25:丹波普請攻め
天正六年(1578年)三月。
築城が進む亀山城で、斎藤利三は光秀から届いた書状を確認していた。今の利三は、丹波の普請奉行である。四十五才。
「丹波の赤鬼が死んだか」
「誰です?」
「悪右衛門とも呼ばれる丹波一の勇将だ。ふむ、これはどうなるか」
赤井直正。享年五十才。
荻野家に養子になったので荻野直正とも呼ばれる。赤井家は兄が継いだが、兄の死後は、直正が甥の後見人となり、一族をまとめた。
「鬼っていうのは、強いからですか」
普請のための絵図面を引いていた小姓が、おざなりな口調で利三に聞く。
「なんだ、重太よ。興味があるのか」
「いえ、まったく」
この正月で十五才になった下阪本の重太は、日吉神社の神人の息子だ。
金造に拾われた後、明智家京屋敷で下人として働き、坂本城の小姓を経て、今は普請奉行となった利三の手伝いとして丹波に出向となっている。
「そうか。だが聞け」
「はい。聞きます」
利三は、仕事中でも、名調子で語れる特技の持ち主だ。
重太は、頭の中で複雑な計算をしながら、耳からぼんやりと入る環境音を整理して記憶する才能を持っている。
二人とも、脳を忙しくすればするほど、仕事が捗る。利三は聞き手がいてくれて嬉しいし、重太にとって利三は、投げやりな対応をしても許してくれる理想的な上司だ。
「古来より丹波には酒呑童子の逸話がある。こいつは京の間にある老ノ坂峠に住み着いていた鬼でな。源頼光という強い武士に退治された」
「いつ頃です」
「五百~六百年前だ」
「なら関係ないですね」
「それがそうでもない。丹波の人間は祭りを通して、何度も鬼の物語を語り返す。地元の人間にとって、鬼は恐ろしい存在であると同時に、都に対する反逆と独立の象徴でもあるのだ」
「丹波の赤鬼も、地元民にとっては独立の象徴というわけですか」
「わしはそう思っておる。丹波は山が多く、集落は谷ごとにまとまっている。こういう土地はどこも独立心旺盛でな。丹波の他、甲斐や信濃もそうだ。あと瑞西」
「瑞……なんです?」
「瑞西だ」
「聞いたことない国です」
「南蛮人の宣教師から聞いたのだ。誓約同盟という精強な武士団がいてな。攻めてきた帝の武士団を、長柄の足軽でさんざんに打ち負かした二百六十年前の武功話が今も語り継がれている」
利三が言っているのは、モルガルテンの戦い(1315年)である。
帝の武士団というのは、オーストリア公レオポルドの軍だ。
「丹波の赤鬼は戦上手でな。三年前にも、黒井城で明智殿の軍勢を追い払って気勢をあげておる。わしが明智家に入る前だな」
「へえ」
「おぬしは、どうしてた」
「坂本にいました。金造様も一緒に」
「いいところまで攻め込んでたんだが、八上城の羽多野が裏切ったので、国衆が動揺してな。光秀様は反撃を受ける前に素早く撤退なさったのだ」
「明智は負けたと聞いております」
「そこが面白くてな」
天正三年(1575年)の第一次丹波攻略で羽多野を味方につけて織田勢を追い払った赤井直正は、翌年には「詫言」を信長に出して、織田と和議を結んでいる。
「和議? 直正は勝ったんですよね?」
「勝ちはしたが、阿弖流為の勝利だ。足下まで攻めてきたのを追い払っただけ。田畑は荒れるし、攻めにも行けない。続ければジリ貧だ」
阿弖流為の勝利とは何を意味するのか重太は少し考え、これは利三の罠だと見抜いて質問しなかった。聞けば諄々と語り始めるであろうから。
「羽多野の方はどうなったんですか」
「そのままだ。最初から敵だった赤鬼と違い、味方のフリをしてたのに裏切ったやつを許す理由はどこにもない」
そうでなくとも、織田には、浅井の裏切りの記憶がある。
「直正が死んだのなら、このまま羽多野の八上城を囲んで落とせば終わりですかね」
「いや、どうだろうな。直正には、丹波の赤鬼としての雷名があった。織田と和睦したままでも、『赤鬼のすることなら』と周囲を納得させることもできた。だが、子か弟かが後継者になると、不満を圧して羽多野を見捨てたままにするのを許してもらえるかどうか」
無名とは、周囲の流れに逆らう力のないことを意味する。
