38:武田攻め(後編)
天正十年(1582年)三月二日。払暁。
信濃高遠城は二万の織田軍に囲まれていた。
二万の腹を満たす炊事の煙が霧を呼んで城を包む。
美濃から信濃に雪崩込んだ織田軍は、総勢で三万になる。
補給をつなげるため、一万の兵と陣夫が後方支援を担当している。
三万の兵が日々消費する米は三百七十五俵。塩や味噌、その他の補給物資を含めると、日々、四百俵分の物資を美濃から信濃に運ぶ必要があった。
美濃と信濃を結ぶ神坂峠は標高千五百メートル越えの交通の難所だ。武田攻めが雪解けの旧暦二月に始められたのも神坂峠を越えるためだ。ここには今、八百人編成の歩荷隊が三隊いる。特筆すべきは、八百人が陣夫ではなく、足軽隊で編成されていることだ。狭く険しい山道に確実に糧道を通すためである。
本来は戦力として前線で使う足軽隊を歩荷隊として使うことには懸念の声も多かったが、金造が強く主張して押し通した。
信忠は、その時のことを思い出す。昨年の暮れのことだ。
「陣夫の中から力自慢を選抜して使えばよいのではないか」
「神坂峠越えに必要なのは個人の力ではなく、集団としての相互扶助です」
天候の急変。足場の悪さからくる事故。
個人の力ではどうしようもないことが、神坂峠越えでは起きる。
「歩荷隊には、天候の悪化で遭難したり、荷を捨てられては困るのです。なので、お互いの仲間の様子を伺い、助けあう関係がすでに築かれている足軽隊を使います」
「相わかった。ここは金造の策を取る」
信忠が決定して神坂峠越え歩荷隊が編成された。
なおも不満そうな、だが不満の理由を口にしない国衆の様子をみて、信忠は川尻秀隆にこっそり相談してみた。
「ぼくは足軽隊を神坂峠越えに使う金造の案をよい案だと思うのだが、国衆の皆はどうして不満そうなのだろう?」
「あー……アレはですね。何かあったら自分たちの責任問題になるからです」
「責任問題?」
「足軽隊は、国衆が出します」
「そうだね」
「ですが、雪が残る春先の神坂峠越えをやれば、何回か事故や不手際が起きて、兵糧が届かなかったりするはずです」
「そうだよ」
「そうなると、その足軽隊を出した国衆の責任になります。彼らはそれがイヤなのです」
「うーん……じゃあ、故意に荷を捨てたとかでない限り、国衆の責任は問わないことにすればいいのかな?」
「いえ。国衆は、事故や不手際が起きるだけで、自分たちの面子が毀損されると考えます。同輩からはわざと手を抜いたのではないかと陰口を叩かれ、家内からはなぜ小荷駄のような武功につながらぬ役を引き受けたのかと責められるでしょう」
「正しい理由があるのに? 金造が正しいことは、ぼくが保証するよ?」
「失礼ながら、信忠様。正しさが面子を守ってくれないなら、国衆にとっては、保証などないも同然です。ありがたがって拝聴しますが、すぐに忘れます。覚えていても損になる事柄なら、人は簡単に忘れられるのです」
「えええ……それはどうよ……」
信じられないという顔をする天下人の嫡男を、秀隆は優しく諭した。
「責めなさるな。私も、元は彼らと同じ国衆です。小さくて弱いがゆえに、危険を抱える余裕がない、臆病な存在でした」
「秀隆が臆病だなんて、ぼくは父上から聞いたことないし、聞いても信じないよ。秀隆は元は黒母衣衆筆頭じゃないか」
