26:信長の夢
天正六年(1578年)十月朔日。京。二条御新造。
この日の信長は、近習たちの目には機嫌がよかった。
昨日。信長は伊勢から紀伊半島を回航して到着した大船を堺で見物していた。表面を黒く塗った大船は、見物した者たちからは鉄張りではないかと噂された。
堺では今井宗久らとの茶会も催し、多くの茶人、商人とも親しく会話した。
その後は住吉神社に入り、海の神である住吉三神に、航海の無事と、戦での活躍を祈る祭事が行われた。祭事の後には大船を建造し、回航した九鬼嘉隆らに、黄金二十枚をはじめとする多くの褒美がくだされた。
帰京した信長は二条御新造に入ると京奉行の村井貞勝の出迎えを受け、留守の間の報告を受けた。
寝所に入り、側仕えの小姓を下がらせる。
小姓たちは、襖を閉めると、トントントン、と廊下を進む。
そろそろよいか。
足を止める。
「……」
「……」
何も聞こえない。互いに頷く。そのまま、今度は足音を忍ばせて遠ざかる。
控えの間にきて、誰からともなく、ため息をつく。
「やはり、よい気晴らしになられたようだ」
「このところ、ずっと沈んでおられたからな」
「夜中に声をあげられることは、少なくなったのだが」
側仕えの小姓たちは、秘書であり、護衛であり、伝奏である。
信長と行動を共にするので、信長の健康状態は家臣の誰よりも把握している。
「今すこし、お気楽に日々を過ごせられればよいのだが」
「こればかりは、お気性だ。そうもいくまい」
「お酒をあまり嗜まれぬのは、よいことなのだろうな」
「越後の謙信公は、大酒飲みであったというからな」
この年の三月十三日。上杉謙信は脳溢血と思われる症状で急死している。享年四十九才。
「甘いものはお好きな方だが、度をすぎることをせん」
「女性もだな」
「衆道も」
「己に厳しすぎるのだ」
小姓たちが、はぁ、とため息をつく。
若い小姓たちにとり、四十五才の信長は親の世代だ。
天下人となった信長へ畏敬の念はあっても、親しみはない。
向ける感情にも、どこか距離があった。
「今宵はよい夢をみておられればよいが」
宿直の小姓たちが知る由もないことであるが。
この時、信長は横になったまままんじりともせずに過ごしている。
──どうすれば、よいのか。
──どうすれば、よかったのか。
信長の思考の半ばは、常にこの問いで占められている。
戦の最中でも、食事中でも、信長の思考は高速で自問自答を続ける。
住吉神社で、九鬼嘉隆らを労ったことを思い出す。褒美はあれでよかったか。少なすぎたり、多すぎたりはしていないか。相手の反応はどうであったか。表情は。声は。不満を匂わせるものはなかったか。
伊勢から大船がきたことで、石山本願寺の海上封鎖は、理論上は完全になる。足の遅い大船は、いわば浮き砲台だ。中に入って見物したが、小型船に比べ安定性が段違いだ。甲板も高く、関船程度ならば遮蔽の上から打ち下ろすことができる。しかし、実戦でどこまで通用するかは未知数だ。うまくいった場合。うまくいかなかった場合。両方について考えておかねばならない。うまくいって、木津湊から米が入らなくなれば、石山本願寺は兵糧の枯渇で根腐れする。今度こそ、根をあげる。
木津湊を意識したことで、そこで戦死した塙直政を思い出す。佳い漢だった。家督を相続したばかりで周囲が敵だらけになった時にも、直政と佐久間信盛は変わらず信長の味方だった。自分の心を信用できない信長にとって、直政と信盛は人生の羅針盤だった。二人が黙ってついてきてくれるから、信長は不安に思いながら、それでも前に進めたのだ。
──直政を失わずに済む道はなかったのか。
記憶がさらに過去へ飛ぶ。宴の席に出てきた、干からびた化粧首を思い出す。義弟の首。襲ってくる強烈な後悔に、唇を噛む。裏切り者の義弟を肴にしたことへの後悔とは少し違う。金ヶ崎の退き口まで義弟の裏切りに気づけず、天下に恥を晒したことへの後悔だ。そして、さらに後悔は遡る。義弟が裏切る可能性に、なぜ気づけなかったのか。あの時も。あの時も。兆候はあった。
──朝倉と戦うことには、国衆からの不満もあろう。そなたは糧道だけでよい。
あれは京で会った時だったろうか。信長は、長政に助け舟を出したつもりだった。浅井への負担を軽減させたことで、感謝してもらえるだろうと、勝手に考えていた。あまり嬉しそうでない長政の顔と、何か問いたそうな目を思い出す。
むしろ朝倉攻めの先鋒を任された方が、長政は嬉しかったろう。本来は同格であった浅井家に腹の底では従えていない国衆を、最前線に送り出してすり潰せるから。そうすれば今も、浅井は近江北で、信長の頼れる同盟者でいてくれたかもしれない。
──荷馬は集まったか。兵糧が不足するようなら、美濃からも送る。
