうが戦時であろうが、米は京に向かって流れ続ける。
どちらかの流れに乗れば、京を攻める軍は、流れる米をつまみ食いしながら前進できる。これが京を攻めるのが容易い理由だ。
逆に京を守るのは難しい。攻めてくる軍に米の流れを止められるからだ。いかに京に大軍を集めても、米が流れて来なくなれば維持できなくなる。
二つの米の流れのうち、北東ルートは今も朝倉・浅井連合軍によって封鎖されている。
南西ルートも、三好残党によって脅かされていたが、松永久秀の仲介によって堺が織田方についた。これで三好残党の影響力が減少すれば、元のように米が流れるようになる。
流れてきた米を、金造は瓜生山にいる光秀に、そして宇佐山にいる織田方に届ければよい。支払う銭についてはまだ不安だが、秀吉が言うように、米の流れが回復すれば、銭も流れるようになる。金造が流れにうまく棹をさせば、銭を増やすこともできよう。
「だが……そうなると、比叡山の怒りはおさまらんな」
金造はため息をつき、独り言ちた。
金造の帳簿からは、これまで京の米と銭の流れに棹をさして利潤を得ていた比叡山延暦寺の姿が浮かび上がってくる。だが、それはここ数年のことである。永禄7年(1564年)までは、三好家が京の物流を管理していたからだ。
京で一番に「頼りになるお方」の三好一族が長慶の死で内紛を起こすと、京の者たちは比叡山延暦寺を始めとする古刹を頼りにするようになった。
京雀が囃し立てるほど比叡山の坊主が暴利を貪ったわけではない。
三好家が享受していた北東ルートの利権の一部が、比叡山に回っただけだ。
同じように、南西ルートの利権の一部は、本願寺が受け取っている。
永禄11年(1568年)。信長が義昭を奉じて上洛すると、京で一番に「頼りになるお方」は織田となった。光秀や秀吉ら織田方奉行衆の治安維持活動も宜しきを得て、比叡山に流れていた物流管理者の役得としての銭は、織田に流れるようになった。
延暦寺ら寺社の基本姿勢は、不満はあるが、我慢するというものだった。
三好や六角らに押領されていた荘園の年貢を戻してくれるならば、という条件付きであったが。
どの寺も内部は一枚岩ではない。大量の仕事を手分けして行い、師僧が次世代を得度する寺社内部には、必然的に多くの派閥ができる。親織田派もあれば、反織田派もある。
金造がみるところ、光秀と秀吉は、負担の大きい要求をのらくらとかわしつつ、寺社内の親織田の派閥を育てるつもりだったようだ。だが、彼らが親織田派を育てたことで、政治力学の法則に従い、バラバラだった反織田派もまた寺社内で結集してしまう。
元亀元年(1570年)。幕府連合軍の越前からの敗走が、寺社内の親織田派の求心力を下げ、反織田派を勢いづかせた。朝倉、浅井と結びついた反織田の派閥が比叡山延暦寺の与党となった。
今や朝倉・浅井連合軍の兵站は、比叡山が担っている。一万の兵が、比叡山が用意した米を食べているのだ。
米を食べられる限り、本拠地から遠く離れた土地でも兵が動揺することはない。
朝倉・浅井連合軍への米の供給を止めるよう、信長は何度も比叡山に申し入れたが、反織田派が有力となった比叡山が肯んずることはなかった。
ただ、無理もないとは金造でさえ思う。比叡山が「じゃあ、これから米は現銀払いで」と言った瞬間に、タダ飯を食べておとなしくしていた朝倉・浅井の足軽たちが銭と米を調達するため、一斉に略奪に走り出す。連合軍がバラバラになるので織田方としては戦いやすいが、比叡山としては冗談ではない。
(朝倉・浅井との戦がどう決着したとしても……山門とこのままとは、いかんだろうな。我が殿は、はたしてどうなさるつもりか……)
最終的には、淡海の物流を織田が実力で支配するしかない。
湖面に面した要衝に城を築き、部将を入れる。今は宇佐山城しかないが、いずれは坂本にも城を築くことになるだろう。
お膝元の坂本に織田が築城することを、比叡山が許すだろうか。
許さないとすれば、どうなるか。
明智家は政治的、経済的な付き合いで山門に知己が多い。あまり乱暴なことには、なって欲しくなかった。
(そういえば……殿は、禁裏の財源確保の手立てを考えるよう、言っておられたな)
京には、足利将軍を柱とする幕府とは別に、公家や寺社をまとめる朝廷という柱がある。
有力寺社は、天皇家や公家からの出向者を門主としている。幕府が朝廷を手助けして力をつけさせれば、朝廷を通して寺社を管理し、天下静謐に近づけられるというのが光秀の狙いだ。
力とは、銭だ。
銭のない天下静謐は、画餅でしかない。語るに値しない。
(禁裏御料は各地にあるが、アテにはできぬ。武力を持たぬ朝廷は、代官に命じて年貢を納めさせる他ない。そんなものが安定するならば、乱世にはなっておらん)
荘園の年貢を使わず、財源を安定化する方法は、金造の知る限りにおいてひとつだけ。
金貸しだ。これなら元手を用意すれば利ざやで稼げる。
だが、果たしてそれは朝廷がすることを許されるのか。
悩む金造の前に、光秀がやけにさっぱりした顔で現れた。
年々広がるおでこが、つやつやしている。
「金造。おるか」
「とっ、殿っ?! いつこちらに?」
「仕事が一段落ついてな。吉田殿のところで、石風呂を浴びてきた」
吉田神社は、瓜生山の南西にある。
