4:下久世庄押妨
義昭上洛で、京に出た明智光秀は、新興武家となります。
家臣もおらず、所領もなかった光秀が、京に出た後どこからどうやって収入を手に入れていたのかを想像させる史料が、東寺百合文書にあります。
東寺の荘園がある、下久世庄の年貢を、光秀が押妨しているというのです。
それまで所領がなく、年貢徴収のノウハウもなかった光秀は、では、どうやって下久世を押妨したのでしょう?
元亀元年(1570年)四月の越前攻めに、明智家は三百の兵を出し、百余りを失った。
味方の撤退を支援するため、明智隊は金ケ崎城に殿として入った。そして木下隊と共に時間を稼ぎ、然る後に自分たちも城を明け渡して逃げた。
朝倉家の追撃は、さほどでもなかった。領内から追い払えれば、敵に与えた損害の多寡は関係なく勝ちという、この時代にはまだ一般的な勝利条件を朝倉家は適用した。
殿部隊は、若狭を通過した。明智家の損失の多くは、ここで出た。
すでに連合軍のほとんどは若狭を通過し終えていた。万を超える軍勢が行ったり来たりした若狭は「ちょっと小遣い稼ぎでも」と欲をかいた足軽たちに、さんざんに荒らされていた。村から徴用され、あるいは銭で雇われた若い男たちにとっては、どこで略奪しても、同じだった。目についた場所で略奪できれば、それでよかった。
止めるはずの国衆も大名も、越前攻めの失敗で統制がゆるくなっていた。
負け戦は、国衆や大名にとって最も重要な威信を下げる。味方と戦うための力が威信である。威信が下がった武士の言葉は軽くなる。威信が下がって親戚や家臣になめられれば、地位が危うくなるのが戦国乱世だ。足軽が言うことをきかないくらいは許容範囲だ。
同じことは、他国の軍勢にさんざんに荒らされた若狭の武士にも言えた。若狭の武士は、領内を通過する他国の軍の暴虐を止められなかったことで、領民から侮蔑と不信の目を向けられていた。何かの形で威信を取り戻す必要があった。
失った威信を取り戻すため、落ち武者狩りが始まった。
殿部隊は、格好の獲物だった。先に通過した無傷の大名部隊と違い、若狭からの撤退戦で消耗している。
煮炊きに必要な水や薪を求め、群れから離れた足軽が優先的に狙われた。略奪をしたのと同じ足軽でなくてもかまわない。血祭りにあげて溜飲を下げられれば、誰でもよい。
「わしの隊も若狭で八人がやられた。三人が金ケ崎でやられたから、合わせて十一人だ。まったく此度の戦ではひどい目にあった」
元亀元年五月。明智家京屋敷。
日之介は書類仕事が一段落した金造と一緒に朝餉をとっていた。
若狭での戦いを思い出すと眉間に皺が寄る。槍を受けた脇腹の痛みを思い出す。
「日之介の衆は、迫水殿の衆と違って戻ってこられた。これは誇っていいぞ」
「わしの隊では瀧次郎と武吉が浮足立つ足軽どもを抑えてくれた。迫水殿は本人が金ケ崎で負傷し、足軽をまとめていた者も、そこで討たれていた」
此度の出征で明智家は、足軽衆を三隊で二百五十人、動員した。壊滅したのは、迫水隊八十名で、生き残りは迫水と共に下がった四人のみ。足軽隊は、ひとたび指揮官を失って崩壊を始めると「楽に狩れる獲物」とみられて集中して狙われる。落ち武者狩りをする側は首級にするのは誰でもよいと考えているが、それには自分たちが首級になる危険を最小限にした上で、という但し書きがつく。
「迫水殿は、怪我が思わしくない。日之介も槍を受けていたが、大丈夫か」
「かすっただけだ。すでに治っておる」
「ならばよい。文がきてな。そなたと、そなたの足軽どもに仕事を頼みたいがよいか」