「ですが、事実です。戦場でなら命を惜しまず戦える武辺者も……いや、そうであればこそ、戦場以外では臆病に振る舞うものです。身内や同輩に背中を押されて転ばされたり、足をすくわれたりせぬように」
「……父上が」
「信長様がどうされました?」
「父上が、身内に裏切られたり、同盟相手に離反されたり、家臣に謀反を起こされたりしてるの、ぼくは父上の性格に原因があるんだと思ってた」
「……」
思い当たることは多いが、秀隆は口をつぐんでおいた。信忠を危うんでのことではなく、信忠の警戒心のなさによって、秀隆が口にした言葉が誰にどのような形で伝わるかがわからないからだ。
臆病とは、こういうことである。
「でも、今みたいに正しい理由があっても、どうしようもなく反発が起きるのだとしたら、これは父上のせいとばかりは言えない気がしてきたよ。天下人って、どんな選択をしても誰かの面子を潰す仕事なんだな、って」
「では、天下人を目指すのはおやめになりますか?」
「ズルい言い方は、やめてよ秀隆。ぼくは天下人になる。これは決めたことだ。でも……できれば、さっさと継承して楽隠居したいなぁ」
年が明け、二月に武田攻めが始まって、一ヶ月が経過した。
事前の行では一ヶ月で飯田城を落とし、高遠城へ向かう計画であったが、信濃南部の国衆が次々と降伏したため、一気に高遠城まで足を進めることができた。
進軍を早めても、兵糧には余裕がある。高遠城を包囲して落とすことも可能だ。
時間はかかっても、武田は死に体だ。待っていれば徳川か北条か、あるいは身内の造反者によって甲斐は落ちるだろう。
それでも信忠は強襲を選んだ。
信忠の手で甲斐征伐を締めくくるため。
信忠が天下人を目指すという、意思表示のため。
秀隆は、信忠の強襲の選択を高く評価する。
(信忠様は、戦場全体を俯瞰する目をお持ちだ。優しいだけのお方ではない)
ならば秀隆は、副将として主君の望みを最大限に叶えるまで。
これまでに、内応した国衆や周辺住人から高遠城の縄張りなどは集めてある。
昨日は目視でも確認し、渡河点も見つけ、夜のうちに部隊の配置も終えた。
『高遠の城は、三方が険き山城にて、後ろは尾続きあり。城の麓、西より北へ富士川(藤沢川)が激って流れ、城のこしらえ、殊に大夫なり。在所へ入口三町(約220m)ばかりの間、下は大河、上は大山そわ伝い、一騎打ち、節所の道なり』
高遠城は東と西に門がある。
尾根沿いの東門は高低がないが、深い外堀で区切られており、枡形と櫓門で寄せ手を防ぐ。東にはさらにもうひとつ、奥まった場所へ反撃用の兵馬を入れる曲輪がある。だが、今はここに兵は入っておらず、本丸へつながる橋を取り外して出入りができないようにしてある。
西側は急斜面を細い道で登った先に枡形があり、門がある。西門を抜けると正面に本丸が見えるが、鍛冶堀と呼ばれる深い竪堀で二重に区切られている。直接本丸へ向かおうとすれば、二度も深い竪堀を降りては這い上がらねばならない。
ぐるりと竪堀を迂回しようとすれば、竪堀の向こう側の二ノ丸から鉄砲と弓で攻撃を受け続ける。
このように、高遠城は、寄せ手を竪堀で遠回りさせ、内側からの攻撃で消耗させる作りになっている。
──では、寄せ手の側はどうすればいいか。
悩むまでもない、と秀隆は考える。
圧倒的な兵力に物を言わせ、波状攻撃で寄せては返し、寄せては返しを繰り返して揉み潰す。
高遠城には三千の兵が入っているが、鉄砲は五百ほどで、弓はそれより少ない。
