35:威力偵察
天正九年(1581年)十月。
岩村城に、足軽隊が入ってきた。
人数は百人ほど。荷馬が四頭。
武装は長柄の鑓と鉄砲が半々。
旗印は、桔梗紋。
「ありゃあ、どこの足軽や」
城番で入っていた近在の国衆の目が、見慣れぬ足軽隊に集まる。
足軽と一口でまとめても、実態は様々だ。
新参の足軽隊は目配り、足配りが只者ではなかった。
「こりゃ、珍しい。明智やぞ」
「ほっ。あそこ、こんな武張った連中を入れたんか」
「鉄砲だけで、ずいぶんな物入りやろうに」
「ん? ああ、違う違う。あいつらは、惟任日向守の足軽じゃ。旗印が違う」
東美濃の遠山氏には、庶流に明智家がいる。
岩村城から、山向こう二里(約8km)の距離に荘があり、城もある。
天正二年から三年にかけ、武田との戦いに負けて城も奪われたが、岩村城の開城後に城と領地を取り戻した。
それでも失った戦力はなかなかに戻らず、苦労している。国衆たちは、遠山明智家が銭を払ってどこからか雇った足軽隊だと勘違いしたのだ。
「日向守というと、近江、いや丹波か! そして、あいつらが来たいうことは」
「おう。武田攻め。近いかもしれん」
足軽頭の内畑日之介は、岩村城主の河尻秀隆に会い、光秀からの書状を渡した。
「日向守から概要は聞いておる。細かいところは、そなたに聞けばよいな?」
「はっ」
「では頼む」
「我が足軽隊は、名を内畑組。組頭は近江田中の内畑日之介。つまり拙者です。副頭を河内の明智武吉が勤めます」
日之介と同年代の武吉は、元は三好残党で小者の足軽であるが、明智家が京に入ってからの古参で、勤続十二年になる。日之介が光秀に推薦する形で武士となり、明智の名字を付与して擬制的に明智一族に加わっている。元々の縁者の少ない光秀は、与力となった国衆にも積極的に名字を与えて家を拡大している。
「組衆の内訳は、三間(5.5m)長柄の鑓衆が四十四。鉄砲足軽が五十。合わせて九十四。鉄砲足軽は、各自が鉛玉と玉薬を廿放、つけております」
秀隆は頷いただけだが、側近たちが驚いて日之介に聞き返す。
「廿だと」
「全員が手練か」
鉄砲足軽は、比較的簡単に戦力化できる。それでも上手下手はある。特に玉薬=火薬の備蓄が不足すると、日頃から十分な訓練ができず命中率は低下する。
織田家中では鉄砲足軽は出撃時、全員に射撃十回分の鉛玉と火薬を配る習いだ。城番での射撃練習で優秀な成績をだせば、倍量の二十回分となる。
「はっ。丹波で戦っておるうちに、下手だった者も皆が上手になりました。足軽をやめたら、猟師になるべ、と冗談を言うものもおります」
「頼もしいな。日之介、そなたも鉄砲を使うか?」
「いえ。どうにも拙者は不調法で。槍や弓の方が向いておるようです」
日之介は頭をかいて豪快に笑った。
笑みを引っ込め、太い指で帳面をめくる。
「足軽どもを連れて坂本城から岐阜城までは四日。岐阜城からここ岩村城までは三日で着到となりました」
「それなりにかかるな」
「毎朝、米俵をひらいて飯を炊いて進みましたゆえ」
旧暦の十月ともなれば、昼は短い。
日常食としての米が優れていることは論をまたないが、行軍食となると、毎日米を炊くのは移動時間を削る。日持ちする乾飯もあるが、これは非常食であり、数が限られる。
水を汲み、薪を作って火をおこし、臼で米を撞き、糠をはらって米を炊く。炊いた米をひとりひとりに分ける。行軍開始はその後だ。
「そういえば、内畑組には可児出身の槍使いがおったな。柄に笹をつけた武士だ。前に見かけたことがある」
「吉長をご存知でしたか。はい、今回も入っております」
「直接の面識はないが、槍の師匠となる宝蔵院の胤栄殿にはお世話になっている。吉長はいつも傾いておるから心配だと言っておられた」
「後で伝えます。吉長の他に、我が組には槍持ちが二人。弓が一人。鉄砲が一人、入っております。名をこちらに」
五人の名前と『着到件の如し』と書かれた紙を、日之介は秀隆に差し出した。
秀隆が受け取り『承了』と書いて署名し、花押を記して返す。
「では、明朝出発いたしたいと思います。つきましては、兵糧と案内人をつけていただけますでしょうか」
「米はいかほど入り用か」
「荷馬四頭に米俵二つずつ。八俵いただければ」
「わかった。八俵というと、内畑組の七日分だな」
