28:付城の戦い
天正六年(1578年)。十二月の半ば。
八上城(現:丹波篠山市)の周囲には、いくつもの砦が築かれていた。
ほとんどの砦は、古くからある国衆の館か、詰め城を改修した簡便な付城だ。中に詰めているのは、丹波の国衆とその郎党だ。多いところで十数人。少ないところでは二、三人。交代で櫓に上り、道や川を見張る。
付城の目的は、第一に監視である。八上城に兵糧が持ち込まれないよう、見張るのだ。
通るものがあれば、大声で誰何する。
「わりゃあ! どこのもんじゃ! 牛連れて、どこいくんじゃ!」
「小野のもんじゃがね! 細工所にいくんよ!」
「待て待て、ちょっと見せぇ!」
東西の太い道と、南北の細道が交差する十字路で。
牛を連れた女を見つけた地侍が、櫓を降り、古い鎧をガシャガシャ鳴らして駆け寄る。
手ぬぐいをかぶった女が、呆れたように声をあげる。
「あんたぁ、東の籾井のところの太兵衛じゃん。どしたんね、その格好は」
「小野のとこの小藤姉か」
兜の下の顔はまだ若い。
浅黒い顔の女も、泥と日焼けで老けて見えるがまだ十八才だ。
「鎧もぜんぜん体にあっとらんし。あんたいつからお武家さんになったんね」
「うちは元から武士じゃ。明智んところに大負けして、本家のところがみんな死ぬか追い散らされるかしたんで、うちが継いだんじゃ」
「そりゃ災難じゃったね」
「親父は喜んどるがな。威張りくさっとった本家衆が逃げ散ったんで」
口取りの下男が引く牛の背を、太兵衛は仏頂面であらためる。米俵がふたつのっている。
米俵には、稲荷神社の御札がついていた。
「なんか、その御札を米俵にのっけとけば大丈夫って。ほんまかね」
「おう。明智の御用で使う荷には、稲荷の御札をつける決まりじゃ」
付城に籠もる兵も、飯は食う。野戦築城だから元からの蓄えはない。米も薪も消費分だけ運び込む。道を往来する牛馬は平時よりも増える。
なので、運ぶ米が明智のものかどうかは明智が制札を出した神社の御札で判断するよう決めてある。問答の手間を省くためだ。
「通ってええで」
「はいよ。ねえ、これっていつまで続くんかね」
「わしに聞くな。羽多野の殿様が決めることじゃ……っと、もう殿様じゃないんか」
これまで、太兵衛ら籾井の地侍は、八上城の波多野氏に服属していた。
日々の生活がほぼ農民に等しい地侍にとって、丹波の有力国衆である羽多野氏は、京の公方様と同じく殿上人だ。
「このへんじゃあ明智の衆、最近は見かけんけど。諦めて京に帰ったんと違うん?」
「諦めとりゃせん。摂津の方で戦ってるみたいや」
「ええかげんに負けて、京に引っ込んでくれたらええのに」
「無理じゃろ。桔梗紋は強いで」
太兵衛の瞳に、畏敬の念が浮かぶ。
(あれはもう、一年前か……)
籾井城で、明智の足軽隊と戦った時のことだ。太兵衛は本家の郎党として戦場にいた。元服したばかりの太兵衛だが、これでも丹波の地侍だ。戦のひとつふたつは経験している。だが、目の前の戦は国衆同士の戦とは、まるで違っていた。
何より違うのは、速度だ。
国衆同士の戦では、相手の様子を見ながら、交互に手を出して探り合う。相手が崩れれば嵩にかかって攻めかかるが、それまでは弓を射たり、礫を投げたりして「どうや?」「まだや!」「どうや?」「なんか効いとるみたいや!」とのんびりしたものだ。敵だけではない。味方の動きもぼんやりと、ノタノタ動く。
明智の戦は違った。手応えを確認したりしない。百人近い足軽の衆が、一個の巨大な生き物のように連携して動く。前の方にいた貝田の衆が、さっき戦い始めたばかりだというのに、今はもう膾に刻まれている。備の弱い腸をえぐられ、食い込まれ、あれよあれよと四散していく。
(これはかなわん。しかも、次はわしらや)
太兵衛は槍なら本家の大人に負けぬ自信があるが、あくまで一対一の勝負での話だ。明智の足軽隊は、槍の上手が正面から突きかかると同時に、左右から長柄を持った足軽が上から叩いて下から払ってくるのだ。太兵衛では一合と持つまい。転ばされて喉を突かれて終わりだ。
(本家の大人衆はどうする気や。こんなん逃げるしかないで)
太兵衛は後ろを振り返る。馬乗りの大人衆が青ざめているのを見て、ちょっと安堵する。目の前の光景を見せられ、なおも平然としていたら、最前線の郎党としては絶望するしかない。あれを正面から受け止めるのは、太兵衛たちなのだ。
(たぶん、どっかで逃げえいう合図が出るやろ──お?)
