23:久秀の謀反
天正五年(1577年)10月。大和、葛下郡(現:奈良県北葛城郡上牧町)。
足軽頭の朝は早い。
明智家の足軽を率いる内畑日之介は、黎明には起き出す。
(こりゃ、ずいぶんと寒くなったな)
白い息を吐き、夜番をしていた足軽を労う。
「夜番、ご苦労やったな。飯ができるまで寝とってええぞ」
「うす」
夜番の足軽は目をしょぼしょぼさせて仲間が寝ている場所へ向かうと、筵をかぶった。
荷馬の嬉しそうな、いななきの声がする。
「ウララも起きたか」
日之介が鹿毛の馬に笑顔を返す。
ウララと名付けられた若い牝馬は、日之介の腹に頭をこすりつけた。
夜番の足軽が見張っていたのは、敵ではない。
鍋や兵糧など、日之介が指揮する足軽隊、内畑組の財産だ。
ウララを含む三頭の荷馬は、足軽隊にとって、とりわけ貴重で高価な財産だ。どれだけ戦場で略奪品を得ても、荷馬がなければ運べない。
二年前、丹波でのちょっとした小競り合いで手に入れた時のウララはまだ仔馬で、どこかの牧から盗んできたもののようだった。当初は売り払って銭にかえるつもりだったが、あまりに人懐こいせいで内畑組の足軽たちが日之介に「売らんでください」「わしらで世話しますんで」と頼み込み、皆で可愛がって育てた。今でも小柄だが力が強く、一日二日の距離であれば四斗俵を三つ背にしても平気で歩く。
馬は賢い。普段は世話をしてくれない日之介を、ウララは「この群れの中での序列一位は、この男性」と見抜いて、愛想をしてくる。
他の二頭の荷馬の様子も見てから、日之介は米俵をひとつ、よっこいせと肩に持ち上げる。ウララが日之介をキラキラ目で見つめ「のせる? ウララの背にのせちゃう? 運んじゃうよ?」と言わんばかりに尻尾を振る。この愛想のよさも、強面の足軽たちに好かれる理由だ。
日之介は笑って首を振ると、声を張り上げた。
「足軽ども、起きろ! 飯作るぞーっ!」
夜番をしていた者をのぞく、八十三人の足軽が一斉に起きて動きだす。
日之介が米俵を置く。
俵を開いて籾がついたままの米を取り出す。
臼を転がしてきて杵で搗く。
竈を作って鍋をかける。
葛下川に下りて水を汲んでくる。
昨日のうちに集めておいた薪を割って積み上げていく。
足軽たちが一番生き生きと、自発的に動くのは飯を作る時だ。
日之介は、少し下がって、足軽たちの動きを観察する。飯を作る時に動きが悪い者は、偽りなく調子が悪い。戦の時には前に出さないようにする。
(よし。足軽ども。今日もキビキビ動いて飯を作ってるな)
夜のうちに空気が冷えたので心配だったが、問題ないようだ。
交代で搗いた米をざっと篩にかけて籾と糠を落とす。
落とした籾と糠は、ウララたち荷馬の馬草に混ぜる。
米を鍋に入れ、水に浸す。
竈に火をかけ、米を炊く。
炊事の白い煙が冬の晴れた空に上がっていく。
(さて。今日はどうなるかの)
日之介は、炊事の煙に囲まれた城を見上げる。
片岡城。元は大和の国衆である片岡氏の城だ。松永久秀によって攻め落とされ、今は久秀が籠城する信貴山城の外郭防衛陣地となっている。
日之介は多聞山城に城番で詰めたとき、足軽を連れてこのあたりまで足をのばしている。
四つの曲輪の配置、空堀の深さ、すべて知っている。
(力攻めでも、落とせる……落とせるが。ええんか、それで)
久秀と信長の間に何があったのか、明智家の足軽頭の日之介には知る由もない。しかし、ついこの前まで味方であった城を攻めることに、日之介は釈然としないものを感じていた。