「はい」
「三日で進み、三日で戻るとなれば──」
秀隆が絵図を広げる。
「ここから前田砦までは、我が方の勢力圏だ。その先は、よくて混淆だ。かつては両属で年貢も半済であったと聞くが、武田と手切れとなった後は、こちらに年貢は届いておらん。ではその分の年貢が武田に届いておるかというと、これも怪しいがな」
「遠慮は無用と?」
「無用だ」
「わかりました」
後の時代には三州街道とも、伊那・飯田街道とも呼ばれる道筋は、南から根羽、平谷、浪合、駒場と続き、南信濃の最前線、飯田城へ至る。
「平谷と、その周辺までか」
「いえ。浪合まで行こうかと思います」
「初めてで切り込むには、そこはかなり深いぞ?」
「初めてであればこそ、驚かせるのが肝要かと」
「ほう」
日之介の厳つい顔に浮かぶ真剣な表情を、秀隆は頼もしく思う。
日之介の「驚かせる」という言葉の裏にあるのは複合的な理由だ。
──武田を、驚かせる。
織田の足軽隊が、いきなり南信濃の深くに踏み込んできた。
飯田城から二日の距離となれば、城の守りも固めなくてはいけない。
──美濃と尾張の国衆を、驚かせる。
丹波を切り取った明智の足軽が、初めてで南信濃の深くまで入った。
自分たちも武士として、うかとはしていられない。
──伊那郡の者たちを、驚かせる。
信濃と美濃の国境は、そこに住む者どもにとっては武田が「やや優勢」か「ほぼ互角」という雰囲気であった。
織田の足軽たちが、南信濃に踏み込んできたということは、織田が優勢になるかもしれない。自分たちの身の処し方も、考えねば。
(こやつ、独力での武田攻めを目指す信忠様のお考えを、他家の、しかも足軽頭の分限で、よく理解しておる。さすがは日向守の家中よ)
秀隆は信忠軍団の最高指揮官である。秀隆が輔弼する信忠が、光秀と金造を頼りにすることには、苦い思いもある。黙認していたのは、いずれ信長の後を継ぐ信忠には、光秀の支持と、経験豊富で有能な勝手方が必要だと考えていたからだ。
しかしそれは、今回の武田攻めではなく、何年か後の話だと思っていた。
「よかろう。ならば、頼みがある」
「なんでしょうか」
「浪合には、浪合神社がある。南朝の尹良親王を祭神とする神社だ。ここの御朱印をもらってきて欲しい」
「はっ! 必ずや!」
分厚い体を床に畳むようにして、日之介が誓う。
翌朝。
夜明けと共に出発した日之介と内畑組の足軽衆九十四人、そして五人の武士は、案内人の先導を受けて山道を進み三日で前田砦から平谷、そして浪合まで前進した。
浪合神社に全員揃って参拝した後、桔梗紋の旗に御朱印をもらい、これを掲げて帰還に入る。
平谷まで下がったところで、鉄砲持ちを伏せさせ、一日、待つ。
そこへ武田勢が押取り刀で飯田城から駆けつけきた。
まず物見がくる。徒士が前。馬騎が後ろ。
長柄の鑓衆の間に控えていた弓持ちが徒士の物見を射抜くと、馬騎が後方に下がった。
「来るかの」と可児の吉長。
「来るやろ」と日之介が答える。
日之介と吉長、槍の二人は長柄に混じっている。
報告のため下がった物見には、この五十人だけ見えていたはずだ。
「鑓だけで、鉄砲はどこにも見えん。これだと、どっかに伏せとると思われんか」
「そら誰でも思う。でも、それなら近づかず鉄砲で何人か射殺せばええ、くらいの考えになるやろうな。飯田城の城番衆に、何もせずわしらを見逃す手はハナからないわ」
「浪合神社に参拝して、御朱印までもらったわしらを、ただで逃がすわけにはいかんか」
「面子が丸つぶれになるからの。わしら武士は、面子で食っとるんで」
しばらくして、武田方の追手が川上から街道に姿をみせた。
細長い縦隊から、厚みのある横隊へ。
「鉄砲持ちが多いな」
「荷馬もおる。なんか下ろしとるぞ」
「竹束や。さすが風林火山じゃ。こっちに鉄砲が見えんでも、油断はしとらん」
追手の数がじわじわと増え、百ほどになったところで、日之介は手勢を下げた。
伏兵を警戒している武田方は、竹束を前に出してにじり寄る。
頃合いとみて、日之介は声を張り上げた。
「川ぁ、渉れぇっ!」
日之介と吉長が川岸に上がり、下りて消える。鑓足軽たちも、どんどんと続く。
平谷は、周囲の山々から流れてくる川の合流点だ。屈曲部に土砂がたまり、そこに田畑が拓かれ、道が通っている。
