34:父を越える
天正九年(1581年)七月。
東山道は律令時代に遡る古い幹線道路のひとつだ。
京から東へ向かい近江に。不破の関を越えて美濃へ。
岐阜城下から可児郡、土岐郡、恵那郡を抜けて信濃へ。
「武田征伐。何年も構想として練られてきたが、現実は難しい」
信忠に招待される形で岐阜城を訪れた金造は、美濃と信濃の絵図を前に、青年武士から講習を受けていた。横からは、信忠も興味深そうに絵図をのぞいている。
青年武士は信忠とほぼ同年代。小柄だが引き締まった体に、母や弟たちともよく似た、愛らしい顔がのる。
「兵糧が続かぬためだ。前の関東管領による越山が、長駆して小田原城を囲むも、大軍を維持することができずに解散したようにな」
ギロと、青年武士が金造の顔を睨む。
童顔なだけに、細い目をすると表情に迫力がある。
「糧道に詳しいという触れ込みの明智家の勝手方に手伝ってもらっても、さて、どうなることか」
「それがしは越前の出で、このあたりに土地勘はございませぬ。鬼武蔵様のご鞭撻を何卒お願いします」
歓迎していないぞ、という空気を前面に押し出す青年武士に、金造が膝を詰めるようにして願い出る。青年武士は物問いたげな視線を信忠に向けた。
信忠は、笑顔で答えた。
「ぼくからもお願いするよ、勝三。金造の力になってやってくれ」
「信忠様がおっしゃるのであれば」
鬼武蔵、あるいは勝三とも呼ばれる青年武士の名は森勝蔵長可。二十三才。父の可成は宇佐山城主だった元亀元年(1570年)に朝倉・浅井連合軍と戦って討ち死にしている。
長可にとって、信忠は主君であると同時に竹馬の友だ。
「ですが。いかに信忠様のお願いであっても、不可能が可能になることはありませぬ」
「やはり美濃から信濃に糧道を開くのは、難しいかい?」
「はい」
長可は、美濃の絵図に描かれた城のひとつを扇子の先でトン、と叩いた。
「金造よ。例をあげて説明しよう。今は肥前守が入られている岩村城は、対武田の最前線だ。ここは六年前まで武田に取られていた城だ」
肥前守は、河尻秀隆のこと。元は黒母衣衆で、五十代半ばになる。秀隆は美濃と尾張を根拠地とする信忠軍団の副将である。
「武田が岩村城を攻めるにあたり、大軍は用いていない。しのびと策略を使って落としている。それには理由がある」
天竜川沿いに細長い盆地が続く信濃から扇子の先がすっ、と恵那山を南に廻り込むようにして岩村城へと移動する。
「信濃伊那から岩村城へと続く道は細く、山険しい。上り下りが多いから、日々の輸送は牛方が行う」
「牛方が……普段は、牛で塩と魚を運んでいるということでしょうか」
「ほう」
金造の指摘に、長可が楽しげに唇をほころばせる。
「その通りだ。内陸では塩も魚も手に入らないからな」
「金造。勝三はすごいんだぞ。領地の開発で、木曽川の川湊を整備して、塩と魚があがってくるようにしたんだ。しかも専売の制度を取り入れて、品質と価格を安定させた上で税収も確保している」
「本当ですか。それはすごいです」
信忠に褒められ、金造に尊敬の目を向けられ、長可が顔を真っ赤にする。
「信忠様っ! 今はそういう話ではっ!」
「おっとすまない。それで。牛がいるなら、兵糧はそこそこ運べそうなものだが」
「信忠様。山にいる牛は、普段はそんなに米を運ばないんですよ。どこも村で食べる分くらいは、なんとかなりますからね」
山間の集落でも、斜面に田畑を作れば、人口分の米か麦か蕎麦は収穫できる。牛を輸送に使うのは、内陸ではどうやっても手に入らない塩や海産物に限定される。
「さほどに多くない牛で糧道を開く方法はひとつ。運ぶ兵糧を少なくすることだ。武田は岩村城を攻める時に、少数の足軽を入れて忍び働きをさせた。そうやって御味方を混乱させてから、主力の兵を送り、城を落とした。主力といっても、武田が動かしたのは合計で千に満たないだろう。これならば多少は手こずっても、兵糧の道を維持できる」
