33:国譲り
天正九年(1581年)四月十日。
安土城から坂本城に戻った光秀は、足早に書庫へと向かった。
光秀の後ろから、文箱を持った近習がパタパタと追いかける。
光秀の予想通り、書庫には金造がいた。
最近の金造は、寝泊まりも書庫の近くにある部屋ですませる。
「光秀様。お帰りなさいませ。指出は集まりましたか」
「ああ。整理を頼む」
領国の検地は、二段階に分けて行う。
第一段階は、指出検地である。田畑の広さと等級、作人、分米などを村や荘に提出させる。
第二段階は、竿入検地である。現地に人を派遣して竿を立て、縄を入れて田畑の広さを実測し、実際に耕す作人や、年貢支払いに責任を持つ名請人から聞き取り調査を行う。
支配が行き届いていない場合、検地は第一段階で終わる。第二段階は、国衆など名請人の抵抗があるからだ。ここでの抵抗は、手間がかかって負担というのがひとつ。もうひとつは現地で実測してしまうと、へそくりとして隠しておきたい田や、新田開発して広げた田が出てくるからだ。
竿入検地で指出よりも増えた量を「出来分」と呼ぶ。出来分があると領主からは曲事として叱られるし、その分だけ年貢などの負担が増える。悪質な時には領主の直轄領として取り上げられることもある。
二年前に光秀が占領した丹波、光秀の与力である長岡(細川)藤孝が入った丹後の支配が進むにつれ、検地も第一段階の指出から、場所によっては第二段階の竿入へと進んでいる。
ただし、所領安堵された国衆については別枠である。彼らは今も指出だけで許されている。独立心の高い丹波の国衆は大雑把な指出をすることが多い。
「相変わらず、多紀郡の国衆は、ぐちゃぐちゃな書き方してますね」
「信長様が雑な指出を見たら、癇癪を起こして首を刎ねちゃうから、きっちり書式だけでも整えろとは言ってあるんだがな」
「お、これはけっこうちゃんとした書式ですね。文字は拙いですが、書式は守ろうとしている。籾井の国衆の……太兵衛ですか」
「ほほう。熱心なのがいるな」
「前の指出より増えてる田んぼを、本家穏田と正直に書いてありますよ。このまま書いていいんですかね」
「かまわん、そのまま書いておけ。たぶん、指出書いたのは分家の者だろうな。山に囲まれた土地に長く住んでると、親戚付き合いの方が揉める元なんだよ」
光秀と会話しながら、金造は新しい指出の内容を検地帳に書き写し、修正していく。
光秀は、周囲に人がいないのを見計らい、金造にささやく。
「笑岩殿、阿波に乗り出したぞ。阿波三好に調略をかけている」
「阿波には、土佐侍従殿も入ってきておりますが」
「そうだな。ここは土佐侍従と縁のある内蔵助に頑張ってもらわんとな。せっかく愛好家同士で仲良くなったんだし」
「利三殿、紀貫之の和歌の解釈をめぐって、手紙で論争して仲良くなったんでしたっけ」
「内蔵助が感心してた。あれだけ煽った手紙を送ったのに、理路整然と返してきたとな。土佐の姫若子、只者じゃありませんと」
「何やってるんですか、あの方」
「いつものことだ」
土佐侍従とは、長宗我部元親のことである。
長宗我部家は、土佐の国衆である。
国衆は武力で領地を増やせるが、増えた領地を維持するには権威が必要だ。その権威を保証するのが中央との繋がりである。元親は、幕府の奉公衆である石谷氏、蜷川氏と縁を持つ。
内蔵助こと、斎藤利三も同じ縁を持っており、元親との関係は、「利三の兄の義妹が元親の正室」となる。
「遠交近攻。土佐の長宗我部は、織田にとっては手頃な同盟相手だった。近くの三好や毛利を牽制できるからな」
「それで利三殿が奏者となったわけですが、河内三好の康長殿が阿波三好に食い込んできたとなりますと……」
「おう。笑岩殿としてみれば、河内と讃岐、阿波の三好一族をまとめて、織田家内に一大派閥を構築したいところだろうな」
笑岩こと、三好康長は織田家中では新参だ。天正三年(1575年)四月に高屋城で降伏するまで、織田とは敵対関係にあった。三好を支えた三人衆と松永久秀が消えた今となっては、全盛期の三好を知る最後の世代である。
「康長殿は、かなりのお年ですよね。久秀様もそうでしたが、三好の係累の方々は本当に元気です」
「人は年を取るとな。何かを残したくなるのだ。わしもそうだ」
「残すといえば、光秀様。法度の進行はどうでしょうか」
「む……むむ……」