織田方が川岸の向こうに消えると、武田方が吸い込まれるようにして追いかけてきた。渡河中の敵は、上から狙えるし、動きが遅い。こちらには鉄砲があるのだから、逃す手はない、と判断したのだ。川幅が狭いので、真っすぐには追いかけず、少し上流側の川岸を目指す。
岸に一番乗りしたのは、馬騎の鉄砲武士だ。十八才とまだ若い。父と兄が設楽原で戦死して家督を継いだ。体躯は小柄だが、目がよかったので鉄砲に習熟した。一昨年には、鉄砲の音に驚かないよう訓練した馬に乗って上野で初陣し、北条方の兜首を三つとる武功で勝頼から感状を受け取った。
岸から斜めに見下ろす。鑓の穂先がキラキラと輝くのが目に入る。長柄の並んだ狭間に、くすんだ色を見つける。笹を柄に結んだ槍の武士。その隣。胸も腕も分厚く、上背にも恵まれている武士。設楽原で、徳川の陣に切り込んで死んだ兄に似ている。足軽の頭だ。これを狙おうと決める。
馬上でも使えるように改造した鉄砲を構える。風を読む。狙いをつける。装填してある鉛玉は、手のひらで挟んで転がして「一番素直」だと思った玉だ。いける。
自分が標的になったことに気づいたか。上背のある武士がこちらを睨む。
火蓋を開く。引き金を──
発砲音。衝撃。ずれる視界。
撃たれたことに気づく。川向う。狙撃するなら斜面の中腹から。誘い込まれた。
せめてこの一発だけは撃ち返す。足軽の頭はもう見えない。探す余裕はない。
桔梗紋の旗が見えた。あれだ。鉄砲を構え直す。引き金を引く。馬上からずり落ちる。地面に転がるが、痛みはもうない。
勝頼からもらった感状を母に見せた時を思い出す。父と兄が死んだと聞かされた時も泣かなかった母が、気丈に家を守り自分を育ててくれた母が、大粒の涙をこぼした。また泣かせてしまうのだろうか。母に申し訳なく思う。
落馬した主人に、馬が悲しそうに嘶いて鼻を押し付けた。
「南無阿弥陀仏」
斜面の中腹から馬騎の鉄砲武士を狙撃した男は、口の中で小さく念仏を唱えた。
パンパンパンパン。パンパンパン。
あちらでも、こちらでも、隠れていた鉄砲足軽が射撃を開始する。
射撃開始の合図は特にはない。川岸まで上がってきた者を、各自で好きに狙って撃つ。
災難だったのは、武田方の鉄砲撃ちである。森が広がる川向こうの斜面の上から狙われたのだ。撃ち返そうにもよく見えない。
バタバタと数人が川岸に倒れたところで、竹束持ちが追いついた。川岸に竹束が並び、武田方の鉄砲撃ちが、その後ろに隠れる。
しかし、その時にはすでに織田方の鑓足軽は渡河を終え、平谷川の下流方向へと姿をくらましていた。
翌日。
内畑組と岩村城へ戻った日之介は、御朱印をもらった桔梗紋の旗印を、城主の河尻秀隆に献上した。美濃と尾張の国衆が居並ぶ中で、秀隆が日之介を誉める。
「御見事! さすがは丹波を攻め落とした強者どもよ!」
秀隆は日之介から献上された旗印を広げる。御朱印の上に、穴が空いているのに気づく。
「これは鉄砲か?」
「はっ。平谷で兵を伏せて武田と一戦交えました折に、馬騎の鉄砲上手に撃ち抜かれました」
「戦ってみて、武田をどう感じた?」
「手強いです。今回はこちらが鉄砲を伏せ、川の曲がりと山の斜面を使って迎え撃つことに成功しました。ですが、武田に逆をやられれば、かなりの被害が出るかと」
「道理だな」
「どうすればよいか考えましたが、拙者の不調法な頭では、思いつきません」
「よい。それを考えるのは、わしの職分じゃ。下がれ。足軽どもを労ってやれ」
「はっ」
明智は足軽頭でこれかと秀隆は感心もし、光秀に頼んで家臣にもらえないかと思案もし、そして最後に「いずれは明智の勝手方と一緒に、信忠様の直臣になるだろうから、自分は我慢しよう」と考え直した。
それより、秀隆には優先的に考えねばならぬことがあった。
(想定していたより、武田の戦意が高い)
川の屈曲部などを利用して待ち伏せされ、遅滞されれば、平野部に出るまで時間を稼がれてしまう。
天竜川方面への迂回路も利用して分進すれば、より順調に進軍できる。
戦術レベルは、それでよい。
では、作戦レベルではどうか。
──やはり、苗木城を落とす必要があるな。
信忠軍副将の中で、いくつもの思案が泡のように浮かび、広がる。




