40:三職推任
天正十年(1582年)五月七日。安土。
金造は光秀の供として、坂本城から船で安土城に入った。上洛する家康の饗応があるというので、食器や茶器、食材を詰めた箱を持参しての旅である。
手すきの部屋に箱を運び入れたところで、金造は青年に出会った。
ニコニコと笑顔の青年は、年も印象も信忠に似ている。顔は信忠よりもほっそりとしており、美形だ。
「金造。久しぶりだね」
「これは七兵衛様」
金造はペコリと頭を下げた。
七兵衛は津田信澄の通称だ。
信澄は坂本城にほど近い淡海西岸の高島大溝城の城主である。大溝城は光秀が縄張りした城で、信澄の正室も光秀の娘だ。
距離も縁戚も近い。明智家が譜代を持たず光秀の長男が幼いこともあって、織田家中では、いずれ信澄が明智家を継ぐと噂されている。
「七兵衛様も安土に来られていましたか」
「伯父上に呼ばれてね。来月の、四国攻めで三七殿の手伝いをするようにって言われたよ」
「四国攻め、ですか? それがしは、七兵衛様は毛利攻めにご一緒なさるのだと」
「さて。伯父上の中で、何かあったのかもしれない。……ああ、それと。金造に前に出されてた課題。やっておいたよ。添削よろしく」
「わかりました」
金造は信澄から何枚もの書を受け取る。
信澄は、養父の柴田勝家から紹介された関係で、金造から帳簿を学んでいる。
金造は書に記された日付をみて、ニコと笑う。
「……このあたりの課題は武田攻めの最中に解かれていたのですね」
「ああ。宿所の中でね」
信澄は、武田攻めでは信長と共に進軍している。
戦はなくとも、行軍中は細々とした作業で一日が潰れる。
手間と時間のかかる課題を解けるのは、夜、寝所だけだ。
「お疲れでしたでしょうに」
「帳簿は休むことなく毎日つけろ。一日休めば三日ズレる、が師匠の教えだからね。私は師匠には素直に従うんだ」
「師匠としては、鼻の高いことです」
金造と信澄は互いを見て、フフと笑う。
信澄は、飄々としてとらえどころのない性格だ。野心をみせることを避けて生きてきたせいもある。
信澄の父は、信長の弟である信勝だ。
信勝が野心を抱いたのか。それとも、野心を抱いた誰かが信勝を利用したのか。
信勝は信長に殺された。生まれたばかりの赤子は助命され、柴田勝家が養育した。
「では、四国攻めの御武運をお祈りします」
「義父殿は、徳川殿の饗宴に来られたのだったな」
「はい。その後は毛利攻めの手はずです」
「養父上の手紙では、北陸戦線も順調とのことだ」
「天下一統、いよいよ目前ですね」
「従兄殿の武田攻めが節目となった。世の潮流が、あれで変わった」
「誠に。後で添削の結果を届けさせます」
「ありがとう。邪魔をして悪かった。ではな」
金造が饗応の手配をしていると、光秀がやってきた。
顔はニコニコして愛想がよいが、額はテカテカしていない。
信長と会ってたはずだから、何かあったのだろうと金造は思う。
気にはなったが、まずは饗応の準備である。
八日後には、家康が梅雪斎と安土にくる。膳に合わせた食材の準備や、演目の打ち合わせ、人の手配など、やることは多かった。明智家の勝手方として手を抜けない。
光秀と信忠の間では、近い将来に金造が信忠に仕えることが決まっている。ここで饗応に不手際があって信長を不興にさせては、両者の顔に泥を塗ることになる。挑んでの失敗は許すが、手抜きは許さないのが新興武家である明智の家風だ。
(齟齬は必ず発生する。それを大事にせず、些事に留めるのが、担当者の手際だ)
安土城に、普段はいない人が集まり、普段はやらないことをする。
それだけで細かな齟齬はいくらでも起きる。
起きそうなことに備え、連絡網を整え、責任者を配置し、対処の指針を決める。
すべてが明智家内の者であれば問題ないが、他家の者が絡むと、手間が何倍にもなる。