城の蔵に蓄えた矢玉の数は不明だが、糸目をつけずに放てるのは最初の内だけ。
東西の門を突破されたあたりで、矢玉を節約に入ると秀隆は考えた。
しかし、節約すれば寄せ手を勢いづかせる。そのまま押し切られれば、落城だ。
──では、守将の側はどうするだろうか。
逡巡する余裕はない、と秀隆は考える。
兵数でも火力でも圧倒的に不利なのだ。このまま推移すれば落城は間近だ。
寄せ手が入れ替わる、その機先を制して付け入り、可能な限り押し込む。
城内の狭い通路であれば、寄せ手の数の優位は打ち消せる。
「内畑殿」
「はっ」
内畑日之介は、鉄砲足軽を中軸とする明智勢五百を指揮して参陣している。
「ちょっと頼みたいことがある」
「なんなりと」
秀隆は、日之介と簡単な打ち合わせを行い、送り出した。
甲斐駒ヶ岳の山の端がようよう白くなる頃、戦いが始まった。
大筒を持った鉄砲足軽が馬蹄陣地から城門や城壁を狙い撃つ。昨夜のうちに掘り上げておいたのだ。馬蹄陣地からバカン、バカン、と大筒の音が響くたび、城門や城壁が崩れる。
高遠城からも反撃の鉄砲が馬蹄陣地に集中する。だが、六匁(約20g)ほどの鉛玉では、土を盛って竹束を並べた馬蹄陣地を制圧できない。
撃ち合いが続くうちに、城門や城壁は穴だらけとなった。高遠城からの反撃が間延びする。
頃合いやよし。寄せ太鼓が打ち鳴らされる。
東門と西門は、ほぼ同時に突破された。
寄せ手が竹束を手に城内に入ると、狭い通路が伸び、その先には竪堀、その先は土塀と二ノ丸がある。
パパン。パパパパン。
二ノ丸から、鉄砲が放たれる。続いて矢が飛ぶ。寄せ手の動きが止まる。
「くそっ。横矢がかかる場所に曲輪があるな」
西門を突破した森長可は竹束に隠れて二ノ丸を睨む。
西門からみて右手側にある曲輪には、鉄砲と弓が隠れている。頻繁に放ちはしないが、動きだそうとすると、牽制してくる。横矢掛りに絶好の位置にあるこの曲輪は、後の平和な時代に『甲陽軍鑑』で甲州流軍学を学んだ誰かに、勘助曲輪と名付けられることとなる。川中島で戦死した足軽大将の山本菅助が曲輪に己の名が冠されていると知れば、名誉なことだが、自分は高遠城の鍬立てには関わってないと苦笑するだろう。
じりっ。パンッ!
……じりっ。パンッ!
………………。……。
………………。パンッ!
長可は竹束の陰で歯噛みする。
突撃発起の機先を制され、動けない。
先頭にいる森隊が動けなければ、全軍が動かない。
戦場では、最前線の判断が最優先されるからだ。
寄せ太鼓も法螺貝も、最前線の判断の追認でしかない。
最前線のどこかで誰かがいけそうだ、いける、と動いたのを後方で見て、他の隊に知らせるために太鼓を鳴らし、法螺貝を吹くのだ。
長可が蛮勇を奮って先頭に立って突っ込めば、数人の損失で突入が成功するだろう。ただし、その数人の損失の中に長可が入っている可能性も高い。
それでも突っ込みたくなる気持ちを、長可はグッ、と抑える。
(我が身命、我が物にあらず。信忠様のお役に立つため、命を惜しむのも忠だ)
周囲を見回すと、どの顔も疲弊の色が濃い。一番手として戦い、門を突破したことで精神の昂り切れてしまったのだ。ここは一度引いて、後方の毛利秀頼隊と入れ替わった方がいい。休息し、気力を取り戻してからまた突入すればよい。
「退くぞ! 鐘鳴らせ!」
カンカンカン!