京を出発する前に長政に出した手紙の返事は、とうとうなかった。なぜ言ってくれなかったのか。配下の国衆に越前攻めの糧道確保に兵糧や荷馬を出すよう命じたが、消極的不服従や積極的不服従によってどちらも用意できなかったと。
信秀から家督を継いだばかりの若い頃の信長も、国衆の面従腹背にはさんざん悩まされてきたから、長政がどんなに屈辱的な思いだったか手に取るようにわかる。味方の顔をしていながら、こっちを舐めてかかる国衆ほど扱いに困るものはない。
長政が最後まで言い出せず、裏切りを選んだ理由も、信長にはわかる。義兄である信長に頭を下げ、恥をかくのがイヤだったのだ。いっそ裏切って敵になる方が、気楽だったのだ。六角との野良田の戦い、朝倉と組んでの姉川の合戦、どちらも長政の将器を存分に示すものだった。己の才に自負がある男ほど、己の才が通用しないところで恥をかくことを怖がる。
──浅井の裏切りがなければ、朝倉とは境目で小競り合いの末、有利に和睦できた。朝倉の影響を排除した若狭は安定し、若狭を後背地にした公方様の政権も、破綻しなかった。
そうなれば、織田は美濃・尾張・伊勢の三国にまたがる強国として安定できただろう。現在の織田は、大国かもしれないが周囲は皆敵だ。国境が敵だと、領内はいつまでも安定しない。だらだらと戦いが続き、米と銭が失われる。
──あと少しだ。兵糧攻めで石山本願寺を屈服させることができれば、一息つける。
こんな状態の天下を、信忠に継がせるわけにはいかなかった。一手を打ち間違えるだけで、織田家は転ぶ。高転びに、あおのけに、転ぶ。
持って生まれた才能は高いが、信長の庇護の下で才能を磨かずに育った信忠に今の天下を継がせたらどうなるか。
信長は知っている。
弟と争う。
家臣が裏切る。
公方に見捨てられる。
仏に見放される。
公家に、帝に見限られる。
民が嘲笑う。父に比べて不出来な息子よと。
そんなことを許すわけにはいかない。ではどうするか。
──わしが生きてあるうちに。天下静謐。なさねばならぬ。
信長の脳裏にある天下は、京を中心とした今の近畿、北陸、東海のあたりまで。
その内側で境目争いが起きなければ、天下静謐はなったと言える。
信忠は中央に置く。すでに美濃尾張の家督は譲ったが、機を見て二条の屋敷も信忠に譲っておこう。継嗣は正嫡にあることを万天下に何度も明らかにするのだ。信長には隠居城としての安土城があれば十分だ。
信忠の弟や叔父、従兄弟ら連枝衆は周辺に配置する。いらぬ欲をかかぬよう、家臣を頻繁に入れ替えて相互監視させるのがいいだろう。
宿老たちはその外側に。最前線で戦い、織田の天下を守らせる。これも頻繁に担当正面や、配下の与力を入れ替えたいところだ。歴史は、辺境で兵権を独占し続けた臣下が野心を抱き、下剋上をなした事例に満ちている。
──いらぬ欲。すぎた不満。どちらも野心へ姿を変える。
そうなる前に、野心の芽を摘む。これは本人のためでもある。
野心になりそうな闇を抱いている宿老は誰だろうか、と信長は考える。
即座に二人の顔が浮かぶ。
──秀吉はよくない。出世欲が大きすぎる。
──勝家はよくない。誇りが強すぎる。
二人に矛盾する命令を内々に与えて北陸戦線に一緒に送り出したところ、案の定、衝突して大喧嘩となり、秀吉が帰ってきた。信長の仕掛けを見抜いた信盛に後で叱られたが、必要なことだったと信長は考えている。
能力が高く、使える男たちではあるのだ。信長が隠居する時には一緒に隠居させ、手元で飼うつもりである。
宿老の中で、信忠に仕えさせて大丈夫そうなのは誰だろうか、と信長は考える。
即座に二人の顔が浮かぶ。
──信盛ならよい。家中の誰よりも信頼がおける。
──光秀ならよい。家中の誰よりも気配りができる。
そこまで考えたところでほっ、とした。
眠気が忍び寄る気配がする。久しぶりにちゃんとした眠りが期待できそうだった。
朝まで眠りを邪魔されないよう、厠に行こうと考える。
部屋の外に出る。宿直の者に灯りをもたせて厠へ行く。その帰り道。
女の喘ぎ声がした。
信長は、宿直の者から灯りを奪い、足音を忍ばせて声の方に向かう。
襖を開く。男の尻が見えた。女を組み伏せている。
女が悲鳴をあげる。険のある目で男が後ろを振り返る。
「誰じゃ──ひゃっ、信長様っ?!」
男の声が裏返る。
同朋衆の住阿弥だった。
二条御新造の管理人を任せている男だ。
「あっ、あのっ、信長様っ、そのっ、これはっ」
信長は無言のまま、踵を返した。
追いかけてきた宿直の者に、灯りを押し付ける。
「寝る」
「はっ、はいっ」
宿直の者に案内させ、寝所に戻ると信長はぐっすりと眠った。
翌朝。食事を終えた信長は、近侍に命じて住阿弥と女を成敗させた。