他家への根回しはいつものことなので金造も心得ているが、此度は安土城の者どもがいつもと少し様子が違った。
「……いやもう。公家の女御様、美人なんだけどすげえ癇が強くて」
「……ここに来てからも、かなり待たされてたご様子だからな」
台所で立ち話をしている男二人に、金造が声をかける。
「よろしいか」
「あっ、これは明智家の」「もちろんです」
「饗応に出す予定だった金平糖がなくなっている。何かに使われたか」
二人がバツの悪そうな顔になる。
「実は京から、やんごとなき方が来られてまして」「昨日帰られまして」
「お帰りになるさい、手ぶらとは参りませんから」「金平糖を一包」
二人が交互に口にする説明を金造は聞き、うなずく。
「そういうことであれば、こちらで用意しておいた金平糖を使おう。ありがとう。手間を取らせた」
「あ、いや恐縮です」「よろしくお願いします」
金造は帳簿に付箋を挟み、懐にしまう。
(どうも、城内が浮ついているな)
下々の者というのは、上が思うより周囲をよく見ている。
高貴な方が来られれば、世話のために下男下女が出入りする。様子を伺う。
信澄が口にした、武田攻めで世の潮流が変わったことを、下の者たちは肌で感じていることだろう。
(京からきた、やんごとなき方か。誰だ)
夜になり、人が減り、光秀がきた。
「金造、仕事が一段落したら、一緒に天主に登るぞ。中を見ておけ」
「はっ」
安土城天主は、鑑賞と展示を目的とした天守閣だ。
訪れた人の目を驚かせるための吹き抜け構造。せり出した能舞台や茶室があり、狩野永徳の絵が並ぶ。題材の多くが中華風なのは、信長なりの審美眼か。
饗宴で使う部屋。饗される貴人の近習が控える部屋。金造と光秀は、案内の順路や、人や物をどう配置するか、中を歩きながら確認する。
「高低差が多すぎませんか」
「見栄えを最優先してある作りだからなぁ。途中で、何度か休憩して息を整えられるようにするつもりだ」
「それがよいでしょう」
最上階のすぐ下、八角堂まで見た後で、再び地階にまで降りる。
「どうだ」
「気になるのは、厠が地階にしかないことですね」
「うむ」
安土城天主は洗所と小便所が地階の隅にしかない。
天主の外、門を入ったところにも厠があるが、警備の武士が使うものだ。
「饗応となると、天主には当日、接待役の者たちが大勢入ります。それらの者の待機の時間も考えると、厠を増設しておきませんと」
「目立たぬよう、ずっと控えの間に入っておかねばならんからな」
「控えに携帯用便器、用意できませんかね」
「用意はできるが、臭いが漏れたら饗応どころではなくなるぞ……」
地階をウロウロして、臨時に増設する厠の設置場所や、臭い対策を考える。
こうした打ち合わせは夜にしかできない。昼になれば、天主は来客や世話をする者たちでごった返す。仕事が一段落ついて天主を出た時には、すでに深夜となっていた。半月が比叡山の方角に沈んでいく。
篝火が照らし出す階段を、光秀と金造は降りていく。
「饗応となると、ここを登ったり降りたりも考えないといけないんだよな」
「女性やお年寄りには配慮が必要ですね……そういえば、公家様の女御が来られていたと聞きました。金平糖を土産として持ち帰ったと」
「ふむ」
光秀が足を止めた。
金造が階段を一歩降りたところで見上げる。
「武家伝奏が来られていた」
「勧修寺様ですか」
「うん。帝の上臈局様と、親王の大御乳様のお付きとしてな」
「帝と皇太子の女官が……勅使という形式ですか」
帝と皇太子に仕える女官を伴い、武家伝奏が朝廷の勅を伝える。
実際に話をするのは武家伝奏で、女官は権威付けのために存在している。
さらに言えば勅の内容は、あらかじめ織田の京奉行と打ち合わせし、根回しを終えたものだ。