「そんなに難しいのですか?」
「明智家だけで使う分は、なんとかなる。個別対応が必要なことは、全部上に回せばすむ。だが、天下一統の御世で使うとなるとな……」
「お忙しいのはわかりますが、軍法だけでもまとめておかれた方が」
「そうだな。何があるかわからんからな」
光秀は遠い目をして言った。
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『父子、五ヶ年在城の内に、善悪の働きこれ無しの段。世間の不審余儀無く、我々も思い当たり、言葉にも述べ難き事』
天正八年(1580年)八月十五日。信長はこの言葉から始まる十九ヵ条の折檻状を佐久間信盛に突きつけ、信盛・信栄親子を高野山に追放した。
明智家京屋敷で、折檻状の写しを見た時の光秀の表情を、金造は忘れられない。
額はくすみ、瞳は絶望に沈んでいた。
信長と信盛。両者の確執は半年以上続いており、信盛が追放されることは既定路線であった。織田家筆頭家老の追放は、本人たちだけの政治劇ではない。織田家の多くの人が、望む望まぬに関わらず信盛の追放に巻き込まれた。主だった者では、林秀貞、安藤守就・定治親子、丹羽氏勝らである。
「これは……まさか、これほどまで……」
信長が癇癪持ちであることは、光秀も承知している。同情もしている。
信盛に友情を感じてはいるが、信長が決めたならば、受け入れる覚悟だった。
だが、折檻状の内容があまりに酷すぎた。
「信長様は……これを……ご自分で書いたこの内容を、信じておられるというのか……」
事実を誤認するのはよい。後で修正ができる。
激高のあまり筆が滑るのも仕方がない。後で修正ができる。
だが、激高のあまり己の記憶を改竄されては、もはや修正は不可能だ。
「信忠様と信盛殿の話を聞いた時には、半信半疑だったが……本当に信長様は……」
「他の宿老の方々にも、折檻状の写しが届いているはずです」
「そうか……そうだよな。今の信長様の頭の中では、これが事実なのだから……織田家内の他の宿老たちに、信盛追放の正当性を訴え、これだけの功績があるのだから、お前たちは追放しないと……くそっ、くそっ、くそぉっ!」
だん、だん、だんっ。光秀が拳で床を殴りつける。
『丹波国での日向守の働き。天下の面目をほどこし侯』
折檻状の中の一文である。
光秀に続いて、羽柴秀吉、池田恒興、柴田勝家らも顕彰されている。
彼らがどんな思いで読むか。考えるだけで光秀は胸が張り裂けそうになる。
いずれも一廉の武将だ。この折檻状を読むだけで、信長がどのような状態にあるのかを察するだろう。
「光秀様。お手を」
金造が血の滲む光秀の拳を、布で優しく包む。
「金造よ。このわしが、丹波平定で天下に面目を施したのだそうだ」
「はい」
「自分が褒められて、これほどに虚しい心持ちになるとはな」
「はい」
「わしも、出家して高野山で隠居したい」
「まだ、だめです」
「まだ、だめか」
「はい」
天井を仰ぎ、光秀はため息をつく。
「そうだな。まだ、やることがあるな」
光秀は、織田弾正家累代の家臣ではない。加えて、若い頃は越前の牢人だ。光秀は自称「瓦礫沈倫之輩」である。それゆえ、我が身一代の立身が、信長の引き立てのおかげであるという意識は強い。織田家には大恩がある。
「織田家を正しき道に戻す。今ならば、それがまだなる」
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「……とはいえ、そろそろ限界だ」
「何かありましたか」
「何もないのだ」
「よいことでは?」
「これだけ大きくなった織田支配領域で、何もないはずがあるか。小さな問題は無数に発生していよう。信長様まで、正確な報告が上がってきてないだけだ」
織田の宿老たちは、それぞれの担当正面で、今も忙しく働いている。
秀吉は西で。勝家は北で。支配領域を広げつつある。
笑岩が阿波三好を調略しているのも、四国征伐への足がかりとしてだ。
他の吏僚たちも、各地で指出検地を行い、国衆への統制を強め、動員を強化している。
「秀吉殿は特に熱心だな。本当に大毛利を圧倒するやもしれん」
「あんなに戦上手な方でしたっけ?」
「学んでおるのだ。成功からも失敗からも。常に成長を続けるのが、羽柴筑前守という男よ」