正面に向き直ると、明智の兵が消えていた。貝田の衆を切り刻んでいたはずなのに。今はもう逃げ散る者と、地面に倒れて呻く者しかいない。
太兵衛は仰天して左右を見る。
あった。右下に桔梗紋の旗。いつの間にか、明智の足軽衆が側面に回り込んでいる。
「ぶっ殺せーっ!」
怒号をあげ、駆け上がってくる。
本家の備は、右側が急斜面だ。太兵衛たち郎党は狭い正面に集められていた。
わざわざ隊を崩してまで、不利な斜面から上がってくるものはおるまいと考えての配置である。
ところが、明智の足軽隊の考えは逆だった。斜面から攻めれば、むき出しの横腹を食い破れる。あとは本陣まで一直線だ。
「槍っ! 右やっ! 右に回れっ! 上からたたけえっ!」
馬上から、本家の大旦那が叫ぶ。太兵衛たち槍持ち郎党が弾かれたように動き出す。
パンパンパン、と鉄砲の音が連続した。馬が撃たれて竿立になり、大旦那が落馬する。槍持ち郎党の足が止まる。
まるで、この瞬間を狙っていたかのように。いや、狙っていたのだ。獣の頭を殴って昏倒させるように。備の指揮系統を麻痺させたのだ。
「おっしゃ、いけええーっ!」
斜面を駆け上がった大柄な足軽頭が、本家の惣領に槍をつけた。続いて、槍の柄に笹の葉をゆわえた剽悍な武士がスルスルと進み、地侍を次々と屠っていく。皆がわっ、と崩れて逃げた。太兵衛も走った。
(……よう命があったもんじゃ)
太兵衛はぶるっ、と背を震わせた。
戦の後、籾井の国衆は全員が明智に服属した。籾井城は明け渡した。今も明智の命じるがまま、付城を建て、交代で廻番している。
──籾井者は桔梗紋の旗には逆らわん。
互いの強さの格を理解した上での、暗黙の共通認識である。
摂津の方で織田が苦戦しているという話は流れてくるが、認識に揺らぎはない。これを機会に自立しようなどとは思わない。また桔梗紋の足軽衆にズタズタにされたくはないからだ。千六百年前、カエサルに負けたガリア諸部族も、籾井の国衆に同意するはずだ。
「小藤姉、行ってええで。気をつけ──」
「兄ぃっ! 太兵衛の兄ぃっ!」
太兵衛の代わりに櫓に登っていた余五郎が駆けてきた。
国衆の焼けた屋敷を手直しした道沿いの付城には、二人しかいない。
「余五郎。見張りしとけゆうたろうが」
「敵や! 八上の衆が、飛曽山峠の方から出てきおった!」
「なんだと! くそっ、山ン中通ってきたかっ!」
西を見た。旗が見えた。十人。廿人。
八上城からここまでにも、付城は存在している。夜の間に月明かりの中を旗を倒して山を通って、すり抜けてきたのだ。
「あいつら、狙いは牛と米俵かっ!」
太兵衛は俵から稲荷の御札を剥ぎ取り、びっくりして立ち止まったままの小藤に押し付ける。
「小藤姉! これだけ持って逃げえ! 北や!」
「え、でも。ヨモギと米は」
「ヨモギって……牛か。米は置いていけ。牛は」
太兵衛は米俵を地面に落とした。
身軽になった牛の尻を、槍で思い切り叩く。
「ベエエエエッ!」
牛が悲鳴をあげ、口取りの下男を引きずるようにして、北に突進する。
「はよ逃げえ! わしらも追いかける!」
「うん! 太兵衛も気をつけて!」
牛の尻を追いかけるようにして、小藤が走りだす。
「兄ぃ、わしらも逃げよう!」
「待て。俵のそっち側を持て」
「米俵なんか持ってたら逃げられんで!」
「阿呆。川に落とすんじゃ!」
小野谷から出ている小川に、米俵を落とす。
それから牛と小藤を追いかけて逃げる。
西から追いついてきた八上衆は丸に抜け十字の旗印を掲げていた。羽多野の家紋だ。
「あいつら、川に米俵を落としてます! 二つ!」
「ちっ、姑息な……十佐! 米俵はお前らの組が持ち帰れ! 残りはわしについてこい! 牛も捕まえる! できんなら殺せ!」
山がちな丹波で牛は貴重な労働力だ。牛を一頭殺せば、人を十人殺すより価値がある。
追いかける。逃げる足軽の背が見えた。その向こうに、牛。
「射殺せぇ!」
顔はわからないが、詰城にいるということは近くの地侍だ。裏切り者だ。
敵より裏切り者が憎いのは、人類共通の共同体意識がもたらす錯誤である。
(うおっ、矢が飛んできよる!)
