27:逆心の理由
天正六年(1578年)十一月。京。
摂津一職を任されていた荒木村重の逆心の報を受け、光秀は京屋敷に詰めていた。即座に動かせるよう、秀満と千の兵は、吉田神社など、近くの寺社に分宿してある。
「えらいことになったな」
丹波攻めがいよいよ大詰めを迎え、八上城に王手をかけようかというところでの謀反である。山がちな丹波を攻めるため、摂津から糧道を延ばす予定だったのが、その摂津が敵に回ったというのだから、明智勢にとっては他人事ではない。
「丹波攻めの主力は亀山城に置いてあります。動かさないかぎり、兵糧は気にせずともよろしいかと」
明智家の勝手方である金造が帳簿を手に報告する。
築城には、兵糧を安全に蓄えられる利点がある。亀山城の蔵には米が千俵ある。駐留している二千の兵の四十日分の兵糧だ。内訳は利三が指揮する千と、丹波国衆の千だ。
「金山城はどうだ」
「金山城の米は……三日前の時点で六十俵。城番で入っている百の兵で四十八日分です。兵が増えなければ大丈夫かと」
「うむ。ここは多紀郡と氷上郡の境目の付城だ。黒井城ににらみがきかせられたら、それでいい。堅牢には作ったが、あくまで守りの城だ。金山城の縄張りは、えーと……あったあった」
光秀が丹波のあちらこちらの国衆から届いた文を、ばっさばっさとかき分ける。九月に金山城を築城した時に、丹波国衆で与力でもある小畠永明から届いた文を読む。
「内蔵助(利三)はなー。仕事はできるやつなんだが、自分が頭よいから、整理してくれないんだよなー」
「すみません。利三様に付けた重太も丸暗記ができるやつなんで、二人揃うと報告がとても雑になってしまって……」
「いやいい。届く情報はナマだから早いし。そっちが大事」
「それがしが整理できればよいのですが……最近は、日々の帳簿を正確にするだけで、手一杯なところがありまして……」
「いやいい。優先順位は帳簿の正確さだ。人手が足りないのは、全面的にわしが悪い」
「あの……いえ……」
「どうした」
珍しく口ごもった金造に、光秀が問う。
「織田家の差配です。どのようにやっておられるのか、少し気になりまして」
新興武家の明智家が急拡大によって人が足りないのは金造も知るところだ。
では織田家はどうか。古くからある武家だが信秀までの弾正忠家は尾張半国の規模だった。
十九才で信長が家督を相続。裏切り相次ぐ国内をまとめるため、九年かけて尾張統一戦争を行い、ついには今川義元を桶狭間で討つ。
三河の家康と同盟を結んで東の国境を安定化させるも、道三の横死、義兄義龍の病死によって不安定化した美濃との戦がこの頃から激しさを増す。七年かけて美濃を征服し、義理の甥の龍興を追放する。
三十五才の信長は、美濃と尾張をまとめた戦国大名となった。
戦国大名の戦いに終わりはない。力が付けば付くほどに、周囲から目をつけられ、「頼り」にされてしまう。境目の村や国衆から。流浪の前公方の弟から。力があるから「助けてください」「お味方ください」と頼られる。無視すれば、「頼りなし」と評され、統一したはずの国内からすら裏切り者が出てくるようになる。
信長は、裏切るのも、裏切られるのも、イヤだった。それに、根っこのところでは裕福な家で育った気のいい男だったので、頼られるのが気持ちよかった。
だから頼りにしてきた義昭を奉じて上洛した。浅井と同盟を結び、六角を打ち払い、京へと駆け上がった。
上洛戦で、これ以上ないほどに信長は成功してしまう。
これまでよりさらに「頼り」にされるようになった信長に、周辺勢力は警戒と敵意を抱いた。信長が妬ましいのはもちろんだが、それ以上に、領内の者どもが「今の主より、信長様の方が頼りになる」と自分たちから離れていくことに危機感を抱いたのだ。