「あれはやられたなぁ。武田側の忍びがあっちでもこっちでも、火をつけたり、蔵を開いて暴れるんだけど、追いかけても追いつかないんだ」
「追いつかない?」
金造は絵図をのぞきこむ。
軍隊の移動は、数が多いほど遅くなる。
忍び働きの足軽隊であれば、数は百人に満たないから、動きは速い。
かといって、追手から逃げ切れるほどに速いかというと、そんなことはない。
追手側は、少数の兵で忍び足軽に足止め攻撃をしかけ、本隊を待てばいいからだ。
「絵図では、物見から逃げ隠れできるほどには険しくないと見ましたが。武田の忍びは、そこまで優秀なのですか?」
「む……それはだな……」
「長可、金造はこのあたりの地誌に詳しくないんだし、説明してあげようよ」
「信忠様がおっしゃるのであれば。……金造。岩村城のあたりは、鎌倉殿の時代から東美濃の有力国衆、岩村遠山氏の支配地域だ。そして美濃・信濃・三河の境目でもある」
「境目争いで揉めやすい土地ということですね」
「うん。よく揉めるんだよね。で、揉めたら必ず勝者と敗者が出るんだ」
「そして負けた側の国衆や地侍は、狭い土地に押し込められたり、領地を追放されたりする。後はわかるな?」
金造の脳裏に、丹波籾井の国衆の指出に書かれた『本家穏田』の文字が浮かぶ。明智との戦に負けたことで、籾井の国衆は追放された。彼らが生きてあれば、いずれ本貫の地に戻ろうとするだろう。
「はい。そいつらが武田の忍び足軽を手助けしたのですね」
「それどころか、武田の足軽隊に加わった者も多い。そいつらにとって、このあたりは子供の頃から暮らしてきた土地だし、百姓の中には手助けしてくれるものもいる。手を焼かせてくれるものだ」
「彼らにとってみれば、武田の侵攻は父祖伝来の本貫地を取り戻す好機だからね。その気持ちは、ぼくにもよくわかるよ」
「信忠様は、お優しすぎます」
一才年上の主君に、長可は苦言を呈する。言葉はきついが、目尻は下がっている。
(……それがしに向ける目つきが悪いの、やっぱり作ってたんだ)
金造の視線を感じ、長可は咳払いした。
「コホン。それでは話を戻すぞ」
「はい」
「岩村城を落としたことで、武田側は城の蔵米という形である程度の兵糧を確保できるようになった。だが、それでも総兵力は最大で三千ほどにしかならない」
「美濃と尾張の国衆は、迎撃にどれだけ兵を出せますか? それがしが糧道を担当した紀伊の雑賀攻めや、その後の有岡城の戦いでは、濃尾国衆は五千でしたが」
「あれは遠征だから五千だったけど、自分たちが攻められた時は違うよ。地元の国衆と地侍を総動員できる。美濃だけでも一万。尾張も動員すれば二万は出せる。武田が平地にまで出てくれたなら、数で揉み潰してやれたんだけどね」
「出てはくれませんでしたか」
「出るわけがない。平地に出れば数で負けるのは、武田だってわかってる。山道伝いに行ける城を攻め、周辺の村を略奪するのが精一杯だな」
「とはいえ、放置はできない。武田に岩村城を落とされた後、父上は与兵衛に抑えの城として鶴ヶ城(現:瑞浪市)を任せてそれ以上の進撃を食い止めたんだ」
「その時点で、かなり攻め込まれていますね」
岩村城の周辺には、武田に落とされたり略奪された明知城、苗木城、飯狭間城、串原城、千旦林城、阿木城などの名前があった。
明智、という名前に金造がおや、という表情をしたのがわかったのだろう。
信忠がからかい半分に声をかける。
「明智の荘は、惟任日向守の縁者だと聞いたよ」
「らしいですね。越前で牢人されていた頃にはいなかったはずの縁者が、このところ、すごい勢いで増えてます。加えて光秀様が、ご自分はお忙しいのに、空いた時間にどんどん面会されるものだから……」
「日向守殿は、織田家の出世頭だ。これからも人手はいくらでも必要だろう。縁者が増えて悪いことはあるまい」