太兵衛は、着慣れた胴丸ではなく、本家の古い鎧を着てきた己の判断を悔やむ。
重い。走りにくい。
矢が降ってきた。地面に刺さる。一本。二本。三本。
余五郎には飛んでない。太兵衛だけだ。
(くそっ、わしが兜首だからか!)
さらにもう一本。ガンッ、と右肩に衝撃。痛みが走る。
転びそうになるのをこらえる。右肩を見る。広袖が取れている。
もはやこれまでか。太兵衛が覚悟を決めた時。
わっ、と後ろから声が聞こえた。
街道を東から、足軽たちが駆けてくる。
旗印を見るまでもない。太兵衛には動きで誰かわかった。明智だ。
浮足立つ八上衆。反応が鈍い。明智の足軽に追いつかれる。
抜け十字の旗印が、パタリ、パタリと倒れる。
桔梗紋の旗印が、誇らしげに翻る。
「ええ案配で横槍ができたわ」
「だな」
明智家の足軽を率いてきたのは、近江出身の内畑日之介だ。
共にいるのは可児の吉長。美濃出身の、笹をつけた槍が得物の武士だ。突破力が必要な時に日之介が呼び、足軽隊と行動を共にする。
一団を率いて、逃げる八上衆を追いかけていたあばた顔の足軽が戻ってくる。河内出身の武吉だ。
「すんません。十と一人、逃しました。ですが連中が逃げ込んだ山への入り口は確認しました。八上城に続いてると思います」
「よう見つけたぞ、武吉。逃げた数は気にすんな。半分始末できただけでも上出来よ。兜首もおったしな。内蔵助殿にええ土産ができたわ」
「だな」
日之介が率いる足軽の内畑衆は、光秀と共に摂津で荒木方との戦いに参加していた。池田城を拠点にし、三田城を囲む付城を建設した。
三日前。織田が拠点とする池田城に戻り、織田軍幹部が集まっての軍議となった。
翌朝。池田城から北上し、約十里(40km)の山道を二日かけて進む。
そして今日。飯を炊いて腹ごしらえをすませ、亀山城から西に伸びる街道との合流点に出たところで、八上衆と遭遇したのである。
「八上衆の動きが鈍かったな。なんでかわかるか」
「米俵を抱えて逃げようとしてました」
古い鎧を着た地侍と、牛を連れた女がやってきた。女が大事そうに稲荷の御札を持っている。
地侍の話では、八上衆は女が運んでいた米を狙って襲ってきたのだという。
「連中は山から出てきた。んで、米を狙ってきたか」
日之介は懐に入れた帳面を出して、気づいたことを書き留めていく。
帳面は金造にもらったものだ。使ってみると、意外に役立つ。自分で記憶しておかなくても、帳面を読み直せばいいのだ。「書くやつの頭が悪いほど、使い勝手がいい」ので重宝している。
「こりゃ、付城が効いとるな」
「だな」
日之介の言葉に、吉長が頷く。
付城は、周辺地域からの米の流れを遮断する。
米は、価格に比して輸送コストがかかる。八上城のように水運が使えない場所では、年貢は「とったこと」にして庄屋の蔵にそのまま入れてあることも多い。女が牛で運んでいた米も、羽多野氏の年貢米だ。
平時であれば、食ったり売ったりする時にだけ、運び出せば済む。米が常に流れているのは京のような大都市圏だけである。
戦時では、それがうまく機能しなくなる。人が先に動き、米は後に取り残される。
八上城攻めで、明智勢はその隙間を利用した。
敵城に付城をつけ、周囲の村から年貢米を吸い上げ、付城に入った兵に食わせる。
包囲する側としては、効率よく敵の支配力を収奪できる仕組みだ。
「八上城の連中、城に兵を集めたはいいが、今年の年貢米は集まっとらん。今頃は青くなっとるやろうな」
「だな。この連中も、年貢徴収にきただけか──おい! その兜首は丁寧に扱えよ。わしの手柄じゃ」
自分たちで作った死体の中に立って平然と会話している明智の足軽たちを、小藤は気味が悪そうに、太兵衛は憧れの眼差しで見ていた。
「あれが、明智の兵……なんか怖いわ」
「そうや。強いやろ」
「太兵衛はああなったら、あかんで」
「え、でも強いやろ」
「ああいうふうに強うなったら、あかん」
小藤はピシャリと、強い口調で言った。
牛のヨモギがベエ、と鳴いた。