中立だった朝倉が、敵に回った。
味方だった浅井が、敵に回った。
奉じて上洛した公方すらも、敵に回った。
裏切るのも、裏切られるのもイヤだった。
周囲に請われるまま、頑張って上洛し、戦い続けたあげくがこの仕打である。
何もかもがイヤになって投げ出し、隠棲してもおかしくなかったが、信長は粘り強く敵を潰して回った。
そうして十年が過ぎ、気がつけば織田家は京を含む日本の中央を支配する、巨大な領域国家になっていた。
戦線も広がり続けている。
「それがしは、明智家の丹波戦線だけで手一杯です。織田家の戦の手伝いも、糧道だけですし。信長様のところに日々上がってくる報告の量を考えますと、どう整理しているのやら……」
「うむ。上洛前と根本が変わらぬ制度で動いているからな」
「大丈夫なのでしょうか」
「あまり大丈夫ではない。経験豊富な信長様だから、なんとかなってる」
「やはりそうですか」
「信忠様でもなんとか回せる制度を作らねば織田家は元の木阿弥ですぞと、信長様には諫言申し上げているのだが……」
「お聞き入れくださらないのですか」
「いや、信長様からは、明智家で制度の素案を作って動かして、不具合を明らかにせよ。信忠に回すのはその後だと、こう仰せで……」
「無理です」
「だよな。うちも、わしと金造の、個人の才覚と経験だけが頼みの差配だからなぁ……」
「新しい制度を作ろうにも、日々の業務が忙しすぎてそれどころではありません」
「信長様と一緒だな」
顔を見合わせてハハハと笑う。
声が途切れる。
下をむいて同時にため息をつく。
二人は渋々と日々の業務を殺人的に忙しくした原因に向き合う。
「丹波をどうにかするにせよ、摂津がどうにかなりませんと」
「だよな」
「荒木村重様。いかなるおつもりでしょうか」
「それなんだよなー」
光秀の見るところ、荒木村重の「逆心」には、奇妙なところが多い。
突然のことに信長も驚いたろうが、村重も驚いた様子が見られるのだ。
「心当たりがなかったわけでもなさそうなあたり……久秀の爺さんと同じ匂いがする」
「松永久秀様ですか」
信忠から聞いた松永久秀の謀反の詳細を、光秀は誰にも話していない。金造にもだ。
金造は金造で信忠と書状のやり取りをしており、それとなく察している様子でもある。
「村重様も、独自に石山本願寺と渡りをつけていた、ということでしょうか」
「場所が近いからな。戦の最中でも、渡りをつける手はいくらでもあろう」
久秀の場合には、平蜘蛛をめぐる「事故」というのが信忠の推理だった。
久秀が死んだ今となっては確認する術はないが、光秀も同意見である。
では、村重の場合はどうか。
「村重殿は……罠にかけられたんじゃないかな」
「石山本願寺にですか」
「いや、摂津にいる誰かじゃないかとわしは思う」
「摂津の衆が?」
「石山本願寺は、すでに死に体だ。いつ信長に降伏するか、石山を退去するならその条件はどうするかで、教団の中で意見が割れていよう」
本願寺教団の中の者が、意見をまとめる時間が欲しいので村重を罠にはめた可能性もあるが、迂遠にすぎる。罠に対して信長と村重がどう動くか、本願寺側の手出しができるところではないからだ。望むような展開にならなかった時に、修正できない罠には意味がない。罠をかけることにも、手間と時間は付きものだ。軍配者の指先一本、口先一つで動く罠が存在するのは兵法書の中だけである。
「いったい摂津の誰が、村重様を罠にかけたのでしょう?」
「それなんだがな……心当たりが多すぎてわからんのだ」
「多すぎるんですか」
「村重殿は、下剋上による立身出世の体現者だからな」