「おうともよ。すぐに出せるのは四十人ほどだが、どこだ? 何日くらいだ?」
「日帰りだ。久世に行く」
金造は日之介と共に屋敷を出て、南に向かった。
使いの武吉が走り回り、桂川を渡るころには足軽五十人ばかりが集まっていた。
足軽どもは緩い隊伍を組み、視線は鋭く周囲を睥睨する。
馬に乗っているのは、金造と日之介の二人だけ。
日之介は、堂々と。金造は、おっかなびっくり。
上でゆらゆら揺れる金造に「やれやれだぜ」と言いたげに白馬が歯をみせる。
「急であったが、けっこう集まったな」
「おうよ。武吉、よく頑張った!」
日之介が褒めると、槍を担いだ武吉があばた顔に笑みを浮かべた。
「久世ということは、東寺がらみか?」
「ああ」
久世は京から桂川を渡ってすぐだ。
年貢を運ぶ手間を考えると、久世庄は京の荘園として一等地だ。承久の乱で勝利した北条得宗家が地頭職を手に入れ、鎌倉幕府滅亡後は足利尊氏が東寺八幡宮に寄進した。
それからしばらく、東寺は久世庄を直務していた。直務とは、荘園の管理人を東寺が任命することをいう。代官に任せるよりも、透明性が高い。ここでの透明性とは、中抜きされる比率が小さいという意味だ。
応仁の乱によって京周辺が戦地となると、距離の近さが仇になった。軍勢が久世に居座るようになったのである。年貢米は居座った兵の腹に入り、東寺による徴収は不可能となった。
「乱が終結した後も、山城国一揆などがあって、東寺の年貢はままならなかった」
「今はどうなってるんだ?」
「下久世庄には明智家の代官を入れてある。東寺の者ではなく、国一揆の時からの国衆だ。国一揆の後は細川家、その後は三好家の代官をしていた」
「そのままか?」
「そのままとはいかんので、父親が剃髪して息子が継いだ。形の上ではな」
「ややこしいようだな」
金造と日之介、そして足軽たちは下久世庄に入った。
越前入りから一ヶ月。死線をくぐった足軽たちの面構えと動きは、金造の目から見ても、剣呑だった。田畑で働く下久世の者たちが、警戒と怯えの視線を一行に向ける。
少し高くなった丘に、塀と門を構えた屋敷があった。
日之介が進み出て、胴間声を張り上げる。
「明智十兵衛光秀が家臣! 内畑日之介じゃ! 開門! 開門!」
「おらあ! 開門せえ!」
「開門せんか!」
「はようせえ!」
日之介に続き、足軽どもが、あたりに響き渡る大音声をあげる。
扉が開き、屋敷の下人たちが、怯え顔で金造たちを迎える。
「武吉、任せるわ」
「へい」
「わしに恥かかすなよ」
「もちろん」
足軽たちを庭に残し、金造と日之介だけが中に案内される。
奥の部屋に、ごま塩頭の初老の男が座っていた。
「デカい声じゃの。ここまで聞こえたぞ」
「ご隠居だけか」
「おう。息子は所用があって明日までおらん。だから呼んだ。隠居の爺だけなら、明智の足軽どもに好き放題されても、言い訳がきく」
隠居が短い頭をぞりっ、と撫でる。
「文を受け取った。また東寺が、うるさいことを言ってきたようだな」
「近いからの。うちらを追い出し、自分とこの衆徒に任せたいらしい」
東寺は下久世庄の年貢が滞っているのは、明智十兵衛光秀の押妨だと、政所にたびたび訴えている。
「どう返事した?」
「そりゃあ決まっておる」
隠居がニタッ、と笑った。
「公方様の奉行衆のおひとりが、下久世は自分が一職任されておるので、放生会料であろうがなんであろうがまかりならんと強面でな。わしらではどうにもならんと、まあ、こう答えたわい」
「それでいい」
金造はニコリ、と笑う。