「簡単に増える縁者は、簡単に消えますよ。我が明智家に人手はいくらでも必要ですが、向学心がある者に限ります。縁を頼る者は出世欲はあるのに、向学心がない。困ったものです。人の上に立ちたいなら、せめて帳簿を読み取る能力は身につけていただかないと」
金造のひねくれた物言いに、長可は「こいつ、思ってたより口悪いですね」という視線を信忠に向け、信忠は「そこも、可愛いんだよ」と笑顔で返す。
「長篠の合戦でぼくらが勝利した後、岩村城周辺の国衆、地侍の空気が変わってね。武田はさほど頼りにはならないんじゃないか、って感じになったんだ」
「そこにつけこんで調略をしかけ、岩村城を落とすことに成功した。が、そこからが意外としぶとい」
金造は他の絵図と比較し、気になっていた点を指摘する。
「木曽川上流の苗木城。まだ武田の手にあるようですね」
「うん……ねえ、金造。苗木城と岩村城の違いについて、どう思う?」
「違い、ですか」
長可が二枚の絵図面を出した。岩村城と、苗木城の縄張図だ。
遠山氏の東美濃統治の象徴として作られた岩村城は堂々とした城だ。
木曽川の断崖の上に立つ苗木城は、小さいながら難攻不落の要害だ。
「岩村城は、四方ににらみをきかせる城です」
「うん」
「そうだな。兵も兵糧もかなり入る」
「苗木城は、木曽路と東山道を封じる城です」
「そう。その通り!」
「よく見てるじゃないか」
武田勝頼は、長篠の合戦の後の領内の動揺によって岩村城は取られたが、苗木城は確保し続けたことになる。
「長篠の合戦で大打撃を受けた後、勝頼は守りに入った。ぼくはそこを評価したい」
「守りに入ったことを評価、ですか?」
「うん。長篠の後、父上は手紙を公家や他の大名家に送って、大勝利を宣伝した。でも、実際にどれくらいの損害を勝頼が受けたのかは、わかってなかった。だからぼくは、武田の宿老級の死者を調べさせた」
山県昌景。赤備えを率いる勇将。
馬場信春。信虎、信玄、勝頼の三代に仕えた老練な将。
土屋昌続。信玄の近習あがりの才気煥発な武将。
原昌胤。文武に優れた武将。
内藤昌豊(昌秀)。武田の裏方を任された武将。
甘利信康。武田庶流の武将。
真田信綱。剛勇を信玄に愛された武将。
加えて、岩村城で捕縛され処刑された、秋山信友。
「正直、ゾッ、としたよ。もし、父上から預かった宿老たちに、これだけの被害が出れば、ぼくはどうなっていただろうと思ってね」
そして調べるほどに、勝頼という武将の非凡さが見えてきた。
父の信玄は、強大な軍事力を勝頼に継承したが、負の遺産もまた大きかった。信玄は勝てそうだと思えば、躊躇なく相手の喉笛にくらいつく積極性の持ち主だった。まず動き、後のことは後で考えるのだ。
おかげで、勝頼が継承した時には武田と諸国との外交は破綻しまくっていた。三国同盟を結んでいた今川は、父信玄が兄の義信を犠牲に攻め滅ぼしてしまった。残る同盟相手の北条とは手切れとなったのをよいことに、関東で略奪騎行を繰り返したあげくの三増峠の合戦である。
上杉とは、言うまでもなく川中島以来の不倶戴天だ。
最後まで友好関係にあった織田・徳川連合に背後から襲いかかり、三方原の戦いで徳川をさんざんに打ち負かしてから、信玄は死んだ。
後を継いだのは、本来は諏訪家を継承するはずだったので武田の通字の『信』を持たず、官位も申請されず無位無官のままの勝頼だった。
「噂では、勝頼は陣代のままにし、家督は勝頼の息子が十六才になったら継がせよとか」
「ぼくが勝頼だったら、この時点で世を儚んで出家して高野山だよ」
良いこともあった。周囲皆敵なので、宿老たちは、どれだけ不満があっても、勝頼を支持するしかなかった。身内で争えば、周辺国が大喜びで武田領を侵食しにくるだろう。信玄の下で戦漬けの日々を送ってきた武田は、そのことをよくわかっていた。自分たちがしてきたことだからだ。
良いことはそれだけだった。