荒木村重は、元は摂津池田家の家臣だった。三好などの旧勢力と戦い、主君を追放し、独立し、摂津一国を支配する大名にまで成り上がった。
その過程で、村重は数限りなく恨みを買っている。旧主に縁があるもの。三好に仕えていたもの。村重と同輩だったが今は家臣として膝を屈しているもの。その中の誰が村重を罠にかけても、おかしくはなかった。
「……よく、これまでご無事でしたね」
「村重殿はな。頭の回転が早いし、口もすごくうまいし、気風がよくて好かれやすい人なんだ」
「主君を追放したのに?」
「好かれやすいから、周囲をのせて誘導できる。嫌われてるやつが煽ったところで、自分が追放されて終わりだ。荒木家は一族そろって人好きする気風だな」
「一族といえば、村重様の息子の村次様は、娘婿でしたね」
「娘は離縁されて戻ってきた。不憫な話だが、それはそれだ」
明智家と荒木家。織田家の下で急成長した両家の婚姻は、信長の指示によるものだ。
この時代の結婚は、第一に家と家とのつながりを意味する。
光秀には、結婚する前に夫婦の愛は存在せず、結婚した後で協力して育むものだという感覚が強い。娘を愛しているが、離縁されたことに恨みはない。
「整理します。村重様が罠にかけられた。かけたのは村重様を恨みに思う摂津の誰か。罠の内容は、村重様が信長様に無断で石山本願寺に接近し、影響力を発揮するため、あることないこと相手側に吹き込んだこと。これ自体は信長様に罪に問われてもおかしくない。ここまではよろしいでしょうか」
「ま、あくまでわしの推測だがな」
「それがしが思いますに、これは信長様に頭下げて赦免を請うのが最上ではないかと」
「わしもそう思うのだが……村重殿、最初にいらんことを考えたんじゃないかな」
「なんです?」
「村重殿の最初の一手が、身内の結束なんだ」
村重は、この危機を乗り切るために、摂津の者が一致団結する必要があると訴えたのである。与力として預けられていた中川清秀や、高山重友も村重に言いくるめられるようにして摂津衆は団結した。
団結して自分たちの力を示すことで、交渉を優位に進める。
交渉に臨む基本姿勢としては悪くなかった。だが、時機と相手が悪かった。
「信盛殿からの文によると、信長様がまた勘気を起こしているようでな」
「ああ」
「小姓ら近習がピリピリきてる。信長様が癇癪を起こしそうな文や使者は、取次してもらえんそうだ」
堺で大船を視察した帰りに、二条館で住阿弥と下女が信長の勘気を被って成敗されたのが十月頭。それから半月もしないうちに、村重逆心の報である。
信長の近習が、主君の精神状態を心配して、悪い情報を伝えたがらないのは、無理からぬところではあった。
だが、金造には承服できない。
「それがしとしては、信長様の近習の判断は、納得いたしかねます」
「なぜそう思う」
「それがしは勝手方です。報告で上がってくる情報を、悪い情報だからといって無視しては、帳簿が不正確になってしまいます。これでは、正しい判断ができませぬ」
「もっともだ」
「今の織田家が、信長様の個人としての才覚に頼っているのであればなおのこと、悪い情報でもすべてお耳に届けて判断の材料にせねば、道を誤ります」
「金造らしいな。信長様の不興を買ってしまいそうだが」
「覚悟の上です。そしてその上で、将来はやはり個人の才覚に頼らずともすむようにしましょう」
「結局は、そこに尽きるか。では、丹波攻めを、手早くすませようではないか」
「はい」
「年内には、村重殿も折れるだろう。摂津が終わりしだい、丹波に取り掛かろう」
光秀も、金造も、この時点では予想だにしていない。
荒木村重の抵抗が、この後、一年以上に渡って続くことを。
双方が死力を尽くしたことが、却って遺恨となり、凄惨な結末を迎えてしまうことを。