日之介が、今ひとつ要領を得ぬという顔で聞く。
「爺さんは、元は三好の者だったな」
「うむ。修理大夫様の被官よ」
修理大夫は三好長慶の官位だ。世間では、筑前守の方の通りがよく、三好筑前守を縮めて三筑と称されることもある。
だが、隠居に言わせれば筑前守は三好長慶が息子の義興に譲った官職である。三好の絶頂期を知る隠居にとって、長慶は修理大夫なのだ。
「その頃はどうしてたんだ?」
「東寺にも半済……いうて、半分ではなく一割くらいか。ちょっとだけ年貢を回して、寺の機嫌をとっておった。修理大夫様はできたお方でな。出来が悪い年なぞ、今年は三好の分は減らしていいから、東寺のはそのままにしとけ、と細かい指示もあった。だが、明智様はそうはいかんようじゃ」
「三好の長者と一緒にされては困る。明智家には蓄えがないのだ」
「わかっとるよ。わしらはわしらの取り分さえ許してもらえるなら、残りは全部、明智家に収める。だが、東寺はしつこいぞ? 応仁の乱から百年たっても、久世は自分ところのものじゃと言い続けておる」
「そこが寺の怖いところよ。代替わりしても、書いたものは全部残す。公家も武家も、何度か代替わりすれば所領が曖昧になってくるものだが、寺は違う。書で喧嘩すれば、最後には寺だけが残る算段よ」
隠居の言葉に、金造がうなずく。
日之介がつまらなそうに、太い腕をさする。
「武士は書では喧嘩せん。武士は弓矢を馳走し、槍をしごいて喧嘩するものだ」
「息子と同じことをいうのぉ。そういえば、明智の衆は越前へ戦に行ってきた帰りか。弾正忠は泥だらけで逃げ帰ったと噂で聞いたが本当か」
「本当じゃ。わしらと木下殿の衆は殿よ。泥だらけ、血だらけで、手柄首ひとつなく、空きっ腹だけかかえて帰ってきたわ。あの時は金造が兵粮を用意してくれて助かったぞ」
「殿におると、他の連中が米を奪った後を、とぼとぼ歩くことになると小一郎殿に教えてもらったからな。わしが米を用立てて、小一郎殿に運んでもろうた」
「瀧次郎がな。握り飯をほうばった時に、ほろりと涙をこぼしたと武吉が教えてくれた。芥川山城では逃げた先に、握り飯ひとつなかったと」
息子よりも若い、孫といっていい年代の金造と日之介の会話に、隠居は目を細める。
明智は、かつての三好と同じだ。木下もそうだ。
身分が低い者たちが必死に働き、役立つところをみせ、成り上がろうとしている。
持たざるものが成り上がっていくには、奪うしかない。この下久世庄を押妨するのも、それゆえだ。
では、成り上がる者は奪うだけか?
奪うだけの者が、成り上がれるのか?
それは違う、と隠居は思う。
成り上がれるのは、仲間の苦労に報いる者だ。
一緒にいて報われると思うから、仲間が集う。
握り飯ひとつで、報われたと思うこともある。
握り飯ひとつがないことで、見限ることがあるように。
握り飯をふるまうべき時を見誤らないのが、伸びる秘訣だ。
「明智。まだ伸びそうじゃの」
「ん? どうかしたか?」
「なんでもない。爺の独り言よ」
隠居は、手を叩いて若い頃から使っている下人を呼ぶ。
隠居は目で問いかけ、下人は小さくうなずいた。
明智の足軽は庭ではおとなしくしている。若い二人が、足軽の手綱を握れている証拠だ。
なら、老人が報わねばならない。帰りしなに、二人に銭を握らせよう。
目の前の二人なら、握らせた銭で足軽どもを労うはずだ。そしてその労いは、より困難な時に、足軽どもを命に従わせる。
修理大夫。三好長慶に仕えていた頃を思い出し、隠居は年甲斐もなく昂ぶるのを感じた。