勅のもつ高い権威を、権威を落とさないように伝えるには、それだけの準備が必要なのである。
なのに──。
「信長様は、お返事にならなかった。勧修寺様は驚いたろうし、女官のお二人は、訝しんだろうな。武家伝奏が根回しをせずに、自分たちを安土まで連れてきたのではないかと」
「それで接待役が金平糖でご機嫌を取ろうとしたのですね。得心しました」
「勅の件で、昼間に信長様と話をした」
「いかなる内容でしょうか」
「信長様に、新たな官職をお勧めする勅だ。今の信長様は官位があっても、右大臣を辞してからは官職のない、いわゆる散位だからな」
「信長様は右大臣、そして右近衛大将でしたよね。新たな官職となりますと、それ以上となりますが……」
信長は、天正九年(1581年)三月に左大臣任官を打診された時には断っている。
「勅で推任の話が出たのは関白、太政大臣、そして征夷大将軍だ」
「征夷大将軍は公方様の官職です。義昭様は鞆におられますよね。そっちはどうされるのでしょう?」
「わからん。義昭様の将軍位は無効と宣言するのか、あるいはそれすらせずに信長様に新たな将軍職を授ける気か」
「それはちょっと雑です」
「朝廷って、ときどきそういうことやるからな」
「ですが、よい機会だと思います。信長様が受けて織田の天下を日本に知らしめ、それからすぐに信忠様に将軍位を移せば、これからは足利にかわって織田が武家の棟梁として日本をまとめる先例となりましょう」
「わしもそう思ったし、信長様に進言もしたが、どうも乗り気じゃなかったんだよな」
「何がでしょう?」
「なんか……そこまですると、本当に避けられなくなるとかなんとか……」
「は?」
「信長様は……少し気弱になっておられるようだ」
「はあ?」
武田滅亡の後、信長が気弱になるような何かがあっただろうか、と金造は考える。
思いつかない。
「毛利攻め、すでに羽柴家の者たちによって根回しはすんでいると聞いております。信長様が将軍になっておいた方が、何かと便利だと思うのですが……」
「わしもそう思うんだがなぁ。あまり強く進言して、ヘソを曲げられてもな」
この時期、秀吉は備中高松城を水攻めで囲んでいる。
高松城への後詰で出てきた毛利輝元ら毛利軍主力は、人工の湖を挟んで秀吉と対陣中だ。
戦の構えは崩していないが、武田攻めの顛末を知った輝元は、織田に屈する覚悟を決めている。
勝頼の武田は、祖父の信虎と父の信玄が二代かけて征服し、統一したはずの国衆や一門衆の裏切りを受け、一瞬で瓦解した。
祖父の元就が一代で急成長させた毛利家が織田とこれ以上戦えば、確実に武田家の二の舞である。国衆や一門衆が毛利宗家に向ける忠誠に、輝元は幻想を抱いていない。源氏の末裔であり甲斐の守護の家柄であった武田家と比べ、毛利家はただの有力国衆だからだ。これまで勝ち戦を続けたことで今も「なんとなく」支持を集めているが、武田を下した信長が出てくれば、ふわっとした支持など一瞬で消し飛ぶ。勝頼が手元に集めておいた人質が一門衆や国衆の裏切りを防ぐ役にまったく立たなかったことも、輝元のこうした判断を補強していた。
──裏切る覚悟を決めた武士を止める方法はない。
──武士が裏切る理由は、裏切った後で選ばれる。
ならば、輝元が率先して織田に降った方が得である。それによって家中に生じる反発と不満は、信長率いる西方方面軍と合流して九州を攻めて解消する。あとで裏切りそうな国衆は、戦場ですり潰してしまえばいいのだ。
「もしかすると、信長様は義昭様に会って、禅譲の形で将軍位を受け継ぐつもりかもしれんな」
「義昭様が、そんな物分りのいいことしてくれますかね」
「毛利が和議の条件として、手はずを整えているのかもしれん。兵を出して鞆御所を制圧し、刃を突きつけて義昭様に無理矢理に禅譲を強いるとか」