日之介のいる場所から少し北。
片岡城と信貴山城の間の丘陵に、馬ヶ背城がある。ここも片岡氏の城であったが、松永久秀に片岡城が落とされた時に破城されている。
馬ヶ背に置かれた本陣で、明智光秀と長岡藤孝は、筒井順慶が出した書状をのぞきこむ。
「松永久秀から石山本願寺に向けた書状です。我が家臣の松倉重信が手に入れました」
「久秀殿の直筆か」
「本願寺に後詰を要請しておるな。これで弾正少弼の叛意、疑いなきものとなった」
「そうか……」
光秀は、額を曇らせる。
「……だが、なぜだ? なぜ、今なのだ?」
光秀の疑問に、藤孝が首を振る。
「外から見て理が通らん時は、考えても無駄だ。本人にしかわからん」
「本人にしか……ね」
光秀の探るような目に、順慶が「何もしてませんよ」と苦笑する。
久秀と長く敵対関係にあった筒井家の当主は、数えで三十才になる。
大和の有力国衆で、今は光秀の与力に近い立場にある。
「筒井家に都合がいい展開であることは認めます。疑われても仕方がない。久秀を排除できれば、私が大和一国を平定できるのですからなおさらです。ですが、ですがですよ」
城を取ったり取られたりの長き確執を思い出して、順慶が渋面になる。
「あの百戦錬磨の爺様を、私に都合よく罠にハメることができると思いますか?」
松永久秀は七十才。三好長慶に抜擢され、三好家の黄金時代を築き上げた老獪な武将だ。三好が凋落した後も、信長の下で辣腕を奮っている。
「思わん」
「そうでしょう! そうでしょう!」
「おぬし、そこは喜んでいいのか」
はしゃぐ順慶に、藤孝が呆れる。
光秀はここまでの流れを脳裏に浮かべる。
去る八月十七日、石山本願寺の南にある天王寺砦に常番していた久秀は、突如として砦に火を放ち、信貴山城に引き揚げた。
何が起きたのか、しばらくは誰にもわからなかった。
信長は、右筆のひとりの松井友閑を特使として派遣し、久秀を問いただそうとしたが、友閑は久秀と会うこともできなかった。
そうして一ヶ月が経過した。
九月二十七日、織田信忠が春の雑賀攻めに続いて濃尾の国衆を引き連れ、大和へ出立。
先行して露払いをすべく、光秀と藤孝が順慶と共に片岡城を攻めることとなった。
「とにかく──片岡城は落とす。順慶殿。織田家中では、久秀の此度の謀反に、そなたの関与を疑う者は多い」
「でしょうね!」
「どうあってもこの疑いは晴れん。だから利用しろ。己がデキる男であると示せ」
「今日一日で片岡城を落とせ、と?」
「そうだ。藤孝殿、手伝ってやってくれるか」
「むろん」
夕刻までに片岡城は落ちた。
馬ヶ背から、落城の黒い煙を見る光秀の元へ、織田信忠が馬廻衆とやってきた。
「邪魔するよ」
「これは、左近衛少将殿。いかがいたしました」
信忠の率いる濃尾の軍勢は、今日は多聞山城までである。
「督戦、ということにしておいて。それで、ちょっといいかな」
「はっ」
近侍の者たちを遠ざけ、信忠は光秀の耳元で何事かをささやく。
光秀は驚いて聞き返した。
「これは謀反では、ない……?」
「あくまで、現時点でのぼくの考えだよ。ぼく自身は表立って動けないから、今は信栄に探ってもらってる」
佐久間信盛の息子の信栄は、信忠と同世代だ。
「では、信忠様はどのようにお考えなのでしょう」
「ぼくが思うに、これはたぶん……事故だ」
信忠は、片岡城から上がる煙に背を向け、信貴山城の方角を見て呟いた。