そこの吉田兼和(兼見)は、光秀より少し若い。神主になったばかりだ。
出会ってそう長い付き合いではないはずだが、馬が合うのか、やけに仲がよい。
「仕事というと六角でしょうか。いかがなりましたか」
「おっ、誰から聞いた。秀吉殿か」
「はっ。今日、鴨川の桟橋でお会いしました」
「ははぁ。となると、堺の方もうまくいったな。よしよし」
光秀は嬉しそうに手をこすり合わせる。
光秀は、南近江で反信長の抵抗活動を続けていた六角承禎は、柴田勝家、佐久間信盛らの猛攻を受けてついに信長に膝を屈したと金造に語った。
「六角のような名門はな。名前だけで、国衆が担ぐ神輿の価値がある。殺したところで、名前だけ誰かが継承する。生きて従属してくれるのが一番なんだ」
「南近江を通して、美濃との連絡線も維持できるようになりました。あとは朝倉・浅井連合軍だけですね」
「信長様は、志賀を出て一戦交えるおつもりだ」
「朝倉・浅井が応じますか。彼らに織田と戦って得るものがあるとは思えないのですが」
「比叡山に居座っているだけで、十分だからな。米と銭が尽きるのは、織田が先だ」
桶狭間の戦いのように当主が死ねばともかく、一般的に戦いの勝ち負けは戦争の勝ち負けと直結しない。
四月。金ケ崎の退き口で、織田軍は敗走した。だがすぐに軍を立て直した。
六月。姉川の戦いで、朝倉・浅井連合軍は敗走した。だがすぐに軍を立て直した。
決着がつくのは、片方が軍を立て直せなくなった時で、それは米と銭が尽きた時だ。
朝倉・浅井連合軍は、このまま粘るだけで織田軍の米と銭を尽きさせることができる。
決戦に応じる必要など、どこにもない。
「だが、三好と六角が和平に応じたことで、半分だけでも京に米と銭が戻ってくるようになった。年内に織田の米と銭が尽きることはない。滞陣を来年も続けるとなると、朝倉も浅井も、そして延暦寺側も負担が大きすぎる」
「なるほど。応仁の乱を再びやるのは誰も望みませんよね」
「だが、さすがに織田方は米と銭が心もとない。動かせる戦力は姉川に比べると少ない。徳川様も来ておられんし、たとえ来ても食わせられん」
兵数 × 作戦期間 ≒ 米と銭の量
桶狭間では、信長は動員兵力を最大限にするため、作戦期間を最小限にした。
上洛戦でも、作戦期間を短くするため、力攻めを繰り返した。
今回はすでに金ケ崎、姉川の戦い、摂津での三好残党との戦いと、米と銭をかなり消耗した上での志賀の滞陣だ。作戦の自由度は少ない。
「信長様はどうなされるおつもりでしょう」
「朝倉と浅井に、織田と滞陣を続けるのはイヤだと思わせる戦い方をなさるだろう」
「どういうことです?」
「比叡山と坂本を放置して北上し、後方に回り込む。堅田あたりを攻める。淡海で米を運ぶ船が通過できなくする」
「明智家もそれに参加するのですか?」
「いや。我らは比叡山の裏手に回って、大原あたりに陣を敷く」
「五百で、ですか?」
「朝倉浅井が主力を差し向けてきたら逃げるさ。信長様も、少し戦って不利とみれば引くだろう。米の流れを断てるのはこちらも同じだと思わせれば、戦いに負けても和睦に持っていける」
戦いに勝っても負けても、こちらが望む方向に事態が動けばいい。
光秀の知恵の広さに、金造は舌を巻く思いだ。
「本当の問題は、その後だ。寺社とどう折り合いをつけるか……頭が痛いよ」
光秀が、ふふっと儚げな笑みをみせる。
主のこの笑みが曲者なのだと、金造はあらためて思う。
切れ味鋭い知恵の刃を見せた直後の、この弱気な笑みである。
寺社との折り合いで、何か自分にできることはないか。
金造は頭をひねり、そして思いつく。
「光秀様。まだ考えがまとまっておりませんが、禁裏御料に代わる資金源として、寺社の協力を頼むことになるやもしれません」
「協力を頼む? さすがに銭は出してくれんと思うぞ」
「寺社に頼むのは銭ではなく、人と蔵です」
「ふむ。言ってみよ」
「各地の荘園から禁裏に米を差し出させ、それを寺の蔵に入れます。そしてそれを京の町衆に貸し出し、利ざやを得ます」
「貸付米か。何割だ?」
「三割。貸付と徴収は町組単位とします。細かいところは詰めていかねばなりませんが、おそらく、蔵と人は寺社に頼ることになるかと」
「禁裏には銭だけ納める仕組みか。面白い! いいぞ、金造。木下殿とも相談して案を詰めよ。頼られた寺社は仕事が増えるが、人というのは、自分にできることの範疇であれば、頼られるほどに、嬉しく思うものだ」
「わかります。それがしも、殿に頼られることに嬉しさを覚えます」
「はっはっはっ。わしもな。信長様や公方様に頼られると、弱くてなぁ。特に信長様が、目玉を潤潤させてくると、これがもう、たまらんのだ」
「それがしは信長様にお会いしたことはございませんが、さように面白いお方ですか」
「ああ。喜怒哀楽が人一倍に激しい方でな。金造、そなたも今度、お目通りがかなうようにしよう」
「ありがとうございます。あ、ですが」
金造は気になっていたことを口にする。
「貸付米の仕事は、洛中の寺社にお願いすることになります。山門との折り合いは、この案では成り立たぬかと」
「ああ、それなら気にせずともよろしい」
光秀は、鷹揚にうなずいた。
「比叡山はな。たぶん焼いちゃうことになるから」
そして、テカテカと額を光らせ、爽やかな笑みを浮かべて言った。