甲高い鐘の音が響くと、それまで消沈していた森隊の者共たちが、生き生きと帰り支度を始めた。長可は顔をしかめるが、退却の判断が間違っていないとも感じる。指揮官である長可と、その下の者たちとで意識に乖離がある証拠だ。
退き鐘の音は、西門で待機していた後続の毛利隊にも聞こえる。「毛利隊っ!行くぞぉっ!」と毛利隊の前線指揮官である安藤源五の胴間声が響く。
狭い通路の中で、森隊と毛利隊が入れ替わる。
進むと戻るとで、人の列が澱む。
鬨の声が、ドッ、とあがった。
声が近い。異様なほどに近い。
退きかけていた長可は、振り返ってぎょっ、とする。
「あっ」
竪堀から、ワラワラと武田の者どもが湧き出していた。逆撃のために隠れていたのだ。
先頭に立つのは、真っ赤な鎧兜で身を包んだ若武者だ。槍を握る若武者の左右を、長刀を持つ女武者と、大きな盾を持った太った男が固める。
「信玄が五男! 五郎盛信なり! いざ、見参! 見参っ!」
五郎盛信は叫ぶと、そのまま進み、やっ、と毛利隊に槍をつけた。
毛利隊は突然の逆撃に驚愕した。後ろに下がろうとする者と、前に進もうとする者が衝突して混乱が広がる。
「手柄ぞっ! 大将首ぞっ!」
毛利隊の源五が、味方をかき分け、五郎盛信に向かって突進する。源五の両手は空で、大太刀を斜めに背負っている。
「毛利秀頼が継子、安藤源五、推参也っ! 五郎殿っ、その首もらいうけるっ!」
源五が踏み込む。五郎盛信を守ろうと、武田菱の合印を肩に付けた足軽が槍をくり出す。源五が「退けっ!」と叫んで踏み込み、上半身をくるりと回転させると、抜き打ちされた大太刀が足軽の膝を斬り飛ばした。逆方向にさらにもう一回転。五郎盛信の握る槍の柄が断ち切られる。
さらにさらにもう一回転。必殺の間合いだ。
「お覚悟っ!」
「ぬあーっ!」
大盾持ちが五郎盛信の前に割り込み、源五の大太刀を防ぐ。
ガンッ、と強く鈍い手応えに源五が目を瞠る。大太刀が大盾に半ばまで食い込んだところで、止められていた。太り肉の男が持っていた大盾は、内に鉄で梁を通して補強してあった。
「エイッ!」
可憐な声が響き、長刀が煌めく。首筋に伸びてくる刃に、源五は下がってかわそうとするが、大盾に食い込んだ大太刀が抜けない。
長刀がスルリと源五の首筋を撫でる。引いていく。血が迸る。
「見事!」
半身を赤く染めて源五は叫び、大太刀を押し込む。大盾を持った男が「グウ」と唸り、割れた腹から臓物をこぼして膝をつく。
五郎盛信が、大盾の男に叫ぶ。
「黄介!」
「殿! お下がりください!」
女武者が五郎盛信をかばうように長刀を回した。パンッ、と音が響く。
長刀の刀身が澄んだ音をたてて毀たれる。
五郎盛信は発砲音の側を見た。西門につながる城壁の上に鉄砲足軽が並んでいた。
旗印は、桔梗紋。明智の兵だ。逆撃を受ける可能性に備え、陣取っていたのだ。
パンパンパンパンッ!
煙が、わあっ、と城壁沿いに広がり、河岸段丘の下からの川風で散らされる。
五郎盛信の赤備えの佩楯が弾け、血が滲む。
「うっ!」
「殿を本丸へっ!」
女武者が五郎盛信をかばい、前に出る。
五郎盛信は従者に後ろへと引きずられる。
「紅っ! そなたも!」
「後で! 必ずや!」
女武者は唇を引き結び、決死の形相で毛利隊に切り込む。
城壁から再び発砲音。女武者が「あっ」と叫んで倒れる。
毛利隊が前進し、源五の亡骸を回収する。
城壁の上から城内を観察した日之介は、よし、と馬印を高々と差し上げ振らせた。
金の釣り笠が、ひょこひょこと、高遠城の城壁の上で揺れる。
釣り笠の馬印は、秀隆から借り受けたものだ。武田の逆撃を退けた合図である。
ドンドンドン。
本陣からの寄せ太鼓が響いた。
城外で待機していた兵が一斉に動き出す。
城主が先頭に立っての渾身の逆撃を防がれた高遠城に、織田軍を食い止める力は、もう残っていなかった。
昼前には、五郎盛信は本丸で自刃。
高遠城は落城し、諏訪への道が開かれた。
信忠は近在の地侍に道案内させ、翌三月三日には先軍が諏訪へと進軍する。
この時、勝頼はすでに新府城の退去を決定していた。
誰もが「頼りにならぬ」と勝頼を見限り、見捨て、裏切る中、兄に尽くした仁科五郎盛信の最期は、人々に強い印象を残した。
文武の誉たぐいなく
山と聳えて世に仰ぎ
川と流れて名は尽ず
『信濃の国』で、五郎盛信(信盛)はこのように謳われている。