信長は、信盛への折檻状で家臣団に喝を入れた効果があったと考えているはずだ。
もちろん、効果はあったろう。だが、本当のところは違うと光秀はみている。
織田家の皆は、自分がやって成果が上がりそうなことにだけ集中しているのだ。
これまでは、筆頭家老の佐久間信盛と、家宰としての役割を担う林秀貞とが、領内の細々とした部分に目を配ってきた。国衆や村の経営が破綻しないよう、気をつけていたのだ。手間と苦労は多いが、目に見える成果は上がらない仕事だ。だが、それが織田家全体のためになると思えばこそ、信盛と秀貞は手を尽くしてきた。
しかし、手っ取り早く領内の動員力を上げ、戦争に勝つのであれば、小さな国衆や村は、経営破綻し、流浪の身になってくれた方がいい。借銭や借米の返済で二進も三進もいかなくなって身売りをした者たちこそ、戦場で消耗品として使い潰せるからだ。
宿老たちが順調に国境線を押し上げていく裏で、後背地に荒廃が広がっていく。
「このまま天下一統が進んでみろ。天下の恨みは、天下人に、織田家に牙をむくぞ。それまで外に向けていた不平不満が、天下が定まると同時に内を向く」
「そうなる前に、どこかで足元を見て、細かい差配をせねばならんのですね」
「そうだ。国衆も村も、困っている相手の事情を一件ずつ聞き、丁寧に処理する。天下静謐は、細々とした面倒くさい作業を続けてこそ、成立する」
光秀は、丹波でやっていると自負しているが、あくまで一国を相手にした事例収集だ。織田領全域で実行するためには、条件がある。
「信長様から、信忠様への、皆が納得する国譲り。これが成ればこそ、織田の天下は万代盤石となる」
「はい。信忠様もそれを望んでおられます」
「だが……今のままでは……」
国譲りは、親から子という形ですら、順調にはいかない。
それまで親を「頼り」にしていた者たちが、譲った後も親にすり寄る。
無下にはできぬと、親が子の頭越しに指図をすれば、子の面子が潰れる。
親の差出口に不満を抱く子に、親の代には日陰者だった者たちが近づいてくる。
将軍家でも、大名家でも、親子の確執はそうやって広がる。
甲斐武田家は特にひどく、信玄が信虎を追放し、信玄が義信を廃嫡した。当代の勝頼は、元は諏訪を継いで義信の藩屏となる身であったから、家中の権力基盤は脆弱だ。それが長篠の敗戦や、御館の乱での外交方針のブレへとつながっている。
「時間はかけたくないが、甲斐武田のようになっては禍根を残す。ここは時間をかけてでも……ん、どうした」
信忠から使者がきたと聞き、光秀が場所を移そうとする。
しかし、すぐに「いえ、ここで結構です。むしろここがいいです」と使者がやってくる。
わずかな伴を連れた僧侶だ。顔を見て光秀の額が輝く。
「信栄殿か! 元気そうで何よりだ!」
「惟任日向守様もおかわりなく。一別以来でございます。あと、今は僧形ゆえ不干斎の方で」
「おおそうだった」
父親譲りの、いかついが愛嬌のある目鼻立ち。
信栄は昨年の八月に父の信盛と一緒に高野山に追放されたが、信忠が信長に粘り強く交渉し、今年二月の京馬揃の成功で上機嫌の信長から「赦免はせぬが、陣僧として使うは苦しからず」と言質を取って引き取った。
「そなたが来たということは、何か動きがあったか」
「はい」
信忠は信栄を内密の話が必要な相手、必要な時にのみ、指し送る。
信栄は信忠からの手紙を光秀に差し出した。
「遠江の高天神城が落ちました」
「そうか! となると信忠様は、武田に狙いを絞ったか!」
「はい。信忠様は、ご自分の力で武田を落とす。その武功をもって、信長様からの国譲りを実現させるお考えです」
「武功は十分だろうが、武田領国の信濃も甲斐も山国だぞ。わしも丹波では苦労した。兵糧も道もなくてな」
「道はあります。信玄公と当代の勝頼が整備した、外に攻め込むための軍道が」
「兵糧は?」
「ありません。だからこそ、明智家の力を借りたいのです。信忠様が、誰の目にも鮮やかに武田を征伐できるよう──兵糧の道を作るのです」
「相わかった」
光秀は金造を呼び寄せ、肩を抱いた。
「我が明智家の勝手方が、勝頼の喉笛に迫る兵糧の道を切り拓いてみせようぞ」
光秀の額がキラリと輝いた。
佐久間信栄の赦免がなるのは翌年の天正10年(1582年)1月ですが、話の流れの都合上、少し早めに信忠の家臣に戻っております。