「なんていうのかな。調べるほどに、信玄と勝頼の関係が、ぼくと父上の関係にかぶってきてね。敵なんだけど、応援したくなるっていうか……」
長可が首を左右に振った。
「信忠様。敵なんですから、応援しないでください」
「そんなこと言わないでよ、長可。意地悪だな」
後を継いだ勝頼は、ひとまずは信玄が残した戦略方針に従い、徳川に狙いを定めた。
信玄が、対織田戦をどこまで真面目に考えていたかは不明だが、徳川から遠江を奪取するまでは既定路線といえた。後のことは後で考える。いつもの信玄思考である。
勝頼にとって、長篠の戦いは徳川を屈服させる最後の一撃になるはずだった。周囲を敵に囲まれている信長は、家康の救援に全力を投入できない。今回も、同盟相手を「見捨てなかった」と言い訳できる規模の援軍しか来ないはず。おそらく。たぶん。きっと。
決定的な敗北は、常に勝利の幻想を追いかけて起きる。
設楽原で勝頼を待ち受けていたのは、織田家中からかき集められた三千を超える鉄砲と、堺の商人から買い漁った玉薬と鉛玉を持ち込んだ、信長率いる織田の主力部隊だった。
「ぼくが勝頼だったら、この時点で世を儚んで出家して高野山だよ」
「二度目の高野山行きですね」
「勝頼の立場って、そのくらいつらいんだよ。でも、勝頼はここでもくじけなかった」
勝頼は長篠の敗北の後も、苗木城を確保し続けた。
苗木城を奪われなければ、木曽路も東山道も、封鎖できる。
信濃を兵力抽出のための、安全な後背地にできるのだ。
「信濃の国衆に出した軍役改定の写しを手に入れたんだけど……あ、これこれ。鑓を減らしてでも、鉄砲を増やせって書いてある」
「鉄砲に打ち負かされた長篠の戦いの教訓でしょうか」
「ぼくは違うと思う。鉄砲足軽は、短期間で戦力化できるから、銭はかかっても効率はいいんだ。風林火山を知る宿老たちと、手練の武士が死に絶えても──勝頼は、諦めなかった。本当にすごいよ」
苗木城で西の国境を塞いで稼いだ時間で戦力を回復した勝頼が目指した新たな道は、東の北条だった。
謙信の急死で俄に乱れた上杉の家督争いにおいて、勝頼は北条が押す本命の上杉景虎ではなく、対抗馬で穴馬の上杉景勝に全額を賭けた。信玄と同じように躊躇なく、食えると判断したら腐肉だろうが噛み付く習性は、あるいは甲斐武田家の家風であったのかもしれない。
「鉄砲足軽で戦力化した新生武田軍は、上野国や武蔵国で北条と敵対した。左京大夫は代が変わっても狂犬は狂犬だったか、って気分だったろうね。気持ちはわかるよ」
「信忠様。どっちに感情移入してるんです」
「両方」
左京大夫は氏政の官位だ。無位無官の勝頼には、義兄の持つ武家ではほぼ最高位の官位が羨ましく見えたであろう。
「謙信の度重なる越山すら跳ね返し、いよいよ関東制覇を目前とした北条軍の精鋭に対し、長篠で一敗地に塗れた勝頼の新生武田軍。左京大夫からすれば、勝って当然の戦いだったろうね」
勝利したのは、勝頼だった。
鉄砲足軽を中軸に戦力化された新生武田軍は、火力を集中して北条軍の一部を粉砕し、残りを怯ませ、戦線を押し上げていく。
玉薬と鉛玉がある限り、新生武田軍に負けはない。
「左京大夫から父上に手紙がきたよ。上野戦線の戦況が厳しく、このままだと『可滅亡候哉』と書いてあった」
「本当ですか」
「書いてあったのは本当。どこまで本気かはわからない」
信忠は、ふう、とため息をついて金造を見た。照れたように含羞む。
「勝頼はすごい。でも、失敗も多い。長篠では大敗したし、景勝に賭けて北条を敵に回す外交もどうかと思う。そして、高天神城だ。高天神城を捨てる決断が最後までできなかったから、家康に見捨てさせられた」
金造は信忠に問いかけた。
「高天神城を見捨てたことで、武田家中に動揺がありそうですか?」
「まだ、ない。まだね」
信忠の顔から、笑みが消える。
「これから、ぼくが作る」
父を越え、天下人を目指すと決めた男の顔で、信忠は言った。