「ええ……それは禅譲とは言わない気が……」
「織田がやれば問題だが、毛利がやるのは、ギリギリ許される……かな?」
「許されないと思いますよ」
「だよな」
光秀は笑った。金造も笑った。
「未来は誰にもわからん、ということだな」
「少しでもよい未来を作ることができればいいのですが」
二人は安土城の階段を降りていく。
「金造よ。西方作戦が一段落したら、わしは娘婿の七兵衛様を養嗣子にして家督を譲る」
「……は」
「四国攻めも、その頃には一段落していよう。三好家は笑岩殿が三七様を養嗣子にして家督を譲る手はずだ」
笑岩は、三好康長の法名だ。
「織田の天下は信忠様の織田宗家を中心に、三好家、北畠家、明智家が藩屏として支える形になる。将来は羽柴家もここに含まれるだろう」
秀吉は、庶長子であった石松を幼くして失った後、信長から四男の於次を養嗣子とした。
「戦の時代はひとまずは終わる。金造。そなたはどうしたい」
「それがしは、明智家の勝手方です」
「うん」
「それ以上のお役目は、分不相応であるという思いがあります」
「信忠様の直臣は嫌か」
「嫌ではありませぬ。ですが……」
「帳簿をつけきれぬか」
「はい。今の明智家の帳簿でさえ、それがしには手一杯です。これが天下の帳簿となっては、何をどうやって記せばいいのやら……あるいは、重太ならば可能かもしれません。重太は天才です。計算も暗記も、それがしをはるかに上回ります」
「いや、重太ではダメだ。金造、わしはお前にやらせたい」
「なぜです」
「前に話をしただろう。戦の世が続くのは、天下を定める理が銭と商いに対して無力だからだと」
比叡山を焼いた時だ。
十年も前の話になる。
「それがしも無力です」
「だからだ。金造よ、天下の帳簿は一代では完成すまい。百年か二百年か。もっとかかるかもしれん。そなたは、未来に完成する天下の帳簿のための、捨……礎石となるのだ」
「……今、捨て石って言いかけましたよね」
「はて、何のことやら」
金造が睨むと、光秀がとぼけた。
「それに、重太じゃダメな理由になってませんよ」
「重太だと、なんとかする可能性があるからな。だが、才に頼る重太の帳簿では、説明しきれぬところを帳簿には書かずにすますだろう。それでは、次につながらぬ」
「……まるで、それがしだと失敗するからいいって口ぶりですが」
「まさに。人の世は成功する者だけでは成り立たぬ。むしろ、失敗する者の方が多いくらいだ。では、失敗した者は無駄か? 最初から存在しない方がマシか? そんなことはないぞ。わしの父も、祖父も、世には出なかった。人生は失敗だらけだった。だが、失敗しても諦めずに生きてくれたから、わしは今、ここにおる。この世から成功以外を消してまわれば、残るのは鋭く尖った穂先だけ。一度の失敗で終わる、脆弱な強さだ」
光秀は、両手を伸ばし、金造の肩を掴む。
「失敗を恐れるな、金造。この世を豊かに、強靭にするのは、失敗する者たちだ。失敗してなお諦めず、ジタバタあがく者こそが、次へとつながる道を拓く」
──この人には、かなわないなぁ。
金造は思った。
今の光秀は、織田家の出世頭だ。成功した者たちの中でも、さらに成功した者だ。
けれど、光秀の根っこを支えるのは、綺羅びやかな成功ではない。うだつの上がらない牢人暮らしの日々だ。
金造と最初に出会った時、光秀は飛躍の機会を生涯得られず、父や祖父と同じように草莽に埋もれることを半ば覚悟していた。それでも自暴自棄にならず研鑽を積めたのは、父と祖父の背中を見てきたからだ。金造の父のように、見返りが期待できぬのに支援してくれる人への感謝があったからだ。
「わかりました。信忠様の直臣になります」
なら、金造もあの頃の光秀に習おうと思う。
どれだけ失敗を重ねようとも、自分にできることをやり、次へとつなげるのだ。