周囲の流れとは、すなわち不満だ。満足している者は、流れを必要としない。
「そいつらはバカですか。赤鬼ですら、織田に攻め込む力がないから和睦したのに」
「バカではある。だが、敵がもっとバカなことをすれば、味方がバカなことをしても負けずにすむこともあるのだ」
「敵が自分よりバカだと期待してる時点で、可能性は皆無では」
「重太は毒舌だな」
「利三様には負けます」
「言いおる」
利三はカラカラと美声で笑う。不思議と重太の毒舌には腹が立たない。親子ほどに年が違うのもあるが、重太が頭が良く、利三の話に対して記憶も理解も確かだからだ。適当に相槌だけ打って聞き流す相手をこそ、利三は許せない性分である。
「できました。見てください」
「よし」
無駄話をしながらも、互いに手と頭は止まっていない。
利三は国衆にあてた文を書き、重太は普請のための絵図面を引く。
「道ではなく、堤が先か。必要な資材はどう運ぶ」
「丹波は腕の立つ杣が多いです。山に登らせて木を切り、川に落として運びます。山の奥まで新しい道を作っていたのでは何年かかっても完成しません」
金造が帳簿作りに精通しているように、重太は普請の絵図面に精通している。
普請に必要な作業量を絵図面を描いて見積もり、どれだけの人員がいれば作業がいつまでに完成するかを、重太はそこそこの確率ではじき出せる。
「切り出した木材で杭を打ち、堤を補強すれば、大雨で崩れるまでは既存の道を拡充して使えます」
「よし、それでいくぞ」
利三は国衆の三人組ごとに、普請の人手を出すよう書状を書いていた。
書状には空白があり、そこに重太が導き出した作業内容や、人数、必要とする工具などを書き込む。
「ううむ……ちょっとばかり人手が足りんな」
「惟任日向守様に応援を依頼しますか?」
「殿は、出張を繰り返しているからな。今月中は無理だぞ」
「丹波方面総予備として、長岡様がおられます」
「ふむ。頼んでみるか」
長岡(細川)藤孝は、光秀の与力である。
この時、利三から藤孝の動員を打診された光秀は、身代としては同格に近い藤孝を慮り、信長を通して丹波普請の手伝いを命じてもらう。
常に他者の面子に配慮し、上司である信長の顔も立てて手配りをする光秀らしい立ち振舞であった。
「この普請で多紀郡、氷上郡の堤と道の普請が終われば、摂津と播磨との行き来も楽になるな」
それぞれ、今の国道173号線と国道176号線の一部と重なる。
軍道としてより、糧道として使えるのが、織田方としては大きい。
兵糧さえ前線に届くのならば、数で有利な織田方が勝利するからだ。
「それなのですが」
「なんだ?」
「多紀郡は八上城があり、羽多野の地元です」
「そうだ」
「氷上郡は黒井城があり、赤井の地元です」
「その通り」
「このまま無事に普請が進むとお思いですか?」
「いやあ。そうはいかんだろうな」
利三は、丹波の地図を広げた。自慢の自作である。
地図には歩いて調べた砦や国衆の名前も書き込んである。
「国衆の中には、普請を妨害する気骨のある者もおる」
たとえば佐々木源氏の末裔とされる籾井氏だ。これは天正五年(1577年)に城を落として滅ぼしている。
そこから北西に一里弱(3km)の土地に荒木氏の荒木城がある。
道普請が予定されている現場近くに細工所砦が築かれていて、妨害する気が満々だ。
「来月、光秀様が戻られたら荒木を攻める」
「軍勢はどうするんです」
「信長様に応援を頼む。ある程度の……二千ほど兵を貸していただければ、半月から一ヶ月で荒木を屈服させられる」
「貸してくれますかね?」
「くれるともさ。こういうのは、小刻みに出せる分だけの兵を出してダラダラ戦っても決着がつかん。まとまった、精強な兵をガン、とぶつけて城ごと潰す方が、兵糧も人の命も少なくてすむものだ」
利三の言葉通り、光秀を通して支援を請われた信長は、滝川一益、丹羽長秀という宿老級を丹波に差し向ける。
光秀、一益、長秀の三人に攻められた荒木城はたまらず降伏した。
光秀による丹波の普請攻めは、一手一手、堅実に進んでいく。




